その94

《ファミリーレストランのコーヒー》

 蟹江は、国道をスピードを上げて走っていた。そして風景が飛ぶように流れて行くのを楽しみながら、さらにアクセルを踏み込んだ。
 国道沿いには何軒かの書店が並び、そのどれもが大きな看板を掲げている。蟹江はその中のひとつに車を乗り入れ駐車場に止め、エンジンを切った。書店の隣には全国チェーンのファミリーレストランがあり、その隣にはホームセンターがあった。そしてそれぞれが賑わっていた。エンジンの切れた車の中で、蟹江はその書店を眺めながら、ぼんやりとこれからの犬猫堂のことを考えていた。

 時代は変わった、ってことかな。駅前商店街の賑わいなんて一昔前のことだ。今はこうして郊外に人は流れ出している。車さえあれば移動なんてなんの苦にもならないからね。変わった、と言えば、書店の在り方だって随分変わった。ここの書店には、何でも揃っているように見えるけど、実は何にもない書店なんだ。お客さんはそのことを知っているけど、まるでコンビニで買い物をするような気分でこの書店に立ち寄っている。まともな食事を作ろうとしたら、誰だってスーパーマーケットに足を運ぶけど、とりあえず腹を満たすならコンビニで充分だから。だからこういう書店はそれでいいんだ。書店には何でも揃っていなきゃならないとか、読者のニーズが云々なんていう理屈は、この書店には必要がない。新聞や雑誌に広告の出ている本さえあればそれでいいんだ。店長や猿山さんに言わせれば、こういうのは書店じゃない、ってことになるんだろうけど、僕はこういう書店を否定しない。古臭い書店論で、こういう書店の在り方は語れない。流通の一部としての書店なんだ、こういう店は。だから流通論で語らないとこの書店の存在を説明できない。そしてこの在り方を完全に否定してしまうような考え方では、これから先は生き残れないと、僕は思う。しかしこれをすべて肯定してしまったとしたら、書店が単純な出版流通の一部になってしまうし、その結果、きっと読者から飽きられてしまうに違いないのだ。

 そこまで考えて蟹江は、車を降りた。コーヒーが飲みたくなったからだ。ドアを閉め蟹江はファミリーレストランに向かって歩きだした。
 席に着くと、ウエイトレスが注文を聞きに来た。蟹江はコーヒーを注文すると再び犬猫堂のことを考え始めた。

 ブックスローカルが最近売上を落とし、犬猫堂の方は何とか売上を維持していることを考えると、犬猫堂のやり方は間違っていないような気がする。お客さんを絞り込むことで、適確な商品をお客さんにアピールするというやり方は、新刊ばかりを追い掛けているブックスローカルのやり方よりも安定していると言える。でもそれだけでいいのかって思う。新刊の販売量が少ないから新刊の配本が少ない。新刊の確保は犬猫堂での大きな仕事だ。もっともっと取次店や出版社にアピールしていかないと、これからは商品の調達が難しくなるに違いないのに、そのことに店長はあまり気付いていないような気がする。データ管理が重視されると、僕達の《売る気》なんて、何の価値もないものになってしまう。良い本だから売らせてください、と言ったところで、これまでの販売実績がないから、商品は入って来ない。それが現実だから。

 蟹江は運ばれて来たコーヒーカップに口をつけながら、自分自身の行動を考えた。
 うまいコーヒーが飲みたければ、駅前の喫茶店ライトへ行けばいいのだけど、僕はここで水のようなコーヒーを飲んでいる。わざわざライトまで行かなかった僕の気持ちと、郊外の書店で本を買うお客の気持ちは同じなんだ。ライトのマスターはうまいコーヒーを飲ませることを自負してる。でも結局僕はライトのコーヒーがうまいことを知っていても、ここでコーヒーを飲んでいる。
 きっとこういうことなんだろうと、蟹江はコーヒーカップを見詰めながら思った。

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