京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)


わたしたちのねがい

染色体異常の子どもを持たれたご両親のために


天国の特別な子ども


会議が開かれました。
地球からはるか遠くで
“また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”
天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。
“この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。
もしかして この子の思うことは
なかなか分かってもらえないかもしれません。
何をやっても うまくいかないかもしれません。
ですから私たちは この子がどこに生まれるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が しあわせなものとなるように
どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども 天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰を より豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがて二人は 自分たちに与えられた特別の
神の思し召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかな二人の尊い授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです”

Edna Massimilla
(大江祐子訳)

JDS日本ダウン症協会
「この子とともに強く明るく」掲載
(アメリカ・ペンシルベニア州 ハートボロ 私書箱21号 
This Is Our Life Publications より許可を得ております)



Heaven’s Very Special Child


A meeting was held quite far from earth.
“It’s time again for another birth”,
Said the Angels to the Lord above,
“This Special Child will need much love
His progress may seem very slow,
Accomplishment he may not show;
And he’ll require extra care
From the folks he meets down there.
He may not run or laugh or play,
His thoughts may seem quite far away.
In many ways he won’t adapt,
And he’ll be known as handicapped.
So let’s be careful where he’s sent;
We want his life to be content,
Please, Lord, find the Parents who
Will do a special job for You.
They will not realize right away
The leading role they’re asked to play.
But with this child sent from above
Comes stronger faith and richer love.
And soon they’ll know the privilege given
In caring for the gift from Heaven.
Their precious charge, so meek and mild
Is Heaven’s Very Special Child”.

Edna Massimilla

Reprinted with permission
This Is Our Life Publications
PO Box 21, Hatboro, Pa.19040 U.S.A.


は じ め に

 待ちに待ったあなたの赤ちゃんに、お医者様は「染色体異常です。発達が遅れます。」と告げる。「染色体異常って? 発達が遅れるってどういうこと?」

 一瞬のうちに将来のこと、兄弟のこと、これからの自分の人生のことについて、今まで考えたこともないような不安や疑問が頭の中をはしりぬけたと思います。そして、あとにくる絶望感や深い悲しみ。

 でも、おかあさん、あなたは決してひとりじゃないことを知ってほしいと思います。あなたを支えて下さる素晴らしい先生方やたくさんの仲間がいることを知ってほしいと思います。

 このパンフレットは、現在ダウン症児を育てている親たちの手によって、少しでもあなたのお力になれるように作られたものです。

 赤ちゃんは、あなたの手を、愛を求めています。
まず、赤ちゃんを思いっきり抱いてみて下さい。

 そして、少しずつ染色体異常について、療育について、考えていきましょう。


たつみゆき生後4ヵ月 保育園にて、たつみゆき4才ローマにて





あなたに伝えたいこと

−−選ばれた親−−

奥野 昭美     

 恵里衣(エリイ)。我が家の愛すべきおてんば台風娘です。ダウン症の彼女が私たち家族の一員となって2年半あまり。ポッチャリした愛くるしい体型。愛嬌たっぷりの笑顔。かわいいしぐさ。トレードマークのちょんまげヘアー。今では欠かすことのできない私たちのアイドルです。でも2年半前、このアイドル娘誕生直後はまさに大パニックでした。生後まもなく恵里衣がダウン症だと知った時には、これから先に、今のような明るい家庭、家族の笑顔があろうとは想像だにせず、奈落の底へ突き落とされた思いで絶望感に打ちのめされ、ただただ、「なぜ」「どうして」「うそだ」を心の中で繰り返すばかりでした。生後2ケ月になって、染色体検査の結果が出た時、病院からの帰り道、主人と私が交わした最初の言葉は「がんばろうな」でした。それは決して力強い自信に満ちた言葉ではなく、むしろ何を一体どうすればいいのか皆目見当もつかず、「発達が遅れる」というものの、何がどれくらい遅れるのか想像もできず、ややもすれば不安に押しつぶされそうになる自分たち自身を支えるための精一杯の弱々しい言葉でした。でも、あれから2年半あまり、私たち家族が今のように明るく、幸せでいられるのは、やはりあの時の「がんばろうな」が源となっていると思います。

 私はダウン症児を生んだ責任は全く感じていません。したがって世間に対して恥ずかしいとか、後ろめたいとかいう気持ちはありません。でも、今だからこそ、こういうふうに胸を張って言い切れますが、やはり恵里衣が生まれた直後は、そう簡単に割り切れない複雑で混沌とした思いがありました。そんな私の気持ちを見事に立ち直らせてくれたのが巻頭にある「天国の特別な子ども」という詩との出会いでした。初めてこの詩を目にした時、とめどなく涙があふれました。でも、その涙はもはやそれまでの涙とは異質のものとなっていました。何か救われた気がしました。それ以来、恵里衣は“天から授けられた特別な子ども”であり、私たちは神さまによって選ばれた“特別な親”であると確信しています。

 障害児を持って戸惑い、悩まない親はいないと思います。でも、やるしかないのです。先ほど私は「生んだ責任は感じていない」と述べましたが、「育てていく責任」はあると思っています。また我が子に対して愛情を抱かない親などいないでしょう。その愛情を精一杯注いでやるだけでいいのです。同じ育てるのなら、暗く沈んだ気持ちでより、ファイトを持って明るく前向きな態度で育てていく方が、子どもにとっても素晴らしい発達促進力となることは言うまでもありません。

 もし、これを読んでいらっしゃるあなたが、ショックから立ち直れずにおられるとしたら、とにかく我が子のために良かれと思うことを見つけて、とりあえず行動を起こしてみてください。そうすると、まずあなたの周囲にはたくさんの仲間がいることに気がつかれることでしょう。頑張っている多くの先輩達にも出会えるでしょう。決してあなたひとりてはないのです。私が今こうしてはつらつとしていられるのは、何よもりまず、我が娘・恵里衣の愛くるしい笑顔のおかげですが、やはり忘れてならないのは、家族を含め周囲の人々の理解と協力、そしてたくさんの仲間たちの存在です。でもこれらは自然に得られるものではありません。落ち込んで暗い顔をしていては子どもも笑ってくれません。待っていては何も始まりません。もう既に、あなたは神さまによって選ばれたのですから・・。
あとは始めるしかないのです。



−−わたしのおとうと−−

佐々木 綾     

 わたしのおとうとの元治は、はじめゆびが6本ありました。それにきがついたのは、ぐうぜん、ゆびをかぞえていた時です。小さな手だったので、本当にゆびが5本あるのかなーと思ってかぞえてみると、右手のゆびが6本あったので、わたしはびっくりしました。そのゆびに、おばあさんゆびと名前をつけました。もとが1歳になった時、入院しておばあさん指をとりました。その時、おかあさんがいなかったので、わたしはとてもさみしかった。つくしの会のクリスマス会に行ったあと、おかあさんからもとがダウンしょうと教えてもらった時、やっぱりふつうのほうがよかったのにと思いました。でも2歳になってあるくようになったし、いっしょにボールなげをしたり、そとではしりっこをしたりするようになって、あまりダウンしょうと思わなくなりました。わたしが勉強をしていると、じゃまをするので、わたしはすぐおこります。するともとは、めめのかお(泣きそうな)をします。このごろあまえんぼうになって、すぐ、なきます。おふろにはいっていると、すぐ、もとがひっかくので、小げんかになります。でも、おばあちゃんがあらっているあいだもとをだいていると、もとが、くちゅっとだきついてくるので、もんくなしに、ものすごくかわいいです。もとが大きくなったら、勉強をすこしずつおしえてあげようと思います。

佐々木和子     

 この文章は、娘の綾が小学校2年生、弟元治が2歳の時に、綾が書いたものです。8歳の綾が弟について、また、障害についてどう思っているかを書き残しておきたく思い、書かせてみたものです。綾が元治の多指症にはじめて気づいた時の驚きよう、目にいっぱい涙をためた顔は、今でも私の胸の痛みとしてはっきりと残っています。あれから2年、元治が生まれて4年が過ぎました。

 綾はすっかりお姉さんらしくなり、今では障害についても、弟のことだけにとどまらず、他の障害児やそれをとりまく人達にまで目を向け、私にいろいろ話してくれるまでになりました。元治は、もう天使そのものの可愛らしさで、家族を魅了し続け、「子どもは可能性の塊」を身をもって証明するがごとく、確実に成長してまいりました。

 私は元治がダウン症と診断された時、私は親だから元治と障害と共に一生を過ごせても、綾は違う。何の責任もない綾がどんな苦労ををしていかなければならないかを考えると、いてもたってもいられないような気持ちになったのもです。でも、そんな心配が嘘のような“今”を過ごしています。両親が明るく、自然に、兄弟同じように接していけば、子どもは親よりもずっと率直な感性で兄弟の障害を受け入れていってくれます。決して問題が解決した訳でもありませんし、これから、様々な事が起こってくる事は容易に想像することができます。しかし、何があっても、しっかり確実に乗り越えていけるだけの知識と、優しさと、力を持った兄弟に育てる最大の条件は、明るく、心豊かな家庭であるという事を、今は確信を持って言う事ができます。そのためには、思いきって外に出てみて下さい。そして、あなたのために、子ども達のために、これからも頑張ってほしいと思います。



娘・有香と私のこと

高平 恵子     

 10年ひと昔と言いますが、本当に時の流れを感じます。
 娘の有香が生まれてから、かれこれ12年です。まぶたが腫れて開かなくなるくらい泣いた産院の病室での夜のことも、保育器から出してもらって、初めて有香を抱いた時のフワッとした感触、それでもしっかり“生きてる”ことを感じた、あの一瞬のことも、つい昨日のことのようにはっきり覚えているけれど、でも、この12年のあいだには、いろんな事があったなぁ・・・と思い出します。

 有香のおかげで、一度はまっ暗な狭い部屋に押し込められたような気持ちにもなりました。でも、少しずつ、本当に少しずつまわりを見渡してみると、ポツリポツリと光の穴が見えてきて、無我夢中でそこから抜け出したように思います。

 “トライアングル”を知ったのは、有香がまだ1才になる前でした。先を歩いているお母さん達の姿は、何よりも心強く感じましたし、その後すぐに3人目を妊娠した私の精神安定剤でもありました。さすがの私も3人目の遼太を切迫流産しかけた時は、情緒不安定になっていて、人のちょっとしたひと言がすごくショックで、泣いてわめきちらした事もありました。

 自分自身がまったく大人になりきれていないこんな私は、なんだかよくわからないままに子育てをしてきましたが、これでいいのかどうかは、今のところわかりません。はっきりとしたポリシーがあるわけでもありませんしね。親が不出来だと子どもがしっかりすると言いますが、そうなってくれればいいなぁ〜なんて、ボンヤリ思ってます。

 この春から、長男は中3、次男は小5、そして有香も中学生です。お兄ちゃんと同じ地域の普通学級へ通い始めます。お友達や先生との関係のこととか、学力のこととか、今ちょっと不安材料はありますが、でもとりあえず“ぶつかってみるか・・・”といったところです。また、どんな人達との出会いがあるのか楽しみでもあります。中学生と言っても、まだまだ子どもです。有香と出会う子ども達がどんな表情を見せてくれるのか、ちょっとドキドキしてます。

 できれば、この3年間は私ももう少し時間的に余裕を持って有香にもゆっくり向き合いたいなと思ってます。私にとっても30才台最後の3年間です。毎日を大切に、有意義に過ごしたいなぁー・・・。

 最後に・・・
今、有香はとっても素直で明るく健康に育ってくれてます。そのことを、何よりも感謝したいと思います。



智子

福田 陽二(父)     

 智子もこの4月で4年生になりました。1年生から普通学級に入れてもらい3年生までお世話になった千賀先生から達富先生に替わり、どうかなと思っていましたが「タ・ツ・ト・ミ・セ・ン・セ」と言いながら元気に帰って来ます。色々世話をやいてくれたり、遊んだりする友達も結構いる様で、普通学級に入って良かったかなと思っています。

 1年、2年の頃は家へ遊びに来てくれる友達も多かったのですが、3年、4年となると段々と少なくなり、ちょっと淋しいですが、発達のスピードを考えると、まあこれも仕方がないかと思います。この点、兄弟がいると言うのは本当に良い事で、上のお姉ちゃんは8才も年が離れているので、もう一緒に遊ぶという訳にはいきませんが、妹の絢子は今3年生で、小さい時からよく二人で遊んでいました。今では背の高さも追い越してしまい、お姉ちゃんと間違われますが、優しい素直な子に育ってくれたと思います。それだけに、親の立場から、ついつい智子の面倒見を頼んだり、知らず知らずのうちに智子の方へばかり目が行ったりで、ふと絢子の「智ちゃんばっかり!」という言葉を聞くと、ハタと反省させられます。

 智子が生まれてから色々ありましたが、おかげさまで娘3人、元気に育っています。とは言っても、大変だったのは母親ばかりで、かくいう父親の私はいわゆる仕事人間で、子育ては全て母親にまかせっきり、たまの休みに子供と遊ぶ程度で、多分、家内も頭に来ていた? 事と思います。何とかここまでやってこられたのもトライアングルの皆さんや、周囲の人達のおかげと思っております。

 最近は、さすがの家内も業を煮やしてか、あれやこれやと言うようになり、私も子供達と一緒にトライアングルの行事などにも参加する様になりました。こうやって、今迄書いた事もない文章を書いているのもその現れです。仕事人間として昼も夜もなく働いて来た私にとっては、仕事を忘れて家族と共に過ごすという事は全く別の世界の様に感じられたものでした。そんな心境の変化もあって、今は仕事オンリーではなく、たまには家庭サービスもし、家内とも話をしたり、相談にも乗ったり(余り頼りにならない?)、3人の子供達を叱るのは家内にまかせて、私はただただ子供達を可愛がって、可愛がって育てて行こうと都合のいい事を考えています。



−−ちっちゃなダウンちゃんのお母さんに−−

ぼちぼちいこか、みゆき!

島崎 明子     

 我が家の次女、みゆきの通う朱一保育所は明日が運動会。一昨日の練習では四段の跳び箱の上から魔女のマントを翻して飛びおりて、拍手喝采でした。3才児クラスの周りのみんなと何もかも同じように、とはいきませんが、それでも一番うしろから、しっかりついてゆきます。

 セーラームーンの格好をして高い所から飛びおりたり、リズム遊びなんかもう得意中の得意! まだ、みんなのようには歌を歌えないけれど、伴奏がなりだすと声にはならないけれど口だけパクパク、楽しそうにみんなと一緒に歌っています。

 同じ保育所の年長組にいる姉娘のあゆみは、もちろん年相応にではありますが、あたり前にみゆきのことを理解し、かわいがったり、いじ悪したりしています。「みーちゃんはねェ、ちょっとダウンやし、まだあんまりいっぱいしゃべらはらへんねん」なんて言ってます。『ちょっとダウン』なんだそうです。笑っちゃいます。

 でも、このみゆきクン、保育園ではまだあんまりしゃべらないけれど、家では、いっぱいおしゃべりします。「いただきます」は「マース」だし、「パパ、おやすみ」は「パパ、ミ」。「ミータン、バーチャン、マース」は「みいちゃん、ばあちゃんちへいってきます」で、「ミータン、ゴハン、アム、チタイ」は「みいちゃん、ごはんたべたい」です。

 今朝は早起きして、パタンパタンとひろがる大きな本を広げて、三角やら四角や丸を作って「カカク(三角)デース」「マウ(丸)デース」なんて言いながら、気に入って遊び始めたから、いつまでたっても朝ごはんの席につきませんでした。彼女の口からこぼれる舌足らずなコトバはキラキラ、キラキラ輝いて、私の心をとろけさせます。

 はじめはたしかに大変です。ギューってだきしめて、がんばって育てて下さい。この子に一番いいと思うこと、いっぱい聞いたり、読んだりして、やってみて下さい。分からない時はトライアングルの先輩たちに聞いて下さい。ただし、専門書を読む時は要注意! 不安をあおる書き方がしてある事が少なくありません。もっと「こ〜んなにかわいく育ちますよオ!」って書いておいてくれたらと、今思います。

3ケ月、半年、1年、2年・・・。もう何にもがんばらなくていい、そう思えてきます。だって、こんなにかわいいんだもん。
そうしたら、今度はあなたが、あとに続く人に「かわいがって育てて下さい」って言ってます、きっと。

 私は今、この忙しい、せわしない、スピードの時代に、のんびり、ゆっくり、みゆきと一緒に生きてゆけることを「ナカナカ、オツなもんやなぁ」と楽しんでいます。
ぼちぼちいこか、みゆき!



パンフレットに願いをこめて

近藤 雅子     

 私が子どもの障害を受け入れる時に欲しかった希望のもてる答え、知って救われた事、勇気づけられた言葉、それを今必要としている人に伝えたいのです。

 私の娘理絵は、重い心臓疾患のため生後間もなく小児科へ転送されました。ショックをうけていた私が親としての姿勢を正される程、お医者様方は大変誠意をつくして下さいました。たくさんの方々のお力添えやはげましをいただいたのも、障害をもつ子どもへの理解であり応援だったのだと思っています。

 最初はたったひとりだと思い、辛い思いで歩いていかなければならないと思っていた道でしたが、だんだんと歩んでいくうちに、先に歩いた人たちの前向きながんばりによって歩きやすくなっていることを知りました。その道はアスファルトで舗装され車が猛スピードで走り抜ける道路ではなくて、もっとゆるやかでデコボコしているけれども、明るい光がふりそそぎ、花も咲いているやわらかい土の道だと知りました。私も、この道を後へ続く人達のために“道ならし”をしていこうと思います。

 障害をもつ子が生まれたことで悲しい思いをすることがない世の中であればどんなに素晴らしいかと思います。みんなが少し手をさしのべあって、理解しあって、誰もが一緒に生活していくことが、それ程むずかしいことなのでしょうか。生まれた命のすべてが祝福をもって迎えられることを願っています。

 とてもかわいいあなたの赤ちゃんとそのご家族が、幸せを築いていかれますことを心より祈っております。

 あなたの赤ちゃんへ・・・「生まれてくれてありがとう」

1997年8月   


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