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エッセイ集
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私 と テ レ ビ
吉 田 大 治

 子供のころテレビといえば、画面に映し出される映像よりも、筐体の穴から中身を覗くことのほうが好きで、オレンジ色に光って立ち並ぶたくさんの真空管がとても美しく、まるで魔法の筺のようであった。
 それはしょっちゅう故障した。そのたびに電気屋さんが呼ばれ、受像器の裏蓋を外しテスターを何カ所かに当てたあと、「真空管がいけませんね」と言っては悪い球を一本引き抜き、大きなカバンの中から新しいのを取り出して差し替えると、不思議にもたちどころに治ってしまう。まるで往診のお医者さんのように頼もしい手際を、子供ながらに真剣な眼差しで見つめていた。
 もともと電気好きでラジオ少年であった私は、高校のとき授業をサボって勉強し、当時行われていた「通産省認定・カラーテレビジョン修理技術者」の資格を取得した。昔懐かしい白黒テレビや真空管テレビ、そのころすでに製造されていなかったが、修理を頼まれるときには、そんな古いテレビに出会うことができて、格別の愛着があった。
 大学時代、私も含めた貧乏学生たちにとってテレビといえば高嶺の花であった。電気屋さんが廃棄するような古いテレビをもらってきては修理し、フィーダー線でアンテナを手作りして天井に張り付け、そんな努力の甲斐あって、友達の下宿では次第にテレビが見られるようになっていった。
 真空管を駆逐した半導体部品も、トランジスターから次第に集積回路(IC)へ移り、中身の見えないブラックボックスとなってしまった。ムカデのように無数に生えた部品の足を、半田ごてで溶かして外すこともままならず、壊れたら基板ごと取り替えるようになった。テレビの低価格化も加勢して、修理して大切に使う時代は次第に終わりを告げた。
 技術革新も目覚ましく、音声多重化放送、衛星放送、ブラウン管画面の平面化。しかし平面ブラウン管全盛の時代は短く、すぐに液晶やプラズマディスプレーに置き換えられてしまい、ついにブラウン管の製造も終了。夢のハイビジョンも今では当たり前となった。
 そして、今回のデジタル放送への完全移行である。電波資源や送信出力の節約、電波障害や隣接チャンネル妨害の解消など、なるほどそのメリットは大きい。しかし信号圧縮など多くのハイテクを駆使しているため、もう昔のように修理をしたり、単体部品で受像器を組み上げたりできなくなってしまったことが、心なしか少し寂しいのである。
 ラジオ放送のデジタル化という話も持ち上がったりするが、もしそうなると子供のころ親しんだ鉱石ラジオやゲルマラジオは鳴らなくなる。それと同じ寂しさなのである。
 机の引き出しには、私の高校時代の顔写真が貼られたテレビ修理技術者証が、懐かしい思い出とともに、大切にしまわれている。

(2012年「文芸随筆」第47号に掲載)


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