居合のわざの事−2

その他、もろもろ

 

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○チラリ風車の事

 昨日、とある方からこんなお話を伺いました。ある高名な英信流の先生が「山内さんはお殿様、その人がそんなに居合を稽古しているはずがないし、そんなに沢山の業が伝わっている筈がない」との言われたというのです。
 その高名な先生から見ると山内家の居合大したことはないのかもしれませんし、その先生が御存知である業数から見ると山内家の居合の業数というのは確かに大した量ではないのかもしれません。その中にはちょっと恥ずかしい業もはいっていますし・・・・。  先日京都の奥山麟之助先生のお宅に遊びに行き、故・山内先生のお話を伺っていると「けっして武徳殿では居合を抜かず、抜くときは常に平安道場でした。眉目秀麗で居合も本当に綺麗な居合でした」と話して下さいました。その山内先生のイメージとは合わない業に「チラリ風車」というのがあります。
 とっても恥ずかしい業なんですけれど・・・・。結局これは目潰しの業で、指をひらいて手の甲で相手の目の当たりを打つ、とただそれだけで、場合によっては湯飲みのお茶をかけてもよいし、何かぶつけても良いということですが、基本的には「指を開いて」というのがポイントで、それで相手の目の当たり、顔面を打つということでお茶だの物だのというのはいわば「替え業」です。
 なんだか世間の「お上品な山内さん」のイメージを壊してしまうようで気が引けるのですけれど、一応、こんなのも伝わっています。

○迎え鞘の事

 山内派では納刀の時、迎え鞘をしません。柄を押し下げるようにして納刀していきます。こうすると身体の最も近いところ、言い換えれば前に敵が出現した場合、敵からもっとも遠いところで納刀をしている訳ですから手首や肱を敵の攻撃にさらさずに済むと同時に、即座にその現れた敵に対応できるからです。
 猶、甲冑を付けた上に大小を帯びる時、下緒で鎧の上帯と大小を絡ませてつけたりすることも有りますし、あるいは鞘に返角がある場合もあり、このような場合、鞘を後ろに引くことは可能ですけれど、鞘を前に引き出してくる迎え鞘をすることは全く出来ない事もありませんけれど、今日薩摩拵に残る、凸型やあるいは、天正拵に希に見ることがある将棋の駒型の返角ではなく、通常よく見る鉤型の返角であれば刀を90度倒してやる等する必要がありますので、甲冑を付け、組討に有利な返角の付いた刀を帯びようと思えば、日頃から迎え鞘をしない納刀方法を稽古しておくことは決して無駄ではないと思います。納刀と言えば、こんなこといわずもがなのことかもしれませんが、抜付けを撮したフィルムを逆廻ししたものが納刀であり、抜けた刀はどんなに長くても必ず納まる、ということになっております。
 他の武家に起源をもつ武芸や居合の他流・他派の多くもそうだと思いますが、山内派では「実戦」というと日本刀による決闘のような事ではなく、寧ろ「合戦」を想定しており、斬り合いもあれば石礫も飛んでくるし馬に蹴られそうになることもあるだろうし、下手をすれば総崩れになった味方に踏み殺されることももあるし、鉄炮迫合・矢合わせ・鑓の勝負、斬り合い、組討と何でも有りの戦いを想定しています。以前、目付には二種類あると山内派では伝承されているともうしたことがありますけれど、こういう戦場では一対一の時の目付だけでは生き残る事は至難の業であり、戦場には戦場の目付というものがあります。勿論その目付は一対一で闘っているときも必要なのですけれど。  

    

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