はじめに
摂播五泊については 三善清行が延喜十四年(914) に奏上した『意見封事十二箇条(以下『意 見封事』とする。)(1)』に、播磨の室生(室の元字は「木篇に聖」であるが、以下「室生」とする。)、 韓、魚住、摂津の大輪田泊、河尻までの五泊(港)は、行基が一曰間の行程(航程)を測り、築造し たことが記されている。 延喜十四年(914)に書かれた三善清行の『意見封事』における行基建置の五泊はあまり重要視され ていない。境野黄洋は、五泊が行基の事蹟に含まれないことを「諸書之を除いて居るのは、如何な る理由であるか知らない(2)」とする。これは何故であろうかと自分なりに考えてみると、その大き な理由の一つは、『行基年譜』の記事と異なることに起因するものであろうか。 『行基年譜』には摂津国の大輪田船息と和泉国の神前船息の二箇所しか記載されていないため、 それと異なる「意見十二箇条」の行基の摂播五泊が無視されているものと思われる。 長山泰孝は、「『行基年譜』に「大輪田舩息 在摂津国兎原郡宇治」とあるが、他の泊について記 述はみえず、行基が五泊すべてに関係したかは明らかでない。(3)」とする。 また、千田稔は、「『意見封事十二箇条』には、「行基菩薩が建置する」と記されている。しかし大 輪田泊以外については『年譜』にその名をあげないので、実際行基によって五泊がつくられたかど うかは疑わしい。『意見封事十二箇条』によると、五泊は船によるほぼ一日行程の間隔をもって設置 されたもので、瀬戸内の東部を航海する船にとって重要な停泊地であった。五泊の一つ大輪田泊は、 少なくとも行基によって設けられたことが『年譜』から知られるので、五泊の建造に すべて行基が 関わったという伝承が生まれたのかもしれない。(4)」とする。 次に、『行基年譜』は、行基の活動が畿内に限られることから、行基は畿内から出なかったものと する論がある(5)。 更には、五泊の行程を定め、泊を築造することは、むしろ官の役割であって、僧の活動としては、 手に余ることと判断されたものではないかと憶測する。 ここでは、摂播五泊が行基の事蹟に挙げられるべきものかを検証していく。併せて、五泊の行程 を定め、泊を築造・管理することが官の役割であると考えることは、僧である行基の事蹟とは異な る部分があり、その場合は行基と官の関係を検討しなければならない課題となろう。
1 摂播五泊について (1)摂播五泊の比定 下表1のとおり比定されている。 表1 五泊の比定
論者 | 室生 | 韓 | 魚住 | 大輪田 | 河尻 |
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松原源太郎 | 室生(室津) | 加古川のあたり | 大久保 | 兵庫あたり | 淀川河尻 |
千田 稔 | 揖保郡御津町室津 | 姫路市的形 | 明石市江井島 | 旧湊川河口部 | 尼崎市今福 |
松原弘宣 | 御津町室津 | 姫路市的形 | 魚住町 | 神戸市新開地通 | 尼崎市今福 |
加古川市史 | 揖保郡御津町 室津 | 姫路市的形 | 明石市大久保町江井島 | 神戸市兵庫 | 尼崎市杭瀬 |
岩波思想体系 | 揖保郡御津町 室津 | 加古川市福泊 の説あり | 明石市魚住 | 現在の神戸港 | 大阪市淀川区 |
大日本地名辞書など | 大日本地名辞書 福泊の旧名なるべし | 吉田靖雄 兵庫区和田崎町付近 | 西本昌弘 尼崎市神崎・西川付近 | ||
長山泰孝 | 千田稔と同じ | 姫路市的形福泊 | 千田稔と同じ | 和田岬より西方 | 難波の河尻 |
その他 | 室原泊(風土記)室之浦 (万3164) | 加良止麻利山 (法隆寺資材帳) 圓方之湊 (万1162) | 名寸隅船瀬 (万935) 魚次浜(住吉記) | 大和田の濱 (万1067)大輪田船息 (『行基年譜』) | 居名イナの湊(万1189) |
舩息二所 大輪田舩息 在摂津国兎原郡宇治 神前舩息 在和泉国日根郡日根里、近木郷内申候 |
年月 | 内容 |
---|---|
寛平年間 | 備中守 |
昌泰3年(900 | 文章博士に任ず。 |
昌泰4年(901) | 大学頭を兼ぬ。2月22日「紀伝(革命)勘文」上申。 |
延喜元年(901) 7月15日 | 改元成る。この年意見封事上奏(魚住泊修復等)。 |
延喜3年(903) | 式部少輔を兼ぬ。(三職兼任) |
延喜5年(905)1月11日 | 式部少輔より権大輔となる。兼備中守 |
同8月 | 延喜格式の編纂員を命じられる。 |
同14年2月 | 意見封事の徴召の詔 |
同14年4月 | 式部大輔に任ず。 |
同4月29日 | 意見封事上奏 |
同15年正月7日 | 従四位上に叙す |
同17年正月29日 | 参議に任ず |
同5月20日 | 宮内卿を兼ぬ |
同18年(918) | 播磨守任官(権守) 卒 |
史料 | 内容 | 備考 |
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探訪古代の道第三巻・菅野文則 [行基開基伝承寺院] | 姫路市随願寺・明石市観音寺・加古川市法蔵寺、加西市酒見寺、稲美町円光寺、御津町円融寺、摂保川町宝積寺、赤穂郡白水寺 | |
播磨第35号・松原源太郎 | 赤穂郡妙見寺・常楽寺・長楽寺・?眼寺・正福寺・富満寺満勝院・白水寺・西蓮寺・松雲寺・宗慶寺・験行寺、摂保郡円融寺・小宅寺・願成寺・宝積寺[赤穂郡誌・摂保郡誌] | |
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峯相記[続群類816] | 法花山(播磨印南郡)、船越山(佐用郡南光町) | 神亀3年10月行基僧正仙跡ヲ尋テ参詣ス |
播磨清水寺文書 | 聖武勅命により諸尊を刻して大講堂に安置 | |
重源南無阿弥陀仏作善集 | 魚住泊彼嶋者昔行基菩薩為助人築此泊 備前国船坂山の道路整備 | 建久7年(1196)太政官符集 |
肥前名跡記下巻 | 肥御崎日通山観音寺行基菩薩墓 | 七浦観音像 |
覚源禅師年譜略[続群類236] | 九州肥前阿那之在所、爰有行基菩薩建立之堂 | 元亨元年(1321)成立 |
行基菩薩ゆかりの寺院 | 福岡県17寺、佐賀県9寺、長崎県7寺、熊本県5寺、大分県3寺、宮崎県3寺 | 行基菩薩1200年御遠忌記念誌、平成10年 |
県 | 寺院 | 所在 | 備考 |
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福岡県 | A国分寺 | 太宰府市国分 | 天平9年 |
佐賀県 | B大興善寺 | 三養基郡基山町園部 | 元無量壽院、養老元年開創 |
C河上山 神通密寺 実相院 | 佐賀市(旧佐賀郡)大和町川上 | ||
D桐野山 妙覚寺 | 多久市南多久町桐野 | 天平13年 | |
E専称寺 | 多久市多久町 | 天平13年 | |
F大聖寺 | 武雄市(旧杵島郡北方町大字)大崎 | 和銅2年 | |
G常在寺 | 嬉野市(旧藤津郡塩田町)馬場下甲下野辺田 | ||
H生蓮寺 | 嬉野市(旧藤津郡塩田町) | ||
I竹崎観世音寺 | 藤津郡太良町大浦竹崎248 | ||
長崎県 | J菩提寺 | 諫早市(旧北高来郡高来町)湯江 | 和銅2年 |
K和銅寺 | 諫早市高来町 | 行基像あり | |
L御手水観音 | 諫早市御手水町 | ||
M温泉山大乗院 満明寺 | 雲仙市(旧南高来郡小浜町)雲仙 | (一乗院 釈迦堂) |
忍海野烏那羅論文集 |
行基論文集 |