ノーベル文学賞を目指して

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長年俳句に携わってきた私は究極の俳句に至り、その手法と楽しさを世界の人達に知って戴きたいと思うようになりました。 以前からの目標であった「ノーベル文学賞」に応募するために、俳句に堪能な方はもちろん 、そうでない方また外国の方々にも、容易に内容を理解して戴きその作品の情感を楽しんで戴けるような内容での本作りに取り組んでいます。こうしたことを現代俳句協会の上層部の方に非公式に発表しましたところ、多くの方々が私の理論や作品に共鳴してくださり激励のお手紙を沢山戴きました。私のホームページを見て下さっている皆様方にも発表させて戴きたいと思います。以下は現代俳句協会で発表した時の文章です。またおいおいにその全作品をこの欄で掲載出来たらと思っています。
ご挨拶
平成九年の“宇宙は俳句”の折には大変御理解を戴きまして有難うございました。今回“磯野香澄俳句の世界”を再びお目通し頂きたくて送らせて頂きました。この間合計十三冊の書にして、今迄に研究してまいりました俳句についての殆どを、書き納めました。そして当初からの目的でありましたノーベル文学賞に応募したいと言う思いが行動に入れる段階に至りました。
応募に値すると思える一番の処は、叙情を叙事に還元して書きますと、読み手にその句の景色が見えて、その景色は読み手のイメージの景色が見えているのですから、読み手ご自身の情感で感じておられると言う事になります。これが究極の俳句の形態で、又世界の文学の究極の形と言う事になると思います(他の文学や芸術では、完全に観賞者のイメージになってしまうと言う形態のものは有り得ないと思います)こうした十七文字の俳句なればこそ発生する現象で、ここが一番の主張です。
完成度が百%の場合のみ発生する憑り現象で、究極の俳句のそうした理論と、その理論によって成した作品で実証し、又それ故に大量作成した俳句作品とで、ノーベル賞審議会に日本固有の文学形態の高度な処を認識して頂き、評価して戴いて、最終は世界の文学愛好家に認識され楽しんで戴ける様にと願っています。つぎの“ノーベル文学賞応募の弁”に詳しく書いていますので、お読み頂きたく同封致しました。
この理論は芭蕉翁が晩年に到達された作風と同じで、これは又現代俳句が超現実を超えたすぐ上に、芭蕉翁が到達された世界と同じ処があるのだと言う事をも含めて、ご理解頂きたいと思っています。
これらの作品及び理論を見て頂き、私の考えにご共感頂きたく“宇宙は俳句”の時にご理解下さいました諸先生方に送らせて戴きました。

平成15年5月

“宇宙は俳句"をご理解下さいました諸先生へ

磯野香澄

“磯野香澄俳句の世界ノーベル文学賞応募の弁”
私は完成度百%の句を一千句揃えて
   ノーベル文学賞に応募したいと思っています
 文学で完成度百%と言うことがどうして分かるかということですが、それは後でお話するとしまして芭蕉以来俳句が多くの方々につくられ、それこそ天文的な数にのぼると思いますが、そうしたなかでどんどん手法が高度になっていき、現代俳句という比喩をもととした表現法が色々なされてきました。そしてある時芭蕉を振り返り「古池や蛙飛び込む水の音」を研究するのがはやった時期がありました。
 当時現代俳句協会の会長だった金子兜太氏は「古池や蛙飛び込む水の音」を現代俳句的に二物配合と言う読み方をして“古池や”は“古池や”で一方にあって、そしてもう一つの所に蛙が飛び込んでいる音がする。それも複数の音がすると言う風に感じ、それが古池を研究された上での読み方だったと思います。私も同じようにやりました。いくら読んでもどうしてもどこがいいのかと言う手掛かりがないのです。そして色々な読み方を試みた結果、この句がつくられたのは俳句の初期段階なのでこう言う書き方だったんだなあと思っていました。
 現代俳句と相対する伝統俳句協会、そこは正岡子規又は高浜虚子を祖とするホトトギス系の伝統派と称する方々、そうした幹部の方々は花鳥風詠、客観写生、ちょっとこれはおかしいと思うのですが(私は虚子は主観写生と言われたと思うのですが、稲畑丁子さんはお爺さんが客観写生と言われたと言っておられました)どちらにしても花鳥風詠、その時々の情景を思いのままに綴っていく手法で大集団を率いておられる。
 一方古典研究の場では、日本文学を教えておられる学者先生の芭蕉に対する講演なり著書のなかで、どう言う風に言っておられるかと言いますと、真剣に取り組んでおられるその姿勢はさすがだと思うのですが、それは私が研究したことのほんの入口だけでそしてその後講演なり著書なりにしても、俳句の本質からはずれたところのお話になってしまいます。また文学部出の方の俳壇での発言なり姿勢なりも伺っていますと、真面目に大学で習ってきたんだなということは察っしられますが、でも一通り習ってきたことを言うと教えてもらったことがそれだけなのでそれで終わってしまいます。そして現代俳句の中にそうした作者がおられるわけですが、習ったことが芭蕉俳句の入口だけなので、習ってきたことを話しまた作品の上に発揮できても結局現代俳句の手法に入って行かざるを得ないと言うことになります。
 こうして書き上げてみますとどちらにしても現代の俳句界では、芭蕉の作品と言うものにあまり重きをおいていないと言うことになります。とは言え奥の細道が世界中の文学者に愛され「蛙飛び込む水の音が」世界中の俳句愛好者に愛されているのは言う迄もありません。
 ここからが私の芭蕉を研究したことについて触れることになります。さきに言いました完成度百%と言うことは、数学とか物理でしたら当然百%と言う答えはでるわけですが、文学でしかもたった十七文字の句で、どうしてそれが言えるのかと言うことに対して疑問を持たれると思います。しかし私の俳句学、俳句理論、または推敲の仕方、作句上のコツとか色々な角度から其の百%の俳句の手法を書いていますので、それを読んで私の理論をご理解戴ければ、百%の作品が書けると言うことがお分かり戴けると思います。つぎにどうして完成度百%であると言うことが言えるかをお話したいと思います。
 例えば芭蕉の俳句で「古池や」をとりあげて説明しますと、その句を読み手が目にした時、口ずさんだ時、現象として瞬間パッとその景色が見えるのです。そしてその情感に、佳いとか風流とか色々なことを感じるわけです。見えている景色というのは、芭蕉さんが見られた景色が見えるわけではなく、あくまでも読み手の今までの経験とか知識から発生するイメ−ジで見た風景です。だから作品は「古池や蛙飛び込む水の音」は芭蕉さんの句であっても、読み手が感じている風景情感というのは読み手のものなのです。読み手が自分のイメージで自分の風景に情緒を感じている。風流風雅を感じていると言うことですので、その時には作者の芭蕉さんというのは影も形もないわけです。読み手の世界なんですね。
 今までに沢山の人々が色々研究し、芭蕉の作品が佳いということがわかりながら、何処が何故いいのかと言うことがわからなかった。それは読み手に憑って読み手のイメージで感じているので、そこには芭蕉さんの元の作品と言うのがないわけです。そう言った憑るそして読み手のものになってしまう。なりきってしまう。そう言う風に憑らせる力のある作品、それが完成度百%と言うことになります。
 そこで私はそうした作品を『磯野香澄俳句の世界』として第一冊目には三百の俳句を収録していて、あと七百句まだもう少し推敲のあまい句があったりしますので、そうした句を完成させ一千句揃えて、先に言いました俳句学、俳句理論、推敲の仕方、作上のコツなどそうした理論の書と共にノーベル文学賞に応募したいと思っているのです。
 そして今まで芭蕉この方三百年来どこがよかったのか、どうして芭蕉と同じ書き方が出来なかったのかと言うことを解明した理論と、その理論によって成した作品とを以って、日本固有の文学十七文字の不思議そうしたものを、世界の方々に知って戴くきっかけにもしたいと思っています。
 嘗て私がこの手法に至り、この作風で作品を発表しようとした時色々な考えが浮かびました。この作風では簡単な書き方になりますので、現代俳句の手法とは随分違っていて文字面ではレベルダウンに見えます。それにも拘らずこの作品を作る為には推敲の所ですごく努力をして、最もシンプルな形に仕上げて発表し、その結果どうなるかと言えば、現代俳句の書き方から伝統派的な書き方にずり落ちていったんだなと言うような見方にもなるので、ここを乗り越えるのにとても逡巡しました。そこで今まで持っていたものを全部捨てて心を無にしなければ渡れないと言うことに考えが至りました。一種の悟りの境地だと思うのですが、この手法で行こうとした時、心も体重もゼロになったと感じた不思議な体験をしています。その体験を機にどれだけ酷評をあびてもいい、私はこの理論できちっとしたことが解明できたのだから、これでいくのが当然なのだと言うことを決意したいきさつがあります。
 最近では、私のこうした手法が認識されてきたのか「現代俳句 平成十五年四月号」のグラビアに
“山荘の 庭の宴や 花が舞う”  香澄
を掲載して戴いています。
 命を賭けてと言う言葉がありますが、ここに至るまでに五十年近くかかっています。命を賭けてノーベル文学賞に応募し、そして認められることを信じて晩年を過ごしたいと思っています。これが私のノーベル文学賞応募の弁です。

平成15年5月
このまえがきは、ノーベル文学賞を意識して作成した作品集、真珠彩の四季五の一と同じものを掲載しています。

まえがき

芭蕉以来俳句は多くの人達によって作られてきました。いろんな人がいろんな思いで作ってきたわけですが、その誰もが少しでも良い作品をと努力してきた事は確かです。そうした人達が目指すその先は目標のある方ない方にかかわらず全て芭蕉の編み出された究極の俳句へつながっているのです。またこの俳句の真髄が日本固有の文学であると断言出来る処であります。次に究極の俳句についておおまかに説明していますが、詳しくは「磯野香澄俳句の世界」の理論文をお読み戴きたいと思います。
究極の俳句とは叙情を叙事に還元して書きます。この俳句の最も特殊な処は句が観賞者の物になると言う事です。どう言う事かと言いますと、観賞者が一つの句を目にした時、その句に書いてある景色が見えて自分のイメージでその情感を味わいます。その時のイメージは観賞者の経験から湧くのですからその景色は百人百様で、観賞者は自分の景色に詩情を感じているわけで、それは又百人百様の感じ方があると言う事です。その時観賞者は自分の景色に感じているので元の作者の存在は全くありません。例えば私は芭蕉の《あかあかと日は難面も秋の風》と言う句が好きでよく口ずさみますが、その時私はこの句の情感に憑りこの句は瞬間私の物になっていて作者芭蕉の影も形も
感じません。他の文化でも良い作品には観賞者の心が入り込みますが、究極の俳句は入り込むだけでなく観賞者自身の詩情になってしまいます。
究極の俳句は作者が創作するものではなく、日々移り変わる自然の営みの中で、現実に起きている出来事を綴るいわゆるドキュメンタリーで、作者が遭遇して心を動かされた情景を観賞者にそのまま渡し、観賞者が自分のイメージで詩情を生み出して風雅を味わうものです。作者本人も自分の句を口ずさんだ時には観賞者になっています。多くの人に愛されている《古池や》の句をどう良いかと聞かれても中々言い表わせないのは、俳句は十七文字なるが故に一字一字が想像を越えた働きをしている処にあります。これは他の文学では考えられない働きで、観賞者もそれに気付く事なく自分の句として情感に浸ります。一般の事でも研究者は長年かかって利用者が簡単に取り入れられる物を作るのと同じ様に、芭蕉が漂泊の旅で到達されたこの究極の俳句の手法も観賞者に簡単に風雅な気分を味わって貰える作りになっているのです。
超現実の手法が書けると写生を超えた写生に到達でき、俳句本来の目的である心が詠える現象、具象だけで心が書ける、言い換えれば物で事を書くという手法に到達でき、そこが芭蕉が編み出された究極の俳句の世界です。俳句は世界最短の詩形であることは良く知られていますが、こうした詩形は日本語十七文字でこそ出来得るものでそれは日本固有の詩の形と言えます。

編集その他について

俳句は何も説明せずに瞬間に読み取って頂くのが好ましいのですが読み方や言葉がわかる場合、わからない場合人それぞれですので一応読み方の韻読みをかなで書いています。そして言葉の説明を簡単にしています。またわかり切った言葉でも俳句の書き振りでこの場合こういうふうな意味になります、と説明しています。これは説明していないことですが、俳句に使われている言葉は「もっともな」と言うことが前提です。(例えば花と言えば桜のことを言い、鴬と言えば鳴いている鴬の事を言うなど、もっともそれらしき事物を言います。)切れと省略の切れは俳句特有の切れ字と言うのがありますので、切れた処に時間や空間や思いなどその句によって様々な事が秘められています。又句の切れていない場合でも助詞の使い方によっては同じように、時間、空間、思いが込められています。切れと省略の省略はその場の景色をイメージの補則の為に書きました。賜時の心情は作者が自然の中で出合った事柄に瞬間心に響いた情感を書いています。
“磯野香澄俳句の世界”一千句の作品を五巻に分けて
一巻 真珠彩の四季
二巻 瑠璃彩の四季
三巻 珊瑚彩の四季
四巻 琥珀彩の四季
五巻 黒真珠彩の四季
右の題名のイメージの様に句の内容で分類しています。また作品の並べる順序は自然が進んでいく通りに、一月から春夏秋冬十二月迄の順に配列しています。この五巻の頭に「磯野香澄俳句の世界」という題名で抽出作品三百句と俳句学を主とした理論文を書いた書があり合計六冊になっています。(他に「芭蕉作風踏襲・理論と実践実例」と題する著書に全理論を書いています)
*このまえがきは、真珠彩の四季・瑠璃彩の四季・珊瑚彩の四季・琥珀彩の四季・黒真珠彩の四季の五巻共通です。

平成十六年一月九日

 

このあとがきは、ノーベル文学賞を意識して作成した作品集、真珠彩の四季五の一と同じものを掲載しています。

あとがき

ノーベル文学賞を意識しての序章とも言うべき第一冊目「磯野香澄俳句の世界」を上梓して一年経ちました。そして今、本旨である俳句集五巻の内の一巻を脱稿するに至りました。これらの書は芭蕉が編み出された究極の俳句を理論的に解明し、その理論によって成した作品集です。
私は過去十五年間にワープロを打ち月刊誌や十数冊の著書と弟子の個人句集十余冊を作成しているのですが、それはワープロを使えたお陰でこれだけのことが出来たと思っています。視力が段々低下していたのですが、この書を本格的に作成するようになった昨年の六月にルーペと眼鏡でどうにか一行読めたのを最後に、今まで手放したことのなかったワープロを弟子の生駒途峰に委ねて打ってもらうことになりました。八年前に足のケガが元で床の上から離れられなくなり、その上視力がゼロで非常に不便な生活を送っているのですが、これは私がこの書を作る為に与えられた豊かな時間だと思って頑張って充実してやっています。
私は父母、祖父母を十歳迄にみんな亡くしてしまい、それから後は厳しい状態になりました。しかしそのことによって考え方が深くなり他人に奉仕することが自分が一番暮らしやすい方法だと悟ったり素直に生きることが自分を守る事だということも知りました。また戦後たまたまカトリックがどういうところか知りたくて教会へ行きました。そこで私は神は偏在すると教えて頂き、自然を司る力それによって全ての物が動かされているということを悟らせて戴だいたのです。それ以後神のプログラムによって生きているということを体験的に知るわけです。二十七歳で俳句に出会い以後俳句を通じてますますそのことを強く感じるようになりました。私は親がないために、根気強くやらざるを得なかった幼い頃自然と身についた根気強さがなんでも突き詰めて研究することになりこの俳句の理論もそうした根気の強さから究極の所まで解明するに至れたと思います。一般的に文科系と理数科系は別のように考えられていますが、俳句というものは理の上に成りたち物理的な考え方も非常に要求されるので、それも若いときに進みたかった科学分野に通じていて都合が良かったと思っています。さらに物理的な目で自然を見てきた事が究極の俳句へ至れた要因にもなっています。また好奇心が旺盛であったことが幅の広がりにつながったと思います。しかしそういうふうなことも全てひっくるめて司る神のなせる技だと強く感じています。
普通に暮らしているとあまり気付かないことでもこうして動けなくなり視力が下がってきますと感が研ぎ澄まされて、日々起こっている色々な出来事が全て出会いであり自然のプログラムのまま生きているのだということがいっそう良く判るようになりました。そういうふうに感じた顕著なことを二、三綴ってみますと一九九六年秋足をけがして間無しのことでした。京都プラハ交流の展示会に弟子の作品も含めて短冊を持っていく話が急に起こり使節団に加わるお弟子に持って行ってもらうことになり短冊の用意を始めたわけです。急なことで渡せる状態ではないのに、どんどんその話が具体化して、それと同時に必要なものが私の部屋に届けられたわけです。人といい物といい、これが必要だけれどもどうしょうもないと思っていると、すぐにその物が目の前に現れたりで神が送り届けてくださったとより思えないことばかりでした。これらの短冊はプラハの展示会で結構人気ががあり、その後カレル大学に保存されているということです。またそれを次の年に京都市立岡崎美術館にてプラハで展示した報告をするための展示会にも出品することになって、それも不可能と思えるような状況にも拘らずうまく出品することが出来ました。
最近の事で言いますと、私はこの書を製作する為にテープで口述しそれを起こしてもらっていたのですが、テープではきめ細かいことが出来ず困っていたところ、偶然視覚障害者用の物品識別器の発売予定情報を聞き、『ひとつひとつ』という言葉に瞬間ひらめき押されるようなものを感じてすぐさまメーカーに機器の詳細を尋ね、これはいけそうだと即予約発注しました。使用目的は全然違ったのですがそれを応用しその結果思いのまま仕事が出来るようになりました。
このように何か出来ない事態に陥ってもすぐに打開して戴けるというふうに不思議な事があまりにも重なるので、これは神様が私に俳句を研究するように仕向けられ、その成果である理論と作品をノーベル文学賞に取り上げられるように道を開き、そして最終目的である世界の人達に何処にもないおもしろい句の働きを知ってもらい楽しんで戴くというところへ至らす為に私を俳句の道へ、また厳しい生涯を試練として与えられ、そして俳句が一人で歩いていくというところまで自然を司る力によって仕組まれているという思いに至っているのです。そこで私はこうした思いが現実になるように命のある限り頑張ろうと思っています。

*このあとがきは、真珠彩の四季・瑠璃彩の四季・珊瑚彩の四季・琥珀彩の四季・黒真珠彩の四季
の五巻共通です。


平成十六年二月二十五日

 

俳文学研究会京都俳句  主宰  磯野香澄

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