俳句は子規が確立したと言う間違いについて

先日(8月中旬)NHKのニュースで、俳句は正岡子規が連歌から独立させて575の今の形に確立させた、と言う意味の事を愛媛県の子規没後百年記念行事(正式名は分りません)で発表したと聞きました。それはとんでも無い間違いで、子規は36才で没しており没後百年と言ったら、今まだ生きている人と同時代の人です。芭蕉が奥の細道と言うあの名作を書かれてから三百年以上経っています。その中の代表的な句を2、3揚げて見ますと
〈 荒 海 や 佐 渡 に 横 た う 天 の 川 〉
〈 閑 か さ や 岩 に し み 入 る 蝉 の 声 〉
〈 夏 草 や 兵 ど も が 夢 の 跡 〉
これ等の句からでも俳句が三百年前にこの形式で書かれた事がはっきりしています。これはちょっと俳句に関心のある人なら誰でも知っている事ですが、NHKのニュースで放送されると、間違っている事でもそれが正しいと一般に認識されてしまうので困るのです。私はずっと前になりますが、現代俳句協会の機関誌「現代俳句」に“俳壇も電波(放送局)を”と言う題で文章を書いた事がありますが、その時も今と同じ思いでした。テレビやラジオで俳句について余りにも違った事を放送するので、一般に間違った事が常識とされてしまう。それを防ぐ為にも俳壇は他のメディアの企画に組込まれて電波に乗るのではなく、俳壇独自の番組を作って独自で放送するべきだと言った内容の文章でした。でも現実には私の提案はそうそう簡単にはいきません。しかしその思いはずっと続いていて、コンピュ−タ−が普及し私も手が届く様になったので、このホームページにこうして俳句を正しく認識して貰おうと言う意味も込めて、情報として流していますが、今回余りにも甚だしい間違いをNHKのニュースで聞いて黙っておれず、ここに取り揚げる事にしました。
俳句は松尾芭蕉が 室町時代から行なわれていた連歌の最初の挨拶句の部分を独立させて、それ迄文芸だった連歌から、俳句文学に昇華させられたのです。文学としての俳句は映画やお芝居小説等が、2時間とか3時間かけて観賞者を引き込み、そのストーリーに憑(のりうつる)らせるのに比べ、俳句はたった17文字で瞬間に読手をその情景に同化させ憑らせるのです。正岡子規の句は思いつきで言ってあるだけで、憑れる句は1句もありません。それは俳句と言う文学は長い年月かかって高めて行くもので、36才位ではまだ俳句の入口です。相撲とか体育系では36では極めてしまいますが、俳句は精神性と知性、感性が大方を占めるので極めるのに長くかかるのです。子規がもっと長命だったら、あれだけの人ですから名作を残してくださったと思いますが残念です。
繰り返しますが、俳句として575の17文字で自然の移ろいを詠う形式に確立されたのは、松尾芭蕉で、正岡子規ではありません。

 

 

平成13年9月

磯野 香澄

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