昨年の暮れにパソコンで視力障害者でも仕事しておられることを知り、私もパソコンを稽古したいと、ライトハウスで色々尋ねてみた。親切に教えていただけたお陰でここ迄打てるようになった。 一昨年の誕生日(七十一歳)にルーペでワープロの画面が読めたのを最後にワープロが使えなくなり、弟子に打って貰っていたが、どうにかパソコンで又文章が書けるようになれそうだと思った時嬉しくて涙が出た。まだ未熟だが私には時間があまり無いので仕事に入ろうと思う。やりたい事は一杯あるが、まずはホームページを見てくださっている方々に、嬉しい便りが届いた事を聞いて戴こうと思いつき、打ってみることにした。 年賀状に混じって「初めてお便りします」とい言うのがあってその内容は「(久しぶりに京都を訪れて、京大農学部前の進々堂のパン屋さんで京大時代を思い出しコーヒーを飲みながら、備えてある本を見ていたら《宇宙は俳句》(俳句の館書籍紹介の欄に掲示)と言うのが目に止まり、東京へ帰って大手の書店を聞きまわったがどこにも無いので、直接送ってほしい」)とあった。この事は昨年の夏にも同進々堂で読んだ《宇宙は俳句》をぜひ手に入れたいと思うので何処で買えばよいかと電話がかかってきた。鴨東庵に在庫はありますがというと、すぐさま私宅へ来て女性の方が買っていって下さった。私はこの喫茶店に誰が《宇宙は俳句》を置いたのかも知らなかったので不思議に思ったし、二度に渡って俳句エリアの外で売れたことは意義が深いと嬉しい思いがした。 こうしてパソコンでやっていけそうなので私は俳句を長年研究して来た理屈に叶った俳句の面白さをこれからも多くの人たちに知って戴く事に尽くそうと言う思いを深くした。 次に《宇宙は俳句》の雑多な項目の中の一項を載せてみました。購入してくださった方の気持ちを少しでもお伝えできたらとおもっています。 |
磯野香澄 |
《芭蕉翁の俳句推敲経過》 |
芭蕉の作句方法を踏襲して |
磯野 香澄 |
先の項で、私がお手本とさせて戴いて来た芭蕉翁がご自身の作品を改作された(資料角川書店奥の細道)推敲経過と我京都俳句で門人に指導している添削推敲経過を掲載して、俳句へ至る道程を見て貰いました。芭蕉翁の改作は最終詰めの処の場合が殆どですが、又それ故にフィニッシュのメカニズムがよく分るのですが。京都俳句で指導している場合はそこ迄細かく書けないので大ざっぱですが、理論的には同じだと言う事を理解して戴けたと思います。 芭蕉翁が最後の詰めの一字でどう変化するかの処を示して下さっているという事は、例えば<夏草や兵どもの夢の跡>と<夏草や兵どもが夢の跡>の「の」と「が」の違いの様に「が」にする事によって情感がボーンと憑って来ます。(何故こうなるのかは理論文で書いていますが)京都俳句の場合は写生句からどうして推敲して行くかの部分が大方で、写生と言う原点に一旦戻ってそこへ心を注入する。そうして置いて私性を超えたステップアップ。それは読み手に俳句だけを渡すと言う、作者の顔を覗かせない作品に仕上げる迄の経過であります。作品によっては完成度の低いのもありますが、どんな作品でも心さえあれば日本語の文法に基ずき、そこから外れない限りいくら省略を効かせても又自然現象に反しない限り、例えば無い情景は具体的には書く事は出来ないので、全て現実にある存在する物や現象で表現すれば書けると言う事です。又俳句が作者から独立して人様の心の中を宇宙遊泳とかモンスターの様に、宿ったり消えたりする作品になる処迄どの様な作品でも、推敲する事が出来ると言う事です。しかしそれはオリンピック選手の満点の競技と同じく大変な事です。作者の句材の時点で精神性がいかに深いかと言う事が完成した作品で語られる事であり、従って心の希薄な句材は出来上りもそれだけの物です。又推敲が大変なので百%の完成度にするには時間とか体力的にそこ迄至れ無い場合も多いので、完成度が百%で内容も読み手の心を満たすと言う条件の揃った作品は、数が少なくなるのは当然で、芭蕉にしても一茶にしても膨大な数の作品の中で、本当に良いと読み手の心にしみ入る様な作品の数は少ないのも当然です。ここからでもいかに条件の揃った作品を生み出すのが大変かと言う事がわかります。 一般的に芭蕉や一茶の作品と言うとどれでもこれでも良いと思われ勝ちですが、本当に良い作品は数える程しか無いのですが、芭蕉翁はそこへ初めて到達されたのですからその偉業は凄いものですし、芭蕉のそうした偉業を尊敬し学んだ一茶はそこから又独自の作風を生み出し、心優しいメルヘンチックな作品を残しておられます。とは言えやはりこれぞ一茶と言う作品は数少なく膨大な作品はそこへ至る迄の学習の為の作品で、人間の一生の中に今まで人類が発生し進化してきた経過の痕跡が全てあると言われていますが、それと同じく俳句も又、先人が俳句へ至った経過をその侭辿ると言う同じ経緯があると思えるのです。俳句を目指す人は皆道こそ違え個々の中でその進化進歩の過程を辿って究極の俳句を目指し、そこへ至ろうとしているのだとも知らしめて戴きました。 私はこうした先人の偉業を幸運にもなぞらせて戴いて、理論的に解明させて頂き作品を模索完成する事が出来、又門下に伝える事が出来ました。その成果を、次項の俳文学研究会京都俳句の俳句《四季の移ろい》で観賞御批判して戴こうと言う事です。又この手法の理論文は沢山有って別に出版する予定ですがその目次だけを後頁に掲載していますが、それをここで総括して言いますと宇宙は俳句であると言う事で、宇宙の現象はすべて俳句であると極言できます。又俳句は時間的にどんなに長くても、距離的にどんなに広い事でも今の目の前の瞬間迄を、日本語十七字で省略と切れ字を自然の法則にのっとって活用すれば書けると言う事をそれぞれに渡って書いています。 又人の心の綾もその通りに書けるのです。こうして理論的に全て解明し書き残す事が出来たために、思いつきやその時の感覚を便りに作句や選句をすると言うのとは違い何時も安定して臨めるので私達は芭蕉や一茶より多く作品をものにする事ができます。これは先人の業績の上に乗らせて戴いているのですから当然の事であるのですが、しかし作者が遭遇する句材はそうバラエテーに富んだ物ばかりでは無いので、従って日常遭遇する出来事を元に書くのですから、想像や虚構の様に自由に句材を選べると言うものではありません。私達門人が日常の暮らしの中で遭遇し賜った事が句材です。それらがいかに生き生き書けているか、その作品が作者から抜け出て読んで下さる方々の心に憑る作品に仕上げる事が出来るか、と言う事に心血を注いでやっているのです 又私香澄の作品の中に試作として、芭蕉の天然自然の側から書く手法及び一茶の自分自身の側から書く二大分野以外に無いのかと、模索して至った境地の作品がありますが、ここに至った経過として、私が芭蕉を研究し始めた頃「私は芭蕉と一茶の間をすり抜ける」と口走って、私のブレーンに大笑いされ、私も冗談とは言え大それたと大笑いをしたものでしたが、ある日芭蕉は相手側から書くと言う姿勢だし、一茶は自分の側から書くと言う二大方法で宇宙全てが書けるのだと気付きました。その時相手の側からと自分の側から以外にはもうないのだろうか、紙は裏と表より無いと思っても顕微鏡で見ればその中間もある。こんにゃくなれば裏表とその中間があるのがよく分かる。それなら俳句に対処する姿勢も、相手の側からと自分の側からの中間の書き方があるのではないか。と思うに至りました。その時、嘗「芭蕉と一茶の間をすり抜ける」と直感的に口走った事を思いだし、自分の側からと相手の側からの中間をすり抜けたら書けるのではと、そんな領域がある様に思えて来て、そしてその領域が見えて来て取りかかった作品で数は少ないですが、芭蕉にも一茶にも無かった方法で書いた作品を挿入しました。この領域は数が限られているのかそれとも無限に有るものかは今の処分かりませんが、今後も私独自の世界を求めて行きたいと思っています。 俳句と言う文学を超えた言わば宗教とも言える不易の叙情詩が書ける芭蕉の作句方法、それには今迄誰にも解明されていなかった俳句の装置と言うものがあって、それを芭蕉翁が編み出して下さった。これは民族の遺産でありそのメカニズムを使わせて戴いて作句し、そうした作品を観賞して行ける事を感謝して、この芭蕉翁の偉業を畏敬の念を持って記し、次項の作品を観賞御批判戴こうと思います。 |
磯野香澄 |