浮世絵 現代俳句(四千句の中の一部 )
磯野 香澄
はじめに 絵画に具象と抽象がある様に俳句も正統俳句と現代俳句の二た通りがあります。最初はどちらも写生から書きはじめますが、唯単に写生写生と言っていても純粋に情景だけで心の伝わる作品はマグレでより書けません。それ程究極の写生と言うものを書くのは困難な事です。絵画の場合見た人を感動させる作品は数が少ないし又何億と言う値段で売買される程貴重な価値を持ちます。そうした作品は具象の手法によるものが大方です。俳句でもそうした究極の写生を目指しているのですが、そこへ行く迄に多くの人が「如し」所謂比喩の世界へ入ってしまいます。現代俳句と言うのはこの如しの感覚俳句を極めて行く世界です。こうした作品は昭和の時代に隆盛を極めそしてあらゆる分野が書き尽くされました。そして現在ではもう新しい感覚のジャンルの余地はありません。そこで後進の人達が書いているのは、既に書かれたものを目先を変えた程度の作品で、見ていて気の毒な気がします。又上層部では伝統派寄りに移行した作品になっていますが、さもなくば自己亜流で頑張っておられるか。そうした手法が極められて比喩から具象に脱皮出来た時、究極の正統俳句が書ける様になるのです。一般的にそんな事は有り得ない、現代俳句と伝統派俳句は筋の違うものだと思われていますが、どちらも究極は芭蕉の正統俳句に行き着くのです。私が何故こんな事が言えるかと言う事ですが、私はある時神の啓示の様にして俳句の事が全て分かって、それを理論できちっと書き上げる事が出来ました。そしてその理論に従って書くと方程式で計算すると楽に答が出せる様に、理論に従って書くと究極の正統俳句が当然書けると言う事です。そこでこのホ−ムペ−ジにそうした正統俳句の推敲の仕方や、そうした推敲による作品又その読み方を情報提供して来ましたが、ここで一度私が神の啓示を戴く迄の四十年に渡る現代俳句四千句の中の一部を掲載して、正統俳句と現代俳句を比較して戴くのも一興かと。クラッシックより歌謡曲の方が良いと言う事もありますので、見て戴く事にしました。私がこうして現代俳句を四十年も書いてきて、突如何故芭蕉なのか、神の啓示の様にして等理論的で無いと思われる向きもあるかと、もう少し深くお話して見ますと、現代俳句の究極の手法は虚実と言って虚の世界を実景で書く又は実景で虚の世界を構築すると言う手法の作品が頂点です。それを芭蕉の有情の世界へ渉ると言う事は不可能と思われますが、私はその不可能と思われる処に可能な道がある事を知らしめて戴いたのです。そこを神の啓示と言っているのですが、私の著書“芭蕉作風理論と実践実例”で詳しく書いています。又“俳句授伝書全六巻初歩から奥義迄”にも俳句の全を書いています。興味がおありでしたら読んで下さい。宣伝しておきます。 |