迷子から二番目の真実[2]

   〜 超能力 〜   [94年 2月 3日]



 会社に遅刻しそうになるたび、私は自分が超能力者にちがいないと確信するのである。
 絶対に、目覚まし時計のベルを止めたはずがないのだ。
 昨夜セットし忘れたということもない。寝る前にちゃんと確認した。
「そんなの、いったん腕を伸ばして止めて、またすぐ寝てしまったのに決まってるじゃないか」と、良識豊かなあなたは笑うであろう。
――ああ、そう信じられたらどんなにいいことだろう。
 しかし、私の腕の長さは4メートルもないという客観的事実が、私の前に冷たく立ちはだかるのである。あまり手軽に止められては目覚ましの意味がないと考え、立ち上がって背伸びをしないと止められない箪笥の上に、その時計は置いてあるのだ。
 これはどう考えても不可解だ。おそらく、慢性睡眠不足の私の身体が、健康を守るために不可思議な潜在力を発現し、念動力でベルを止めたに相違ない。
「そんな馬鹿な。きっと、寝呆けたまま立ち上がって、歩いて行って、ご苦労にも背伸びまでして時計のベルを止めて、また布団をかぶって寝てしまったに決まってるじゃないか」などと、懐疑的なあなたは考えるであろう。
――ああ、そう楽観できたら、もっと私も人生を楽しめるであろうに。
 それでは、ラジカセはいったい誰がどうやって止めたというのだろうか!?
 じつは、そういうこともあろうかと、目覚まし時計のベルが鳴った10分後に、大音量でCDが鳴りはじめるようにセットしてあるのだ。ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』が鳴り出すというのではない。ザバダックの『FOLLOW YOUR DREAMS』という、やたら明るくさわやかな曲がだしぬけに部屋に鳴り響くのだ。[*1]ファンの方にはわかっていただけるだろうが、あの曲の出だしの歯切れのよいストリングス攻撃を受けて、はたして人間、眠っていられるものであろうか? しかも、ラジカセだって、立って歩いて行かねばならない別の箪笥の上に置いてあるのだ(なんでも箪笥の上に置くやつだ)。
 やはり、鳴りはじめる前に、念動力で電子制御を狂わせたか、主電源をオフにしたと考えるのが自然であろう。
 ちなみに、ほかに目覚まし時計代わりになるものとしては、ソファーベッドのサイドテーブルの上に置いてある腕時計と電子手帳[*2]がある。腕時計はアラームが五つセットできるやつで、そのうち三つを午前5時50分、55分、6時ジャストにセットしてある。また、電子手帳にもデイリーアラームの機能があり、毎朝6時に電子音が鳴り響く。まあ、これらのアラームは、それぞれ20秒間鳴ると勝手に止まるようになっているから、熟睡しておれば気がつかない可能性もあるだろう。こんなものを念動力で止めたなどと考えるのは、いくらなんでも狂気の沙汰といえよう。なんでもかんでも、すぐ超能力だ、霊力だと騒ぐ不逞の輩がおるから、真面目に研究している学者が迷惑するのである。
 だが、腕時計や電子手帳のケースが念によるものではないという事実は、目覚まし時計とラジカセはなんらかの超自然力によるものであると、私によりいっそうの確信を抱かせるだけなのである。
 あるいは、この程度であれば、読者諸氏の中にも同様の能力の発現を確認して、騒がれるのが厭さにひた隠しにしておられる方がいらっしゃるかもしれない。私はそうした方々を、科学の進歩に敵対する忌むべき利己主義者であるなどと責めるつもりはない。誰しも、たとえ超能力者といえども、人として生まれたからには、自らが信じる幸福を追求する権利を有すると考えるからである。
 だが、不幸なことに、私の超能力はこればかりではない。
 たとえば、ビジネス上の要請からある種の場所で会合を持った夜などには、もうひとつの能力が発現することがある。
 テレポーテーションの能力である。
 さっきまで大阪の某所で上司や同僚と話をしていたはずが、気がついてみると、自宅のドアの前に倒れていたということがあった。時計を見ると、電車の動いている時間ではない。電車を別にして、どのような手段を用いれば、これほどの短時間で私が大阪から京都の自宅に帰りつくことができるというのか? 当惑した私は、なにか異変の痕跡が身体に残ってはいないかと調べてみたが、手や肘に原因不明の擦過傷がいくつか認められることと、私の所持品の中から何枚かの紙片が跡形もなく消失していること以外に、なんら怪現象を説明し得る手がかりは発見できなかった。これは私の仮説であるが、その夜摂取したエチルアルコールによって解き放たれた私の秘められた力が、消失した紙片の質量をすべてエネルギーに変換し、その膨大なエネルギーによって生じた時空の裂けめを通って、私は自宅に帰ってきたのだと思われる。手や肘の傷は、時空のトンネルを通過する際に壁でこすってできたものであろう。このことから、時空のトンネルの内壁は、裏通りの安っぽいビルの壁面やアスファルトの路面かなにかのように、非常にざらざらしたものであると推察される。
 こういう体験は一度や二度ではない。精神力の衰えているときなどは、さすがに大阪−京都間に時空トンネルを穿つパワーがないのか、大阪駅近くのビジネスホテルの一室にテレポートしていることもある。いずれにせよ、これだけのエネルギーがコントロール不能になったり悪用されたりすれば、ビルのひとつやふたつ、軽くふっとばされてしまうであろう。
 ちかごろ私は、超能力者の社会的責任ということをよく考える。幸いにして、私はまだ都市を壊滅させたり月を壊したりしたことはないが、もしそんなことをしでかしたらと思うと、夜も眠れない。不安を忘れようと、某フォーラムの深夜RT[*3]に逃避することもしばしばである。
 そして、ついついあまりに遅くまで逃避をした翌朝、私はまたもや超能力を発揮してしまったことに気がつくことになるのだ。



[*1]最近は、ローリングストーンズの Start Me Up を使っている。気持ちよく寝ていると、突然 Windows95 のCMがはじまったかのようで、目覚ましの効果はたしかにある。
[*2]最近は、HP200LXを使っている。「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」第一楽章が、なぜか朝から鳴り響く。
[*3]RTというのは、リアルタイム会議室の意。“チャット”の NIFTY-Serve 方言である。

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