迷子から二番目の真実[3]
〜 薬 〜 [94年 2月12日]
薬が好きである。
誤解のないように願いたいが、どこかの出版社の元社長のように好きなわけではない。
たとえば、風邪をひく。
すると、さあ、どの薬を飲もうかとわくわくしてくるのだ。
薬なんか飲まずにすめば、それにこしたことはない。どんな薬だって、なにしろ身体に直接間接に作用するから効くのであって、そんなものが本質的に身体にいいものであるはずがないのだ。ただ、どうせ飲むのなら楽しんで飲まねば損だと思うのである。根が貧乏性だ。
そこで私はまず、効能書きを読む。丁寧に読む。この儀式によって、誤って水虫の薬を飲んでしまったり、浣腸を点眼してしまったりといったケアレスミスを少なくとも避けることができる。だが、これはほんの副次的な効果にすぎない。効能書きを熟読することによって、高い金を払って買った薬の効果を、最大限に引き出すことができるのである。
セラチオペプチダーゼ配合。せらちおぺぷちだーぜ。おお、なるほど、セラチオペプチダーゼであったか。いかにもありがたそうな名前である。舌の上でワインを転がすように、ゆっくりと発音してみる。おおお、クスリクスリした響きではないか! “ーゼ”というからには、酵素の一種なのであろうか。セラチ、オペプ、チダーゼか? いや、チオなんたらというのは薬品によくあるな、すると、セラ、チオ、ペプチダーゼなのであろうな。世良さんという人が発見したのかもしれぬ。きっと、偉大な科学者にちがいない。銀縁眼鏡の奥の瞳は炯々と輝き、すべての真理は迷妄の闇から這い出して彼の前にひれ伏すといった人物であろう。これは効くにちがいない。効かなければならない!
とまあ、ひたすら、自己暗示をかけるわけである。この場合、けっしてあなたは薬品の専門家であってはならない。まずまず一般常識程度の知識の断片を、ありったけの想像力を駆使して都合のいいように組み上げ、その薬が絶対に効くものであるという確信を導き出さねばならないのである。
さあ、練習だ。折よくあなたは風邪をひいている。
まず、薬を用意しよう。あなたが初心者である場合、それは葛根湯であってはならない。なぜなら、あまりになじみ深い薬では、自己暗示にたいへんな想像力を必要とするからである。たしかに葛根湯というやつは効くことは効く。だが、それはただ本当に効いているだけであって、はなはだつまらない。私ほどの上級者ともなれば、オロナミンCの成分表示を読むだけでも、多少なりとも風邪の症状を緩和することができるが、やはり、ものには順序というものがある。初心者には、できるだけありがたそうな成分が入っているものをお薦めしたい。最近の売薬にはなかなか凝ったものが入っているので、適当な薬品の入手にはさほど困らないであろう。
マレイン酸クロルフェニラミンなどは、言いにくいところがいかにも効きそうである。塩酸ブロムヘキシンも、語感がすばらしい。塩化リゾチーム、リン酸ジヒドロコデイン、塩酸メチルエフェドリンといったところも、定番ながら相当な暗示効果をもたらす[*1]。単なるビタミン類や、その誘導体、吸収促進剤などもしっかりと脇を固めているのが好ましい。L−アスコルビン酸ナトリウム、コハク酸dl−α−トコフェロール、ビスイブチアミン、ガンマーオリザノールといった名前を口にすれば、たちまちあなたは、そのフェティッシュな魅力の虜となろう。それにひきかえ、無水カフェインなどは愛想のかけらもない。刺し身のツマ程度に考えておけばいいだろう。
こうしたものものしい薬品たちが身体の中に浸みとおってゆき、じわじわと症状の元凶を中和し、破壊し、無力化するところを、頭の中でヴィジュアルに想像しよう。あくまで“ヴィジュアルに”というのがポイントである。薬のCMのようなマンガチックな黴菌が苦しみ悶えて滅びてゆくシーンでもよいし、NHKスペシャルはだしの高度なCGでもよい。ほら、効いてきた、効いてきた……。
偽薬(プラシーボ)効果というものがあるのはよく知られている。薬品の研究者にしてみれば、臨床実験データをかき乱すいまいましい悪者なのだろうが、われわれ一般人はなにも否定的に考えることはないと思うのだ。精神的な要素が本当に身体の症状に影響を及ぼしてしまうなんて、考えてみればすごいことなのである。想像妊娠するモルモットなど聞いたことがない。これは、進化の末に人類だけが獲得した、きわめて高度な能力なのだ。利用しない手はないのである。実際、精神活動が免疫系に与える影響は想像以上に大きいものらしいと考え、癌などの治療に応用しようと研究している人だっているくらいだ。そういう意味では、あやしげな加持祈祷の類も、百害あって一利なしとまでは言い切れない部分がある。
だが、人間の高度な精神活動は、ここでも両刃の剣である。ストレスの多い現代社会では、心因性の病気が次から次へと現れているらしい。そうした病気に生化学的な手段で対処するばかりでは、ときに原因を取り除かずに症状のみを姑息に緩和するといった陥穽にはまりかねない。精神安定剤の濫用、アルコール中毒、巷のドラッグ汚染なども、つまるところ根は同じであろう。逆説的な言いかたになるけれども、そういう使われかたをしている薬こそ、生化学的には本当に効いているがゆえに“偽薬”と呼ばれるべきなのではあるまいか。
病院で処方された薬が、逆説的“偽薬”である危険だって十分にあるのだ。医療とはなんなのかということを、深く考えてしまう。少し前に文庫化された手塚治虫の『ブラック・ジャック』が、若い世代の新読者にも人気があるのは、あながちキャラクターのかっこよさや巧みなストーリーテリングによるものばかりとは思われないのだが……。
なんて、柄にもないことを、風邪薬の効能書きを読みながら考えていたら、また熱が出てきた。今年の風邪はしつこい(と、みんな毎年言っている)ので、みなさまもくれぐれもお気をつけください。げほごほ。ずず。
[*1]その後、イブプロフェンなる新顔が台頭してきた。中山美穂や和久井映見の功績であろうか。