迷子から二番目の真実[26]

   〜 夢 〜   [94年10月30日]



 夢は絶対カラーだと思うのだ。
 常々そう主張しているのだが、同調してくれた人はあまりいない。
 いつもいつも総天然色だとは言わぬまでも、最低でも16色、調子のいいとき(どんなときだ?)は256色くらいはあるような気がする。
 私にはそう見えるのだから、私の中ではこの問題は解決済みなのだけれど、白黒だと主張する人があまりに多いため、なんだか気になってしかたがないのである。「ふつう夢は白黒です」となにを根拠にかはっきり書いてある文章を読んだことがあるし、カラーの夢を見る人は精神的に問題があるという通説すらあるようなのだ。「おまえならカラーの夢を見ても、まあ不思議ではないが……」などと妙に納得するやつまでいて、なんだか癪にさわるのである。だいたい、夢が白黒だと断言できるはずがない。軽々しく断じる人には、「ほかのを見たんか〜!」と大阪弁で詰問してやりたくなる。
「いや、絶対カラーや。百歩譲ってもパートカラー(歳がばれるな)やな」
「そんなアホな。そもそも夢がカラーやったら、現実と区別がつかへんやないか」
「つかへんでもええやないか。そら起きてるときに夢と現実の区別がつかへんかったら問題があるが、夢見てる最中はつかへんほうがええやないか」
「あ、これは夢やな、とわかって見てるときかてあるやろうが。あんましリアルやったら、なんやうしろめたい感じがして好き勝手できへんがな」
「慎ましいやっちゃな。夢やとわかったら、おれはめちゃくちゃするけどな。空は飛ぶわ、マシンガンはぶっぱなすわ、女は押し倒すわ……こないだステージの上でピアノの鍵盤をでたらめに叩いたら、そのまま曲になったで。おれは大スターやった」
「不道徳なやつは不道徳な夢を見るもんやな」
「夢の中でめちゃくちゃやってるさかい、現実世界では温厚な紳士で通っとるんやわい。せっかく時間使うて寝てるんや、できるときに好き勝手せなもったいないやないか」
「なんか話がずれてきたな……とにかく夢は白黒や」
「おれにはカラーに見えるてば」
「そら、気のせいや」
 ちょっと待て。夢というのはそもそもが“気のせい”の塊みたいなもんである。“気のせい”でカラーに見えているのなら、それは実際にカラーで見えているということではないか。
 まあよい。このまま論争を続けたら、ヴァーチャル・リアリティー論を闘わせねばならなくなってしまう。いまの技術では、まだ他人の頭の中を覗けるわけでもないので、論争をしてもまず決着はつかないのだ。
 それにしてもである。あたりまえに考えても、夢が白黒なのはやっぱりおかしい。だってだ、われわれが生まれてからずっと目にしてきた現実の物体は、色盲の人でもないかぎり、まずカラーで見えてきたはずである。たしかに夢というやつには、まだまだ正体不明のところがある。だが、夢なる現象が脳のどういう活動であろうと、ふだんの脳が認識していることがなんらかの形で材料に使われているに決まっている。夢の中で超音波が聞こえたり赤外線が見えたりする人はいないはずだ。だとすれば、世界をカラーで認識することに慣れている脳が、夢の中だからといって、なにをわざわざ画像を白黒に“加工”したりする義務があるのか。コンピュータでデジタル・エフェクトをかけるんじゃあるまいし、カラーの画像から色という属性だけを選択的に排除するなんてことは、生体の脳にとってはたいへんな負担になるはずである。「おれの夢はいつも斜交座標に投射されている」とか「わたしの夢はちょっとアスペクト比がおかしい」とか「なかなかディザリングがうまく効いている」とか「ときどき画面からはみ出してしまうけど、そういうときは右端と下端にスクロールバーが現れる」なんて人がいたらお目にかかりたいものである。
 思うに、ほんとうは夢は例外なくカラーなのだが、あまりにも生々しいと覚醒してしまうおそれがあるので[*1]、きっと輝度だけを落としているのだ(……って、言ってることが矛盾してるぞ)。なにやら紗がかかったようにはなっているじゃないか。
 冗談はさておき、夢はやっぱりカラーである。なにがなんでも白黒に見えるという人は、テレビや映画に毒されているのだ。夢や回想シーンを白黒にするという紋切り型の手法ばかり見ているうちに、あなたの超自我の部分が、「おや、夢というのは白黒に見えるものだという社会通念があるのか。これはよい勉強をした。次からこいつに夢を見せるときには白黒に編集しなくてはいけないな」などと思い込んでしまったにちがいない。このままにしておいては、あなたが損である。超自我のかんちがいを正すには、まず手はじめに黒澤明の『夢』でも観るのがよいだろう。
 あくまで白黒にこだわるという人に問いたい。どうして、色だけを特別なものとして扱うのだ? 音だって匂いだって手ざわりだって、夢の中でもちゃんと感じるはずだ。心をそそる甘い香りがするし、たまらず唇で触れると熱く実っているし、思わず歯を立てると快い弾力を感じるし、茂みのあたりをさぐるとやさしく湿りを帯びていたりする。あなたも、等身大の茹でトウモロコシにむしゃぶりつく夢を見たら、ぜひ確かめてみていただきたい。私はあれが大好きなのだ。

 とかなんとか言ってる私も、白黒の夢を見ることはある。パソコンを叩いている夢である。ときどきチャットをしていたりもして、絵文字だらけの横書きの台詞が下から順に現れたりするのだ(さすがにこれは病気かなあ……)。なぜ白黒かというと、私の愛機はモノクロのサブノートだからだ。夢の中でくらいTFTの(せめて、DSTNの)カラー液晶に化けてくれないものかと思っているのだが[*2]、残念ながら、まだあちらの世界では価格破壊が進行していないようなのである。



[*1]ここではおちゃらけているが、極力覚醒を妨げるというのが夢の重要な役割なのであるから、激しい情動と結び付きがちな“色”という属性を超自我が排除しているのだとすれば、夢が白黒であるという説にもうなずけるところは多い。もしかすると、カラーの夢を見る人は、覚醒時の生活において色に無感動な人なのかもしれない。
[*2]いまは、ようやくDSTNカラー液晶のサブノートを使っている。

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