迷子から二番目の真実[34]

   〜 笑い 〜   [96年11月10日]



 夜八時を過ぎるとバスの本数が異常に少なくなるため、しばしば駅から歩いて帰る。
 暗い川の土手をとぼとぼと歩いていると、はっ、はっ、はっと荒い息を吐きながら、闇の中から人の気配が近づいてくる。ここで身構えていては身が持たない。やがて、それはジャージを来たおじさんかおばさんであることが判明するからだ。
 そんなふうにすれちがうジョガーはひとりやふたりではない。このご時世はなはだ不用心なため、暗くなってから走りたい人々がおのずと同じ時間帯に走るようになってしまったのだろう。
 そこまではいい。
 困ったことに、私はそういう人とすれちがうと必ず笑ってしまうのである。まったく悪気はない。私にはあのようなことはとてもできないから、むしろその健康と克己心に羨望と尊敬の念を抱いたりするくらいだ。
 だけど、やっぱり笑ってしまうのだった。
 そのうち誤解されて殴られたりするんじゃないかと思うと、きわめて危険な癖ではある。だが、身体が言うことを聞かない。笑ってしまうのだ。
 いったい、なにがそんなにおかしいのか――よろしい、ご説明しよう。
 そのむかし、私は人が走ってくると、「あ、ランニングをしている人だ」と思った。ちっとも面白くない。ところが、五輪真弓という歌手が出現してからというもの、人が走ってくると、「あ、マラソン人(びと)だ」と反射的に思うようになってしまったのだ。
 あの『恋人よ』という歌を初めて聴いたときの驚きを私は忘れない。あれは哀しい歌である。恋人に別れ話を持ち出された女が、薄暮の街で独りもの想っている歌である。しみじみと聴いていた私はしかし、二番にさしかかったとき、ひじきの中の小石を噛み当てたかのような感触に愕然となった。
“マラソン人(びと)”なんて日本語があるものか。
 一瞬、丸谷才一の生霊が乗り移ったかのように憤った私は、マラソンは大和言葉ではないのだから、やはり“野球人”などと同じように、“マラソン人(じん)”と言うべきなのではあるまいかと考えた。マラソン人……。
 そのとき、私の頭の中でなにかがカチリと音を立てて、“マラソン人(じん)”のイメージと接合した。
――マラソン人は夜走る。
――ケムール人も夜走る。
 とんでもないところで呼び出されたケムール人のイメージは行き場を失い、今度はいま来た道を逆方向に走りはじめた。
 枯れ葉の散る夕暮れの街に女が佇んでいる。恋人に別れ話を持ち出された女だ。いまにも崩れそうなぼろぼろの落ち葉は、木枯らしに吹かれて女のヒールにしばし纏いつくと、どこへともなく飛ばされてゆく。寒い。寂しい――と、その女の傍らを、やたらにストライドの大きな奇妙な走りかたで、ひとりのケムール人が黙々と駆け抜けてゆく。ケムール人にはケムール人なりの事情があろう。ああ、なんて、人それぞれ生きているのであろう――小さくなってゆくケムール人のうしろ姿を肩ごしに凝視めていた女は、やがて恋人への未練を断つように長い髪をひと振りすると、コートの裾をはためかせて街の喧騒に呑み込まれてゆく……。
 とまあ、こういう情景が一瞬のうちにできあがってしまい、夜にジョギングをしている人を見るたび、私はこみ上げてくる笑いをこらえなければならない身体になってしまったのだ。そんなバカげたことで笑っている自分の姿を思い描くと、またそれが異様におかしくてさらなる笑いがこみ上げてくる。すると、そんなバカげたことで笑っている自分の姿を思い浮かべてさらに笑っている自分の姿がまたまたいっそうおかしくて、さらにさらに笑ってしまう。笑いのハウリングである。
 それ以来、ケムール人は私にとって手塚治虫のヒョウタンツギのような存在になってしまった。とくにマラソン人を見かけなくとも、自分がなにか暗鬱な場面に立ち会ったり、深刻な状況に巻き込まれたときなど、なかば意識的にケムール人のことを想起する。すると不思議なことに、ケムール人が駆け抜けて行ったあとには、一種の落ち着きというか、悲劇や苦悩を楽しむかのような余裕に似た心持ちが生じてくるのだ。私のこれからの人生に於いて、不治の病を宣告されたり、愛する人を一瞬に失ったりするようなことが、あるいはあるやもしれない。そして、その場に愕然と立ちすくむ私の傍らを、必ずやあのケムール人が、やっぱり黙々と彼なりの測り知れぬ事情で走り去ってゆくだろう確信が私にはある。ほんとうはそれどころではないのだが、ケムール人の力を借りれば、たいていのことは“それどころである”ことに見えてくるんである。
 いつごろどのようにして培われたものだか知らないが、おそらくこれは私の自我が発達させた防衛機制の一種であろう。子供のころから、激情に駆られたり、取り乱したりしそうになると、周囲の空気の色がすうっと変わるような感じがやってきて、自分の主観と感情とが遮断されるのがわかった。他人が激情に駆られたり、取り乱しているのを見ても、同じことが起こる。自分では子供心に“心のスイッチが切れた”状態と名づけていたが、長ずるにしたがって意識的に制御できるようになってきた。いまのところ、ケムール人という表象が意識的なフィードバック制御に便利なので、私の自我が重宝がって使っているといったところであろう。この制御ツールは人によってちがっていて、バカボンのパパが出てくるという人もいれば、植木等が闖入してくるという人もいるようだ。吉行淳之介は“自分の背中の線が見える”状態と呼んでいるし、太宰治の「トカトントン」もこれに似たものだろう。
 とにかくなんでもいいのだが、こういうツールをひとつ心の中に持っておれば、なにかと便利だと思う。おそらく、程度の差こそあれ、誰でも同じような心の動きを持っているのだろうが、意識的な制御をするためにはツールがあったほうが断然便利にちがいない。喧嘩っ早い人などは、捜してでも見つけておくべきだ。ツールには、圧倒的な存在感があり、画像を思い浮かべるだけでどこかコミカルであるなにかを用いるのがいい。“ある状況から意識的に主観を引き剥がす”という心の動きは、“笑い”を構成する要件と切っても切れないものだからだ。ブラック・ユーモアは、必ずみずからを笑うところからはじまる。また、経験から言うと、あまり新しいものよりは、自分の幼児期の記憶にあるものを使うほうがいいと思う。心の深いところに突き刺さっている針を刺激したほうが、より強力な制御ができそうな気がするからだ。
 もっとも、自己制御というのも時と場合によりけりである。わざと本気で(?)怒ったほうがいい場面、思いきり悲しんだほうがいい場面というのはある。社会生活に支障を来すほどの制御は考えものである。
 私は精神医学の専門家じゃないから、これはあくまで想像なのだが、ひょっとして精神障害としての多重人格というのは、表層の意識をすっ飛ばして、こうした制御を心が勝手にやってしまっている状態なんじゃないかと疑っている。いわば、ケムール人に本来の心を乗っ取られているわけだ。
 もしそうだとすれば、“笑い”というものが多重人格の治療になんらかの重要な役割を果たすということがあり得ないだろうか?
 健常者の場合、ひとつにまとまった心の中に擬似的な複数の人格が一瞬出現して対消滅するところに笑い(の一部)が生じている(と思う)。ゆえに、心が分裂してしまった状態で、分かれたそれぞれの心の中には、私がケムール人を思うときの笑いは生起しにくいはずだ。逆に考えれば、ひとつの心の中で複数の視点を共存させる訓練、すなわち、笑いの訓練をさせれば、治療や予防に繋がるということはないだろうか?
 まあ、あくまで素人の与太話である。心とはそんなに単純なもんじゃないと専門家の方に怒られてしまうかもしれない。でも、笑いのメカニズムと人格の統合性というものに、なあんとなく関係がありそうに思いません? どう頑張っても笑うに笑えない圧倒的な精神的外傷に見舞われたとしたら、私ならいっそケムール人に入れ代わってもらって、自分の身に起きた事件ではないことにしてしまいたいけどなあ……。

 ともかく、そういうわけで、私が意味もなくにやにやしていたり、場ちがいなところでだしぬけに吹き出したり、感動すべきところでぼーっとしていたりしたら、頭の中でケムール人が走っているのだと思って、許してやってください。

 ケムール人は今日も走る。



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