迷子から二番目の真実[6]

   〜 実験 〜   [94年 3月 2日]



 子供のころ、よく“じっけん”と称して、とんでもないことをやっては叱られた経験をお持ちじゃないだろうか?
「子供はみんな科学者だ」なんて、わかったようなこと言う大人もいたものだが、とんでもない、子供はただ面白いからやるのである。経験者が言うのだからまちがいない。もっとも、そういう不謹慎なやつだから科学者になれなかったのかもしれないが……。
 むかしの子供雑誌には(いまもそうかもしれないが)、とんでもない“じっけん”がよく載っていた。
「カニをレコードプレーヤーの上に乗せて、しばらく回してから歩かせると前に歩く」だの、「水にアメンボウを浮かべて水面に洗剤を垂らすと、アメンボウは沈む」だの、いま思えば、いったいこういう“じっけん”になんの意味があるのかと首をひねるばかりだ。動物愛護の精神に欠ける。けしからん。いちいちやってみた私は、もっとけしからん。
 そういうあやしげな“じっけん”をあちこちの本で仕入れてきては実行するものだから、私がごそごそと“じっけんざいりょう”を集めだすと、まわりの者はそわそわとしはじめた。そこいらを水浸しにしたり、とんでもない悪臭をまき散らしたり、とにかく、なにをしでかすかわからないのである。
「ねー、ママ(と呼んでいたのだ)、わりばしない?」
「へっ? わ、わりばしっ?」目が怯えている。「……あるけど、なにすんのぇ?」
「それと、輪ゴムと竹ひご」
「そやから、なにすんのかいいよしっ!!」
 一事が万事この調子で、なにしろ数知れぬ前科があるものだから、糸巻き戦車ひとつ作るのにも、痛くもない腹を探られるのだ。
 ときに、非常に大がかりな“じっけん”をやったこともある。
 ある夏の日の夕暮れ、昼間来客でもあったのか、なぜか家にシュークリームがあった。箱を見つけた瞬間、しめた、と私は思った。べつにシュークリームが好きなわけではない。
 ドライアイスが手に入るのである。
 コップの水に入れると、ぼこぼこと泡が出る。あれが私は大好きなのだ。
 さっそくぼこぼこをやろうとコップに水を入れながら、ふと夕立ち上がりの窓の外を見た私の全身を、“だいじっけん”の構想が稲妻のごとく走った。
 外に飛び出した私は、平屋のアパートの前の舗装もしていない路面に、目的のものを発見した。案の定、水たまりがある。私たちの部屋のすぐ前にある、アパートの共同ガレージに車庫入れするには、どうしてもこの道を通らなければならない。ますますもって面白い。
 私はなんのためらいもなく、ドライアイスを水たまりに放り込んだ。コップの水とちがい、濁った泥水から大きな白い泡がぼこりぼこりと湧いて出るさまは、もうあたりが暗いことも手伝って、ひときわ不気味であった。いまにも、暗い音のない世界で、ひとつの細胞が分かれて増えて行き、みっつの生きものが生れそうだ。
 家に戻って台所の窓から水たまりを“かんさつ”していると、一台の車が入ってきた。計画どおりである。
 異変に気づいたドライバーは、窓から身を乗り出し、平和なアパートに突如出現した地獄の出張所をまじまじと見つめた。「……なんや、これは……」目が怯えている。
 私はひっくりかえって笑い転げた。あとにもさきにも、あんなに成功した“じっけん”(ふつー、いたずらとも言うが)はない。
 蛇は双葉より芳し、栴檀は寸にして人を呑むなどと言うが、世界のためによかったことに、私は科学者にはならなかった。抽象的なことを考えるのが苦手なのだ。神様はうまくしたものである。もしなっていたとしたら、妙な靴を履いては、そこいらをぴょんぴょん跳ね回っていたことだろう。あるいは、夜な夜ないたいけな美少女をかどわかし、荒波の打ち寄せる断崖絶壁の上に建てた研究所に連れ込んでは、全裸で手術台にくくりつけ、部屋中を這い回る意味もなく曲がりくねったガラス管が放つ青白い電光に不気味な笑みを浮かべて少女の白い腹に冷たく露を散らすメスを……や、やめておこう。

 最近、妙な“じっけん”の悪癖はようやくましになった(おさまった、わけではない)が、いまでも死ぬまでに一度はやってみたい“じっけん”があるのだ。
 高校生のとき、物理の先生がナトリウムを見せてくれた。化合物ではなく、金属のナトリウムの塊だ。ふだんは灯油に漬けて保存してある灰色のバターのようなそいつを容器から引っぱり出すと、先生はカッターナイフですぱすぱと切って見せる。軟らかいのだ。水を張ったトレイに小さなかけらを浮かべると、そいつは水と激しく反応し、チチチチチと乾いた音を立てながら、水面をミズスマシのように走り回る。
 その様子はなんとも可愛らしく、どうということもない実験なのだが、私の心に深く突き刺さって消えない。
 ある月の夜、木々のあいだにぽっかりと鏡を伏せたような山奥の小さな湖にひとり佇み、私は大きな袋を取り出す。中には、細かく賽の目に刻んだナトリウムがぎっしり。私はシャベルでナトリウムをすくい出すと、魚たちに餌をやるように湖に撒き散らす。チチチチチとなにごとかを囁き交わしながら、月明かりの湖面を舞い踊る、数百、数千のナトリウムのかけら――ああ、めるへんである。[*1]

 よい子のみんなは、真似しちゃだめだよ!



[*1]動燃にとっては、めるへんどころの話ではない。

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