〜 エッセイ 〜 [94年 3月29日]
ベドウィンのシャーマンの言い伝えに、「大きな卵を生む鶏は、 三本のけづめを笑う」というのがある。 外米騒ぎに揺れる巷だが、歴史の教訓に学ばないあたり、タイ フーン・メンタリティなどとはよく言ったものである。これでは、 いつまで経っても東京には空がない。なんとなれば、いっこうに 紙はなくならず、トイレットペーパーの置き場に困り果てるのは 面はゆいとしても、上野動物園の山羊にしてみればまったく割に 合わぬ話だ。 なるほど、自分のけづめは自分ではよく見えない。なにしろ人 間は考える葦であるらしいから、米俵の上に腰をおろして叱られ た黄門様も欣喜雀躍なさることだろう。それにしても、意外と支 持率の落ちない連立政権、平壌のくしゃみに顔を背けた途端に西 から大きな卵ではたまったものではない。マフィアだって左手の パスタの食べすぎは身体に悪かろう。 いやはや、卵の大きさで笑う資格が決められたのでは、桜の下 は百鬼夜行、安吾政権も不連続を決め込むしかあるまい。そろそ ろ、俵の下にも白いけづめが生えてくるとでもいうのだろうか。 |
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