『しあわせの理由』
グレッグ・イーガン
山岸真編・訳
ハヤカワ文庫SF
 以前、養老孟司の『身体の文学史』(新潮社)を読んでいて、「志賀直哉のように、年中機嫌が悪くなって、ああでもない、こうでもないと考えるのは、大脳辺縁系の機能を、同じ大脳の新皮質が、苦労して翻訳しているのである」というくだりに大笑いした。大笑いしながらも、なにやら冷たい刃物を首筋に当てられたような気がしたものである。高度な科学技術が、われわれの日常やわれわれそのものを急速に組み替えてゆく現代に於いて、一見ミもフタもないこうした視座は、科学者の眇めではすでになく、文学にこそ欠くべからざるものだろう。グレッグ・イーガンの作品集『しあわせの理由』(山岸真編・訳/ハヤカワ文庫SF/八二○円)は、物理学、生物学、コンピュータサイエンス等の先端的知見から演繹されるとてつもなく奇妙な状況下に“人間”を放り込み、安易な答えを許さない根源的な問いで切り刻む物語に満ちている。人間存在をバラバラに解体して、「どうせ人間なんて“モノ”ですよ」と己の臍を眺めて嘆いてみせるのではない。逆に、単なるモノが持っている人間性とはなんなのか、と迫ってくるのである。たとえば、表題作「しあわせの理由」は、幸福感を“意識的に制御”せねばならない定義矛盾的な脳障害を負ってしまう男の姿を通じ、感情を持つ“人間というモノ”の悲喜劇を浮き彫りにする。今世紀では、“純文学”とは、イーガンのような作家のための言葉になるのだろうか。

『プレシャス・ライアー』
菅浩江
光文社 カッパ・ノベルス
 菅浩江『プレシャス・ライアー』(光文社カッパ・ノベルス/八一九円)は、次世代コンピュータの研究開発者である従兄の依頼で、女性主人公がヴァーチャルリアリティーの世界に入り込み“ある探しもの”をする近未来もの。SFではいまさらの設定だが、ありきたりなこの設定こそが効果的に活きるテーマに挑んでいる。科学技術そのものにではなく、科学技術で漉し取ったあとに残る(かもしれぬ)人間性に主眼を置く点で、じつは菅浩江は、イーガンに非常に近い位置に立つ。

[週刊読書人・2003年8月8日号]

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