キリスト教とビジネス
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キリスト教とビジネスとは関係なさそうに聞こえますが、
それは、日本だけかもしれません。
キリスト教の倫理観は、
不正や腐敗、不品行、浪費に反対し、きらいます。
ビジネスにおいても同じです。
クリスチャンがビジネスにかかわる場合も同じです。
となれば健全な経営ということになります。
かたよらず、不必要なことはせず。
市民社会に害毒を及ぼさず・・・・。
それで経営が成り立つのかと言われそうですが、
経営とは何でしようか、
それは社会にたいする貢献であるはずなのです。
社会にたいして役立つことをすることです。
市民社会の担い手としての役割・・・、
まさしくそれがキリスト教の倫理観なのです。
不正や腐敗に走らず、
不品行を避け、
浪費に走らない・・・・。
となれば、この世界の中で、
キリスト者は、当然のこととして、
社会にたいして、
力強く激しく緊張関係に置かれることになります。
社会にたいして倫理的な要求を明らかにするわけですから、
現実の社会にたいして激しい対立関係に立たされることになるでしょう。
「 あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。
彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、
あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。」
(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・4章17節・新改訳聖書)
日本の消費文化は、キリスト教の倫理に反しています。
物に満ちあふれた生活から、
質素な暮らしへと方向転換することができるでしょうか。
いや、しなければ日本を救うことはできないでしょう。
経済を何の目的のために用いるのか、
それを明確に語ることのできるのがキリスト教なのかもしれません。
しかし、現実の日本の教会には、その備えはありません。
聖書が語っているのは、
目に見えない存在が、
私たちの上にあって、
上から私たちを見つめておられて、
つまり、私たちを見つめておられる目があることを意識して、
私たちの暮らしを成り立たせなければならないということです。
北白川 スー
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Wrote up on 16 October 2011.