教会って、どんなところですか



キリスト教の教会は、いったいどういう所なのですか。
何をしているところなのですか。
何をするところなのですか。
自分たちとどういう関係にあるのですか。
・・・・・・というのが一般の人たちの素朴で正直な疑問のはずです。

さらに言えば、自分たちとは関係のないところ、
必要のないところ・・・というところが一般的な感想でしょうか。

または、警戒すべきところでもあるかもしれません。
宗教と聞けば、
カルトやマインド・コントロールという言葉すら脳裏に浮かんでくるからです。

信仰というものは非科学的なもの、
心の弱い人が持つものという声も聞こえてきます。

どうでしょう、いずれも人間の部分で、
生活の臭いのするところからの実感ではないでしょうか。

視点を変えた、次のような感想もあります。

宗教というものは、魂をゆさぶるような、
おごそかで厳粛な気配というものの上に成りたっているものであり、スピリチュアルなものなのだと。

パワースポットは、元気をもらうところで、宗教ではないし、信仰でもないです・・・・・。
だから、教会はパワースポットとは違います。

どちらにしても、教会を外から眺めていたのでは要領がつかめないようです。

では、あらためてうかがいます。
キリスト教の教会って、どんなところですか。

キリスト教の教会を説明するうえで、
外してはならないし、なくしては教会は存在しない存在としてのイエス・キリスト。
その、イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざという出来事が、
人の人生において最も影響を与え、かかりわりのある出来事として、
人生に最も大きな位置を占めている出来事として、説明できなければなりません。

しかし、残念ながら、日本の教会は、
普通の日本人に共感を得ることのできる具体的な説明を持っていないようです。

聖書は明確に、神が人となって人間のところに来られた出来事によって教会は生まれたと語っています。

「キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、『 イエス・キリストは主である 』 と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」

(新約聖書・フィリピの信徒への手紙・2章6〜11節・新共同訳聖書)

この世界を創造された、人間をも造られた創造主なる神は、
神のひとり子イエスの十字架の出来事においてのみ、
その出来事の当事者であるところの人物、
人としての、イエス・キリストの人格において、
私たちに、ご自身を現わされたと語っています。
私たちにたいして、神ご自身の意志を明確に示されたのです。
キリストの十字架の出来事は、神の啓示の出来事なのです。

神の啓示の出来事によって教会は生まれたのです。
教会は、神としてのイエス・キリストに出会うところであり、
私たちすべての人間は、
人間に向けて語られた神の言葉に耳を傾けなければならないのです。

教会は、人間の管理の下にある、
社会的弱者や心に病を抱えている人や、生活に困窮している人たちのためにあるのではありません。
さまざまな困窮からの救済のための方法や装置や設備や建物ではありません。
教会は、決して超自然的な対象ではありません。
人間の手で作られた像や、
人間そのものがあがめられるところでもないのです。

キリスト教の教会とは、
人間か神に聞くという、
すなわち、イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とに、
身を向け、耳を傾けるという・・・・・。

神が人間に向けて語られている・・・神の啓示を、
このアクションによって、
教会は基礎づけられ、支えられているのです。
人は、神の啓示を聞き、
神の啓示を信仰によって受け止め認識する・・・・・・。

啓示を与えられ、受け入れ、承認する・・・・・。
この流れこそ、
啓示を聞いた人間の人生を一変させるものなのです。

自分の思う通りにならない苦しみ、
その自分の思いを一変させる出来事に出合ったなら・・・・。

「実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、
新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章17節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on June 24, 2015.