東日本大震災・・教会の果たすべき役割


 あれから1ヶ月が過ぎたが、

 東日本大震災にあたってキリスト教の教会の果たすべき役割の大きさを、

 自覚し認識している教会はどれだけあるのだろうか。

 ・・聖書的な祈りと罪の赦しによる解放をともなう癒しをミニストリーする教会・・

 それは、本来の教会の姿であるのだが・・・。

 この場に及んで教会の果たすべき役割の大きさと重要性とが認識されるのだが、

 ことはすでに遅すぎたのである。

 いや、今からでも遅くはない。

 教会が悔い改めることを求められているのかもしれない。

 教会は、旧約聖書で語られる、ノアの箱舟の物語の教訓を知っていたはずである。

 たしかに、

 私たち日本人のかたくなさは、

 非常な必要にせまられているにもかかわらず、

 キリスト教の教会から、目に見えず、

 少しずつもれ出てくる不思議なメッセージを、

 受け入れることを阻んできた。

 古来から受けついできた風俗、風習、習慣は、

 キリストの奇跡の物語を受け入れるには、

 あまりにも硬く柔軟性に欠けた、

 偏った頭を育てきたのかもしれない。

 だからこそ、

 教会は大胆に語るべきなのだ。

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の内容と意味とを・・・・。

 それが私たち日本人の救いへの道筋なのだから。


 「 幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。

 主の御前に先立って行き、その道を備え、

 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。

 これはわれらの神の深いあわれみによる。

 そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、

 われらの足を平和の道に導く。」

 (新約聖書・ルカによる福音書・1章76〜79節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on 20 April 2011.