カリスマ牧師であってほしい


 わずか、全人口の1パーセントという、

 クリスチャンがごくごく少数派のこの日本において、

 教会の、日曜日の礼拝に欠かさず集ってくる信徒たちは、

 キリストの福音が、

 広く日本に明らかにされることを、

 広く日本にゆきわたるように、

 そして、今以上にクリスチャンの数か増えることを願っていると言っていいでしょう。

 そのためにも、

 多くの人たちを惹きつけ感動させるカリスマ的なメッセンジャーの必要性を、

 また出現を切に願い求めていると見て取ってもいいでしょう。

 世界的に知られている伝道者ビリーグラハムのような、

 広く知られているカリスマ的なメッセンジャーは、

 聖書の言葉に立ってメッセージする説教者は、

 この日本には、まったくと言っていいほど見られません。

 日本にあるキリスト教の教会の牧師の多くは、

 残念なことに、カリスマ的な説教者ではないのです。

 教会に所属する20人30人の信徒の精神的なケアをすることに、

 手一杯なのが現実なのです。

 また、それを良しとされています。

 ビリーグラハムは、キリストに招くように語ります。

 ・・・すべての人は罪人であり、滅びへとひた走っている。

 だから、彼らに神の愛を伝え、

 イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れなさい・・・・・・と。

 まぎれもなくイエス・キリストの十字架の出来事は、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事です。

 イエス・キリストは、自分の罪の身代わりとして死なれ、

 三日の後に死人のうちから復活された救い主として、

 受け入れるならば、

 神の怒りの裁きから救われるのです。

 ビリーグラハムがカリスマ的な伝道者としてあるのは、

 その自信に満ちた、情熱的に語る内容は・・・、

 つまり、今も生きておられるイエス・キリストを証しているからなのです。

 個人的な不満や不安にたいして語られているのではありません。

 すべての人に共通する問題を語っているのです。

 すべての人が対象なのです。

 それは神の意思だからです。

 だから人の心をつかむことができるのです。

 日本のクリスチャンたちは言います。

 もしも自分の所属する教会の牧師がカリスマな的な説教者であったなら、

 どんなにかいいだろうかと・・・・。

 自信に満ちてエネルギッシュに情熱的に・・・。

 死んでいた者を生き返らせるメッセージ・・・。


 「 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、

 しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、

 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。

 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。

 それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。

 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、

 すなわち神の言葉を取りなさい。」

 (新約聖書・エペソ人への手紙・6章13〜17節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on 27 April 2011.