まんじゅうの起源
我が国のまんじゅうの起源は、南北朝時代の初期(1340−46)京都建仁寺の三十五世徳見龍山禅師が林和靖の末裔林浄因という者をつれて元から帰国しました。この人が帰化し 奈良に住み妻をとって饅頭屋を開き初めて奈良万寿を作りました。もともと中国の饅頭はその中に 羊や豚の肉を餡として包んだものですが、日本の饅頭は豆腐の餡で作り始めたそうです。これは日 本人の嗜好にあったので広く親しまれました。狂言に「饅頭食い」というのがありますが、「洛中 に住まいし者でござる、それがし饅頭を商売仕る」とうたっています。そのころ饅頭を立ち売りし ていたので、そのところが御所の西の「立売」という地名になったといわれています。 紹伴は時の将軍足利義政に饅頭を献上したところ非常に称賛され「日本第一饅頭所」の看板を賜ったとされています。このことがあってから「饅頭」の名が全国に知られるようになり饅頭屋ができ るようになりました。室町時代の菜饅頭という野菜餡の餡饅頭は人気が悪くいつか滅びて、砂糖が あまり用いられなかった時代は甘茶を用いた餡を使っていました。大阪の饅頭屋は店先に木馬を出 した。これは「あらうま」=「あらうまい」の意味である。また、「饅頭のすさい」といって大根 ・蓮根などの酢の物を添えて出す習慣がありましたがこれも廃れました。江戸時代饅頭が出ると食 べ残りのを紙に包んで持って帰りましたがこれを「料紙を引く」と言いました。江戸では饅頭を紙 に包みましたが京阪地方では竹の皮に包んでいました。文政(1818−31)のころの書には法 事のとき白強飯をやめて饅頭を配るというのが記されていますが、このころから法事に饅頭が使わ れ始めたと思われます。日本では饅頭を万頭・蛮頭とも言いました。中国の饅頭の起源には饅は小 麦餅の類をいい頭は最初いとう意味があります。従って饅頭は宴会の最初にでる小麦餅を意味して いました。宴会の最初にでる料理が主役であった中国ですから饅頭は重要なたべものであったと推 測できます。現在中国では饅頭は料理の最後に出るようになっています。我が国の変わった呼び方 としては、北海道・福岡・長崎などでうるち米で作った餡入り饅頭を「ケイラン」と呼んでいます 。(たべもの語源辞典より)

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