赤飯の由来 |
赤飯 染飯の一種 蒸したもち米に煮た小豆またはささげとその煮汁をまぜて蒸した 赤い飯。強飯(こわめし)または「おこわ」ともいう。古代の日本人の常食のひとつとされていま した。現在では「赤飯」ど同義に近くなっています。
誕生、初節句、七五三の祝いなどには子供の健やかな成長を願い、婚礼の日には将来に幸多からん ことを祈る。人は生まれてから死ぬまで何度となく赤飯と出会います。
あらかじめ煮た小豆を1〜2割混ぜて蒸し、途中で小豆の煮汁を混ぜこんで赤く染めます。セイロ のない家庭では釜で炊く「炊きおこわ」も作られうるち米を1〜2割混ぜることもありました。 小豆を混ぜるのは色をつける為でなく、早く蒸し上げる手段ではないかともいわれています。
「貞上雑記」に「強飯といふは白こわめし也、赤飯といふは赤小豆を混ぜたる強飯也」とあり日常 食はすべて強飯でしたが、小豆を混ぜて赤色に染めるのは事ある時の印であったといいます。
強飯は姫飯(ひめいい)つまり舌ざわりの柔らかい炊いたごはんと対照的に用いられていました。 強飯は祝儀の時は小豆で色をつけて赤飯とし仏事の時はもち米のみの白蒸(しらむし)とするのが 現在では普通ですが、「萩原随筆」には「京都にては吉事に白強飯を用ひ凶事に赤飯を用ふること 民間の習慣なり、江戸は四月より八月迄白強飯、九月より三月迄赤飯を御用なりと見ゆ」とありま す。赤飯は吉慶事にのみに用いられるとは限らず、地方によっては葬儀や祖先をしのぶ祭りにも用 いられる。現在のように吉事に赤飯、凶事に白蒸しとなったのは凶を返して吉にするとの縁起直し から来たとのことです。
南天葉を添えるのも「難転」の縁語で、鏡の裏模様につけたり、則に近い鉢植などに植えて、不吉 ・不浄を転ずる意に用いたのと同じ理由によるとされています。「和漠三才図会」に「赤飯、凡そ もち米一斗小豆三升」とあるのが混和率の標準で、これに胡麻塩を添えることは大草流の書にあり 科学的にも合理性があるといえます。
赤飯に小豆を用いるのは、小豆に薬効があるからともいわれ、「和歌食物本草」には、
「赤小豆こそ甘酢ゆく平毒はなし 水を下して熱さますなり」
「小豆こそよう腫物のうみを去る 小便通じくだり腹止む」
「小豆こそ腸満によし乾き止め 水腫にもよし少し食ふべし」
などがあり、身体によいものと評価されています。
また赤い色は邪気をはらい厄除けの力をもつと信じられ、祝い事や特別の行事に使われています。 小豆はその赤い色から赤飯をはじめ1月15日小豆粥、2月8日御事煮(おことに)、初午や毎月 1日・15日の小豆飯など特別な行事食に使われます。
鎌倉末期の成立といわれる宮中の献立を記した「厨事類記」では、3月3日上巳(じょうし)の節 句、5月5日端午の節句、9月9日重陽の節句などの節日には赤飯が供えられていますが、民間の 慶事に赤飯を用いるようになったのは江戸後期からといわれています。
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