MRA
ラリー入口ラリー入門私のラリー歴ラリコン体験正解表計算機
2001年近畿ラリー日程の載ってるページ、御紹介
有名人以外、実名は伏せてあります

95:原体験
私がラリーと出会ったきっかけは、元来車好きで、大学に入ってからアルバイトでお金がたまったので、自動車部に入部したことによる。
それから先輩と色々と接するうちに、未鋪装の極悪路や雪道、舗装路面というあらゆる路面を走るラリーという競技に非常に興味を持つ事になった。
まず最初に、ラリーには運転するドライバーと助手席で道などの指示をするナビゲーターがいるが、金銭的な面や技術的な面から、私はナビゲーターの道を歩むことになった。何も分からないまま自動車部内の新歓ラリーに出場し、ドライバーのK島先輩の指示(本来、ナビゲーターがドライバーに指示するのだが・・・)と、黄金の左手!のおかげで、チンプンカンプンの私でも優勝(3台のなかで)できた。ささやかな賞品もゲットできた!

96_1:大フィーバー!!
これに気をよくした私は、ラリー講習会等を経験し、いよいよ翌年春、実践でのラリーデビューとなる。それは同級生のF岡と組んで出たアキレスラリー、奈良県の吉野周辺のラリーだった。主に計算主体のジュニアシリーズで、うっかりしたミスが多い私は成績は今一歩だったが、何故かたまたまゼロ減点を取れた区間があって、ラッキーなことにそこに特別賞がかけられていて、 また賞品を頂くことになった!まるでギャンブルにのめり込むかのようである!

次は、七帝戦という大学対抗戦に、初めてドライバーとして出場することになった。当時私は傷だらけのマーチにのっており、それなりに走りの腕前も上達していた。が、大学のラリーはどちらかというと計算主体で、速さより安定性が重視される。ここで事件!ナビとして予定していたW田君は、ものすご〜〜〜く酔い易い体質の様で、急にナビを替えることを余儀無くされた。新しい相手は入部したてのK野。初めてのドラと初めてのナビのコンビ、はっきりいって無謀であった。
この年は主催が名古屋大学で、Tヨタに就職されたK島先輩が激励に来られたのが心強かった。
いざフタを開けてみるとやはり、ややこしい計算が多く、とりあえず半ばパニックになりながらラリーは進んでいった。オンタイムのはずなのに何故か前後の車に抜かれたり、あちこちさまよっているかの様で、ボロボロになりそうなところを耐えて、荒れ模様のラリーを無事にゴールできた。
そして表彰式。既に終了したジムカーナで低迷した我々京大チームは、いちるの望みを託して祈るような気持ちで臨んだ。
頑張って完走したんだからせめて運良く入賞できないだろうか?せめて3位くらいに入っていたらいいのになぁ・・・。と聞いているが、4位、3位、2位と、我々の名はない・・・。ひと夏の終焉、一抹の寂しさ、そして後悔。いろんな思いがよみがえってくる。まぁよく頑張ったか・・・。
と、「1位、上村/K野組」
な、なに〜!!!
思いもよらぬ結果、優勝。CPに大早着しそうなところを止まりそうなスピードで待ったのがよかったのか(笑)?
とりあえず結果が結果なだけに、賞品は最高!一流工具セットやオイルや、色々な賞品をかっさらって、名古屋をあとにした。
(うちらの車を追い抜いていった車は、名大の主将だったようで、主管校で勝てなかった責任をとってさっぱりとボウズにしていた。男前だ。)

96_2:入門〜走りの世界
次は、いよいよSS(スペシャルステージ、閉鎖した区間で純粋にタイムを競う区間)のあるラリーを初体験することになる。ドライバーは大学の先輩、N須さん。ランサーエボ1での参戦だ。
京都府の和知町で行われる暑い夏のラリー、フェリアス。普通ラリーは交通の少ない夜行われるのだが、ここはお昼に行われる。よってエアコンのない車内はめちゃくちゃ暑かった。
和知町が膨大な予算を組んで整備したすばらしい林道をドラは気持ち良く走り、ナビは補正を入れたりして、クラス6位に入賞できた。
なんだかちょっと自信がついてきた。

次には、またF岡とラリーに出るのだが、あのF岡はなんと、中部まで遠征すると言い出した!
自動車部のOBがいらっしゃる、愛知県のSHIROKIYAのラリーである。これは遠かった!しかも到着してすぐに電装系の配線がショートし、エンジンから煙があがった。幸い火事にはならずにすんだが、ラリーコンピューター等の配線がパーである。このままでは出られない!!
スタート会場で右往左往し、なんとかチームエンケイのサービスの方の御好意で配線を修復できて、スタートすることができた。どこに行っても人情は存在するものだ。エンケイさんあの時は本当にありがとうございます。
このラリーは、一言で言うと、走りのラリーであった。SSとハイアベが畳み掛けてくる!
道の勝手もわからず、帰りの為に絶対に事故れない私達は、他のクルーのスピードに全くもって歯がたたない、残念なラリーだった。
結果はクラス最下位。たまたま出てらしたK島さんがブービーで、みごと京大クルーのワンツーフィニッシュである(笑)。
ラリーの世界は厳しいということを教えられたラリーだった。

97:挑戦
この年は、ちょっと気合いを入れて、チャンピョン戦(この年は地区戦もあった)を追おうということになった。
ドライバーは上り調子のA立、車はランサーエボリューション。
まずはシンフォニーラリー。臨んだダート、この年最初のSS1。踏む踏む踏む!
普段は車に気遣って抑える所もあるのだが、この時はいい踏みで好発信(たしかベスト2秒落ちくらい)した。
その後も手ごたえを感じながらラリーを進めていたが、鋪装ハイアベでイン側に石が!
避けきれずパンク・・・大きな減点をくらってしまった。
かなり痛い!!
SS待ちでタイヤは交換したが、チャンピョン戦レベルではロスを元に戻すのはかなり苦しい。
これが産みの苦しみというのか、結局完走こそしたものの入賞まではあと1歩だった。

次は去年入賞したフェリアスラリー。
今年も去年に引き続いて和知町の協力のもとに行われた。
ちょっと雨のために路面はルーズだったが、ドラは頑張っている。
しかし・・・なぜ、なぜなんだろう?
ミッション側のスピードセンサーが砕けちって、距離が殆ど分からなくなった!
ダメだこりゃ!?
色々手を尽くしたものの、結局またも手の届きそうな入賞にあと1歩だった。
表彰式ではファルケンカラーのインプレッサのドラでC5位入賞のH田さん(全日本ナビ)が、
「私の本業はナビです。私に負ける様なドライバーはまだまだですね」
という様な事を言ってらしたのが忘れられない。
大変悔しかった。

結局この年はこの2戦だけに出場ということになった。

98:世界
この年は専らダートラに出ていた為、1戦もラリーに出ていない。
しかし、所属クラブのチームオレンジのK岡さんが11月にラリーオーストラリアに出場されるので、そのサービスについていくことになった。
ラリーオーストラリアは、オーストラリア西海岸の都市、パースで行われるラリーで、念の為にいうと、WRC(世界ラリー選手権)のタイトルイベントである(フォーミュラレースで言うならF1のレベル)。K岡さんは既に3回このラリーに出場されており、去年の同イベントはクラッチトラブルでリタイヤだったので、今年は完走!という意気込みである。
とにかくオーストラリア、広い広い!景色はきれい(これは太陽光線のためらしい)だし、ダートはそれこそゴロゴロ。当たり前だが最高のフィールドであった。
実はこのパース周辺の土質は、”ボールベアリングロード”と呼ばれるパチンコ玉程度の小石が表面にゴロゴロ浮いている路面で、大変滑り易いらしい。
ラリー前日は、ターボ車検をすませたり、ステッカーを貼ったり。海外ラリコンのセンサーがなく、慌てて購入したりしたが、まぁまぁ余裕だった。
僕はタイヤ管理(といっても1日目にどれとこれを使う予定とか)を担当することになった。
ラリー初日は、スタート会場(海岸沿いの広い催し場みたいな所)での、2台併走のスーパーSSで始まる。とりあえずサービスまで時間があり、ワークスカーの華麗な走りを堪能する。マキネンが、サインツが、マクレーが、カンクネンが、ジャンプするわドリフトするわ!!!世界の一流どころの走りを見ることができた。またアジパシチャンプを狙う藤本、片岡、田口勝彦、モンスター田嶋など日本人の走りも要注目だった。
その後しばらくあってK岡さんの順番、その後すぐサービス。何ごともないので、確認だけの余裕のサービス。これからもずっとこうあって欲しい。
翌日 つづく・・・。
99:悩み

ページ先頭へ
ラリー入口ラリー入門私のラリー歴ラリコン体験正解表計算機
2001年近畿ラリー日程の載ってるページ、御紹介