初めて化学を学ぶ高校生のみなさんへ

先日もテレビを見ていると高校生の皆さんが「化学なんて将来家庭生活で要らないのだから、大部分の生徒について高校で教える必要はない」といっていました。ところが私も“主夫”兼“介護業”をしてみますと、化学が役に立つのです。後で記したダイオキシン問題もそうですが、別の例を挙げましょう。キッチンハイターは布巾の漂白や、家内の栄養剤を流し込む器具の消毒にも使います。まずキッチンハイターは強いアルカリ性を示します。こういう性質のものは皮膚についたまま放置するとひどく皮膚を痛めるということを知っていないといけません。また消毒後の器具は充分水で洗浄しないと万一キッチンハイターが胃に入ると、胃の中の塩酸と反応して猛毒の塩素を発生します。これらはすべて高校で習ったことの応用に過ぎません。

皆さんもいずれ何か仕事を持たれる日が来ると思います。その時どうか自分が好きで好きでたまらないという仕事についてください。イチローや松井もあるいは「プロ野球の選手は収入がよいからなろう」と思った時期があったのかも知れませんが、今は心から野球そのものが好きで、苦しくても、仮に収入が与えられなくても、やはり野球をすると言うに違いありません。その仕事に惚れ込んでその中に没入出来ることが人生の最高の幸せなのです。化学も自然の不思議を扱うのでやる気になれば実用上の利益だけでなく、物質の振る舞いを追求すること自体が自然の深みを知ることなので面白くてたまらない代物なのです。化学が好きになろうとすれば、まず自分でやってみる(実験する)ことが第一ですが、その実験で観察したことを文献で検討したり、結果を発表しようとすると化学の世界で使われている言語−−化学記号−−をわきまえて読み、また自分でも書くことが必要です。音楽の世界で楽譜を使いこなすのと全く同じことです。

さて、何もかもお話ししようとしますと、教科書ぐらいの分量になりますから、ここにはあまり担当の先生方が仰らないかも知れない大事なことだけ短く書くことにします。長いとそれだけで嫌になるでしょうから。

私は理学部の化学科の出身ですから、無機化学・物理化学・有機化学の専門的基礎実験はいろいろ経験していましたが、初めて現在の滋賀県膳所高校に就職して化学を担当したとき、高校で出てくる実験はやったことがないものばかりでした。それは私の中学時代は戦争中でしたからまともな授業はなく、まして実験はなかったからです。それで膳所での授業の前日はあらかじめ実験の予習をし、自分でやって見たのです。その時の印象は、教科書に書いてあることを実際自分でやってみるとこんなにわかりやすいのだなあということでした。

ですから、みなさんも化学を学ぶときは、教科書にはこの自然界で起こる事実の結果が書いてあるだけで、自然界で起こっている事実そのものこそ真実である、化学を学ぶというのは本を読み、覚えることではなくて、自然界で起こる事実をしっかり観察し、心に感じることだということにまず留意して下さい。実験で起こることをしっかり観察し、頭ではなくまず目に、心に、焼き付けることが基本だということを考えて下さい。

化学の前身は“錬金術”です。私の学生の時には、学んだ京都大学の化学教室図書室にはきれいな色刷りの不思議な記号や恐らくラテン語かアラビア語で書かれた、用紙もパピルスのような本が書棚に置かれていて自由に閲覧できました。恐らく錬金術の本であったと思われます。今は稀覯本としてどこかに大切に保存してあるのか化学教室図書室には見当たりません。錬金術の本といっても内容すべてがインチキではありません。このことはパラケルススとアグリコラ−−中世からのメッセージ−−にその例を詳しく書いておきましたが、当時の職人が仕事の中で発見した化学的事実が不思議な言葉の裏に正しく記録されている例もあるのです。一般に使われていた記号を挙げますと、例えば♂は鉄を、♀は銅を表す記号です。
こういう歴史があるので今の化学でも、物質を記述するのにアルファベットを使ってと書かれます。最初にアルファベットを使ったのはベルツェリウスというスエーデンの人です。1814年のことでした。最後の例は有機化合物ですが、有機化合物ではというように示性式でまず書かれます。これらの化学式をプラスや矢印でつないで化学反応式が書かれて、どういうことが起こったのかが示されます。いわば化学式が「単語」で化学反応式が「文章」なのです。NaとかSとかOは単語を造る「アルファベット」といえます。物質を化学式で書くことが初心者にはまず最初の障壁になるのですが、化学式で表現すると豊富な内容を中に含んでいるので、慣れてくるといろいろのことを読み取れるようになります。これは日本語や英語からは期待できないものなのです。化学の国を旅行しようとすると化学語を使わなくてはならないのです。日本語や英語はそこで観たことの解説に使うだけです。

英語を日本語でやろうとしても無理なことはみなさん納得して下さるでしょうが、同様に化学を日本語でやることはできません。どの職業にもその中でしか通用しない特殊な表現・用語があるものです。それをマスターしないと仲間扱いされないのです。何はともあれ化学を学ぶ以上物質を自由自在に化学式で書けるようにしてください。硫酸ナトリウムと聞いたらすぐにと表現できなければ駄目です。逆には「硫酸ナトリウム」だなと、すぐに解釈できなければなりません。有機化合物のについても同様です。私の経験ではこれができるようになれば高校での化学への障害は大部分消えてしまいます。高校化学を半分までマスターできたといっても良いくらいです。

硫酸ナトリウムは、メタノールはと丸暗記は駄目です。無機化合物を大きく分けるとイオン性化合物と、分子性の化合物になります。CO(一酸化炭素)や(二酸化炭素)、NO(一酸化チッソ)や(二酸化チッソ)のように気体は分子性ですが、その他はたいていイオン性です。分子性のものは丸暗記します(有機化合物についてはこうも言えないのです。もう少し後の方で触れますからそちらで読んでください)が、イオン性のものは陽イオンと陰イオンを組み合わせて作ります。そのためには教科書のどこかに出ているイオンの表でイオンの「名前」を「価数」と一緒に確実に覚えます。紙に書きながら手にも覚えさせるとよいでしょう。たとえばナトリウムイオンは、硫酸イオンはです。イオンの名前に関連して少し横道に入ります。私の教えた生徒で住谷亜人君と言う人がいました。亜人は何と読むのでしょう。答えはツグトです。亜=ツぐです。
は塩素酸イオンで、はOの数が3の次の次の1ですから「次次塩素酸」イオンと言いたいところですが、発音上「次塩素酸」と紛らわしいからでしょう、「次亜塩素酸」イオンとなったのです。イオン式を覚えてしまえば硫酸ナトリウムは、この二つを組み合わせ、かつ価数をバランスさせるように考えるのです。ナトリウムイオンは+1価、硫酸イオンは−2価ですから硫酸イオン1個に対しナトリウムイオンは2個要ります。日本では陽イオンの方を前に書きます(本来読む順に並べるのです。英語ではsodium sulfate 、ドイツ語ではNatrium Sulfatですから、ナトリウムイオンが前になるのです。日本は化学については後進の輸入国ですから、英語やドイツ語の書き順を採用したのです。日本語で読む順になっておらずひっくり返ります)。硫酸カルシュウムは,硫酸アルミニウムはになりますね。
というイオンは一つのグループですから、2個以上要るときは( )を付けるのです。 Naは一つの原子記号ですからと書くと誤りです。また、ヘキサシアノ鉄(U)酸イオンのイオン式はで[ ]はこのイオンが錯イオンだということを示しています。ヘキサというのはギリシャ語で「6」のことです。複数個要るとき、例えばヘキサシアノ鉄(U)酸鉄(V)ですととなります。

自然科学では独特の定義があります。例えば「仕事」といっても額に汗して働くイメージとはまったく関係がありません。「力x距離=仕事」です。名前が少しでもちがっていれば、本体はまったく別のものです。ナトリウムとナトリウムイオンは化学式ではNaとで少しちがうだけですが、実体はまったく異なった性質のものです。ナトリウムは水と激しく反応して水素を発生しますが、ナトリウムイオンは食塩の成分の一つで、水と反応はしません。硫酸イオンと硫酸もまったく別のものです。〜酸というのは〜酸水素として式を考えればよいのです。CoとCOはちがう物質です。一つ一つのちがった言葉・定義の意味をがっちり厳密に把握し理解しないと自然科学はやれません。

このいわば「和文化訳」「化文和訳」が自由にできるようにならないと駄目なのです。みなさんが自分で努力されることが大切ですが、一番能率の良い方法は化学の時間、初めの10分くらいは、先生がこの書取を毎時間10問ずつ生徒にさせ、すぐに隣同士答案を交換させ、正解を示して点を付けさせることです。この方法は私が膳所高校に勤めていたとき同僚の元藤庄太郎先生が実施されていて、私も真似をさせていただいたものです。

有機化合物は大部分が分子で出来ています。有機化合物は分子式だけでなく、示性式、構造式が書けないとどうにもなりません。こちらも初歩の段階では「基名表」を覚えるのです。(メチル基)、(エチル基)のような骨組みの基(炭化水素基)と性質を決める働きの機能団(官能基)例えば-OH (ヒドロキシ基:アルコールかフェノールの性質を示す)、-COOH (カルボキシ基:カルボン酸の性質を示す)などです。これを組み合わせて示性式を作るのです。示性式から構造式を作るのは定石がありますからそれほど難しくありません。分子の存在するものは分子の構造を知れば”構造から性質を”が鉄則ですから、いろいろなことを読みとれます。分子模型はその意味で大事なものですが、スイス製のよいものですと1セット50万円くらいはします。構造式は立体としての感覚は欠けていますが、この模型の代用品です。分子そのものの「見取り図」です。(歴史的には示性式、構造式は人間が有機化合物を分類する為に便宜上考えた形式的なもので、実際の分子の形とは関係がないとされた時代があります。だからこそ未だに○○といっていますが、現代では、実際の分子の形と密接に関係していることが機器分析からも証明できますから、分子の示性スケッチ、構造スケッチと考えればよろしい。昔の人よりもずっと勉強しやすくなりました)。

昔の人は構造式を実験から得られたその物質の性質から推計と論理だけで構築したのですから、人間の理性の働きは驚くべきものがあります。私と同志社高校の『舎密開宗』(セイミカイソウ)に記した日本最古の化学の本とされる『舎密開宗』の原本はAn Epitome of Chemistryで1801年に初版が発行されたのですがこの本には原子論は全く登場しません。長い人類の歴史の中で古代原子論はギリシャ時代に提唱されていますが、現代的な原子論が登場したのはこの200年のことであり、広く認められたのは僅かに100年くらいの出来事です。現在の化学は原子論・分子論の上で理論的にも整理、確立され、分子の構造は紫外線(UV)赤外線(IR)核磁気共鳴(NMR)質量分析(MS)X線回折(XD)など機器分析を使って有力な情報を得ています。この情報に基づいて考えていけば、構造式にたどり着けます。この構造式を考察し、必要ならば分子内部の電子分布の面や分子模型を使って立体的な面から考察していけば、眼で実物を見ることのできない小さい小さい分子も目の前でまるで実物を見ているような感覚で、その分子の性質を推定することが出来るのが現状です。繰り返しますが、正しい理論の上に建設された現在の化学は、昔の人よりもずっと勉強しやすく正しい結果が得られるようになっているのです。このような論理的思考を楽しみ、新しい物質を作る職人的創造の喜びも味わいたい人には化学は魅力のある領域です。

化学記号という「化学の国の言葉」がどんなにすばらしいかお話ししましょう。日本語で「水」と聞いても水の性質や、成分は何も分かりませんが、をみれば水の分子が水素原子2個と酸素原子1個でできていることが分かります。その上もう少し勉強が進んで構造式さらに分子の形、電気陰性度まで分かってきますと水の性質まで読みとれます。もう一歩進んで原子量、モルの勉強が済みますとには量的なことまで含まれていることが分かります。ダイオキシンという日本語では何も分かりませんが、ダイオキシンの構造式を覚えようとするのでなしに、新鮮な目でじっくりと眺めますと、図のように塩化ビニール系の物質が廃棄物処理段階のある特定の温度で加熱される時、酸化を伴いつつ反応して、エネルギー的に安定な構造のダイオキシンに変わったのだろうと推定させてくれます(参照:琵琶湖の危機。誤解のないようにもうしますが、ダイオキシンは別のルート、つまり、未燃炭素と塩化水素や塩素とがフライアッシュなどの触媒作用を受けても出来ます)。最近塩化ビニール系の薬品を造っている会社も、ダイオキシン発生源として監視を受けることになりました。発想が遅すぎます。こういうわけで、化学式という「化学語」は化学を学ぶ人にとってなくてはならないすばらしい万国共通語なのです。構造式からスタートして、さらに立体的なことと分子の中で電子がどのように分布しているのかまで考えにいれて、構造とその分子の性質との関連に推理や想像を働かせて仕事をするところに専門的な有機化学の面白さがあるのです。高校時代「構造式から物質の性質を読みとる」という認識もなく、ここに書いたような訓練が出来ていないと、理工学系や薬学系大学に受験テクニックを駆使してうまく入れたとしても大変なのです。せっかく入れたのについていけなくて辞めてしまう学生もいるのです。

ダイオキシン

ダイオキシン

化学式の量的解釈で注意しなければならないことを一つだけお話ししておきます。例えばは「水」分子1個と解釈(ミクロ(micro)の立場)されるときと、個の集団(これを1モルといいます) と解釈(マクロ(macro)の立場)されるときとがあります。どちらなのかは話の前後関係から判断します。分子1個は小さくてとても見えません。その質量も小さくて、g単位で表わすのは適当ではなく、“指標的な”(教科書には“相対的な”と書いてある)原子量単位で表現して約18ですが、1モルになると現実味を持ち、これにgを付けた18gの質量を持ち、肉眼でも立派に認知できます。“指標的な”というのは“基準に対して相対的な”ということです。消費者物価を“円”単位でいわずに“1990年を100とすると今年は110です”と表現するのと似ています。

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