いま考えていること 269(2007年06月)
――自己顕示の首相記者会見――

昨晩ハイリゲンダムG8を終わった阿部首相の記者会見がありました。会議の成果たとえば「50年までに温室ガスの排出量を50%削減することを検討する」という声明は自分のリーダーシップでまとまったものだというのがそれです。しかし会議の前から温室ガス削減は会議の主要議題になるだろうということは全世界で言われていましたし、何も安倍さんの提案ではありません。出発前には安倍さんは「現在」に比べて50%と、50%の基準時点を発言していたのに声明では基準は示されていませんから、悪く言えば明確な数値目標を導入することに反対していたアメリカのブッシュの顔色を見て曖昧な無意味な妥協に導いたとも見られます。むしろアメリカの京都議定書批准拒否の姿勢を浮き上がらせるには、ブッシュを孤立させた方が事態の進展を具体的に図る方策であったかもしれません。地球温暖化による危機はブータンの氷河の溶け出し積雪時期の異常、あるいはトンガの水没の危機など、地球の至る所に見られますから、アメリカ国民でさえ十分わかっているのです。必要なのはその危機への具体的な対応なのです。今回の会議の曖昧さはとても成果とはいえず問題の所在を曖昧にしてしまったものです。50%削減提案は自分のイニシアチブであったというに至っては日本国民向けの参議院選前の首相の自己顕示であったとしか言いようがありません。

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いま考えていること 270(2007年06月)
――欧州での拉致問題――

私たちは北朝鮮の拉致問題を考えるとき、日本での拉致と欧州での拉致をすべて一括して考えてきたのではと思うのですが、北朝鮮に亡命した「よど号」事件の配偶者が国際手配されるに及んで、欧州での邦人拉致は日本国内での北朝鮮による拉致とどうも性格が違うような雰囲気が見られます。欧州での拉致は「よど号」の犯人たちが自分たちの配偶者を獲得するために邦人の若い女性を拉致し、自分たちの意志を継承する子どもたちを産ませようとしたような報道が聞かれました。だとしますと拉致には邦人による邦人拉致の場合があったことになります。このような事例が何故今日まで解明されずに放置されていたのかという疑問が湧いてきます。もちろんこのようなケースと思われる有本さんのケースも究極的には北朝鮮当局も有本さんの入国を認めているのですから、北朝鮮の責任を回避させるものではありませんが、すべての拉致を北朝鮮の謀略と見ることは否定されます。

このような報道が今日になってなされること自体、アメリカの対北朝鮮観の変化を反映するものかもしれません。バンコ・デル・アジア問題もロシアの助けを借りて解決しようとする動きがあります。北朝鮮の核問題の具体的な動き遅延を非難する声は安倍さん周辺からは聞こえますが、アメリカは資金移動への自己の詰めの甘さを認識しているものですから、北朝鮮の行動の遅れを非難する動きを控えアメリカ自身の責任を果たそうとしているようです。むしろ資金移動の実現のためにロシアの助けを借りてでもやろうとする動きです。アメリカの指導部における変化が感じられます。

先日のG8終了時にも安倍さんは「鉄の意志を持って」拉致問題を解決し、これが解決しないと北朝鮮との正常な外交関係はあり得ないと言っていますが、それでは金正日が死ぬまで外交関係を放置するつもりなのでしょうか?私は外交関係というものは 殊に隣国である北朝鮮との間では核・ミサイル問題を考えるときわめて重要であり、かっての小泉さんのように拉致問題も過去の問題に含めて当面見送ってでも日朝の正常化を図るべきであると考えています。カッカしてきた拉致問題にもその内容に於いて日本人同士のケースがあったらしいということは重要な事実です。  

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いま考えていること  271(2007年06月)
――いくつかの問題について(1)――

★慰安婦問題

「慰安婦問題」がアメリカの下院外交委員会で可決され、本会議でも可決の見込みが高くなったと伝えられています。委員会での決議案要旨を見ますとその内の一項に「「慰安婦」に関する国際社会の勧告に従い、この恐るべき犯罪について、現在と未来の世代に教育を行うべきだ。」とあり、また決議案の<理由>の一つには「日本の官民の関係者は最近、「慰安婦」に関して93年に河野洋平官房長官が謝罪を表明した談話を弱め、もしくは撤回させたいとの要望を表明した」とあります。阿部内閣になってからいわゆる「靖国派」が力を強め、自分たちにとって都合の悪いことは抹殺していく傾向が見られます。歴史教科書からの沖縄戦での民衆の「軍隊の強制による集団自決」の否定もその例です。安倍さんの主観を体して一斉に旧勢力が蠢動を始めた印象です。何によらず事実を否定して物事は成り立ちません。ワシントンポスト紙にこの一派は「意見広告」を出しましたが、結果的にはかえって慰安婦問題に陰に陽に軍隊が関与したことがあったとの印象を国際的に与えてしまった皮肉な結果になりました。沖縄の自決問題も沖縄の各自治体議会の反論を招き、軍が機密保持の理由で人々を集団自決に追いやったことを追認する羽目に陥りつつあります。

★ふるさと納税
地方と中央との経済格差から提案されたこの問題は、若年期は自分の生まれた地方での公的支援を受けながら、成年に及んで中央都市で働き、中央都市に納税するというので賛成する人も見られますが、他方で納税は受益に対するもので現在受益している中央都市に納税するのが当たり前だという意見もあります。私は中央都市に暮らす地方出身者すべてに「ふるさと納税」を法的に強制することはできないでしょうから、自発性に委ねるとすると地方での予算編成がまずできないだろうという点と、日本の寄付金税制は非常に限られた場合しか認められていない点に問題があり、もっと寄付金税制を緩やかにして地方への自発的な寄付も控除対象にすればよいと思っています。現在たとえばあしなが育英会への寄付はもちろん黒柳さんを通してのユネスコへの寄付なども対象になっていませんから人々の善意の寄付による社会活動の支援が低調なのです。人々の自発的な支援態勢を促進することもしないで、きれい事を「ふるさと納税」に絞ってすることは、政府の地方への法的支援を弱めてしまって政府を免罪する結果にしかならないでしょう。

★介護保険制度
発足当初は介護を施設での援助ですべてやるばかりの説明でしたが、昨今介護は自宅介護に重点が移ってきています。邪推すれば当初から施設ですべてを見ることなど無理なことはわかっていたはずですから、いわば羊頭狗肉の説明であったのではないでしょうか。当初の趣旨からドイツで見られるような家族介護への配慮が全くなされていないのです。ドイツでは在宅給付も2つに分かれていて現物サービスを受けるか現金による介護手当の受給を受けるかが選べるようになっています。家族介護は社会保険の適用があり、労災の適用があります。さらに介護期間は年金受給の対象期間に参入されます。日本の場合は当初家族介護に対する配慮がなされなかったために、自宅介護に重点が移っても家族介護は無視されているのが実情です。私の家内は介護度5ですが近くの特別養護老人ホーム「紫野」は申込者の待ちが約1,000人、毎年の新規収容者は約10人ということで100年経たないと入れない状態です。私が治療のために入院する時でも家内をショートステイさせないと入院もできないのですが、この申し込みが3ヶ月前でいっぱいになるのが現状で、完全に破綻して居ると言ってもよい状態なのです。介護保険の内容が変わってきたのにその根本の制度構築がはじめのままで放置されているのが現状です。

★年金問題と賞与の辞退
安倍さんは年金データの不備の責任をとるというので自分の議員としての賞与以外の賞与は国庫に返納するといい出しました。この問題については与党の内部からも賛否の意見が出ているようですが、私は賞与辞退で責任の決着をごまかすというようなことがあれば本末転倒だと思っています。安倍さん個人の直接的責任を問われるようなことはこれまでしていないのですから、本気でこれまでの欠陥をただす意志があるのならむしろ堂々と賞与をもらって、全力を挙げて現総理としての行動をするべきだと思っています。勘ぐれば修正に自信が無いから賞与の辞退に逃げ込んだと見られても仕方がないのではありませんか。

★北朝鮮と核問題
バンコ・デルタ・アジアでの資金凍結は北朝鮮、ことにその首脳陣の外国とのお金のやり取りに大変なダメ−ジを与えていたものと見えます。従って資金の移動に関してアメリカが譲歩するのであれば、北朝鮮も核という強力な材料を持っているのですから、これを背景とする強力な外交作戦の立場から、おそらく6カ国との約束を守るものと見ています。アメリカの空気も確かに変わりました。この間のヒル国務次官補の北朝鮮訪問はその現れであり、日本政府の衝撃は大きいものと思います。いつまでも拉致問題を錦の御旗に国際的な北朝鮮への経済支援からソッポを向くようなことをしていては今度は日本の国際的孤立へと向かうでしょう。6カ国会議の目的は核の封鎖であり拉致問題の解決ではないことはヒル国務次官補始め日本以外の担当者は十分意識していると思います。

この問題について静岡県立大学の伊豆見 元教授が財団法人平和・安全保障研究所のRIPSに発表された論文「対北朝鮮政策「再考」の時」は注目されるべきものと思うのでに収録しておきます。

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いま考えていること 272(2007年07月)
――いくつかの問題について(2)――

★年金の通知
社会保険庁は08年度中にすでに年金を受給している人に加えて現役世代の人たちの加入履歴も送付する方針を固めたとのことです。25日に自民党の中川幹事長がすべての加入者を含めて1億人の加入・納入記録の通知を政府側に求め、28日の厚生労働委員会で柳沢大臣が「すべての年金の受給者、現役の加入者に履歴を送って確認をいただく」と述べています。この提案は私の記憶では19日共産党志位委員長が安倍首相に「現在把握している年金保険料の納付記録を、直ちにすべての受給者、加入者−1億人の国民に知らせること」を申し入れたことに発したものです。先の自衛隊情報保全隊による国民の監視情報(参照)の公表とともに重要なものだと思います。

以下の3項目については共産党と意見を異にします。
★リバースモーゲージと生活保護
4月から高齢の住宅所有者(宅地の評価額500万円以上)の生活保護が見送られることになり、まず本人が所有する土地・住宅を担保とするリバースモーゲージの設定による社会福祉協議会からの貸し付けが優先するようになったようです。住む人の生活の不安を迫るものだという批判が赤旗紙上でも見られますが、私のようにそういう不動産を持たないで、毎月家賃を払っている立場から見ますと、リバースモーゲージを生活保護に優先して行うのは当然のことだという印象です。何故65歳以上の高齢者だけがこの制約を受けるのか腑に落ちない面もありますが、やはり不動産という財産を持つ人はまず自分で打つべき手は打って当然だと思います。私の場合は生活に不足を生じると預金を取り崩しているのですから。貸し付け額は評価額の70%だといいますから、その限度まで到達してしまえば当然生活保護を支給すべきだと考えます。

★大工と労災
現在は雇用形態が多様化しているので小規模な事業者が実態として労働者的な状況に置かれることが出てきているので、大工さんが独立した事業者であり出来高払いの下請け労働をしていて負傷した場合の労災の適用の可否が裁判になっています。しかし裁判所はその仕事を管轄している会社の労働者ではないというので労災給付を否定しました。確かに雇用形態の多様化で労災の適用範囲に矛盾を醸し出していることは事実ですが、現在も「一人親方」の労災保険特別加入制度があり、「特別加入保険料」「労働保険事務組合委託費用」「社会保険労務士事務委託費用」を負担すればよいのです。この負担が重いと見るか当然と見るか、やはり「一人親方」は労働者では無く事業に就くか就かないかを選択する自由を持っているのですから普通の労働者ではないと思うのです。一人親方は労災保険の特別加入をして費用負担の義務を果たしておいて、災難時の労災補償を受けるべきで、裁判所の判断はまともだと思います。

★都営住宅の入居権の相続
これまでは都営住宅居住者が亡くなった場合子どもにも居住権の相続が認められていたのが、今後は配偶者にだけ認めるということになるようです。この措置に反対を唱える人もいるようですが、これも当然の措置だと思います。一端家賃の安い都営住宅に入居すればその権利が自動的に子どもに相続できるというのはやはり特権的だと思います。配偶者に相続を認めるのは妥当だと思います。

★アウシュビッツ・ビルケナウ−ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所(40年〜45年)
収容所はこれまで「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」の名で世界遺産に登録されていたのだそうです。この名前では年を経て次第にポーランドが作ったという誤解を与えるので、ポーランド政府は登録名の変更を求めていました。2007年6月27日ユネスコはこの提案を容れ、表記の名称に変更することを承認しました。たとへこの名称はドイツにとって永久に不名誉な名称になろうと歴史の事実は事実としてそのまま認める姿勢として、日本が従軍慰安婦や南京大虐殺という事実、沖縄での集団自決に対する軍の圧力の存在を消し去ろうと躍起になって事実を抹殺しようとしていることへの反省を迫ってきます。

★日勤教育
最高裁でも「日勤教育」の行き過ぎが断罪されましたが、尼崎脱線事故最終報告書は「日勤教育」について“JR西は、日勤教育について、日数、内容等を見直し、精神論的な教育に偏らず、再教育にふさわしい事故防止に効果的なものとするべきだ”と述べています。少し話が変わりますが国際的な学力水準テストでトップクラスにあるフィンランドの教育は少人数の学級編成でここの生徒の実情に応じた支援を教師の主体性を尊重しながら実施していて、どうも今日の日本とは正反対の教育観を持っているようです。長く教師をしてきた私もやはり、教育は根底に於いて教師と生徒の信頼と教師の自由な発想を尊重する雰囲気がないとだめだと思っています。日勤教育の名において運転手に罰に対する恐怖を与え、権力をもって処罰をする雰囲気では安全を確保することはできないのです。君が代・国旗をはじめとする押しつけ教育を聞くと、かって大津東高校の林校長が東大の学生時代東大総長が「教育勅語」を無造作に机の上に転がして開くのを見て「ああ東大に来た」と思ったといっておられたのを思い出します。当時は「教育勅語」は日本の教育のバイブルで、天皇と同一視されていましたから、神聖で、粗末にすると死を命じられるくらいの存在だったのです。教育は形ではなく生徒と教師を信頼する基盤の上で展開されないと効果はないものです。脅迫観からは何も産まれないのです。

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いま考えていること 273(2007年07月)
――久間発言をどう見ますか?――

2007年6月30日久間防衛大臣は次のような発言を麗澤大学で行いました。この種の発言内容はインターネット上でもすぐに消えていってしまいますので、記録する意味でも毎日新聞紙上に見られるものを収録しておきます。このような発言が被爆国で核廃絶を願っている日本の、大臣から聞かれるとは思ってもいませんでしたが、このコラムをごらんいただいている皆さんはどう思われますか?

久間防衛相:原爆投下に関する発言の要旨

 久間章生防衛相が30日に千葉県柏市で行った講演のうち、原爆投下に言及した部分の要旨は次の通り。

 米国は日本が負けると分かっているのに、ソ連に参戦してほしくない。ところがなかなか日本はしぶとい。しぶといとソ連は参戦する可能性がある。国際世論もソ連参戦を賛成しかねない。ソ連が参戦して、ドイツを(東西)ベルリンで分けたみたいになりかねない。

 だから(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができるという考えだったが、(長崎に原爆が投下された1945年)8月9日に、ソ連が満州その他の侵略を始めた。

 幸い8月15日で終戦となり(日本は)占領されずに済んだが、間違えば北海道まではソ連に取られてしまう。その意味で、原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところだ。

 米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしているが、国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えると、そういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)。


                                              毎日新聞 2007年7月1日 朝刊

この件についてのいくつかの新聞社説を順不同で紹介しておきます。参考にしてください。

★沖縄タイムス社説(2007年7月2日朝刊)

[久間防衛相発言]

被爆者の心忘れたのか

 久間章生防衛相が、米国の原爆投下について「長崎に落とされて悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている」と発言した。大学での講演の中である。

 米国が原爆を投下したのは、旧ソ連の日本への参戦を食い止めるための側面があるとの見方を示したものだ。

 だとしても、それで、米国の原爆投下が正当化され得るものでは決してないはずである。一定評価されるものでもない。

 政府は、久間発言について米国の当時の考え方を紹介しただけで、問題はないと早速火消しにかかっている。久間防衛相も、原爆投下を止められなかった当時の日本政府への批判が真意だと釈明している。

 政治家による放言、暴言の類は、それこそ枚挙にいとまはないが、それにしても防衛省を率いる大臣の発言がこんなに軽く、見識に欠けるものでいいのだろうか。

 相手が大学生だから軽くと考えたのであれば大間違いで、むしろ自らの底の浅さを露呈したというしかない。

 今年の八月九日、長崎は被爆から六十二年の原爆の日を迎える。

 去る四月、凶弾に倒れた長崎市の伊藤一長前市長は昨年のこの日、「人間はいったい何をしているのか。長崎では怒りといら立ちの声が渦巻いています」と、核軍縮が一向に進まない世界情勢に怒りを示す平和宣言をした。

 被爆者の記憶をしっかりと語り継ぎ、国際社会に強いメッセージを放ち続けなければ、核廃絶は実現しないという被爆地の危機感を率直に表したものである。

 防衛相は長崎県出身だ。長崎の悲劇を知らないはずはなく、記憶の風化へ立ち向かうべき立場の人だろう。

 だが、「しょうがない」という発言からは、二度とあの悲劇を繰り返してはならないという決意が、みじんも感じられない。

 言うまでもないが、政治家にとって「言葉」は自らの政治信条や立場を示す要諦だ。大臣であればなおさらのこと。いかなるときでもその発言には責任が伴う。

 広島の被爆者も、長崎の被爆者も、世界でまれな体験を持つ者として、原爆の恐ろしさを語り続けている。

 唯一の被爆国の大臣として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があることに、なぜ気付かないのだろうか。

 発言は、被爆者への気持ちに思いをはせることもなく、思いやる心をも欠いたものと言わざるを得ない。

★中国新聞社説  久間防衛相発言 核廃絶への思いどこに '07/7/2

 撤回しても多くの国民の憤りは消えまい。久間章生防衛相の発言である。先の大戦で米国が広島、長崎に原爆を投下したことに触れ「しょうがないなと思っている」などと述べた。

 核兵器使用を容認し、被爆者の心を踏みにじる内容である。被爆者や平和団体はじめ、各方面から閣僚としての資質を疑う声が相次いでいるのも当然といえよう。

 きのう朝まで発言の撤回や訂正の意思はないと強調していたが、昼になって陳謝し、事実上撤回した。自民、公明両党の幹部からも批判の声が上がり、参院選への影響を懸念する首相官邸にも配慮したようだ。しかし後から釈明して済むような問題ではない。

 核兵器廃絶は、世界唯一の被爆国である日本の使命である。その政府の閣僚で、ましてや国民を守るのが任務の防衛相である。そうした自覚は果たしてあるのか。

 防衛省スタートから半年。初代の大臣がこれでは自衛隊のシビリアンコントロールはとてもおぼつかない。

 原爆投下が大戦の終結を早めるためだったとの弁明は米国側がよく口にする。しかし原爆は、わずか二度の爆発で二十万人を超える命を奪い、生き残った人々を今もなお苦しめ続ける絶対悪の兵器である。理由がどうであれ使われてはならない。

 被爆者たちが思い出すのもつらい体験を語り続けるのも、こうした願いからだ。長崎県内を選挙区とする久間防衛相にも、届いていないはずはない。

 久間防衛相は在日米軍の再編を推し進める日本側の責任者の一人でもある。先に成立した米軍再編推進法に、反対派封じ込めの意図を感じ疑問視する声は多い。さらに米国の主張を代弁するまで一体化するとはいかがなものか。

 きのうの党首討論で安倍晋三首相は、発言が不適切との認識を示した。一方で「これからも防衛相として核廃絶に力を発揮してもらわなければならない」として、罷免要求には応じなかった。しかし昨年秋に党幹部らが核保有の論議を訴えたのに続く今回の発言である。安倍政権の本音と考えるのは、うがち過ぎだろうか。

 「人間は、いったい何をしているのか」。凶弾に倒れた長崎市の伊藤一長前市長は昨年八月九日の平和宣言で、核拡散に向かっている世界に対する怒りといら立ちをこう表現した。いま一度、安倍政権と久間防衛相にぶつけたい。

★北海道新聞社説

防衛相発言*核廃絶に逆行する暴論(7月2日)

 閣僚として、また世界の核兵器廃絶運動の先頭に立つべき日本の政治家として許されない発言だ。

 久間章生防衛相が講演で、米国が日本に原爆を投下したことについて「しょうがないなと思っている」と述べた。

 原爆投下を是認するような物言いで、核問題を担当する防衛相にあるまじき、辞任に値する暴論である。

 久間氏は当初、原爆投下を止められなかった当時の日本政府への批判が真意だとして「訂正する必要はない」と強気だった。

 しかし、発言をどう解釈しても久間氏の言うような趣旨をくみ取ることはできない。被爆地である広島や長崎の人たちが怒るのも当然だろう。

 長崎が地元の久間氏が、筆舌に尽くしがたい苦しみを体験した被爆者の思いを知らないはずはない。それだけになおさら今回の発言は理解に苦しむ。

 野党は防衛相としてふさわしくないとして、罷免を求めていく方針だ。参院選を目前に控えてまずいと考えたのか、与党からも批判が相次いだ。

 こうした声に久間氏も「申し訳なかった」と謝罪したが、それで取り返しがつく話ではあるまい。あとになって原爆を是認するものではないと釈明したが、それならなぜ「しょうがない」という発言が出てくるのか。

 日本は唯一の被爆国として核兵器の恐ろしさ、悲惨さを身をもって知っている。だからこそ、核廃絶の訴えには説得力がある。それは国是であり、国民の総意でもある。

 ましてやいまは、国際社会が北朝鮮やイランの核開発阻止に全力を挙げて取り組んでいるときだ。

 久間氏の発言は、日本が積み重ねてきた核廃絶の努力を台無しにするものと言わざるを得ない。

 もちろん、安倍晋三首相の任命責任も問われなければならない。

 首相はきのうの党首討論会で「誤解を与えるような発言は厳に慎まなければならない」としながらも、野党の罷免要求には応じない考えを示した。ことは重大なのに鈍感すぎる。

 久間氏の発言があった当夜には「自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるという被爆地としての考え方も披歴されたと聞いている」とも語った。

 「忸怩」とは「恥じ入ること」である。これが久間氏の言葉か首相自身の言葉か定かではないが、被爆地が恥じ入ることなどまったくない。

 昨年秋に安倍政権が発足して間もなく、自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相から、核兵器保有について議論が必要だという発言が相次いだことがある。このときも首相は、発言をいさめようとしなかった。

 幸い、国会はまだ開会中だ。この際、安倍政権の核問題についての認識を徹底的にただす必要がある。

★東京新聞社説  原爆容認は無知の露呈 防衛相発言  2007年7月2日

 どのような意図であれ核兵器使用は許されない、というのが被爆国日本の立場のはずだ。「国際法違反」との司法判断もある。原爆投下を「しょうがない」という政治家に自衛隊はゆだねられない。

 広島、長崎に平和の祈りが満ちる盛夏を前にして、原爆の犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う人々の心を踏みにじる発言が飛び出した。

 久間章生防衛相が講演で、先の大戦における米国の原爆投下を「しょうがない」と語ったのである。

 防衛相は、勝利が確定的なのに米国があえて原爆を使ったことへの疑念や、被爆者への同情を示しながらも、当時の国際情勢からみて「しょうがないなと思っている」「選択肢としてはあり得るのかな、ということも頭に入れながら考えなければいけない」と話した。

 投下した米側の論理そのものであり、被爆者や広島、長崎の市民などから悲しみ、憤る声が上がったのは当然である。二つの原爆では二十数万人の命が奪われ、いまなお二十万人以上が苦しんでいる。久間氏はそれらの人の墓前、面前でも「しょうがない」と言えるのだろうか。

 核兵器の残虐さを身をもって知る日本人には、核廃絶を求める国際世論の先頭に立つ責務がある。幅広い市民が被爆者とともに「どんな理由があっても核兵器は許されない」との思いで努力してきた。

 被爆国閣僚の今度のような発言はこうした核廃絶運動の足を引っ張りかねない。ただでさえ米国追随が指摘される中での原爆投下容認は、国際社会で「なにもそこまで」と冷笑されるのではないか。

 そもそも「しょうがない」「選択肢としてはあり得る」という認識自体が無知をさらけ出している。国際司法裁判所は一九九六年、「核兵器による威嚇とその使用は一般的に国際法に違反する」という勧告的意見をまとめている。

 その際、日本政府は「核兵器使用は人道主義に反する」とはっきり述べた。こんな基本的事実も久間氏は知らないようだ。

 事実上の国会閉幕で気が緩んだためという見方もできるが、軍事を司(つかさど)る人物だけに見過ごせない。防衛相が原爆を受け入れる考えでは、日本の国是である非核三原則も国際的に信用されまい。

 久間氏をかばって、問題を直視しない安倍晋三首相の政治感覚は国民のそれから遊離している。内閣としてけじめをつけるべきであり、最低限、本人のきちんとした陳謝、大臣辞任が求められる。一日に行われた記者会見は単なる言い逃れだ。

★朝日新聞社説  久間発言―思慮のなさにあきれる(7月2日朝刊)

 広島、長崎で合わせて20万人を超す人々が原爆の犠牲になった。いまも後遺症に苦しむ人がいる。その原爆が使われたことを「しょうがない」と言い放つ無神経さには、あいた口がふさがらない。

 久間章生防衛相の発言だ。米国が第2次世界大戦末期に広島、長崎に原爆を投下したことについて「あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。

 「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」とも語った。

 生き地獄を経験し、肉親を失った人にとっては、今も忘れられない記憶である。元広島平和記念資料館長の高橋昭博さんは「怒りを通り越してあざ笑うしかない。自分が被爆しても同じ発言ができるでしょうか」と批判している。

 過去の核使用を「しょうがない」と容認するのは、必要があれば核を使ってもよいということになる。戦後日本が一貫して訴えてきた「核廃絶」の取り組みに、正面から冷や水を浴びせるものだ。

 まして久間氏は被爆地の長崎県出身であり、日本の防衛をあずかる立場でもある。そのことを一体どう考えたのか。

 原爆投下については、残念ながら他国の認識とは溝があるのは事実だ。

 広島出身の詩人、栗原貞子さんに「ヒロシマというとき」という作品がある。

 〈ヒロシマ〉というとき/〈ああヒロシマ〉と/やさしくこたえてくれるだろうか/〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉/〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉……〈ヒロシマ〉といえば/血と炎のこだまが 返ってくるのだ

 被爆を訴える日本の姿勢は、米国やアジア諸国の批判にさらされてきた。日本が始めた戦争だ、原爆のおかげでようやく戦争が終わったのではないか、と。

 ここに簡単な答えはない。しかし、私たちが始めた戦争だという加害責任を認めながらも、無防備な市民に対する無差別殺戮(さつりく)は許されないと主張することが、日本の立場であるべきだ。

 そして、戦勝国、敗戦国の壁を越えて痛みを共有する方向を目指す。日本の政治家にはそういう仕事に取り組んでほしい。「しょうがない」と言い捨てる態度は、歴史の忘却、米国の原爆正当化への追随でしかない。

 日本は米国の核の傘に守ってもらっている以上、政府の立場からすると核使用を完全には否定しきれない。そういう現実の壁があるのは確かだろう。

 しかし、それでも政府見解は「核兵器の使用は実定国際法に違反するとまでは言えないが、国際法の基盤にある人道主義の精神に合致しない」ということだった。久間発言は明らかな逸脱だ。

 久間氏は昨日、「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば、大変申し訳なかった」と弁明したが、印象や説明の仕方の話ではない。認識そのものが問題なのである。

★毎日新聞社説  久間防衛相 何と軽率で不見識な発言か  7月2日

 久間章生防衛相から耳を疑うような発言が飛び出した。先月30日の講演で「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」と語ったのだ。

 米国が広島、長崎に原爆を投下したことによって終戦を早め、ソ連の日本占領を阻止し、より多くの犠牲者を出さずに済んだという認識に基づくものである。「しょうがない」には、状況によっては原爆使用も容認できるという意味が含まれる。

 核兵器使用による惨劇は広島、長崎で最後にしようと日本は国をあげて核兵器廃絶に取り組んできた。その意味でも久間氏の発言は国の基本方針に反し、核廃絶の努力に冷水を浴びせる軽率で不見識なものだ。安全保障を担当する閣僚だけになおさら責任は重い。

 核兵器は住民に対して無差別攻撃をするもので、後遺症も深刻な絶対悪の存在である。96年に国際司法裁判所は「核兵器による脅しや使用は人道の原則に反している」と勧告している。「しょうがない」で済まされない兵器なのだ。

 日本は非核三原則のもと核拡散防止条約(NPT)の重要性を訴え、国連では94年から毎年、核軍縮決議案を提出し採択されてきた。それは言うまでもなく広島、長崎での被爆が原点だ。

 昨年、自民党幹部らが核保有について議論をする必要性に言及し「日本は核兵器を持ちたいのか」という疑心を国際社会に与えた。久間氏の発言もまた日本の核廃絶の主張に対する信頼性を損なう可能性がある。

 日本はミサイル発射・核保有問題で北朝鮮と厳しく対峙(たいじ)している。久間氏の発言で北朝鮮から「米国の核兵器使用はしょうがないのか」と切り返され、核保有の口実にされかねない。

 「しょうがない」と言われて筆舌に尽くしがたい苦しみを味わってきた被爆者がどんな気持ちになるか。そのことに対する想像力が及ばない政治家は失格だ。

 これまでも久間氏には不用意な発言が目立った。日本のイラク開戦支持表明は「非公式だった」と誤って発言し、後に撤回した。普天間飛行場移設問題では日米で合意した計画について修正に言及し米国の反発を買った。最近では武器輸出三原則について緩和すべきだとの持論を展開し、官邸サイドが戸惑う場面もあった。さらに今回の発言とあっては閣僚としての資質が疑われても仕方あるまい。

 久間氏は1日の記者会見で「大変申し訳なかった」と陳謝し事実上、発言を撤回した。参院選への影響を懸念する与党の意向もあったのだろうが、それで済まされる問題ではない。

 安倍晋三首相の対応も不十分だ。久間氏が陳謝して初めて「誤解を与える発言は慎むべきだ」と語った。発言当初は問題視しない姿勢を見せていたのだ。本来なら進退を問われる発言だ。首相自らが発言の真意をただし、厳しく叱責(しっせき)すべきである。

★日本経済新聞社説2 またも立場忘れた久間発言(7/2)

 久間章生防衛相の発言がまたも問題になっている。個人としての発言には言論の自由があるが、閣僚、しかも防衛相の立場では言動に自己抑制が働かなければ、内外で混乱をまねく。久間氏はどうやら過去の学習効果がなかったようであり、閣僚としての適格性に疑問符がつく。安倍政権には一層の打撃となる。

 今回の発言は、千葉県柏市の麗沢大での講演の一部である。質問に答え、米国の原爆投下に関し「長崎に落とされ、悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べたとされる。

 講演後に「原爆とか核兵器はやはり人類として絶対に使ってはいけないということを皆肝に銘じて反省すべきだという思いは非常に強い」「今思えば米国の選択はしょうがなかったのだろうと思う。ただ米国が原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と釈明したが、「被爆国日本の核廃絶の主張と矛盾してくる」(菅直人民主党代表代行)との批判が強まっている。小沢一郎民主党代表も1日の党首討論で最初にこれについて質問した。

 久間氏はことし1月にも「(イラク戦争に踏み切った)ブッシュ米大統領の判断が間違っていた」と発言し、塩崎恭久官房長官が「米国に誤ったメッセージを与えかねない」と注意した。直後に米軍普天間基地の名護市への移設をめぐり「(米国は)あまり偉そうなことを言ってくれるな」と語り、米側が不快感を非公式に伝えた経緯がある。

 いずれも信念や歴史観からの発言かもしれないが、釈明を迫られる発言を繰り返す久間氏に自衛隊という実力組織を束ねる信頼感を期待できるだろうか。仮に自衛隊内部に防衛相の言動を軽んじる空気が強まれば、政治家による軍事組織の統制という文民統制(シビリアンコントロール)の観点からも問題となる。

 国の安全保障・危機管理のうえで防衛相の職責は重い。久間氏には既に何枚かのイエローカードが出ている。今回の件でも安倍晋三首相は擁護の姿勢を示しているが、久間氏が自ら進退を判断するのが政治家の作法ではないだろうか。

★7月2日には産経新聞、読売新聞には久間発言を問題にした社説は見られませんでした。

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