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back.gif西脇順三郎の「雨」


古代ギリシア案内

[補説]ギリシア詩から西脇順三郎を読む

西脇順三郎の「眼」






 西洋浪漫派の詩人たちは、善くも悪しくも、自分の感性で古代ギリシアを体験した。しかし、西脇順三郎の場合、ギリシア詩を読んだといっても、自分が批判・否定して乗りこえようとする浪漫派の眼を通してであった。したがって、浪漫派を否定する分、それだけギリシア詩に近づいているように思われるが、彼がどれほどギリシア詩の用語を用いたとしても、浪漫派を介している分、ギリシア詩からは離れてゆく。それが、「ギリシア抒情詩」という総題をつけざるを得なかった所以であろうし、また、出典・典拠がギリシア詩とわかっていながら(本人も繰り返しそう言っている)、西脇詩の研究者がその出典・典拠を見つけられなかった所以でもあろう。次の「眼」などもその例と言ってよい。


   眼

白い波が頭へとびかゝつてくる七月に
南方の奇麗な町をすぎる。
静かな庭が旅人のために眠つてゐる。
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く。

 この詩の着想はキーツ(John Keats, 1795-1821)の『ギリシャ古甕のうた(Ode to a Grecian Urn.)』から採ったとみてよい。今どきの日本でキーツの詩が読まれるとは思えないので、ちょっと長いが、全文を引用しておく。


   ギリシャ古甕のうた

   1

おまえは いまも穢れのない静寂の花嫁、
沈黙と 緩やかな「時」の歩みに育てられた子供、
われらの詩よりも さらに美わしい花の物語を、
このように語り伝える 森の物語師。
テンペの楽土や アルカディアの谷間に住む
神々や人間の、あるいは神人の 草の葉に縁どられた
どんな物語が おまえの甕に描かれているだろう。
これは どんな人と神であろう。また どんな羞じらい多い少女たちであろう。
どんな狂おしい求愛が、また その愛を拒む どんな抗いがあろう。
どんな笛や どんな鼓が、また どんな烈しい法悦があろう。

   2

耳にひびく音楽は美しい、だが 耳にひびかぬ音楽は
ことさらに美しい。さあ、その静かな笛を 吹いておくれ。
人の耳にではなく、もっとしんみりと
霊魂に、音のない歌を 吹きならしておくれ。
美しい若者よ、おまえは この木々のしたに、おまえの歌を
やめることができぬ。木々はまた 永遠にその葉を落とすこともない。
大胆な恋人よ、おまえは.とてもとても接吻はできぬ、
もう一息のところだけれど — 嘆いてはならぬ。
おまえの幸せがとどかなくとも、彼女は萎れはしない。
おまえが永遠に愛しておれば 彼女もまた 永遠に美しい!

   3

ああ、幸せな、幸せな木の枝よ! 木々は その葉を
落とすこともなく、春に別れを 告げることもない。
また 疲れを知らぬ 幸せな音楽家よ、
おまえの吹きならす歌は 永遠にあたらしい。
さらに幸せな恋よ! なおさらに、さらに幸せな恋よ!
永遠にさめず、いつも悦びとなる恋よ。
永遠に喘ぎながら、いつまでも若々しい恋よ。
やるせなくも 疲れた胸、燃える額、
灼けただれた舌を残す すべての息づく
人間の情熱にも はるかにまさる恋よ。

   4

この犠牲のところにやってくる人々は 誰であろう。
おお 神秘なる司祭よ、あなたは 青空に鳴く、
綿のような脇腹に 花飾りをしめた、
聖なる牝牛を どんな緑の祭壇に導くのだ。
この清らかな朝 人びとの立ち去ったのは
流れのほとりの それとも海辺の 小さな町か、
あるいは 平和な砦のある 山上の町か。
そして 小さな町よ、おまえの通りは 永遠に静まっているだろう。
また なぜそんなに寂れているのかを
告げるために 誰ひとり戻ってこれる者はいない。

   5

ああ アテネ風の容(かたち)よ! 美しいその姿! 森の木枝や
踏みしだかれた草々とともに、大理石の
少女や 男たちを 全面に浮彫りにしたその容姿よ。
おまえの沈黙の形は 永遠がそうするように
われわれを考えあぐねさせてしまう。冷ややかな牧歌よ!
年古りて この時代の人々を滅ばす時にも、おまえは
われわれと異なった悲しみのなかに 人間の友としてとどまって、
言うのだ、《美は 真であり
真は 美である》と。 — これこそは きみたちが
この地上で知り、また知るべきすべてのものなのだ。
     (出口保夫訳)

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 キーツを超えることを念願していた西脇順三郎は、「眼」がキーツの詩を想起させるという鑑賞者の指摘は、あまり嬉しくなかったらしい。指摘に対して、「向こうは陶器ですがこっちは石です」と、素っ気なく答えている(西脇セミナー第2回、p.26)。
 キーツの詩が、陶器に描かれた絵に集中しているのに対し、西脇の詩は、旅人が通りすがりに見た廃園の中に、無造作に置かれたレリーフ(右図)に集中してゆく。しかも、時─所─廃園─レリーフ─そして、レリーフの眼へと、急速にズームインしてゆく、そのスピード感は、読む者に快い。(このレリーフは、じつは三幅対になっているのだが、その三幅対についての詳しい説明は、 「Aphrodite Anadyomene, the Loudovisi Throne and the Boston Relief」で見ることができる。しかし、西脇順三郎の詩にとって、他の図像は関係がないので、ここでは触れない)。

南方の奇麗な町をすぎる これは、おそらく、キーツの「人びとの立ち去ったのは/流れのほとりの それとも海辺の 小さな町か、/あるいは 平和な砦のある 山上の町か」から想を採ったのであろう(もちろん、自分の旅の体験を踏まえていても何らかまわない)。

 「奇麗な町」は、ギリシア語で言えばkallivpoliVであろう。この言葉は、プラトンの『国家』527cに出てくるし、またギリシア世界に実際に存在した町の名でもあった(ケルネーッソス半島や、シケリア(『歴史』VII-154)に)。ありそうでいて、実際にはないことを描くのが詩だと考えていた西脇順三郎(西脇セミナー第2回、p.18)にとっては、この事実はあまり喜ばしいことではなかったことであろうが……。

 手のこんだ細工が施されているのは、第1行目である。
 古代ギリシア人は海洋民族である。それだけに、海に関する詩の数はおびただしいものがある。したがって、「白い波が頭へとびかゝつてくる」という表現も、ギリシア語テキストのどこにでも出てくると思ったのだが、残念ながら、具体的に提示することができない。
 ただ、ギリシア詩においては、「白い波」といえば、必ず冬の荒れた海を意味することは、指摘しておかねばならない。

海は晴朗にして紫。大風が
小波に憤慨する波を白くすることもない。
もはや岩礁に砕け散ることもない海は、
逆に深みへと、再びひきこもる。
西風が吹き、ツバメがさえずる、
藁で捏ねあわせた部屋を築いて。
勇気を出せ、航海の熟練者よ、シュルティスまでも、
シケリアの浜までも、海を渡りゆくとしても。
港の神プリエーポスの祭壇にのみ
あるいはスカロスを、あるいは紅きボークスを焼け。

  Eu[dia me;n povntoV porfuvretai` ouj ga;r ajhvthV
  kuvmata leukaivnei friki; carassovmena`
  oujkevti de; spilavdessi periklasqei:sa qavlassa
  e[mpalin ajntwpo;V pro;V bavqoV eijsavgetai.
  oiJ zevfuroi pneivousin, ejpitruvzei de; celidw;n
  kavrfesi kollhto;n phxamevnh qavlamon.
  qavrsei, nautilivhV ejmpeivrame, ka]n para; Suvrtin,
  ka]n para; Sikelikh;n pontoporh/:V krokavlhn`
  mou:non ejnormivtao parai; bwmoi:si Prihvpou
  h] skavron h] bw:kaV flevxon ejreuqomevnouV.
     (Anthologia Graeca, X-14)
〔「スカロス」も「ボークス」も、港の神プリアーポスに捧げる魚であることは、前出の詩「雨」で述べた。〕

 諸人こぞって海をめざしたということは、それだけ海難者も多かったということである。ギリシア詩は、数多くの海難者を歌っていることでも眼を惹く。とくに次の1篇には、海難者が何月に亡くなったかを知る手がかりがある。 —

甲:古の浜に、哀しみの荷を背負ってたてる、おお、石碑よ、
 言ってくれ、おまえが伝えるのは誰か、誰の子か、いずこの者なるかを。
乙:ヘルミオネーの人、バテュクレースの子、ピントーンなり。おびただしい波が
 彼を滅ぼした。熊の番人星の旋風に遭遇した彼を。

  a. =ArcaivhV w\ qino;V ejpesthlwmevnon a[cqoV,
   ei[poiV on{tin= e[ceiV, h] tivnoV, h] podapovn.
  b. Fivntwn= +Ermionh:a BaquklevoV, o}n polu; ku:ma
   w[lesen, =Arktouvrou laivlapi crhsavmenon.
   (Anthologia Graeca, VII-503)

 「旋風(lai:lay)」は季節を問わず吹き、船乗りたちに恐れられた。「熊の番人星(=Arktou:roV)」とは、牛飼い座のα星〔大角星〕のことである。これが日暮れかた西の空に姿を見せると、春の初めであり(ヘシオドス『仕事と日々』565ff.)、明け方、東の空に太陽といっしょに昇りはじめる(heliacal risingという現象)と、冬も近い。それは、具体的には、Septemberの中頃である。この時期に吹く旋風を「熊の番人星の旋風」と彼らは呼んで恐れた。
 September? ラテン語に堪能な西脇順三郎は、これがラテン語で「第7の月」を意味することを知っていたであろう(ローマ暦の第1月は現行3月から始まる)。
 こうして、冬の描写が、7月に置き換えられたとする推測は、まったく無根拠とはいえまい。
 こうして、本来なら死の影のさしていた描写が、7月と結びつけられることで、死はそのままに、その影だけを失った。影を失った死の、何と透明なことか!

薔薇に砂に水 死が、その影を失った第1行目は、第4行目と響き合うはずであった。ところが、「薔薇」のもつイメージが、その華やかさのために、作者の意図を裏切っているように思う。
 しかし、ギリシア詩の立場から言えば、作者の意図を裏切っているとは、必ずしも言えない。

Rosa_canina.jpg ギリシアの詩において、薔薇と言えば、一般的に白い薔薇を連想すべきことは、すでに「ばら色とは何色か?」で述べた。point.gifRose.
 ここでは、打ち捨てられて薮のようになった薔薇、西洋の庭園で一般的なイヌバラ(Rosa canina)を連想するのがよいように思う。花弁は純白ではなくて、薄いピンク色であるが、本来野生種である。

 そして、薔薇─砂─水の観念連合の典拠も見つけがたいが、わたしは廃園の情景描写とみたい。そして「水」は泉水と考えたい。木陰と水、これは旅人にとっての不可欠の憩いの場である。

われヘルマス〔ヘルメース〕、ここに立てり、風吹く苑の
三叉路、灰色の渚のかたえ、
疲れはてし人々に、道行きの休み場を与えんと。
澄んだ冷たき泉もこんこんと湧かせて。

  +Erma:V ta/:d= e{staka par= o{rcaton hjnemoventa
  ejn triovdoiV, polia:V ejgguvqen aji&ovnoV,
  ajndravsi kekmhw:sin e[cwn a[mpausin oJdoi:o`
  yucro;n d= ajcrae;V kravna uJpoi&avcei.
   (Anthologia Graeca, IX-314)

 薔薇はもちろん美しいものであるが、そのはかなさ、移ろいやすさも、もちろん、ギリシアの詩人は忘れなかった。

花さうび、
花のさかりは
ひとときか

すぎされば、
尋ぬとも
花はなく、
あるは茨のみ。
   (呉茂一訳)

  Tov rJovdon ajkmavzei baio;n crovnon` h]n de; parevlqh/,
  zhtw:n euJrhvseiV ouj rJovdon, ajlla; bavton.
   (Anthologia Graeca, XI-53)

薔薇に霞む心 作者がこの着想をどこから得たか、研究者もつきとめられていないようだ。多少強引に思うが、次のように考えてみたい。

 ギリシア語で「霞む」を意味する語は、ajmbluwvsswである。第一義的には、老齢その他の原因で眼が霞む意であるが、かなり哲学的な意味で使われている場合が多い。わたしたちも最も納得しやすいのは、次のような例であろう。

「イオーン君、あなたたちには君たちの元祖のプラトーンが示す「形相(イデア)」そのものさえはっきり見えるんだからね。われわれ眼の悪い者には朦朧たるものだが」
 (ルキアノス『嘘好き、または懐疑者』Section16、高津春繁訳)

  ta; toiau:tav se oJra:n, wj: !Iwn, w/\ ge kai; aiJ ijdevai aujtai; faivnontai a} oJ path;r uJmw:n Plavtwn deivknusin, ajmaurovn ti qevama wJV pro;V hJma:V tou:V ajmbluwvttontaV.

 プラトンの言う形相(ijdeva)を前にして、その光輝の前に目がくらむ意味であろう。
 ところが、元祖プラトーンはこの語を逆の意味で使っている。すなわち、いったん形相(ijdeva)を見た者が、再びあの洞窟に還って、洞窟の壁に映る影絵(つまり現象界)を見たとき、突然日光の中からやって来た人と同様、眼が暗闇で満たされて、 —

 さて、もしかれが、あの影を再び判別しながら、あの常に縛られているひとたちと、視力朦朧たるあいだに(ejn w/\ ajmbluwvttei)、眼が整わないさきに、論争しなければならないとすれば、そしてこの〔習熟の〕時間はあまり短くはないとすれば、嘲笑を惹起しないでしょうか、そして、かれについて、上へ昇って眼を破壊されて帰って来た、昇って行くことは試みるにも価しない、と言われないでしょうか。そして、解放して導き上げようと企てるかれを、もしなんとかして手に捕らえて殺すことができるならば、かれらは殺すだろうと思いませんか。
 (Pl. R. 516e-517a、金松賢諒訳)

 作者の西脇順三郎がここまで考えていたかどうかはわからないが、しかし、「心」とあるのは「心の目」の意味であり、プラトンの言う「形相」が問題になっているのだと解すれば、最終行の2行、そしてこの詩の題名である「眼」への収斂は、きわめて自然ではないか。石に刻まれた眼は、「形相」を観る眼にほかならない。
 しかし、その眼が石に刻まれた眼にすぎないところに、この詩の諧謔がある。石に刻まれた眼は、美のイデアをみようと、現象界の美をみようと、「霞む」ことはないのである。

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