もとキュベレーに仕える聖職者であったモンタノスによって始められたキリスト教の宗派。女性が預言や説教を行うことを許可したため、モンタノス主義は異端とされ、抑圧された[1]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
2世紀中頃(157頃)小アジアのプリュギアでモンタノス(Montanos、-170頃)により始められた運動。聖霊が教会に急速にそそがれることを待望し、すでにその最初の顕現を見たと主張する。モンタノス自身も2人の女予言者プリスカ(Prisca)およびマクシミラ(Maximilla)とともに熱狂的言辞をもって、天のエルサレムがプリュギアのペブザ付近に下り、世界の終末が起ると予言した。
この運動はアフリカに移るに及んで急速に禁欲主義的候向を帯びるに至り、再婚や迫害時の逃亡を厳禁し、厳しい断食を勧めたりした。アフリカのカルタゴではテルトゥリアヌスがこの運動に加り(207頃)多くの同調者を得、プリュギアを越えてローマ、ガリアー帯に広まっていった。
しかし創説者と女予言者たちが死に、世界の終末も到来しないため、ようやくその勢いも衰え、一方またアポリナリオス、ミルティアデス(Miltiades)、ロドー(Rhodo)等の正統主義者たちが激しく攻撃し、公式にもアジア会議(200以前)と教皇ゼフィリヌスによって非難された。
この運動におけるある要素(熱狂主義や予言など)は原始キリスト教にも見られるものであり、近代においては、この運動を教会の組織化、世俗化をとどめ原初の状態に戻そうとする熱意のあらわれとして理解することも多い(ハルナック等)。しかしこの運動は、キリスト教史に絶えず現れる黙示主義的グループの、ごく初期の一例として理解するのが最も妥当であろう。(『キリスト教大事典』)
モンタノスとその一派
プリュギアはキュベレー崇拝の中心地。モンタノスも、もとはキュベレーに仕える聖職者であったとバーバラ・ウォーカーは主張するのだが、確かな証拠はない。