カルデア人の神託
[解説]
モンタノス主義(Montanism)は、2世紀中頃(157頃)小アジアのプリュギアでモンタノス(Montanos, -170頃)によって始められた運動。聖霊が教会に急速にそそがれることを待望し、すでにその最初の顕現を見たと主張する。モンタノス自身も2人の女預言者プリスカ(Prisca)〔本文ではPriscilla〕およびマクシミッラ(Maximilla)とともに熱狂的言辞をもって、天のエルサレムがプリュギアのペプザ付近に下り、世界の終末が起こると預言した。
この運動はアフリカに移るに及んで急速に禁欲主義的傾向を帯びるに至り、再婚や迫害時の逃亡を厳禁し、厳しい断食を勧めたりした。アフリカのカルタゴではテルトゥリアヌスがこの運動に加わり(207頃)多くの同調者を得、プリュギアを越えてローマ、ガリア一帯に広まっていった。
しかし創説者と女預言者たちが死に、世界の終末も到来しないため、ようやくその勢いも衰え、一方またアポリナリオス、ミルティアデス(Miltiades)、ロードー(Rhodo)等の正統主義者たちが激しく攻撃し、公式にもアジア会議(200以前)と教皇ゼフィリヌスによって非難された。
この運動におけるある要素(熱狂主義や預言など)は原始キリスト教にも見られるものであり、近代においては、この運動を教会の組織化、世俗化をとどめ原初の状態にもどそうとする熱意のあらわれとして理解することも多い(ハルナック等)。しかしこの運動は、キリスト教史に絶えず現れる黙示主義的グループの、ごく初期の一例として理解するのが最も妥当であろう。
(『キリスト教大事典』)
Montanism.
[底本]
TLG 1771
MONTANUS et MONTANISTAE Theol.
(A.D. 2: Phrygius (Montanus))
1 1
1771 001
Oracula, ed. P. de Labriolle, La crise montaniste. Paris: Leroux, 1913: 37-38, 43, 45-46, 60-61, 68-69, 71, 73, 86-87, 95-97. (Q: 755: Orac.)
*〔〕は訳者の補足。
『託宣(Oracula)』
1.〔Ephiphanius, Panarion, II_page233〕
さらにまた、同じモンタノスが付け加えて、次のように言っている。<われは主なる神、人間界に降る全能者>。
2.〔Ephiphanius, Panarion, II_page234, 235〕
それから再び、哀れな小人モンタノスが主張する。すなわち、<天使(angelos)にもあらず、年長者(presbys)にもあらず、われは主なる父-神として到来せり>。
3a.〔出典不明〕
すなわちモンタノスは、と彼は主張する、こう述べた、と。<われは父(Pater)なり、また息子(Hyios)にして援助者(Parakletos)なり>。
3b.〔出典不明〕
第一に、彼が言ったということ。<われは父(Pater)なり、われは息子(Hyios)なり、われはまた援助者(Parakletos)>。
4.〔Ephiphanius, Panarion, II_page232〕
このモンタノス みずからを預言者(prophetes)なりと宣明する者、そしてまた、自分によって惑わされた人たちを惑わした者は、神的な書物を基にむちゃくちゃの説明をする。すなわち、彼は自分のいわゆる『預言(propheteia)』なるものの中で言う。<人間を超えて救うかたをあなたは何と言うか? というのは、義しいかたは>と彼は主張する、<太陽の百倍以上に輝くであろうが、救われることになっているあなたがたの内なる小さき人たちは、月の百倍以上に輝くであろうから>。
5.〔Ephiphanius, Panarion, II_page224〕
モンタノスはすぐに主張するのである、<見よ、人間は竪琴のごとく、わたしも撥のごとく躍動する。人間は寝(やす)むが、わたしも目を覚ましている。見よ、主は、人間どもの心〔臓〕には無縁にして、人間どもに心臓を与えるかた>。
10.〔出典不明〕
モンタノスの讃歌より
<クリストスは、自然本性も
活動力(energeia)もひとつ持っておられる
受肉の前にも、受肉の後にも
それは、似つかわしくないこと(anomoia)や異なったこと(diaphora)をして、
違った者(diaphoros)に
ならないため。>
11.〔Ephiphanius, Panarion, II_page222〕
すなわち、彼らの間でマクシミッラと言われる女預言者の主張によれば、彼女は主張する、<わたしの後に預言者はもはや存在せず、終末(synteleia)がくる>。
12.〔Eusebius, Historia ecclesiastica, V. chap. 17〕
『アステリオス・オルバノスを駁す』という同じ書の中にあるが、マクシミッラを通しての霊(pneuma)に、断じてこう言わせてはならぬ、「<わたしはオオカミのように羊の群の中から〔にせ預言者として(マタイ7_15)〕追い立てられる。わたしはオオカミにあらず。わたしは言葉(rhema)であり、霊(pneuma)であり、力(dynamis)である>」。
13.〔Ephiphanius, Panarion, II_page235〕
プリュギアにおいてそういうふうに呼ばれているそういう人たちの間で、マクシミッラ本人なら、はたしてただちに何と言うか、おお、クリストスの子どもたちよ、お聞きなさい。<あなたがたが聞くのはわたしからではなく、あなたがたはクリストスから聞くのです>。
14.〔Ephiphanius, Panarion, II_page237〕
すると、マクシミッラ本人 信奉(parakolouthia)と教え(didaskalia)の知恵(gnosis)が、再びこう主張するであろう、わたしの述べていることが馬鹿げた話になるように、 <主がわたしを遣わされたのは、この労苦(ponos)と約束(epangelia)と決まり(syntheke)の選択者(hairetistes)として、告知者(menytes)として、解釈者(hermeneutes)として、神の知恵(gnosis)を学び知るよう強制された者、悦ぶとともに拒む者としてである>。
17.〔Ephiphanius, Panarion, II_page242〕
これら、プリュギア人たちの一派にしろ、プリスキッリア派にしろ、彼らが主張するのは、ペプウザ村に、キュインティッラかプリスキッラか、わたしははっきり言うことができないが、とにかく彼女らの一人が、先に述べたとおり、ペプウザ村に眠っているが、クリストスが彼女のところへ到来したというのである、彼女がだまされて言っているところによればだが。<女の姿で、と彼女は主張している、白い長袍で身繕いして、クリストスはわたしのところにおいでになり、わたしの中に知恵を授け、この場所が聖なる地であること、そしてこのようにエルサレムが天より降下することをわたしに明かされたのである>。
それゆえ、彼らの主張では、この地にいたるまでも、女たちのみならず、男たちまでもが、かの地で秘儀を受ける、 彼女たちないし彼らは、逗留して、クリストスにまみえるためである。
18.
再び、今度は、古の預言者たちを中傷しようとして主張するのである、 彼ら〔古の預言者たち〕は、〔彼?彼女?の〕主張では、今でもフェニキア地方やパレスティナ地方の人たちに馴染みの仕方で預言すると。〔けれども、それが〕ユダヤ人たちやキリスト教徒たちの言葉と異なっているのか、それとも、預言者たちの特徴という点で、ユダヤふうに預言しているのかは、明らかにしないのである。
さらにまた、フェニキアやパレスティナの占い師たちの仕方を、ケルソス(Kelsos)は、聞き知った者、よくよく理解した者として、明らかにしようと公言しているから、それではいざ、われわれはそれにも留意しよう。まず初めに、預言の才には種々あると彼は言うのであるが、それを提示しない。それは、もちろん〔提示すべきものを〕持っていないからで、贅言を弄して虚言するのである。それでも彼は、この地方の人たちは最も完全であると主張する、 見てみよう。多くの人たちが、と彼は主張する、それも無名の人たちがきわめて易々と、偶然の原因で、神殿内においても神殿の外においても、ある人たちは耕作しながら、もろもろの都市や兵営地に通いながら、いかにも予知者のように興奮すると。しかし、こう言うのは誰にとってもたやすいことであるし、またおなじみのことでもある。「<われは神、あるいは神の子、あるいは神的な霊(Pneuma theion)である。われは来たれり。すでに世(kosmos)は滅び、あなたがたも、おお、人間どもよ、その不正(adikiai)ゆえに失せるがよい。されどわれは救おう。そして、天の力(ouraniou dynamis)の後、われが再び出現するのをあなたがたは眼にしよう。浄福なるかな、今わたしを礼拝するものは、他の人たちすべてには、もろもろの都市であれ、土地であれ、永遠の火を投げつけよう。そして、おのが贖罪を知らぬ人間どもは、むなしく後悔にくれ、嘆息するのみ。されど、わたしを信じる永遠の人たちは、わたしが守ろう>」。さらに、これに続けて彼は主張する。同じことをくどくど言って、不可知なこと、気違いじみたこと、まったくもって不明なことを次々と付け加えるのだが、それに対する決着の方は、こころ(nous)あるひとは一人もいないから、見つけ出すことができない。なぜなら、無知な者や詐欺師に対してなら誰にでも、好きなように言いつくろえるかも知れないが、言われたことを何ひとつわがものとしなかったのか、不分明なままだからである。
だから、彼は、批判に対して応酬しようとすれば、もろもろの預言をただ言説によって表明すべきであったのである。発言者が万能の神であると公言する場合であれ、神の息子〔と公言する場合〕であれ、発言者が聖なる霊(Pneuma)であると信じる場合であれ。そうしてこそ、はじめて、論争になり、述べられたことをひっくり返したり、もろもろのあやまちからの改心や、かつてあったことの証拠や、将来のことの予知をもたらす言説は、神がかったものではないことを示し得たはずであるのに……
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