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Doomsday(最後の審判の日、世界の終末の日)

Last Judgiment  この世に終末があるという考えは世界のいたるところにあったが、その起源は古代ヒンズー教にある。ヒンズー教はこの世界は周期的に生成、消滅をくり返すと考えた。そしてそうした転変をもたらすのはカーリーであるとした。

 万物がつぎつぎと創造されていくが、そのすべては4つの時期、つまりユガyugasに区分された。すなわち、サティヤ・ユガ、トレーター・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、カリ・ユガの4期であって、このうちの第4期で、最後の時期であるカリ・ユガにおいては、母神が破壊者になる。それは、人類が凶暴になって罪を犯し、神は女性原理にあるのだということがわからなくなるからである。「カリ・ユガにおいては、人々の知性は狭く乏しくなり、欲望は抑えがたくなる。そのため、女性がシャクティ(神聖な力・エネルギー)の表れであるということがわからなくなる」。精神的堕落をまぬがれる人はほんの少数で、彼らは「自分の母親たちの足元にあるハスと自分の妻たち」に捧げられる者なのである[1]

 カリ・ユガ、すなわち世界の終末の日がやってくると、神々は互いに殺しあう。そして、地球は火と洪水に包まれる。太女神は万物を呑みこんで、それらをばらばらにし、創造以前の、形状さだかならぬ原初のカオスChaosの状態に女神はもどっていく。万物は太女神の体内に入っていく。それは「太女神は万物を貧り食う」[2]からである。「時」さえも破壊しつくされるために、いつ頃であるかは計測できないが、とにかくある時間たったのちに、カーリーが新しい世界を生むものと思われた。

 マツヤ・プラーナ〔古代サンスクリットの韻文の聖典。宇宙論、聖典に記された歴史、神の本性について論じたもの〕によると、世界の終末の日が近づくと、その徴候として、社会構造が崩壊し、暴力と犯罪がふえ、人間の知性が衰えてくる、という。

「啓蒙的な善性(サットヴァ)を体現する者はもう1人もいなくなる。真の賢者も、聖者も、また、真実を語り、聖なる言葉を守る人も1人もいなくなる。一見聖なる、知性あふれる人、と思われる者もただの愚者にすぎない。年老いた者は、その年なりに真の知恵があるべきなのに、それも欠いて、若者のように振る舞い、着者は若者でそれらしい率直さに欠けている。社会階級はその階級独得の高貴な美徳を失ってしまっている……至高の段嗜に達しようとする意志もすっかりくじけ、共感と愛のきずなも断ち切られ、狭い自己愛が支配的になる……かつては秩序整然としていた『人間都市』にこうした不幸がふりかかると、この世界を構成する要素が崩壊して、救いがたいものとなり、世界はまさに分解寸前の状況となる」[3]

 ヴィシュヌ・プラーナによると、世界終末の日の状況は次のようになる。「財産によって階級が与えられ、礼節を知るためには、ただ衣食のみが足りればよく、夫婦間のきずなは情愛だけになり、人生において成功するためには嘘しかないということになり、セックスのみが享楽の手段となり、うわべを飾り立てることが内的信仰であると混同されるようになる」[4]

 暦を作るために天体を観測する技術がアジアではすぐれていたが、その動機は、各ユガの年月の正確な長さを知って、世界終末がいつくるかを予知したいという、切なる願望にあったのである。各ユガは、太陽とと惑星が黄道の出発点において結合の状態、すなわち同じ黄経上にあるときに始まって、それらが同じ地点にまた帰ってくると終わる、と考えられた。ヒンズー教の考えでは、現在のユガは紀元前3104年に始まった。中央アメリカのマヤ族の年表では紀元前3113年から始まっていた。その違いはたったの11年である。「その違いは、おそらく、観測された天体の動きから逆算したときにちょっと誤算したためであろう」[5]

 古代メソポタミアでは、文明技術の始まり、とくに天体観測の始まりは、インドやメキシコと同じく、紀元前3113年から3102年の間であるとした。バビロニアの賢人ベロッソスは次のように述べた。「現在さまざまなコースを動いている惑星がすべて巨蟹宮に集まって、そのためその宮に一直線に並んだとき、世界は燃えあがる……将来、大洪水があるとすれば、それは同じく惑星が磨羯宮に集まって一直線に並んだときである。前者は夏至の星位であるから燃えあがり、後者は冬至の星位であるから洪水になる。夏至も冬至も黄道十二宮の決定的な宮である。それは、1年のうちで明るく燃え立つ時期はその2つの至にあるからである」。エレミアスは次のように述べている。

「このようなバビロニアの考え方が世界中にひろまった。エジプトにも見られるし、アヴェスタ〔ゾロアスター教の聖典集〕にも見られるし、インドにも見られる。そして、メキシコや、南アメリカの原住民のみならず、中国にもその痕跡が見られる。こうした現象は、その考え方が基本的なものであって、そのために、国は違っていてもそれぞれ独自にそうした考え方を持っていたから起こるのだ、とすることはよくないかもしれない。というのも我々人間は明確な事実にもとづいて得られる考えで事を処理する環境にあるからである。そしてその明確な事実とは天体観測がひき続いて行なわれたために得られたものである」[6]

 こうした発言が、天体観測器として知られている新石器時代の重要遺物に明るい光を投げかけ、なぜ彼らが多大の注意と努力を払ってそういう物を建てたのか、その理由を明確にした。ストア派の哲学者たちは、世界の終末の日について、古代から伝承されてきた考え方に近いものを持っていた。世界の終末について、彼らはオリエントの賢人たちの発言とほとんど同じ発言をして、予言した。「新たに生まれた海があらゆるものを壊滅させる。そして大洋は、今は、世界の周辺を取りまいて、その境界であるにすぎないが、その大洋が世界の中心になるであろう……自然界は個々のものに分裂してしまっているが、それが1つのかたまりになってしまうであろう」。このように万物が崩壊してカオスになってしまうという考え方が、「ストア哲学の重要点」になったのである[7]

 北欧諸国も世界の終末の日、すなわち、神々の没落、の神話を持ったが、それは古代からの同じ伝承にもとづいて描いたものであった。彼らが言うには、ムートスペル(母親の呪い)が世界の終末をもたらし、そのとき、猛々しい神々が昔からの平和と血縁の掟を踏みにじってしまう、という。怒った女神は破壊者スカジになり、世界を貧り食う大きなとなって、オリエントのカーリーのような女神になる。神々は「神々の黄昏」のの中に入っていく。神々は滅亡し、天と地もともに滅びる。世界は、最初に世界を生んだ原初のカオス子宮へと、再び沈んでいく[8]

 以上が『ヴォルスパ』を書いた神託を告げる巫女の予言であった。アイルランドの同じく神託を告げるバブドもそっくりそのままに予言した。バブドは運命の三女神の1人であった。彼女は「荒地」がいずれはやってくる、と予言した。「木は実を結ばず、海にはがいなくなる。人間は年老いても判断を誤まり、立法者は不正な法を作る。戦う者は互いに裏切りあい、人々は盗みをし、この世にはもう美徳は何ひとつ残っていなくなるであろう」[9]

 このように世界は破壊しつくされて、美徳はいっさい姿を消し、神々は残酷になると、そのあとにくるのは、物ひとつない暗黒の世界の時代であろう。そして、そうしたのちに、太女神の子宮は新たな宇宙を生み出すであろう。新たな人類は原初の男女ひと組から生まれてくる。「生命」という名前(イヴのセム族の名前の1つ)の女性と、「生命を欲求する者」という名前の男性が原初のひと組の男女である[10]

 父権制社会のペルシア人がこうした図に少し変更を加えた。彼らが考えた世界の終末の日というのは、例によって大地、火、洪水、天界の没落、の激動があって、とてつもなく恐ろしいものであった。しかしペルシア人は、その後新しい世界が創造される、ということは否定した。彼らの考えは輪廻的ではなく、直線的なものであった。創造も世界の終末の日も、それらが起こるのは1度きりであった。世界が終末を迎えて、ハルマゲドンの激戦(「光の息子たちと暗闇の息子たちとの戦い」)があったのちに、太陽神の率いる天界軍が勝利を収める[11]。彼らは罪ある人間と有徳の人とを区別し、それぞれ地獄と天界に振り向ける。戦い終わって再び創造があるのではなく、ブラーフマンの涅槃のような永遠の静止状態が訪れるのであった。

 ユダヤのエッセネ派やローマのミトラ教を経て、こうしたペルシアの世界の終末の日がキリスト教に入ると、それは西欧であまねく知れわたるものとなった。そして、その数々の細部は、より昔のアーリア人の異教から借用したものであった。最後の審判の日にはラッパの響きが鳴り渡るが、それはガブリエルの角笛を吹いて鳴らされるものである。しかし、本来は、リグ-ヘイムダルの「鳴り響く角笛」を吹いて鳴らされるものであった[12]。最後の戦いで大いなるヘビがトールに殺されるが、キリスト教ではそのヘビはサタンと同一視されるようになった[13]。異教の奉納劇と同様に、地球壊滅の最後の劇も5幕に分けられた[14]。キリスト教徒たちは北欧の「母親の呪い」「最後の審判の日」とした。それはその呪いがムートスペル、ムスペル、ムスペレ、ムドスペラー、ムスピリ、といろいろに言われていることを知ったからであった[15]

 世界が終末を迎える前に、救世主がその姿を現すことになっていたが、仏教の聖典では、古くから、カーリー・アヴァターラ(罪を破壊する者)がその救世主であった。彼は天界からやってきて、世界の終末の日であることを告げる[16]。ペルシア人はそれを模倣したのであるが、アヴァターラという添え名を人の子、あるいは、メシアと変えた。紀元前170年以前、エノク書は彼をクリストス(「油を塗られた者」)と呼び、彼はもうやってきて、そして行ってしまった、だから今にも彼が再臨するかもしれない、とした[17]

 福音書によると、イエスは自分をこの人物と同一視した。「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使いたちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」(『マルコによる福音書』13:26-27)。当時の救世主はイエスだけではなかった。西暦70年以前に、ヨセフス(ユダヤの歴史家、将軍)は、世界の終末を告げる救世主やキリストは無数にいる、と言った[18]

 福音書を見れぱ、最後の審判の日がいまにもやってくるように思われた。イエスは自分が生きている間にくると言った。「神の国を見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」(『ルカによる福音書』9:27)。初期キリスト教徒たちは、このため、世界の終末がすぐにでもやってくると思ったので、結婚して子供を生むことなど考えもしなかった。子供を生んでも成長しないうちに死なねばならなかったからである。このためにキリスト教は結婚を拒否することになったのである。母親になっても、世界終末の激動期にあっては、ただ苦しむだけである。「その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女は、不幸である」(『ルカによる福音書』21:13)。

 イエスの時代やその後いく多の時代を経ても、終末論的徴候が現れることはない、という希望的観測を持ったキリスト教徒もいた。神のから見れば千年も1日にすぎない、とするテキストを見つけて、神学者たちは自分たちの主張の弁明とした(『詩篇』90:4)。また他にも、ブラフマーの1日は千年のことである、とするオリエントの賢者たちの発言を借りた者もいた。そしてこうした聖典にもとづいて、世界の終末は紀元1000年の年である、と決定された。そのため、その年が近づいてくると、ヨーロッパは終末熱にとりつかれてしまった。農園や都市は放棄され、狂信者たちは口々に終末の日がやってくることを唱えながら、いなかを歩き回った。ある地域では、農業も商業も全く停止してしまった。しかし、その年は何事もなく過ぎてしまった。それでも、最後の審判の日が信じられたために、飢饉や社会不安が起こり、人間社会はおおいに混乱した[19]

 フランシスコ修道会会員の中には、その紀元1OOO年の年に、キリストが実際にこの地上に戻ってきていた、と言う者もいた。そのとき、キリストは聖フランチェスコの姿に身をやつし、新しき救世主として、「完全にキリストなる人物に変身」していた、という。聖フランチェスコはキリストが行った奇跡をすべて、すなわち、悪魔を追い払い、水をブドウ酒に変え、病人を癒やし、死者を甦らせ、の見えない人を見えるようにし、といった奇跡を行なったという話であった[20]キリストは聖フランチェスコの先駆者としてのみ重要であった、とまで極言する人々もいた[21]

 最後の審判の日の直前にこの世に復活するのは、キリストなる人物だけではなく、その敵である反キリストAntichristも、正と邪の最後の決戦のために復活し、そこで両軍が相対峙することになる、と考えられた。ゲルマンの伝説によると、神聖ローマ(ゲルマン)帝国がある限りは、反キリストがこの世に現れることはないとされた[22]。この伝説のために、いつも戦争をしている諸小国を、ときに、抑えることができた。しかし、ローマ帝国は、それが存在していた間はほとんど、どちらかというときちんとした明確な国家体制ではなかった。反キリストは、そのためにも、キリスト同様、つねに待望されていたのであった。

 最後の審判がすでになされた、と教えた人がいた。スウェーデンボリであった。それは1757年のことであった、と彼は言った。その年は彼が「ニュー・エルサレム教会」を創設した年であった。彼は、賢明にも、世界の終末のことを直前に予言することはしなかった。予言をして失敗した人々がいた。イングランドのカミングという人は、1867年に世界は終末を迎えると予言したが、やってこなかったためにおおいに信用をなくしてしまった。

 最後の審判の日の予言者として著名であったのはウィリアム・ミラーであった。氏は「エホヴァの証言」という宗派と、「セブンスデーアドベンティスト」派を創設した。1843年3月21日が千年至福の日である、と彼は断言した。信者たちは熱狂した。しかし、雲間から降りてくるはずのキリストの姿はついに見られなかった。ミラーは計算を間違ったとして、同年の10月21日こそその日であるとした。「指定された運命の日になると、熱狂した信者たちは礼服を身にまとい、最後のお弁当を持って屋根に登り、東方を眺めた。22日に彼らはその弁当を食べて、降りてきた。ミラーは失望をかくさなかったが、それでも、『神の日は近い』と言った」[23]。ミラー説信奉者は望みを捨てることは決してなかった。彼らの後継者たちは、今なお、存在し、子供のように何でもすぐに信じてしまうことはもうないけれども、さかんに活動している。


[画像出典]
Jan van EYCK
Last Judgment
1420-25
Oil on wood transferred to canvas, 56,5 x 19,5 cm
Metropolitan Museum of Art, New York



[1]Mahanirvauatantra, 12, 53, 56, 177.
[2]Mahanirvauatantra, 295-96.
[3]Ross, 66;.Zimmer, 35-36.
[4]Zimmer, 15.
[5]Campbell, M.I., 148-49.
[6]Campbell, M.I., 149.
[7]Lindsay, 107-8.
[8]Larousse, 275.
[9]Squire, 118.
[10]Branston, 289-90.
[11]Black, 3.
[12]Turville-Petre, 154.
[13]Branston, 281.
[14]Male, 367.
[15]Turville-Petre, 284.
[16]Mahanirvanatantra, xlviii.
[17] Reinach, 217.
[18]Brandon, 248.
[19] Summers, V, 150.
[20]de Voragine, 608-10.
[21]Reinach, 307.
[22]Borchardt, 69.
[23]de Ly, 435.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)