イーデー山の神々の太母神である。紀元前204年にプリュギアからローマにもたらされた神である。キュベレーの勝利の行列は「後世になって、伝説によって華々しく飾られ、キュベレーが航海しているときに、さまざまな奇跡が起こった、と詩人たちが歌った」[1]。
キュベレーの聖なる像は偶像ではなかったが、キュメーの女予言者の命令でローマに運ばれた。この女予言者は洞穴に住むキュベレー自身が化身した者であった。キュベレーは、小アジア全域の太母神として、とくに、イーデー山、シピュロス山、シジクス、サルディス、ガラテヤのペシノスで崇拝された[2]。
キュベレーの祭典はludi (祭儀)と呼ばれた[3]。キュベレー崇拝の呼び物は「雄ウシの供犠」で、生贄にされた雄ウシの血を浴びた。このウシはキュベレーの生贄として死んでいく夫アッティスを表した。キュベレーの神殿は、キリスト教が占拠する4世紀までは、バチカンに立っていたが、今ではそこには聖ぺテロのバシリカ聖堂が立っている[4]。
秘儀が全盛であった頃、キュベレーはヘカテーやエレウシースのデーメーテールとともに、ローマ主神の1人であった[5]。
キュベレーの別称†を見ると、キュベレーが太女神の重要なすべての面を表していたことがわかる。キュベレーはベレキュントス山の母神であった。キュベレーは聖なる洞穴(女神の「結婚の私室」)の女神であるレア・ロプーンリネイであった[7]。キユベレーは、また、アウグスタ(大いなる者)、アルマ(養育する者)、サンクティスシマ(最も聖なる者)、と呼ばれた。アウグストゥス、クラウディウス、アントニヌス・ピヴスといったローマ皇帝たちはキュベレーを帝国の至高神であるとした。アウグストゥスはキュベレーの神殿の正面にその居を構え、妻であるリヴィア・アウグスタ妃をキュベレーのこの世の化身であるとした[8]。皇帝ユリアヌスはキュベレーに熱烈な声明を書き送った。
キュベレーの別称
キュベレーの別称はKubaba、 Kuba、 Kube で、メッカにあるカーパKa'abaの石(巡礼者の涙で黒変したと言われる神聖な黒い石)と関連があるとされている。この石は隕石のような立方体の石cubeで、太女神のシンボルがついていて、昔は老婆と言われていた[6]。
「神々の母親とは誰であろうか。キュベレーこそ知性ある創造性豊かな神々の生みの親である。そしてそのようにして生まれた神々が、こんどは、目に見える神々を導き案内するのである。キュベレーは全能なるゼウスの母親であり、夫である。キュベレーは偉大なる創造神に次いで、そして一緒に、この世に現れたのである。彼女は命あるすべてのものを治め、彼女からすべてのものが生まれ出たのである。彼女は今あるすべてのものを、いともやすやすと、完璧なものにする。彼女は母親なくして生まれた乙女であり、ゼウスの側にあってあがめられ、まことに、すべての神々の母親である」[9]。
キリスト教会の神父たちはこうした考えに、猛然と反対した。聖アウグスティヌスはキュベレーをみだらな母親、「神々の母親ではなく、デーモンたちの母親」[10]、と呼んだ。
キュベレーの添え名の1つがアンタイアて、このことから、キュベレーは大地-巨人のアンタイオスを生んだ母親ということに神話ではなっている。アンタイオスは母親の身体、すなわち大地に足をつけている限りは、無敵であった。ヘーラクレースはアンタイオスを空中に持ち上げて征伐した。キリスト教会側の人々は、魔女たちがさまざまな偉力を発揮するのは、同じように母なる大地に足をつけているからである、と信じた。魔女をつかまえた役人たちは、しばしば、魔女の足が地につかないようにと、大きな籠の中に魔女を閉じこめた[11]。
キリスト教の宗派の1つに、 2世紀にそンタノスMontanus(山の男)という人が創建した宗派があった。彼はキュベレーを祀る聖職者で、アッティスとキリストとを同一視した。モンタノスは、女性は女神に代わってさまざまなことを行う者で、男性と同様、説教も予言もすることができる、と主張した。このことは、女性は公衆の前で聖なる問題を口にしてはならぬ、とした聖パウロの教説を遵守する正統派の聖パウロ派とは、真っ向からぶつかるものであった[12]。 4世紀、モンタノス派のキリスト教徒は異端とされ、あくまでもモンタノス派にとどまった人々は殺された。小アジアのモンタノス派の人々の中には、その教会に幽閉されて、生きたまま焼き殺された人々もいた[13]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
プリュギア Phrygia のぺッシヌース Pessinus を中心地とした、アナトリア Anatolia 全体にわたって崇拝されていた大地女神。本来は豊穣多産の女神であるが、最高の神として、予言、疾病治癒、戦における保護、山森の野獣の保護など、あらゆる面で力を有するものと考えられていた。リューディア語形ではキュべーべー Kybebe。彼女はギリシア・ローマの世界においては、神々の母として、レアーと同一視され、その神官たるコリュバースたちもレアーの従者たるクーレースたちとしばしば混同されている。彼女に関する一貫した神話はアッティスの話で、彼女の神官コリュバースたち(あるいはガッルス Gallus たち)は、男根を除いた去勢者で、あらゆる叫声を発し、卑猥なさまで、武器などを打ち鳴らしつつ、狂い踊った。女神の崇拝は前5世紀後半ごろにアッテイカにもたらされ、ローマには前204年に、ペッシヌースにある、彼女の崇拝の中心たる聖石とともに、ポエニ戦争の最中に将来された。石を積んだ船がティベル河で坐礁した時に、ローマの貴婦人クラウディア Claudia Quinta は、自分の帯を解いて、船をこれで引いた。女神の神殿はパラティーヌス丘に建てられたが、古くはローマ人はその神官になることは許されなかった。その祭メガレ(ン)シア Megale(n)sia は4月4日に行われた。しかし帝政期にキュベレーの祭はさらに一般化した。
彼女はギリシア・ローマ神話界では、ウーラノスとガイアの娘で、レアーのほかに、ローマではケレース、ウェスタ、ベレキュンティアー、ディンデュメネ一等、多くの女神と同一視され、ディオド一口スによれば、リューディア王とディンデュメネーの娘で、キュベレー山に棄てられたので、この名を得たという。彼女は塔を頂き、ときに多くの乳房をもち、二頭のライオンを従え、またライオンの牽く戦車に乗った姿で表される。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)