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3.1. (T) 第3巻3.C.(T) 以下 の内容が第3巻に含まれる。 (1)序。
(T) 序。(1) 前書において、一般的な出来事に関する観照が我々によって手順を進められた所以は、これが先行し、人間どものそれぞれ一人に関する効験の大部分も、自然の固有性にしたがった効験の多くを支配することが可能だからであり、その予知的部分が出生占いと我々の呼ぶものであるが、〔一般的出来事の予知も出生占いの予知も〕どちらの形相にも、能作性についても観照性についても、1つの同じ可能性が属すると考えるのがふさわしい、その所以こそは、一般的〔出来事〕も各1つの出来事も、その原因は片や惑星である太陽と月の動き、片や予知の方は、それらの前提となる諸自然の転換の科学的観察 取り巻くものを通して、天象の等形の通過の際の〔科学的観察〕である、ただし、一般的環境はより大きく自己完結的であるが、個別的〔環境〕の方は (2) 等しくないということだけは別である。しかしながら、天体の構成を前提して、その時の諸々の組み合わせ形体によって表象されるものらを予知しようと我々が試みる〔基点〕が、どちらも同じであるともはや考えてはならず、一般的〔出来事〕の方は、全体の1つの〔初め〕を我々は持たないのであるから、前提される当のものらからいつも把握するのではなく、取り巻くものらや諸原因を割り当てるものらからも多く〔の初めを持つ〕からである:なぜなら、ほとんどすべて〔の初め〕をば、より完全な蝕と有意に通過する星々から我々は精査するからである:だが人間ども各々一人の〔出来事〕には、1つの初めも多くの初めもあり、1つはその人の構成の初めである(これも我々の有するものであるから)が、多くの〔初め〕とは、取り巻くものらのうち、第1の初めの続きで、意義を結果させる〔初め〕であるが、しかしながら先導するのは当然ながら、これこそがその他の〔諸々の初め〕をも成就するのであるからには、(3) そこにおける1つである。事情、かくのごとくであるので、第1の初めからは、体質の一般的な固有性が観照されるが、自余のものらによっては、連続する時間の所謂区分にしたがって、多かれ少なかれ時期ごとに結果する事柄から〔観照される〕のである。 3.2. (T) 授精と誕生の瞬間。(1) 人間の子づくりの時間的な始まりは、自然的には授精そのもの〔の始まり〕であるが、可能性の点では出産の際の誕生の瞬間に帰結することにおいてであり、授精の瞬間を出来事的にあるいはまた観察的に知っている人々の場合には、星々の組み合わせ形体だけの能作性を観察して、 (2) 身体の〔固有性〕と魂の固有性と整合させるのが、後者よりもふさわしい:なぜなら種子〔精子〕は、取り巻くものの配分から、どのようになるかという性質のものに初めに端的になるのであって、たとい、続く身体形成の期間にそれが異なったものになろうと、それ自体は親らの単独の質料を生長の過程で自身に付加・追加して混ぜるだけで、それでもなお、最初の (3) 性質の特質に似るのである。 しかし、〔授精の初めを〕知らない場合(これこそ一般に結果することだが)には、この誕生の瞬間の初めにこそ、これこそ最大にして、前者〔の初め〕によって分娩に先立つ事をも予知でき最初の〔初めに〕専念するのが必然的である。というのも、ひとがもし一方を初め( ajrchv)と云い、他方を開始( katarchv)と〔云う〕なら、その重大性は、時間的には第二義的だが、力能では等しいかより完全であり、前者は人間の種子の出生、後者は人間の〔出生〕と名づけられればほとんど義しいであろう:なぜなら、胎児が、かつて子宮内にいたとき彼〔胎児〕に具わっていなかったものらの大部分と、人間的自然にだけ具わる固有のものらそのものを加えてとるのだからである。 (4) また身体的な組み合わせ形体は、出産の際に取り巻くものが、〔生まれる児が〕然々であることに何ら寄与していないように思われようとも、彼のため、取り巻くもの親しさのもとに光の中に出てくる組み合わせ形体に寄与しているのであり、その所以は、〔胎児の〕完成後に、類似した型の成立のために、初めに形態形成するものに排出の衝動を自然が部分的につくるので、その結果、誕生の瞬間における星々の組み合わせ形体が、こういう事の明証である、しかしながら完全な能作者としてではなく、自然における必然性から能作的力能に最も近似していると考えるのも、道理にかなっているのである。 (5) しかし、我々の目下の目的は、〔授精と分娩の区別という〕この部分も、このような予知の可能性に関して、体系の初めに唱導された見積もりに従って、手順を踏んで実現することであるので、諸々の予告の初めの仕方は、あらゆる星々あるいは大部分の〔星々〕混合的形相による〔方法〕であって、〔これは〕多種雑多にしてほとんど無限であるので、もしひとがこれを厳密に調べようとすれば、自然的に精査される事柄の個別的な概観ないし引き継ぎにおいて、入念な観照可能性を我々は要請するのだが、 (6) だが、諸形相の各々や、そのおのおのに対する星々の、固有の全般的仕方における諸々の能作的力能が総観される所以の諸行事そのものの方は、できるかぎり整合的であると同時に簡潔明瞭に、自然的推測にしたがって披露しよう、取り巻くものの諸トポス これに対して人間的出来事の各々が観想される は、あたかも目標のごとくに前提されて、汝は推測しなければならないが、君臨的な諸トポスに同宿する諸々の身体の能作的力能の方は、より一般的な仕方にしたがって、あたかも矢を放つごとくに合致させ、前提される形相に関してより多くの自然の混合〔気質〕に由来するものは、集められた効験を放置して、あたかも狙いあやまたぬ弓のごとくに、吟味するものの思量によって (7)〔推測しなければならない〕。先ず第1には [018] 、一般的に、出生の瞬間の初めによって観想される事柄について、順序の適切な整合性の観点でロゴスを展開しよう、我々が謂ったごとく、自然を有する万事は、これ〔自然?整合性?〕によって把握可能となるのであり、共働事の方は、もしひとが性質そのものにおける固有事のみのために、また授精の時に陥る固有事にも、同じ観想によってなおお節介しようとするからである。 3.3. (T) ホーロスコポス基点の度数について。(1) 第1の、最も君臨的なこと、つまり誕生の瞬間の刻限の度数について、行き詰まりが生じることしばしばである、その所以は、一般に、当の出産の際に、ホーロスコポスを決定するアストラーベによる観測道具のみが、科学的に観察する者たちに、その刻限の分を示唆できるのであるが、より慎重な人たちの大多数が頼りにするその他のホーロスコポス用〔の道具〕はほとんどすべては、(2)(太陽を使った〔道具〕は位置やグノーモンの偶々の歪みにより、水時計は、さまざまな原因や偶然による水の停止や不規則性により)しばしば真実を欺く可能性があるので、ひとはいかなる仕方で、自然的・整合的なロゴスによって、宮の上昇するはずの度数を見出せるのか、(3) その際、先に生じる直近の最も近い刻限に上昇する星々に見出される行事によって〔見出せるのか〕、前もって説明されるのが必然であろう。まさしく、誕生の瞬間直近に予知される同軛(suzugiva)を、合〔新月〕であれ〔衝=〕満月であれ、把握しなければならない、そして、合のときは、両方の光源体の度数を それら〔光源体〕のうち、誕生の瞬間の時間に満月が地平上にある〔度数〕を、満月のときは、それら〔光源体〕のうち、誕生の瞬間の時に地平上にあるものの〔度数〕を 精確に吟味し、それに対して宿を支配するロゴスを有する〔星々〕を、三合、宿、高揚、区界、相あるいは組み合わせ形体の共有というこれら5つにおいて、すなわち、何か1つか、あるいはそれらよりより多くか、あるいはまた全てを、探求されるトポスが将来宿を支配するであろう〔星〕に対して (4) 有する場合である。そこでもし、1つの〔星〕がこれらすべての点、あるいは大多数の点に対して親密な状態にあるのを我々が発見したなら、この〔星〕が誕生の瞬間の時間に1/12を通過する度数を精確に昇る〔星々〕の行事によって見出されるより近い1/12の中に、これ?と等しい数で上昇すると我々は判定するが、2つあるいはまたそれ以上の同時に宿を支配する〔星々〕を〔我々が発見したなら〕、昇際に上昇する〔度数〕により近い数を有する???度数のうちでこれの度数を用いるだろう、だがもし、数の点で2つあるいはまたそれ以上が近い場合には、(5) 基本点により多くのロゴスあるいはまた党派を有する〔星〕と整合させよう。しかしながら、もし、大雑把なホーロスコポスの〔距離〕に対して、つまり、宿の支配の度数の距離がより大きい場合には、天の中央に対して同じ度数を用いて、基本点の残りをも我々は対置しよう。 3.4. (T) 出生占いの区分。(1) まさしく以上の事が予め述べられたとき、もしひとがこの順序のために出生占いの観想の一般的部分を区分しようとするなら、残された自然的・可能的事柄のうち、ひとつは、出生前の出来事に属する〔観想〕を、生みの親たちに関するロゴスの〔観想〕として、もうひとつは、出生前にも出生後にも属する〔観想〕を、兄弟姉妹に関するロゴスの〔観想〕として、また、もう1つは、当の出生の際の事柄のうち、もはやそういうふうに1つではなく単純でもない〔観想〕を、最後は出生後の事柄の〔観想〕であるが、これはより多岐にわたり、(2) 〔観想〕そのものが観想されるのをひとは見出すであろう。で、出生そのものの際に探究される事柄の中に属するのは、男性と女性に関するロゴス、双生児ないし多子出産に関するロゴス、異常児に関する〔ロゴス〕、育たない〔子どもたち〕に関する〔ロゴス〕であるが、出生後の〔事柄〕に属するのは、寿命に関する〔ロゴス〕(育たない子どもたちに関する〔ロゴス〕には結びつかないからにほかならない)、次いで身体の形態に関する〔ロゴス〕、病気ないし負傷に関する〔ロゴス〕、続いて、魂の性質に関する〔ロゴス〕と魂の病気に関する〔ロゴス〕、次いで富の獲得の遇運に関する〔ロゴス〕と誉れに関わる遇運に関する〔ロゴス〕、その後では、行為の (3) 性質に関する〔ロゴス〕、次いで和合による共生に関する〔ロゴス〕と子づくりに関する〔ロゴス〕と、つきあいと婚姻と交友に関する〔ロゴス〕、続いて外国旅行に関する〔ロゴス〕、おしまいに死の性質に関する〔ロゴス〕──これは力能的には寿命に関する〔ロゴス〕と同宿性を有するが、順序的には、当然、(4) 以上すべての〔ロゴス〕の後に位置する〔ロゴス〕である。すでに約束してあったように、これらの活動的な力の概略とともに、現実的で実際的な研究法を説明しながら、これらのテーマのそれぞれについて簡単に述べていこう。尤もらしいが根拠がなく、迷信的で無意味なことは無視して、根本的で自然学的な諸原因へと進もう。しかしながら我々は、〔原因の説明がなされない〕籤とか数によってではなく、親密なトポスに対する諸々の組み合わせ形体の観照そのものによって、しかしながら、それぞれの形相において同語反復に陥らないよう、(5) 一般的に且つ、全体にわたって精査することによって。 出生の種的に探究される要点にとって先ず第1に考察すべきは、宮の親密なトポス──例えば、行為に関する〔要点〕にとっての天の中央の〔トポス〕、あるいは、父親に関する〔要点〕にとっての太陽の〔トポス〕──であり、次いで、宿の支配権を有する星々のうち、前提となるトポスに対するロゴスを有するものらを、先の箇所で我々があらかじめ云った5つの仕方で、観想しなければならない、そしてもし、すべての〔星〕において主星が1つなら、かの予兆の宿の支配権をこ〔の星〕に与えなければならない、だがもし2つないし (6) 3つなら、より多い票を有する〔星々〕に〔与えなければならない〕、その後で、効験の性質を考察するためには、これら宿の支配をする星々の自然と、1/12の〔自然〕(この中にそれら自身と同宿するトポスとが含まれる)を〔考察しなければならない〕が、それらの大きさと力能を考察するためには、宇宙的なことそのものと出生の際のことにおいて活動的な状況にあるのか、それともその (7) 反対であるのか、どちらなのかを〔考察しなければならない〕:なぜなら、〔星々が〕最も有力であるのは、宇宙的には、固有のトポスにおける場合、あるいは、親らのトポスにおける場合、さらにはまた上昇点にあったり、数的に進展的な場合であるが、出生の際には、基本点上あるいは基本点に後続する位置上を進行する場合、特に〔それらの〕第1位にある場合である:わたしが言っているのは、上昇〔宮〕と南中〔宮〕のことであるのだが:だが、もっとも無力なのは、宇宙的には、余所余所しい、あるいは、親らのものでないトポスにあり、また沈む〔星〕あるいは軌道上で逆行する〔星〕であるが、出生の際には、基本点を過ぎた場合である:(8) 効験の一般的時間に対しては、太陽とホーロスコポスに対して夜明けか夕暮れかどちらか〔を考察しなければならない〕、それらのどちらかの先導する〔宮〕は、1/4〔四分円〕とそれらに対座する〔宮〕は明け方の〔宮〕になるが、残りの後続する〔宮〕は暮れ方の〔宮〕であり、基本点上にあるか、基本点に後続する〔宮〕に属するからにほかならない:なぜなら、明け方〔の宮〕であるか基本点に後続する〔宮〕であると、初めにより有力となるが、暮れ方の〔宮〕であるか基本点に後続する〔宮〕であると、より鈍重であるからである。 3..5 (T) 生みの親たちについて。(1) もちろん、徹頭徹尾堅持するにふさわしい形相に従った精査の先導的な型は、以下の仕方を有する。そこで、今や、提起された順序で最初にくる、両親に関するロゴスから始めるとしよう。さて、太陽とクロノスの星とは、自然本性的に父親的面相と相性がよい。他方、月とアプロディーテーの〔星〕とは母親的〔面相と相性がよい〕。そして、これら〔の星々〕は相互に対しても自余〔の星々〕に対しても影響し合っているように、(2) 両親に関する事柄も同様であると推測すべきである。すなわち、それらの偶運と富の獲得に関する事柄は、諸々の光源体の親衛から精査しなければならない、その所以は、善行することのできる〔星々〕や、同じ党派に属する〔星々〕によって取り囲まれ、あるいは諸々の同じ獣帯星座またはそれに続く〔星々〕によって取り囲まれると、両親に関する事柄を顕著にして明白なこととして予兆する、とりわけ、太陽を明け方の星々が親衛し、月を暮れ方の星々が〔親衛し〕、〔諸々の光源体〕自身も我々が既に〔前章で〕述べた仕方で (3) 美しい構成にあるときには。しかし、もしクロノスの〔星〕もアプロディーテーの〔星〕もそれらも東にあって固有の面相をもつ〔Cf. i. 23〕か、あるいはまた基本点にあるならば、両親の各々の親らのものにしたがって、幸福は明白と推測しなければならない。しかし逆に、もし諸々の光源体が虚しく進んで親衛を持たないなら、両親の失墜と不名誉の明証である、とりわけアプロディーテーの〔星〕あるいはまた (4) クロノスの〔星〕が明らかに美しい構成にない場合には。しかし、もし親衛され、とはいえ自分の党派の〔星々〕によってではなく、例えばアレースが太陽に後続して上昇し、クロノスが月に〔後続して上昇し〕、あるいは美しい構成にあって同じ党派に属する諸々の善行する〔星々〕によって〔親衛されるの〕でない場合は、彼らの人生に関する節度と不等性を推測すべきである。そうして、指摘されるはず〔iii. 12.〕の運の箭??は、出生の際に、太陽ないし月を美しい〔星位〕で親衛する〔星々〕と協和するなら、〔子どもらは〕両親の〔財産〕を無難に受け継ぐだろう。しかし、もしそれが不協和的ないし逆で、〔諸惑星の〕どれも〔親衛し〕ないか、あるいは諸々の凶星が親衛するなら、両親の所有は彼ら〔子どもたち〕にとって役立たずであったり、有害でさえあるだろう。 (5) 彼らの長命か短命かに関しては、他の諸々の共通の組み合わせ形体から考察すべきである。例えば、父親に関しては、もしゼウスの〔星〕ないしアプロディーテーの〔星〕が、太陽とクロノスの〔星〕と、いかようにもあれ組み合わせ形体を共有するか、あるいはまた、クロノスの〔星〕そのものが太陽と協和する組み合わせ形体を有するか、〔土星と太陽が〕合であるか、六合であるか三合であるかして、それらが力能を有しているなら、父親の長生を推定しなければならない。しかし、〔それらが〕無力であれば同様ではなく、(6) 短命でないはずがないのである。しかしもし、それがそうではなく、アレースの〔星〕が太陽ないしクロノスの〔星〕を圧倒するか、あるいはまたそれらに後続するか、あるいはまた当のクロノスの〔星〕が今度は太陽と協和するのではなくて、四合ないし衝になり、それらの基本点から傾斜すると、父親たちを病弱にするだけだが、基本点にあるか、基本点に後続して上昇するなら、短命にするか怪我がちにする。〔つまり〕短命にするのは、最初の2つの基本点 上昇点と天の中央と と、それらに後続するトポスにある場合。逆に怪我がちあるいは病気がちにするのは、自余の2つの基本点 西と天の底 (7) あるいはこれらに後続して上昇するトポスにある場合である。例えば、アレースの〔星〕は、我々が述べた仕方で〔矩ないし衝にあると〕太陽を害して、父親に突然死を致すとか、その視力を傷つけたりし、クロノスの〔星〕をば、あるいは諸々の死によって、あるいはマラリヤ熱で害し、手術や焼灼による傷害でのたうちまわらせる。他方、クロノスの〔星〕と〔クロノス〕自身とは、太陽に対して悪く組み合わせられると、父親の諸々の死も、体液の乱れに起因する諸々の病や病状をも具備させる。 (8) 片や、母親の場合には、もしゼウスの〔星〕が月とアプロディーテーの〔星〕といかようにでもあれ星位をなすか、あるいはまたアプロディーテーの〔星〕自身が月と協和的となり、六合ないし三合ないしそれと合になって力を持つなら、その母親は長生であることを示す。だがもし、アレースの〔星〕が月ないしアプロディーテーの〔星〕に後続して昇るとか、四合をなすとか衝をなすか、あるいはクロノスの〔星〕がただ月にだけそうであって、逆光的であったり、あるいは下降的であるなら、今度はただ反転する、ないし諸々の病にのたうちまわる。だが〔それらの星が〕進展的ないし基本点にあるなら、母親たちを短命ないし怪我がちにし、西半分の基本点にあるか、後続する〔基本点上〕にあると同様に短命にさせ、(9) 西の〔基本点上〕にあると病気がちにさせる。例えば、アレースがこの仕方で月を害すると、〔その月が〕東にあると、母親の諸々の突然死と、眼に関わる傷害を、〔その月が〕闕けていると、堕胎あるいはそういったことどもに起因する諸々の死や、手術や焼灼による傷害をもたらす。また、金星を害すれば、熱病による諸々の死や、隠秘的で曖昧で突発的襲撃に起因する症状を成就する。また土星の〔星〕が月を害すると、諸々の死と病状を作り、それ〔月〕が東にあるときは、(10) 熱病の悪寒により、西にあるときは、子宮の潰瘍や爛れによって、諸々の死や症状をつくる。 さらに、諸々の傷害、あるいはまた諸々の病状、あるいはまた諸々の死の一々の種類や、その原因を作り込む諸々の〔惑星〕が内在する1/12の固有の性格を追加すべきである、それによって、誕生そのものに関する〔言説〕をより良い機会に仕上げることになるだろう〔Cf. iii. 12, iv. 9.〕。さらにまた、昼間にはとくに太陽と金星を、夜間には土星の〔星〕と月を観察しなければならない。 そのほか、細目毎の論述に調和・一致するのは、一派の父親ないし母親のトポスを、ホーロスコポスとして代用して、当の〔両親〕の出生〔占いをする〕場合のように、より一般的な 行為的・帰結的な事柄の、連続的に示される 事柄の諸々の (11) 接近法を考察することである。しかしながら、ここにおいても、またいずれの場合においてもふさわしいのは、狙いの〔星々〕における混合の仕方を想起することである、 もし、探究されている諸々のトポスの君臨権を握る星々が、一種類ではなくて多種類であるのか、あるいは反対の〔影響を〕つくるものであるなら、〔我々が〕狙うべきは、各々の場合に結果する事柄のうち、効験される事柄に対する君臨にとってより多数の票を有しているのかを、そうすることで、これらの〔惑星の〕諸々の自然本性に一致する整合的な考察するため、あるいは、君臨する〔諸惑星〕が同在する場合は、 (12)なぜなら、星々のうち、探求されるトポスに関して何事かを成就するはずの〔星〕は、そ〔の探求されるトポス〕に初めから同宿するのが必然であり、それが結果しないなら、一般的に、しかしながら効験するものにおける出来の時間の初めを全然共有さえしない〔星〕が決定することはできず、第1位の支配の原因はもはや〔時間〕ではなく、太陽と宇宙の生成に対していかようにか君臨する〔星〕の隔たりだからである。 3.6 (T) 兄弟姉妹について。(1) 生みの親たちに関する主題は、以上の事からも我々にほぼ明白となるであろうが、兄弟姉妹に関する〔主題の〕方は、もしひとがここにおいても一般的なことを精査するだけで、その数値を可能性の範囲を超えて厳密且つ詳細に探求することなければ、母を同じくする兄弟姉妹に関することも、南中している1/12の母親のトポスから、つまり、昼間はアプロディーテーの〔星〕を取り巻くものから、夜間は月を取り巻くものから、より自然的に把握できるだろう、それは、この宮と、これに後続して上昇する〔宮〕は、生子たちに関すトポスとして母親に属し、(2) 兄弟姉妹に関して生ずることの〔トポス〕と同じでなければならないからにほかならないからである。そこでもし、善行する〔星々〕がこのトポスと組み合わせ形体を共有するなら、これらの星の多さと、単相の宮であるか二重身宮であるかに照らして推測して、兄弟姉妹の多寡を述べよう。だがもし、悪行する〔星々〕がそれを圧倒するか、あるいはまた対座で反対するなら、兄弟姉妹の少なさの明証であるが、特に太陽を随伴させる場合はそうである。さらにまた、もしその反対が基本点上で、特にホーロスコポス〔上昇点〕に対して起こるなら、それがクロノスの場合は、第1子あるいは最初の子育てにもなるが、(3) アレースの場合には、自余の〔子〕らの死によって少ない子持ちとなる。しかしながらまた〔兄弟姉妹を〕与える星々のうち、もし秩序的に美しい状態にあるものらがあると、与えられる兄弟姉妹は恰好よしで名声を博するものらと考えるべきだが、もし反対なら、卑賤で虚飾のものらであると、だがもし与える〔星々〕を圧倒したり、あるいは悪行する〔星々〕がそれらによって基本点に後続する位置を占められると、短命であるとも〔考えるべきである〕:だが、男性の兄弟を与えるのは、この世的に男性的である〔星々〕だろうし、女〔の兄弟を与えるの〕は女性的な〔星々〕であろうし、さらにまた第1子を〔与えるの〕はより東方の1/4だが、後の〔兄弟姉妹を与えるの〕は (4) より西方の〔星々〕であろう。かてて加えて、もし兄弟姉妹を与える〔星々〕が、兄弟姉妹に関係する1/12の主星と調和的な形態にあるなら、兄弟姉妹を与える〔星々〕を親愛なものとするが、もし偶運の籤〔iii.10.〕にも〔調和的な形態にある〕なら、生活を共同する者たちとも〔するが〕、もし結びつきのない〔星々〕の内にあるか、あるいは反対の立場にあるなら、敵対しがちで、嫉妬し、一般に策謀的な〔兄弟姉妹〕を〔与える〕。残るところは、彼らの各における事柄も、もしひとがお節介するなら、ここでもまた、ホーロスコポスのロゴスにおいて前提される〔兄弟姉妹を〕与える星と、出生の際に同時に観想される自余の〔星々〕といっしょに評価するだろう。 3.7. (T) 男児と女児の誕生について。(1) 兄弟姉妹に関するロゴスも、調和的自然的ロゴスに従ってもはや我々の眼前に生じたので、続いて出生そのものに関する事を始め、男児と女児に関する推量に先ず接近することであろう。しかし、この〔ロゴス〕が観想されるのは、単相的にではなく、何か1つのものに基づいてでもなく、両方の光源体と、ホーロスコポスに基づいて、つまり、それらに対してロゴスを有する星々、授精の際には最高に、より全般的には分娩の際にも、〔観想される〕。だが全体に観察すべきは、前述の3つのトポスと、それらの宿の支配星すべてあるいは大多数が、男児の出生には男子的な〔星々〕が、女児の出生には女性的な〔星々〕が (2) 明白かということである。しかしながら、男児になる〔星々〕と女児になる〔星々〕とは、この論文の初めに図表に我々が前提した仕方で、内在する1/12の〔自然〕に基づいて、また、星々そのものの〔自然〕にも基づいて、さらにはまた宇宙との関係にも基づいて、判別しなければならない、その所以は、東から吹く風だと男児になるが、西からの風だと女児になり、かてて加えて、太陽との〔関係〕に由来する、というのは、夜明けの〔星々〕は今度は男児になるが、日暮れの〔星々〕は女児になるからにほかならない:以上すべてに基づいて、種の大多数における覇権を推測するのがふさわしいからである。 3.8. (T) 双生児たちについて。(1) また2人あるいはまたそれ以上の人数で生まれる児たちについても同様に、同じトポス、つまり、これら2つの光源体とホーロスコポスを観察するのがふさわしい。この出来事が諸々の混和と整合しがちなのは、2つないし3つのトポスが二重身宮、特にそれらの宿の支配をする星々も同じ状態にある場合に、あるいはあるものらは二重身〔宮〕に、あるものらは2つあるいはそれ以上に (2) 偶在する場合はそうである。だがもし、君臨するトポスが二重身〔宮〕にも大多数の星々が同時に同じ形態をとると、そのときには2人以上が孕まることになり、その数の多さは、固有性をつくる星の数から推測されるが、種の方は、太陽と月、また先の箇所で述べられたトポスにおける男児づくり、あるいは、女児つくり〔に寄与する〕顔のホーロスコポスと同時に形態をつくる (3) 星々の数に依存する。しかし、このような配置が、ホーロスコポスの基本点を〔太陽と月の〕光によってではなく天の中央という基本点を包み込むなら、このような〔配置〕は母親たちの一般に双生児あるいはまたそれ以上を孕ませる:特異的には、前述のトポスにおいてと同時にアナクトリオン人たちの出生のもとで男児3人で満たすのは、クロノス・ゼウス・アレースが二重身宮で組み合わせ形体を共有するからであり、女児3人〔で満たすの〕は、カリスタたちの〔誕生〕のもと、アプロディーテー、月がヘルメースとともに女々しくなったからであり、女児2人と男児1人〔で満たすの〕は、デーメーテールとコレーの〔誕生〕のもと、アプロディーテー、月、アレースが〔満たした〕からであり、たいていの場合、生まれる児らが成熟することはなく、何らかの身体的な、しかもトポスに選択された何か徴をもって分娩され、こういった出来事の表れのせいで期待できない児となるのが普通である。 3.9. (T) 奇形児たちについて。(1) 前述の考察とも無縁ではないのが、奇形児たちのロゴスである。というのは、まず第1に、このような事柄に関して、光源体〔太陽と月〕は基本点を後に下降しているか、たいていの場合ホーロスコポスと孤立したものとして見出されるが、基本点の方は悪行する〔星々〕に補足されているからである。そこで、このような一種の構成が視野に落ちる場合には、しばしば、しかも失墜的不運な出生に起こるので、奇形児でなくとも、ただちに同道する同軛〔=新月〕ないし満月や、その〔月の宿の支配〔星〕を (2) 考察するのはふさわしい。なぜなら、誕生の瞬間のそれらのトポスや、月の〔トポス〕や、ホーロスコポスの〔星〕といったすべて、あるいは大多数が、先天的な結合のトポスと結びつかないなら、生まれる児は謎めいていると推測すべきである。そこでもし、事情かくのごとくであるとき、光源体〔太陽と月〕が四足動物〔宮〕ないし野獣宮に見出され、この2つが悪行する〔星々〕の基本点となっているなら、生まれる児は人間由来のものでさえなく、善行する〔星々〕の光のためにどの〔星〕ひとつ証言しないなら、〔生まれるのは〕完全に馴れることのない、粗野で有害な自然を有するものらに属するが、ゼウスないしアプロディーテーが証言するなら、神化されるものら、例えば犬あるいは猫あるいは猿あるいはそういったものらに属するが、ヘルメースが〔証言する〕場合は人間の用をなすものら、例えば鳥類とかイノシシとか雌牛とか山羊やそういったものらに (3) 属する。だがもし、その他のものらも同様に、光源体が人間の形をした〔宮〕において掴まれるなら、生まれる児らは人間どもの許に、あるいは人間どもからであるが、奇形で謎めいたもので、性質的な特徴は、光源体ないし基本点を把握した〔星々〕がたまたま悪行する星々である場合には、ここでも宮の形から総観される。そこでもし、この場合においても、善行する星々のどれ1つも、先述されたトポスのどれひとつのためにも証人に立たなければ、ロゴスなき、真に謎めいたものに (4) なりおおせる:だがもしゼウスないしアプロディーテーの〔星〕が証人に立てば、奇形児の固有性が、あたかもヘルマプロディトスあるいは所謂ハルポクラティコスやそういったものらの如くに貴重で高貴なものとすることになる習いであるが、もしヘルメースの〔星〕までもが証人に立てば、これらの〔星々〕ともども、言明する者たちをも、またそういう〔星々〕を介して供給者たちを、しかしヘルメースの〔星〕が単独なら、歯のないものらや口のきけないものらを、しかしながら良稟な、そうでなければ悪賢い〔児〕らを成就する。 3.10. (T) 育たないものらについて。(1) 出生そのものの際の事柄においては、育たないものらに関するロゴスが残っているので、この仕方が、ある面では、探求される種類が各々と無縁ではないから、寿命のロゴスに関係し、ある面では、精査の可能性そのものにおいてどのようにか相違しているから、離れているということを区別するのがふさわしい。なぜなら、寿命に関する〔ロゴス〕は、総じて感覚的時間、つまり、太陽の1周期をくだらない〔感覚的時間〕のために観照される:すなわち、このような1年という時間が特徴的に把握されるが、(2) これよりも小さい時間、つまり、月、日、刻限も可能である:しかし、育たないものらに関する〔時間〕は、総じて上述の時間にさえ超えることなく、より短い数値内に、悪行の圧倒のせいで亡くなるものらにかかわる。ここからしてまた前者〔の時間〕はより多部分的精査を有するが、後者はもっと簡単である。なぜなら、光源体の片方が基本点にあり、悪行する〔星々〕の片方が結合しているか直接反対側にあって、これらがどれひとつも度数的に、且つ、三分の一対座 [019] に善行する星が組み合わせ形体を共有せず、光源体の宿の主星が悪行する〔星々〕のトポスに把握されないとき、生まれるものは育たず、そのせいで (3) 寿命の終わりをもつだろう:だがもし、三分の一対座にはこれが結果せず、光源体のトポスの近くに悪行する〔星々〕 [020] の光線が後続して昇り、悪行する〔星〕が2つあって、光源体の一方あるいはまた両方が、後続して昇ることで、あるいは対座することで、あるいは一方と他方とが部分的に、あるいは、一方が対座に立ち、他方が後続して昇ることで、まさにこうしてはかない〔嬰児〕が生まれるのだが、それは悪行の多さが生命の人間愛的確かさを (4) 消滅させるからである。後続して昇る際に、とりわけて太陽を害するのがアレースの〔星〕、月を〔害するの〕がクロノスの〔星〕だが、対座ないし圧倒の際には、月を〔害するのが〕アレースの〔星〕、光源体あるいはホーロスコポスを宿の支配をして地域的に占める場合は特にそうである。だがもし、光源体が基本点上にあり、悪行する〔星々〕が三分の一対座のアスペクトに在るときに2つの対座が偶在するなら、そのときこそ、死児ないし半死半生の嬰児が生まれる。(5) だが、事情かくの如くであるときに、もし、善行する〔星々〕のいずれかから光源体がたまたま分離を有するか、あるいはまた、それら〔の星々〕とは別様に、自分たちの先導的諸部分と同じ形態を採るか、 なら、生子は放ちと、より近い悪行する〔星々〕の光線との中間の度数までの、悪行の大きさと、原因を作す〔星々〕の力能とに等しい月々あるいは日々あるいはまた時間、生きながらえるだろう。(6) だがもし、悪行する〔星々〕の光線が、光源体のうち先導するものらの中に運ばれ、善行する〔星々〕の〔光線〕の方は、後続するものらの中に〔運ばれる〕なら、生まれた児は披露され、取り上げられて、生きるだろう、さらにまた、もし組み合わせ形体を共有する善行する〔星々〕が、悪行する〔星々〕によって圧倒されるなら、虐待と従順へ、だがもしまた圧倒するなら、他の親たちのすり替えへ、〔〕。だがもし、善行する〔星々〕のいずれかが上昇するか、あるいは月と合を形成する〔i. 24.〕が、悪行する〔星々〕のいずれかが日没点下にあれば、(7) その親たちによって取り上げられるだろう。同じ仕方で、多胎出産のためにも、もし、2つずつ、あるいはまたそれ以上で、同じ形態を採る星々のうち、いずれかが日没点下にある場合は、生まれる児は半死半生あるいは肉塊にして不完全なまま産まれるだろうが、もし悪行する〔星々〕によって圧倒されるなら、その際の原因に交わったものは、育たないか、はかないものであろう。 3.11. (T) 寿命について。(1) 出生後の出来事を導くのが寿命に関するロゴスであるのは、古人に依れば、効験される各々の事柄を、生きている年々の実体からして、それら〔年々〕の効験的諸時間には断じて付け加わらないものに合致させることは滑稽だからにほかならない。(2) だが、こ〔のロゴス〕が観想されるのは単純でないのはもちろん、絶対的でさえなく、最も君臨的な諸トポスの君臨からさまざまな仕方で把握された〔ロゴス〕なのである。特に我々に協和し、他にも自然に関わる仕方は次のようなものである。つまり、全体が依存するのは、放ちのトポスの決定と、その放ちに君臨する〔星々〕そのものの〔決定〕と、さらには致死のトポスないし星々の〔決定〕である。だが、これらのおのおのが判別されるのは、以下のようにしてである。 (3) まず第1に、放ちの諸トポスには、放ちの君臨権を将来完全に握ることになる〔星〕 ホーロスコポスを取り囲むめぐる1/12とが完全に一致しなければならないが、〔これらは〕先だって上昇する〔星々〕の、地平線そのもののあらかじめ昇った5度から、残りの、後続して上昇する25度と、これらの30度に対して六分の一対座〔つまり〕善きダイモーンの〔部分?〕〔つまり〕地平上の天の中央にして、いわゆる神の〔トポス〕の三分の一対座〔つまり〕下降点の対座、これらの中でも君臨権の力能として選抜されたものらは、まず第1は地平上の天の中央にある〔星々〕、上昇点にある〔星々〕、次いで天の中央に後続して昇る〔星々〕、次いで下降点にある〔星々〕、次いで (4) 天の中央の先導部にある〔星々〕である。なぜなら、地平下にあるものは全部、また、地平上にあっても、かくも重要な〔君臨〕に対して、当然、無効とすべきだからである ただし、地平上にあるものも、上昇星と無縁な1/12に随伴すべく調和することもなく、先んじて上昇すべく〔調和しない〕もの(これは悪しきダイモーンのトポス〔XII〕と呼ばれる)も、後続しての上昇そのものから光の中に進む〔星々〕だけを除いて、当然、かくも重要な〔支配権〕に対して無効とすべきだからである、その所以は、既に基本点をも過ぎた後、その〔上昇〕中にある星々から地上への放射(ajpovrroia)に悪行し、濁らせ、あたかも地上の湿気に蒸されて濃密で不明瞭なものを見えなくするように、色も大きさも自然に持っているのを (5) 見えなくするからにほかならない。 その後で今度は、最も君臨的な4つのトポス、〔つまり〕太陽、月、ホーロスコポス、偶運の殱と、これらの宿を支配する〔星々〕とを、放ちの〔トポス〕として受け取らなければならない。 しかしながら偶運の籤は、夜間も昼間も、いつも太陽から月までの度数の合計と、後続する宮においてホーロスコポスからもたらされるかぎりの〔度数〕の合計で、これによって太陽はホーロスコポスに対する度数と組み合わせ形体を有することができ、月も偶運の籤に対してそれを有して月のホーロスコポスのように (6) なるためである。おそらくは、これこそが、この書において、夜間に生まれた児らのために、月から太陽まで数え、今度は(つまり上述の箇所において)ホーロスコポスから引き算することを意図し且つできたのであろう:なぜなら、そういうふうにしてこそ、籤のあの同じトポスも、組み合わせを共有する形体の同じロゴスも出てくるのだからである。 (7) だが、これら〔太陽、月、ホーロスコポス、偶運籤、支配星〕の中でも優先させるべきは、昼間は、先ず太陽(放ちのトポスにあっても)をであり、しからずんば、月をであり、しからずんば、太陽と前述の合に対して、また、ホーロスコポスに対してより多くのロゴスを有する宿の主星、すなわち、宿の主星のトポスが5度であるとき〔iii, 2.〕、述べられた〔星々〕のうち1に対して3、あるいはまたそれ以上を、さもなくんば、最終的にホーロスコポスを〔優先させるべきで〕、夜間は第1に月、次いで太陽、次いで月に対してと生じる満月と偶運籤に対して宿の支配権のロゴスをより多く有する〔星〕を、さもなくんば、前もって生じる同軛が合〔新月〕の時には完全なホーロスコポスを、(8) 満月の時には偶運籤を〔優先させるべきである〕。だがもし両方とも光源体、あるいはまた親らの党派の宿の主星が放ちのトポスにあるなら、光源体のうち、より支配的なトポスに〔ある星〕を採るべきであるが、どちらの党派に対してもより支配的なトポスを保持し、宿の主星のロゴスを有するときには、両者の宿の主星のみを優先的に判定すべきである。 (9) 放ちの〔トポス〕が判別されたなら、さらに放ちの2つの仕方を適用しなければならない、つまり、放ち〔のトポス〕が東のトポス、すなわち天の中央からホーロスコポスに至るトポスにある場合には、いわゆる光線の発出によって後続する宮にのみ基づく〔仕方〕と、放ち〔のトポス〕が天の中央の下降面に入ったトポスにある場合に、後続する〔宮〕に基づくのみならず、いわゆる刻限が算定する放ち(wJrismaiva)に基づく〔仕方〕とである。 (10) 事情かくの如くであるので、致死的度数が生じるのは、先導的宮への放ちにおいては、生命の主を消滅させるのだから、西の地平の〔度数〕のみであるが、そういうふうに出会する〔星々〕か、あるいは証人に立つ星々の〔度数〕の方は消えるのみで、放ち〔のトポス〕の入りまでいっしょに〔星々〕に年数を合算するが、死を致すことがないのは、それらが放ちのトポスに攻撃を加えることなく、それ?がそれら?の〔〕に〔攻撃を加える〕故である。そうして、加算するのは善行する〔星々〕、減算するのは悪行する〔星々〕であり、さらにヘルメースの〔星〕は、(11) それらのどちらと組み合わせ形体を共有されるかで、〔どちらかに〕付け加えられる。加算あるいは減算の数は、それぞれの場合の度数の決定によって観想される:なぜなら、ホーライ(^Wrai)のものであるかぎり〔時間〕が各度数の時間であって、昼間には昼間の〔時間〕が、夜間には夜間の時間が属し、完全な〔数〕は年に属するだけの大きさ〔の時間〕になる:これこそが、それらが上昇点にあるときに計測し、次いで、西方において何ものも遭遇しなくなるまで、引き算の推算によって減算 (12) しなければならない所以である。 だが、〔東方の〕随う宮への放ち〔放ち〕においては、クロノスやアレースという悪行する〔星々〕のトポスが、身体的出会であれ、光線をどこから(もちろん四合ないし対座からであれ)放っていようと、時には、力能の等しさによって聞く〔宮〕あるいは見つめる〔宮〕の上に六合にあり、後続する〔宮〕からみずからも放ちのトポスであっても、時には、長時間の1/12の上においても六合が悪行され、短時間の〔宮〕の上では六合が放つ月に属し、太陽のトポスも〔六合?〕のときであれ〔死を致す〕:なぜなら、このような放ちにおける出会は、死を致すにも救命するにも強力であるからだが、その所以は、(13) これら〔の出会〕は放ちのトポスに加害するからである。しかしながら、これらのトポスが何時も、且つ、完全に死を致すと考えるべきではなく、悪行されている場合のみである:なぜなら、〔それらが〕障害されるのは、善行する〔星〕の区界〔i. 21.〕に落ちる場合と、善行する〔星々〕のいずれかが四合あるいは三合あるいは衝の光線を、致死の度あるいはそれに続くものらに包含する場合で、ゼウスの場合は12度以上にならず、アプロディーテーの場合は8度以上にならず、放つものと出会するものとの両方が身体でないときは、(14) 両方は同じ経度にない。そこで、それぞれの側に2つないしそれ以上の援助するものらと、反対に死を致すものらとがある場合には、それらに結果する事柄の多さと力能において、形相のいずれの君臨かを考察すべきである 多さの点では、一方のものらが他方のものらよりも数的により多い場合だが、力能の点では、援助する〔星々〕ないし死を致す星々のうち、一方は親密なトポスにあるが、他方はそうではない場合には、とりわけ、(15) 一方は上昇する〔星々〕であるが、他方は沈む〔星々〕である場合にはそうである。なぜなら、一般に、〔太陽の〕光線のもとにあるものらはどれひとつ、致死に対しても援助に対しても受け容れるべきではないからである、ただし、月が放ちであるときに、太陽のトポスそのものが、同在する悪行する〔星〕のせいでいっしょに向きを変えられはするが、善行する〔星々〕のどれひとつによっても解放されることがないため、死を致す場合は別であるが。 [021] しかしながら、年数は、放ちのトポスと致死のトポスとの間の間隔の<分け前>がこれをつくるのだが、多衆の伝統どおり、各度〔数〕のいつもの上昇〔星〕によって、単純に把握されるべきでも思いつきでも把握されるべきでもない、ただし、東の地平線それ自体か、当の東につくられる〔星々〕のいずれかが、(16) 放ちをつかんでいる場合だけは別である。なぜなら、この部分を自然的に考察する者にとって、考察の前提となる仕方は、あらゆる仕方の中で1つどれだけの昼夜平分期間の後に、後続する身体ないし形態のトポスが、当の誕生時に、先導する〔星のトポス?〕上にあるか である、その所以は、昼夜平分時間は地平線をも子午線をも均等に通過する故であり、これらは両方とも地域的距離の等しさであるが、時間のそれぞれは、当然、1太陽年と等価と解されるものであり、放ち〔のトポス〕にして先導するトポスが上昇点にある地平線そのものの上にあるときは、出会までの度数の昇る時間を (17) 採るのがふさわしい:なぜなら、これほどの〔数の〕等しい時間の後で、致死の〔トポス〕が放ちのトポスの上に、つまり、東方の地平線上に臨在するが、天の中央そのものの上に〔来る〕場合は、各区分線が天の中央を通るかぎりの上昇を、だが、入りの地平線そのものの上にある場合には、間隔の度数の各々が下降するかぎりの〔上昇〕、すなわち、(18) これらに対座する〔上昇〕が上昇するかぎりの〔上昇〕において???。だが、先導するトポスがもはやこれら3つの区界にはなく、中間の間隔内にあって、もはや前述の上昇ないし下降ないし天の中央の時間が、後続するトポスをば、先導する諸宮と同じ〔宮〕の上に運ぶことなく異なっている。なぜなら、地平線と子午線に対して同じ部分においても等しい位置をとるトポスは、同じトポスも等しいからである: (19)前述の区画を転回するごとく、地平線に対しても天の中央に対しても同じ位置上を進むが、宮の通過の時間をどちらとも不等なものにするなら、同じ仕方で、その他の間隔の位置においてもかの不等さによって時間の (20) 支配星の交替を成就する。だが、我々には次のような或る種の接近法が1つあるとせよ これによって、もし上昇の〔位置〕であれ、南中の〔位置〕あるいは入りの〔位置〕であれ、何か他の位置であれ、これを先導するトポスが持っていようと、それの方へと後続するトポスを運ぶ時間の比が把握されるはずである:なぜなら、宮の南中する度と、さらには先導する〔度〕、後続する〔度〕とを先に決定したうえで、我々は先ず先導する〔度〕の位置を、通常刻限 [022] が天の中央からどれだけ隔たっているかを考察しよう それ〔先導する位置〕と(地平上であれ地平下であれ)天の中央の宿との、直立宮上の上昇の〔度数〕を計算して、前述の当の度の通常刻限の大きさで割って、もしそれが地平上に属せば、昼間の〔通常刻限〕、(21) 地平下に属せば、夜間の〔通常刻限〕である、その所以は、級の区分は、子午線から同じ通常刻限数を隔たって、前述の1つの同じ半円に属しているので、どれほどの昼夜平分時間で、また、先導する〔位置?〕に等しい通常刻限で、天の中央から離れるかを掴まねばならないだろう、で、これら〔の時間〕を我々が掴んだら、精査しよう 初めからの位置で、昼夜平分時間にしてどれだけ離れているか、また同じ天の中央の〔位置の?〕後続する度も、今度は直立球上の諸々の上昇星によって〔精査しよう〕、そうして、(22) 先導する〔位置?〕に等しいだけの通常刻限をつくるとき、後続する度の時間の大きさに掛け算して、もしこの比較が地平上の天の中央に関係すれば昼間の〔天の中央〕に属するが、地平下の〔天の中央〕に〔関係すれば〕夜間の〔天の中央に属する〕、そして両方の隔たりの上昇時間から生ずる〔時間〕を取ると、(23) 探求される年の大きさを我々は得るだろう。 言われていることがより明白になるよう、ロゴス〔例〕のために、白羊宮の初めの〔トポス〕をして先導するトポス、双児宮の初めの〔トポス〕をして後続する〔トポス〕、クリマは、最長日が14時間、双児宮の1時間の大きさがほぼ17昼夜平分時と仮定されせしめよ、そうして先ず、白羊宮の初めをして上昇せしめよ、そうすると磨羯宮の初めが天の中央にあることになる、また、双児宮の初めをして、時間にして148昼夜平分時間 (24) 地平上の天の中央から隔たらしめよ。そこで、白羊宮の初めは天の中央にある子午線から期間にして6時間隔たっているので、これを17時間に掛け算すると、地平上の天の中央に対して148時間の隔たりがあることになるからには、この間隔の〔6× 17=〕102時間をも我々は持つことになるだろう:故に、上昇時間の46時間後に、後続するトポスが先行する〔トポス〕に変転する。白羊宮と金牛宮との時間もこれほど近いのは、放ちのトポスがホーロスコポス〔の星々〕の (25) 前提だからである。 で、同じ仕方で、白羊宮の初めをして星の入りとせしめよ、そうすると、巨蟹宮の初めが天の中央にあり、地平上の天の中央から、先導する〔諸宮〕32平分時間離れて、(26) 双児宮の初めが来る。そこで、今度は6通常時間、白羊宮の初めは天の中央から星の入りの方角に離れているので、これを17倍すると、我々は102時間を有するが、これは、沈むときに、双児宮の初めも天の中央から放つ〔時間〕である。だがまた第1の位置においても、同じ32時間を保持せよ。はたして、70上昇時間で西に運ばれ、その間に白羊宮と金牛宮とは下降するが、(27) 対座する1/12宮である天秤宮と天蝎宮とが昇る。 そこで、白羊宮の初めをして、ロゴスのために、基本点のどこにもないが、嚮導する〔宮〕の方へ天の中央から通常時で3時間離れていると仮定されしめよ、そうすると、金牛宮の度数は天の中央において18度だが、双児宮の初めが最初の位置において地平上の天の中央から離れること13昼夜平分時間である:だから、そこで、もし、今度は17時間を3時間に乗ずると、第2の位置においても双子座の初めが天の中央から先導宮の方へ放つのは 51時間、(28) 合計64時間となるだろう。だが、同じ手順で、放ちのトポスが昇るときは46倍、天の中央にあるときは58倍、入りのときは70倍する。したがって、天の中央と入りとの中間の位置における時間の各々の数は、自余の〔時間〕とは異なっている:なぜなら、〔それは〕64時間になるが、比において3時間の上昇時間と異なる、その所以は、これ〔超過?〕は、基本点における自余の1/4〔四分円〕上では12時間であるが、3時間の隔たりでは、(29) 6時間である。さらにまた、あらゆる事柄に関しても、このほとんど同じ推測が遂行されるので、より単純なこの仕方でこの行法を用いることがかのである。なぜなら、今度は、先導する度が上昇するときは、昇る〔〕を適用し、入りのときは下向する〔度〕を〔適用〕し、それらの中間のときは、ロゴスのために白羊宮の披露した隔たりについてのように、取り巻く基本点の各々に対応する時間を先ず把握し、地平上の天の中央の後、白羊宮の初端は天の中央の基本点と入りの中間、双児宮の初端の時間に横たわっているから、天の中央〔に対応する時間〕は58、いっしょの入り〔に対応する時間〕は (30) 70になるから、先に述べられた如く、先導する区画がどちらの基本点から、通常時間でどれだけ隔たっているか、それは1/4〔四分円〕の6時間が、いっしょに先導する〔星々〕の両方の超過のどれだけの部分であるかを、比較される両方から加算するなり減算するなりしよう、例えば、上述の70と58の上昇時間〔の差〕は12であるから、先導するトポスは、各々隔たった基本点から等しい通常時間で3〔時間〕 これは6時間の半分である 下に横たわっており、取るなり80を引くなりすると、(31) 64時間という結果を見出すだろう。ところで、基本点の各々から通常時間で2時間 6時間の1/3である 隔たっていると、今度は上昇時間の12時間の1/3、つまり4時間であるが、もし2時間の上昇時間が天の中央の下にあるなら、58時間に加算しよう、だが入りから〔下にある〕なら、70から減算しよう。 そこで、時間的間隔の合計の仕方の方は、以上のように我々によって整合的に把握されなければならない。(32) だが自余のことを我々が判定するのは、前述の諸々の星の出会あるいはまた星の入りの際に、より短時間に〔昇る星々〕の順序で、死を致す〔順序〕とクリマを支配する〔順序〕と他の仕方で随順する〔順序〕とを、我々によって述べられた仕方で、また、出会の時間的入座から、それぞれ徴表される〔星々?〕によって、判別しよう:(33) なぜなら、諸トポスが悪行されると同時に、年の入座に対する星々の時間の支配星 [023] の交替までが悪行されるときは、最も支配的なトポスをただちに死と推測すべきであるが、それらのうちの片方が人間を愛するクリマの支配星であるときは、偉大で危険な〔死〕を、だが、両方が〔悪行される〕ときは、遭遇するトポスの〔同宿性〕から、(34) 出生における諸行事に対して把握される同宿性の大義さあるいは有害さや、時間の支配の転覆のみを〔判別すべきである〕からである。だが、時として、致死的支配を握るはずの〔星々〕が疑わしいことがあるが、それらの各々において、あるいは出来事のうちで既に結果した事柄との最高の協和、また、将来整合することになる事柄との、あるいはあらゆる〔協和?〕との〔出会?〕に対して、それらの多寡においてのように観察するべく同じ仕方で精査するのを妨げるものは、何もないのである。 3.12. (T) 姿形〔すがたかたち〕と身体的混和について。(1) 姿形と身体的な定めに関して、親らの配置において把握することで、寿命に関するロゴスの行事も秩序づけられた、その所以は、身体はより質料的なもの故、固有の体質の顕れをほとんど同時に生まれたものとして有するが、魂はそれ〔身体〕と同時に、且つ、少し後で、第一原因に由来する合目的性を少しずつ闡明するのであり、(2) 外的な事柄は、さらにもっと後の続く期間に付け加わるからである。 そこで、観測すべきは、一般的には、東の地平線と、その上にある〔星〕ないし、我々が見出した〔iii, 2.〕トポスの宿の主星である惑星、個別的には同様に月もである:なぜなら、これら両方のトポスの、また、宿を支配する〔星々〕の成型的自然、それぞれの形相における体質、さらにまたそれらといっしょに上昇する恒星の形象によって、宿の支配を有する星々は力能の点では優先し、トポスそのものの特質も寄与するからである。しかしながら、各々のことは、ひとがいとも簡単に説明するところでは、次のような仕方を有する。 (3) すなわち、第1、星々について、クロノスの〔星〕が東にあると、形態的に色黒、多産、黒髪、巻き毛、毛むくじゃらの胸、中くらいの眼、中くらいの大きさ〔の形態〕にするが、混和的には湿り気と冷たさで適度さを有する〔体質〕にするが、西にあると、形態的には黒く、小さく、直毛、薄禿、小柄、黒眼〔の形態をつくる〕が、混和的には乾燥と冷たさにおいて適度さを有する〔体質をつくる〕。 (4) だが、ゼウスの〔星〕が前述のトポスの宿の主星となって、東にあると、形態的には白く、肌色の白い、程よく巻き毛の、大きな眼、背丈あり、誉れに関わる〔形態〕にし、混和的には熱と湿り気をより多くもつ〔混和〕にするが、西にあると、色の点では白いが、肌色上は等しくなく、長い直毛にして禿げ上がり、中禿、背丈は中程だが、混和的には湿り気のより多さを有する〔体質をつくる〕。 (5) だがアレースの〔星〕が同じく東に〔あると〕、形態的には淡紅色で、背丈あり、健康的、灰色の眼、毛むくじゃら、まあまあの髪をした〔形態をつくる〕が、混和的には、熱と乾燥により多くを有する〔体質をつくる〕が、西に〔あると〕、形態的には純粋に赤く、大きさは中程度、小さな眼、やや禿、金髪直毛〔の体形をつくる〕が、混和的には乾燥をより多くもつ〔体質をつくる〕。 (6) だが、アプロディーテーの〔星〕はゼウスの〔星〕に近似した事柄を、しかもより恰好よく、より優雅に、より女性にふさわしく、女の形態的に、より肉付きよいものにするが、特有的には、綺麗な顔に青みがかった眼をつくる。 (7) だが、ヘルメースの〔星〕は、東にあると、形態的には、蜂蜜色、大きさは程々、美姿、小さな眼、並みの髪をもった〔形態〕をつくり、混和的には熱をより多くもった〔体質をつくる〕が、西にあると、形態的には色白だが、顔色の良さでは等しくなく、長い直毛、色黒、痩せてほっそりし、斜視にして山羊足、やや紅潮している〔形態をつくる〕が、混和的には乾燥をより多く有する〔体質をつくる〕。 (8) これらの各々に組み合わせ形体を共有して共働するのが、太陽ならより崇高でより強壮さへと、月なら、特にその分離を広げる時、一般にはより均斉的、より強力、混和的により湿ったものに、個別的には、組織の初めに披露された混和に従って、(9) 光源体の固有性に比例して〔つくる〕。 さらにまた、一般的には、〔惑星が〕夜明けにあって、相が形成されると、身体を大きくするが、第1〔宿〕に静止していると、強力で元気旺盛な〔身体〕を、だが進行していると、不均衡な〔身体〕を、他方、第2〔宿〕に静止していると、虚弱な〔身体〕を、だが沈む〔惑星〕は完全に不名誉だが、悪行や持続には堪えられる〔身体〕を。 (10) さらにまた、これらのトポスも、我々が謂ったように、特に定めの組み合わせ形体と混和に対して共働するのであるが、今度は、一般的には、春分から夏至までの1/4〔四分円〕は、顔色よき、背丈高く、頑丈、美眼の、だが湿り気と暑さにおいては多くを有する、〔形態〕をつくり、夏至から秋分までは、肌色の混ざった、大きさの均斉のとれた、顔色よき、大きな眼の、毛むくじゃら、縮れ毛で、(11) 熱と乾燥の多さを有する〔形態〕を〔つくり〕、秋分から冬至まで〔の四分円〕は、蜂蜜色、ほっそりし、痩身、病気がち、まあまあの髪、美眼、乾燥と冷を多くもつ〔形態〕を〔つくる〕が、冬至から春分まで〔の四分円〕は、色黒、大きさの中程、長い直毛、薄禿、やや紅潮、湿り気と冷を多くもった〔形態をつくる〕。 (12) 片や、個別的には、獣帯の内と外にある動物たちのうち、人間の形相をしたものらは、組み合わせの点で上品、均斉がとれた身体をこしらえるが、異常な形態をした動物は、身体の均斉を固有の形態の親らのものへと変形させ、何らかの比にしたがって、親らの部分を、より大きいものやより小さいものへ、あるいはより強いものやより弱いものに、あるいは、(13) より上品なものやより下品なものへと等しくさせる、より大きいものへとは、例えていえば獅子宮や処女宮や人馬宮が、より少なくへは、双魚宮、巨蟹宮、磨羯宮のごとく、さらにまた、白羊宮、金牛宮、獅子宮のうち〔獣帯よりも〕より上にある前部の〔部分〕はより健康なものへというように、〔獣帯よりも〕より下にある後部の〔部分〕はより病弱なものへ、というように、片や逆のものらは、人馬宮、天蝎宮、双児宮のうち前部はより強力なものへ、後部は (14) より健康なものへというように、同様にまた処女宮、天秤宮、人馬宮の方は均斉あり上品なものへ、天蝎宮、双魚宮、金牛宮の方はより下品、不均斉へ、またその他についても同様に、混和から総合される固有性を、身体の形態と混和に関してそのすべてを綜観し総合判断して、言い当てるのがふさわしいのである。 3.13. (T) 身体の怪我や病気について。(1) で、これらに続くのは、身体の怪我と病気に関するロゴスであるので、この形相において構成される考察を、以下のとおりとしてこれに結びつけよう:すなわち、ここにおいても、一般的な決定のためには、地平線の2つの基本点、星の出と星の入り、特に入りそのものに対してと先んじての入り(これは上昇する基本点と合ではない)を望見し、星々のうちの悪行する星々が、それらに対してどのように形態を採るかを、観察 (2)しなければならない:すなわち、前述のトポスの後続して昇る度数のもとに、天体として、あるいは四合として、あるいはまた対座に、あるいはそのどちらかで、あるいはまたその両方で確立していると、生まれる〔児どもたち〕に関して身体的な怪我や病気を有するだろうと推測しなければならない、特に、光源体の片方あるいは両方までが、我々が述べたトポスにおいて (3)、あるいは同時に、あるいは対座で基本点にある場合はそうである。なぜなら、そのとき、悪行する〔星々〕のどれかが後から上昇するのみならず、光源体に先んじて昇って基本点にあると、先に示されたものらのいずれかを構成するに充分であり、地平線のトポスと宮の〔トポス〕とが、怪我あるいは病気を瞥見させ、悪行する〔星々〕と悪行される〔星々〕、さらにはこれらと組み合わせ形体を共有する〔星々〕という星々の自然も、(4)〔構成するに充分である〕。なぜなら、順番として、地平線の不正されている部分を取り巻くものら、つまり、獣帯星座の各々の諸部分が、その原因が関与する身体の部分を明らかにし、それが負傷しているのか、病気であるのか、あるいはまたその両方なのか、明らかにされる部分を指摘することができるからである。 星々の諸自然が、 (5) 諸々の徴候の形態と原因を形成するのであるが、人間の最も重要な諸部分のうち、クロノスの〔星〕は右耳、脾臓、膀胱、粘液、骨の君臨星、ゼウスの〔星〕は触覚、肺、動脈、精液の君臨星、アレースの〔星〕は左耳、腎臓、静脈、生殖器の君臨星、太陽は視覚、脳、心臓、腱〔あるいはもしかして2世紀半ばまでには、神経〕、右側すべての君臨星、アプロディーテーの〔星〕は嗅覚、肝臓、筋肉の君臨星、そしてヘルメースの〔星〕は話すことと思考、舌、胆汁、尻の君臨星、月は味覚、飲むこと、口、腹、子宮、(6) 左側すべての君臨星だからである。 一般則に属するところでは、怪我も大抵は、原因を作す悪行する〔星々〕が上昇しているときに、病気は逆に、それらが沈むときに、たいてい出来するが、その所以は、次のおのおの、すなわち、怪我は一度だけ構成されて、持続する痛みを持たないが、病気の方は、持続するか、あるいは、発作的に患者たちを (8) 責めるという点で、区別できるからである。 個別的な企てのために、一般に等しい形にある配置において観察される諸々の出来事によって、怪我と病気に関わるいかなる組み合わせが特徴の観察に属していた。:例えば、視角の不具が成就するのは、月がそれ自体、先導する基本点上にある場合か、あるいは (9) 同道する場合か、あるいは満月である場合であり、太陽に対して形のロゴスを有する〔星々〕のいずれかの上にあるが、宮の中にある星雲のどれか(巨蟹宮の〔星雲〕とか金牛宮の〔星雲〕とか人馬宮の矢とか天蝎宮の針とか獅子宮の鬣の部分あるいは宝瓶宮の瓶)と合になる場合か、また、アレースの〔星〕あるいはまたクロノスの〔星〕が基本点そのものの上にあり、太陽に先んじて昇る場合である。(10) だがもし両方の光源体と同時に、あるいは同じ宮において、あるいはまた対座において、我々が云うように、夜明けなら太陽と、日暮れなら月と組み合わせ形体を共有するなら、両眼に関して原因をつくる:つまり、アレースの〔星〕は、打撃あるいは突きあるいは鉄の武器あるいは燃焼に起因する不具をつくるが、ヘルメースとともに組み合わせ形体を共有されると、相撲あるいは体操あるいは悪漢の攻撃に〔起因する不具をつくるが〕、クロノスの〔星〕は、白内障あるいは寒さあるいは底翳や、 そういったものらによって (11)〔不具をつくる〕。今度は、アプロディーテーの〔星〕が前述の基本点のいずれかの上、特に下降点の上にあるときに、クロノスの〔星〕とは結びついているか、組み合わせ形体を共有するか、トポスを交換しているが、アレースの〔星〕によっては圧倒されているか、対座に立たれていると男たちは子無しになるが、女たちは流産あるいは早産あるいはまた帝王切開で転げまわる、特に天蝎宮、処女宮、磨羯宮において、もしも月が上昇点からアレースの〔星〕と合になると〔そうなる〕。だがもしまた〔月が〕ヘルメースの〔星〕とも、クロノスの〔星〕とともに同じところで組み合わせ形態を共有されるなら、アレースの〔星〕が今度は圧倒されるか、あるいは対座に立たれると、強制された者らとか両性具有児 (12) とか口や穴のない子が生まれる。事情かくの如くであるので、太陽も、片や光源体やアプロディーテーの〔星〕によって男性的にされた〔星々〕によって組み合わせ形体を共有され、片や月が欠け、悪行する〔星々〕が後続する度数に後から上昇すると、男たちは無頭ないし生殖器を傷つけられた子が生まれるが、特に白羊宮や獅子宮や天蝎宮や磨羯宮や宝瓶宮にあるとそうであるが、女たちの方は、(13) 子無しや石女となる。時として、こういう者たちが視角に傷を受けることもないままであることがあるが、舌に傷害されたり、舌足らずないし吃りとなるのは、クロノスの〔星〕とヘルメースの〔星〕とが、述べられた基本点上で太陽との合を有するかぎりの〔星々〕であるが、特にヘルメースの〔星〕が沈み、両方が月と組み合わせ形体を共有する場合である。だが、これらにアレースの〔星〕が付随すると、月が〔アレースの星〕への出会いをする前なら、(13bis) 舌への障害をたいてい緩和する傾向がある。今度は、もし光源体が基本点上にある悪行する〔星々〕と同時あるいは対座において、迫り来る場合、あるいはもし悪行する〔星々〕が光源体に、特に月が結び目つまり交点の上、白羊宮、金牛宮、巨蟹宮、天蝎宮、磨羯宮のような原因をなす宮の上にあると、猫背あるいは蟹脚あるいは跛脚あるいは麻痺といった身体の非道が生じるが、もし光源体とあっしょにあるのが悪行する〔星々〕なら、その生成から、だがもし天の中央において光源体が圧倒されるかあるいは互いに直接的な反対の位置にあるなら、崖からの転落あるいは家の崩落あるいは略奪あるいは四足動物のような大いなる危険が原因で〔身体の非道が生じる〕。なぜなら、アレースが覇権を握っているときは、火あるいは負傷あるいは群衆とか盗賊による〔非道〕が、だがクロノスが〔覇権を握っているときは〕、倒壊あるいは難船あるいは発作〔が原因で〕。 (14) たいていの場合、怪我は月が至分宮や平分宮にあるときにも生じる、特に、春分点では、白癩による〔怪我〕、夏至では苔癬による〔怪我〕、秋分点では癩による〔怪我〕、冬至では痣やそういったものらによる〔怪我が生じる〕。病気が結果しやすいのは、上述の配置上に悪行する〔星々〕が組み合わせ解体を共有されると、同じ形態を、しかしながら逆に、つまり夕暮れなら太陽と、夜明けなら月と、(6bis) 採る場合である。なぜなら、一般的に、クロノスの〔星〕がつくるのは冷たい腹の男たち、あふれる粘液の男たち、排出しやすいやつれた男たちや虚弱な男たち、黄疸患者の男たち、赤痢患者、咳、粘液を吐く男たち、腹痛患者、象皮病患者、また女たちの方は子宮を病む女たちを〔つくる〕。だが、アレースの〔星〕が〔上述の配置上に悪行する〔星々〕が同じ形態を採る〕なら、血を吐く者ら、胆汁質の者ら、肺病病み、疥癬病み、さらに、秘所の切除ないし焼灼によって持続的に (6bit) 転げまわらせるのが常である。特徴的には、組み合わせ形体を共有する星々の前述の諸自然に起因して、身体の固有の諸部分に関連して、病気の特性をつくる。 劣悪のものらを引き締めるべく、これらに最もよく共働するのはヘルメースの星で、クロノスの〔星〕とは、寒さへと同宿し、動きの中で流れや湿りの厄介さをより作りつづけ、特徴的には、胸や胃や喉まわりの部位、 (8bis) また、前述の2つの基本点上の組み合わせ形体を共有する〔星々〕をとりまく〔宮〕の交替からも病気の一種の性質が生じる。個別的に、例えば、巨蟹宮、磨羯宮、双魚宮、総じて陸棲宮や魚類の宮は苔あるいは鱗あるいは腺あるいは笛あるいは象皮やそういったものらという領域による病気を、他方、人馬宮と双児宮は転落あるいは癲癇による〔病気を〕。また星々が1/12の最終の度数にあると、乱暴あるいは流出による病気や怪我をつくり、これらから象皮病と、一般に手の痛風や足の痛風が (9bis) 結果する。だが、事情かくのとおりであるので、もし善行する〔星々〕のどれひとつも、原因をなすところの悪行する〔星々〕ないし基本点にある光たちと共通の組み合わせを形成しなければ、それらの怪我と病気が不治・重体となること、あたかも、組み合わせ形体を共有し、力能ある悪行する〔星々〕によって圧倒されるがごとくである:だがもし自らも支配的な形態のもとにあり、原因をうえつける悪行する〔星々〕圧倒するなら、そのときは怪我は形よく、恥ずべきものとならず、病気は程々で、緩和しやすいものとなるが、回復するときも、善行する〔星々〕が (10bis) 上昇中のことである。なぜなら、 ゼウスの〔星〕が人間を助けるために富あるいは誉れによって怪我を隠し病気を慰めるのがつねであるが、ヘルメースの〔星〕といっしょになると、薬あるいは善き医者たちの援助によっても〔そうする〕のであるが、アプロディーテーの〔星〕は、神々の予言や神託によって、怪我の方は何らかの仕方で形よく、優美なのを具備し、病気の方は、神々からの癒やしによって和らげられやすいものを〔具備し〕、しかしながらクロノスの〔星〕が加わると、模範とか告白とかそういったものらによって、だがヘルメースの〔星が加わると〕、あるいは怪我そのもの、あるいは病気〔そのもの〕によって、持てる者たちに援助とか金儲けが伴う。??? 3.14. (T) 魂の性質について。(1) さて、身体的な出来事に関しては、考察の型は以上のようなものであろう:対して魂の性質のうち、思量的、神経的な部分の方は、ヘルメースの星においてその都度観察される〔天体の〕位置によって把握されるが、感覚的・無思量的〔部分〕に関する〔性質の〕方は、光を放つものらのうちより身体的な〔星〕つまり月や、発出あるいはまた (2) その〔月〕の合に対して同じ形をとる星々から〔把握される〕〔Cf. i, 24.〕。しかし、魂的な衝動における種類は極めて多様であるので、このような考察を我々が為すのも、当然ながら、単純ではなく、行き当たりばったりでもなく、より多数の、多彩な観察によって行われるのである。というのも、ヘルメースの〔星〕と月、あるいはそれらの支配権を握った星々を取り巻く諸宮の相違は、魂たちの固有性に対して大いに寄与することが可能であり、上述の形相に対してロゴスを有する星々の組み合わせ形体も、太陽と基本点、さらにまた星々の各々の自然そのものにおける〔形〕も、(3) 魂の動きに対して個性に〔大いに寄与することが可能がある〕。 されば、一方、諸々の宮の中では、一般に、至分宮は、魂をより民衆的にし、群衆的にして政治的な行事を欲求するものとし、さらには、名声愛、神崇拝者、良稟にして行動的、探究的にして当て物好き、占星術的、占い的〔魂〕にするが、二重身〔宮〕の方は、多彩、変わりやすく、理解力のない、軽佻、不安定、気紛れ、恋情的、多重人格、音楽を愛し、無頓着、過ごしやすく、心変わりしやすい〔魂〕を、だが、固定〔宮〕の方は、義しく、へつらわず、全体的に堅実、賢明、忍耐強く、愛労、厳格、自制心にとみ、遺恨をもち、窮屈、諍い好き、野心的、党争的、強欲、頑固、不変的な〔魂にする〕。 (4) 他方、諸々の組み合わせ形体の中では、一方、上昇点のホーロスコポス、特に固有の顔〔i, 23.〕を保持する〔ホーロスコポス〕の方は、自由、単純、自発的、強力、良稟で、敏感で、隠し事のないものとして魂を成就させるが、夜明けの諸々の静止〔星〕や諸々の天の中央は、計算高い、持続的、記憶力よく、確実、賢明、広量、望むことを成就する、柔軟性のない、頑強、荒っぽい、不謬、批判的、実用的、懲らしめる、理解力あるものと〔する〕が、他方、先導的〔ホロスコーポス〕と入り〔沈むこと〕は、変わり易く、不確実、虚弱、労苦に耐えられず、感情的、謙虚、怯懦、欺瞞的、虚仮威し、鈍感、鈍重、動きにくい (5) 〔魂をつくる〕が、夕暮れの静止〔星〕や、地平下の天の中央、さらにはヘルメースとアプロディーテーについては、昼間は夕暮れの星の入りが、夜間は夜明けの〔星の入り〕が、良稟にして冷静、しかし強記過ぎることなく、あるいは苦労しすぎることもないが、隠された物事の精査者、観察されざる事柄の探求者、例えば、魔術師、密儀参与者、天象占い師、体系化、器用、驚異つくり、星占い、愛知者、鳥占い師、夢判断師、(6) そして似たものらに〔魂を仕上げる〕。 かてて加えて、固有の宿あるいはまたトポスや党派に属する〔i, 17; i, 7 and 12〕と、魂の事に対する支配を有する〔星々〕が、我々が初めに定義した仕方で、予めはっきりした、妨害からは自由な、なまくら、効果的な固有性をつくる、特に同じ星が2つのトポスに同時に君臨する、つまり、ヘルメースの〔星〕とは何時であれ同じ形態をなすが、 (7) 月の分離、あるいはまた合を保持する場合はそうである:だが、そういうふうな状態ではなく、宿ではないトポスにあると、自分たち自身の自然に属する親らの事柄を、魂的な活動に対して取るに足らぬもの、朧なもの、不完全、進歩なきものと規定するが、君臨ないし圧倒するものらの〔自然に属する〕事柄の方は〔iii.2.〕、強力にして且つ有害である、あたかも、悪行する〔星々〕親密さ故に不正義で邪悪な者たちは、それら〔の星々〕が前進の容易さや障害のなさや危険のなさを支配しているときは、他の者たちに対して悪行する衝動を有するが、反対の党派の〔星々〕によって君臨されると、落ち目、的外れ、(8) 市民権を剥奪された者となるが、また善行する〔星々〕の、述べられた衝動との同宿性故に、今度は善人にして義しい者たちとなり、〔星々が〕圧倒されないものであるときは、他者の親切のおかげで彼ら自身が歓喜し好評を博し、誰からも不正されることなく、益を受けて正義をまっとうするが、逆に反対の〔星々〕によって君臨されると、その穏やかさ、人間愛、慈悲のせいで、蔑ろにされやすく、(9) 非難される者、あるいは、大多数の者たちによって不正されやすい者となる。 そこで、性格の考察の一般的な仕方の方は何かそのようなものであろうが、支配において星々の自然そのものからの効験に起因する固有性の方をば、全体的に観想される混合まで、続いて要点的に究明しよう。 (10) そこで、クロノスの星が単独で魂の支配権を握り、ヘルメースの〔星〕と月という〔星〕に君臨して、もし宇宙と基本点にとって栄光的な構成にあるなら、身体を愛する、判断を守りとおし、思慮深く、厳格、強情、労を厭わず、独裁的、懲らしめ、富をもたらし、(11) 愛銭家的、暴力的、蓄財的、物惜しみする〔魂をつくる〕が、反対に不名誉に横たわるなら、汚い、卑小、卑屈、違いのない、判断力のない、邪視の持ち主、臆病、隠遁者、悪言家、哀れみを愛し、哀悼好き、恥知らず、迷信家、苦労好き、自然な愛の欠けた、親族の陰謀家、陽気さがなく、(12) 身体を憎む〔魂たちをつくる〕。 だが、ゼウスの〔星〕によって、述べられた仕方で〔土星が〕同宿されると、栄誉ある構成では、今度は善き、年長者たちを栄化し、冷静、高潔、助力者、批判的、富の獲得を愛し、高邁、気前よく、善意の目的を持ち、(13) 仲間を愛し、温和で、賢く、我慢強く、愛知的な〔魂をつくる〕が、反対の〔状態に〕あると、美に疎く、気の狂った、騒ぎを恐れる、迷信家、神殿に通い、告白者、猜疑的、子ども嫌い、友愛欠如、家の中から窺い、判断力欠如、不誠実、ならず者の馬鹿、悪性の、猜疑心強く、無能、名誉を愛さず、ふしだら、邪慳、つき合いにくく、対抗しにくく、用心深いが、同様に性格よく、辛抱強い〔魂たちをつくる〕。 (14) だが、アレースの〔星〕によって同宿されると、栄誉ある構成では、目立ったところのない、努力家、率直、五月蠅い、虚仮威し、生真面目、非情、軽蔑的、荒っぽく、敵対的、無頓着、騒ぎ好き、狡猾、陰謀家、怒りっぽい、悩まされない、群衆の御機嫌取り、僭主的、貪欲、市民嫌い、争い好き、遺恨を残し、深く堕落し、労働者、短気、尊大、卑俗、法螺吹き、悪漢、不正義、軽蔑されざる、人間嫌い、柔軟性がなく、変わらず、お節介、しかしながら用心深くて積極的で厳しく非難されることなく総じて成功する〔魂をつくる〕が、 (15) 反対〔の構成〕では、強盗、盗賊、姦通者、屈従者、悲惨な者たち、強欲、無神者、自然な愛情の欠如した、傲慢な、策謀的、盗人、偽証者、血讐者、神法に反する肉を喰らうもの、犯罪者、人殺し、毒殺者、聖物冒涜者、不敬者、墓泥棒にして完全な極悪な〔魂たちをつくる〕。 (16) だが、アプロディーテーの〔星〕によって同宿されると、栄光的な構成では、女嫌い、古物好き、孤独好き、ひとに会うのが不快、功名心なく、美を憎み、嫉妬深く、交合に対して手荒で、もてなすことなく、強情、熱狂的、礼拝者、密儀と秘儀の熱中者、神事執行者、憑依された、非常に敬神的なものたちを、だがまた真面目で聖職にあり、恥を知り、哲学的、共生を信じ、自制力にとみ、(17) 計算高い、慎重、不機嫌と嫉妬から女たちの怪疑を招く〔者たちをつくる〕が、反対の〔構成〕にあると、好色、淫奔、恥知らず、無差別で清浄さのないもの、交合に対して汚い、男性の顔、特に最も親しい者たちに対する陰謀家、不健全、何でも難癖をつけ、猥褻、美を憎み、口やかましい、悪言家、酔っぱらい、奉仕的、女たらし、無法者、交接に対して影響する側であれ影響される側であれ、自然にしたがっての事のみならず自然に反した事においても無法者で、年長者たち・市民権なき者たち、違法者たち、獣的な交わりの欲求者、不敬、神々を軽蔑し、秘儀や神事を見くびり、全体に不実で、中傷者で、毒殺者、何でもやりかねない〔魂たちをつくる〕。 (18) だが、ヘルメースの〔星〕に同宿されると、誉れに関わる構成では、お節介、詮索好き、法習の探求者、医術の愛者、秘儀参加者、秘教や言葉にできない事柄の参加者、奇跡を起こすもの、詐欺師、その日暮らし、機敏、諸行事の管理者にして抜け目ないもの、辛辣にして明晰な、しらふの、知慮を愛し、実践を愛し、(19) 成功する〔魂たちをつくる〕が、反対の〔構成〕では、おしゃべり、遺恨を持ち、冷酷、魂たちに苦労し、身内を憎み、拷問を愛し、不機嫌、夜間徘徊、誘惑者、裏切り者、同情心のない、盗人、魔術師、模倣使い、偽造者、不謹慎者、不遇にして過ちを犯しやすい〔魂たちをつくる〕。 (20) だが、ゼウスの星が単独で魂の宿の支配権を握ると、誉れに関わる構成では、高邁、雅量があり、敬神、名誉、享楽的、人間愛、豪毅、自由、義しく、慢心、真面目、自分の仕事に専念し、功労者、愛情深く、嚮導的な〔魂たちをつくる〕。(21) だが、反対の構成に遇在すると、魂たちに類似した幻想を、しかしながらより低く、虚飾、より判断力のなさの方へと、例えば高邁さの代わりに放蕩を、敬神の代わりにダイモーン崇拝を、廉恥の代わりに怯懦を、高貴さの代わりに臆念を、人間愛の代わりにお人好しさを、愛美の代わりには、快楽愛を、高邁さの代わりに有害さを、自由さの代わりに無関心さを、そしてそういったものらに類似したかぎりのものらを〔獲得するのである〕。 (22) だが、アレースの〔星〕に同宿されると、誉れに関わる構成では、荒っぽく、喧嘩っ早く、軍人らしく、家政的、興奮状態にある、服従を拒む、熱い、向こう見ず、率直にものをいう、活動的、非難がましい、性急な、係争好き、支配的、よく陰謀を企てる、整った、男らしい、愛勝的だが、高邁で名誉を愛し、勇敢にして (23) 批判的で成功的な〔魂を〕つくるが、反対の〔構成〕では、高慢な、代わり映えのしない、獰猛、執念深い、騒乱的、争い好き、頑固、中傷的、自惚れや、強欲、かっぱらい、変わり身の速い、空虚な、心配性の、落ち着きのない、勇敢、不実、判断力なく、無知、恍惚、ぼうっとし、不平不満家、放埒、取るに足らず (24) まったくの気紛れで乱心した〔魂たちをつくる〕。 だが、アプロディーテーの〔星〕に同宿されると、誉れに関わる構成では、清浄、享楽的、愛美的、子どもを愛し、眺めることを愛し、音楽を愛し、歌い手、養い親を愛し、気立てよく、慈悲深く、思いやりあり、罪のない、神を愛し、訓練家、競争好き、思慮深く、愛情深く、真面目に性愛を求め、良識的、自由に与え、学問好き、判断力があり、均斉的で性愛事に対して恰好よく、家を愛し、敬虔、正義を愛し、行列好き、名誉を愛して総じて (25) 美にして善なる〔魂〕をつくるが、反対の〔構成〕では、贅沢、快楽に生きる、女々しい、合唱舞踏好き、女の心を持った、浪費癖のある、女との関係で悪行する、欲情的、扇情的、猥褻な、悪罵する、姦淫する、美飾好き、やや柔弱、無頓着、身持ちが悪く、非難に値する、情熱的、伊達を気取り、女の心になり、神事に心を奪われ、ポン引き、秘儀狂い、しかし信心深くて悪党ではなくて優美、近づきやすくて過ごしやすくて、不幸に対して (26) より自由な〔魂たちをつくる〕。 だが、ヘルメースの〔星〕に同宿されると、誉れに関わる構成では、博学、愛言的、幾何学的、学問的、詩人的、民衆的、良稟、慎み深く、気立てのよい、美しい忠告をする、政治家的、親切な、管理的、人柄のすぐれた、気前のよい、世評を愛する、良き企てをする、成功的、指導的、経験、愛神的、金儲けにすぐれた、愛情深い、家族を愛する、教養ある、愛知的、誉れのある〔魂たちを〕つくる:(27) だが反対の〔構成〕では、お人好し、おしゃべり、危うく、見下げはてた、狂信的、宗教的、おしゃべり、やや苦い、知者のふりをする、愚かな、空威張り、腕利き、魔術師、やや錯乱しているが、博識で強記で教師風前として諸々の欲望に清浄な(魂たちをつくる)。 (28) だが、アレースの〔星〕が単独で魂の宿の支配権を握ると、誉れに関わる構成では、高貴な、支配者的な、勇ましい、武器を愛する、狡知に長けた、強力、冒険的、向こう見ずな、服従しない、無関心、強情、鋭い、暴君的、軽蔑的、僭主的、働き手、嚮導的な〔魂たちをつくる〕が、反対の〔構成〕では、獰猛、横暴、血を愛し、騒ぎを愛し、浪費的、大声疾呼し、喧嘩好き、向こう見ず、酔っ払い、強奪、非情、悪漢、混乱した、気違いじみた、(29) 親族を憎む、無神的な〔魂たちをつくる〕。 だが、アプロディーテーの〔星〕に同宿されると、栄光的構成では、優美な、心地よい、仲間を愛する、快適生活を送る、慎み深い、愉快な、単純な、律動的な、合唱舞踏を愛する、恋情的、子どもを愛する、模倣的、享楽的、素養を持った、性愛の過ちに対しては男らしくて傾きやすいが、到達しやすくて慎重・敏感・非難しがたく有罪判決を下せない〔魂たち〕を、さらには若い男女を欲求し、 (30) 浪費家にして怒りっぽくて嫉妬深い〔魂たちをつくる〕が、反対の〔構成〕では、眼をきょろつかせ、好色、下に向かう傾向があり、中傷者、姦夫、高慢な、嘘つき、罠を仕掛ける、家族や他人の姦通者、諸々の欲望に対して鋭いと同時に飽き飽きし、女たちや処女たちを堕落させ、危なっかしく、熱く、自堕落、待ち伏せし、偽証し、落ちやすくて混乱し、時には救われない、秩序を愛して勇敢で〔悪行に〕影響され (31) 放埒な〔魂たちをつくる〕。 だが、ヘルメースの〔星〕に同宿されると、栄光的構成では、将兵的、恐るべき、精力的、活動的、軽蔑されざる、機知にとんだ、発明的、知者、労を厭わぬ、抜け目ない、多弁、進取的な、罠を仕掛ける、不安定な、体系的な、悪しき術知者、鋭敏、欺瞞的、陰湿、待ち伏せする、性悪な、お節介、労苦を愛するが、他の仕方では、似た者たちを優遇し、約束に忠実、全体的に敵には有害、(32) 友たちには親切な〔魂たちをつくる〕が、反対の〔構成〕では、強欲、荒っぽく、危なっかしい、向こう見ず、後悔する、愚かしい、乱心している、嘘つき、盗人、無神家、偽証する、陰謀家、反乱者、放火犯、阿って拍手喝采する、横柄、盗賊、壁破り、人殺し、偽造者、悪役、魔法使い、マゴス僧、魔術師、人殺し的〔魂たちをつくる〕。 (33) だが、アプロディーテーの〔星〕が単独で魂の宿の支配権を握ると、誉れに関わる構成では、優しい、善良、贅沢、雄弁、清浄、陽気、合唱舞踏を愛し、美の探求者、辛労嫌い、術知を愛し、観光好き、美装を愛し、健康、善き夢見、愛情深い、親切、慈悲深く、几帳面、和解しやすい、成功して総じて性愛的な〔魂たち〕をつくるが、反対の〔構成〕では、無頓着、恋情的、女々しく、女性らしく、臆病、無関心、低きに向かい、非難にあたいする、(34) 取るに足りない、恥ずべき〔魂たち〕をつくる。 だが、ヘルメースの〔星〕に同宿されると、誉れに関わる構成では、術知を愛する、愛知的な、知識深い、良稟の、能動的、音楽を愛する、美を愛する、気立てのよい、享楽的、優雅に暮らす、友を愛し、敬虔、賢く、狡知に長け、知的、良き企みをし、成功者、物学びの速い、独学的、最善事の探求者、美しい事柄を模倣する、成功的でロゴスの恩寵を受けた、愛される、秩序だった、性格的に真面目な、褒賞好き、正しい、批判的、寛大な〔魂たちをつくる〕が、性愛事のうち、女たちに対しては保守的だが、(35) 愛童たちに対してはより興奮的に探求的な〔魂たち〕を〔つくる〕、他方、反対の〔構成〕では、詐欺師、狡知に長けた、口の悪い、二股膏薬、悪知恵、欺瞞者、煽動者、嘘つき、悪魔、偽証する、深く堕落した、陰謀家、約束を守らない、愚昧、姦淫する、女たちや子どもたちを堕落させる〔魂たち〕、さらには美飾的、幾分柔らかい、非難される、悪い評判の、周知の、何でも実行して、時にはそういった事を堕落させるために装い、時には真実のために受動的で恥行し、多様な感情に驕る〔魂たちをつくる〕。 (36) ヘルメースの星が単独で魂の宿の支配権を握ると、誉れに関わる構成では、生まれる者たちを賢く、抜け目なく、考え深く、博学、独創的、経験豊か、理知的、自然究理家、観想家、探求者、親切、打算的、目的の正しい、数理家、密儀的、好意をいだかせる〔魂の持ち主として〕つくるが、反対の〔構成〕では、狡知に長けた、軽率、健忘、横柄、軽薄、変わり易い、後悔しやすい、ならず者の馬鹿、浅慮、不実、強欲、不義にして総じて精神的に危うく過ちに騒々しい〔魂たちを〕つくる。 (37) 事情かくのごとくであるが、しかしながら、月の体制そのものも役割を果たすのであって、それは、北と南の境界の曲がり角に遇在すると、魂の固有性に対して、より多様性と発明性と変わりやすさに共働するが、結び目に〔遇在すると〕、より大きな鋭敏さと実践性と動きやすさに〔共働する〕:さらに、上昇と光源体の満ちるときに〔遇在すると〕、より大きい良稟性と平明さと確実性と率直さに〔共働する〕が、光源体の盈虚と掩蔽のときに〔遇在する〕と、より大きな鈍重さと曖昧さと後悔と (38) 用心深さと不明瞭さに〔共働する〕からにほかならない: さらに太陽も、魂の混和の宿の主星にどのようにか同宿されると、今度は構成の栄光の点では、より大きな義しさと性急さと評価と気高さと敬神さに〔共働する〕が、反対の疎遠さの点では、より大きな謙遜と辛労と不敬さと野蛮さと独断と謹厳さと判断のし難さと総じて矯正のしがたさに〔共働する〕。 3.15. (T) 魂の病について。(1) 魂に特徴的な病についてのロゴスも、ある意味でその〔魂の〕性格に整合するので、ヘルメースの星と月を、相互と基本点と、諸悪に対する星々の宿に対してどうであるか、それら〔星々〕自身は相互に対して無縁である場合に、親密でなく有害な形によって、地平線にある上昇〔宮〕で圧倒されるとか、取り囲まれるとか、正反対にあるとかするなら、魂の性格に関して出来する多彩な病の能動者となる。これら〔病〕の判定が観想されるのは、またもや、上述の諸トポスに同宿する星々〔水星と月〕の個性による〔ロゴスである〕。 (2) そこで、一方、在り来たりな諸々の病の大部分は、悪行するものらの過剰から綜観されうる魂の固有性に関する上述の箇所においてもほぼ判別されている:まさしくその所以は、性格の極端も、中庸のあるいは過少あるいは過剰も、当然ひとは病気と云うことができようからである:だが、完全な不均衡さを有するものらは、自然全体からも魂の悟性的部分そのものに関しても感覚性に関しても、病的であるように、(3) 次のようなこのような観察の型に入る。 例えば、癲癇病患者たちになるのは、たいてい、我々が云ったように、月とヘルメースの〔星〕との相互、あるいは地平線の上昇星とは無縁であるが、クロノスの〔星〕が昼間に、アレースの〔星〕が夜間に基本点を占めて上述の組み合わせを窺うかぎりの者たちである、だが狂人じみるのは、同じ〔星々〕について、今度はクロノスの〔星〕が夜間、アレースの〔星〕が昼間で、形に君臨、特に巨蟹宮か処女宮か双魚宮にある場合、だがダイモーンに憑かれた者たちや水頭症患者たち〔になるの〕は、こういうふうである悪行する〔星々〕が月齢上の月を(クロノスの〔星〕が同道する〔月〕を、アレースの〔星〕が満月になる〔月〕を)、(4) 特に人馬宮や双魚宮において捕まえる場合である。そこで、悪行する〔星々〕だけが、前述の仕方で形の君臨権を取ると、魂の思量的〔部分〕の前述の病気をば、不治ではあるが、潜在的で目立たないものにする:だが、ゼウスの〔星〕とアプロディーテーの〔星〕という善行する〔星々〕が同宿する場合、みずからは善行する〔星々〕として東半球の基本点にある〔星々〕に属すると、その病を治癒可能ではあるが、派手なものにする。ゼウスの〔星〕については、医術療法や、生活習慣あるいは薬物療法によって、だがアプロディーテーの〔星〕については、諸々の神託や (5) 神々からの扶けによって、みずからが東半球の基本点上の善行する星として日没点にあるときは、その病を不治であると同時に周知のめだったものとし、癲癇の場合は、持続的・致死的な危険で患者たちを取り囲むが、狂気や脱魂状態の場合には、制御不能、親密な者らとの疎遠、錯乱、非難、そういったものらで〔取り囲む〕が、憑依とか湿障害では、神来状態、告白?、非行、(6) 似たような目立ったものらで〔取り囲む〕。個別的には、組み合わせを取り巻く諸々のトポスの中でも、太陽の〔諸トポス〕とゼウスとヘルメースの〔諸トポス〕は癲癇に対して非常によく共働し、アプロディーテーの〔諸トポス〕は脱魂状態や告白に対して、クロノスや月の〔諸トポス〕は湿障害や憑依に対して〔共働する〕。 (7) そこで、魂のあらゆる諸自然本性における能作性をめぐる病的変化の方は、ほとんど、このような形相の中にあり、このような諸々の組み合わせ形体によって効験するが、受動性をめぐる事柄のうち、この特徴において観想される〔病的変化の〕方は、今度は特に、男性と女性という種そのものにおける圧倒と、自然における〔種〕の欠如をめぐって明白となるが、考察して区別されるのは、前述の仕方と等しいが、しかしながらヘルメースの代わり月ととも太陽が、アプロディーテーの〔星〕とともに、それらに対するアレースの (8) 同宿性がれらに加えて受け取られる:なぜなら、これらがそのように視野に入るとき、もし光源体のみが男性宮にある場合、男たちは自然的〔特徴〕を、女たちは自然に反する〔特徴〕を、魂の単なる男性性つまりより乱暴さへと越えるが、もしアレースの〔星〕もアプロディーテーの〔星〕もまでが〔男性宮にある〕場合には、どちらか、あるいはまた両方が男性的となり〔Cf. i, 6.〕、男たちは自然な性交に耽溺するもの、姦淫者、飽くなき者、あらゆる機会に性愛事の無恥・違法事に着手する者となるが、女たちの方は、自然に反した交わりへと〔耽溺し〕、好色、色目遣い、いわゆる“トゥリバース tribavV” [024] となる:彼女らは男たちの活動を果たしながら、女性として (9) 暮らしているからであるが、アプロディーテーの〔星〕のみが男性化されると、〔彼女らは〕ひそかに〔行い〕、公然とは〔行わ〕ないが、アレースの〔星〕までが〔男性化され〕ると逆で、影響される女たちを合法的な〔妻〕とさえ (10) 時に公言する。 だが、逆に、光源体が既述の組み合わせ形体において女性宮だけにあるときは、女たちの方は自然の〔〕を踏み越え、男たちの方は自然に反する〔〕を〔踏み越え〕て、魂の壊れやすさと女々しさに至る。だがもし、またアプロディーテーの〔星〕までが女性的にするなら、女たちは堕落的にして姦婦、好色女となり、何時でもどんな相手からも、あたかも人なきが如くに扱われ、恥ずかしいことであれ違法であれ、性愛事から遠ざかることになり、男たちの方は柔弱、不健全な男として、自然に反した性行と女たちの仕草へと病的ではあるが、秘密裏で気づかれない (11) 振る舞いに及ぶことになる。だがもしアレースの〔星〕までが女性化されると、逆に、上述の事柄をそれぞれの形相において逆向きに強化し、みだらさ、淫乱さ、醜聞性を効験し、悪罵と行使の暴虐の兆しに至るまで無様な組み合わせを効験する。だが、東の〔星々〕と夜明けの組み合わせ形体までが集まると、アレースの〔星〕とアプロディーテーの〔星〕とは、より男らしさ、より語るに足る者にするが、沈む〔星〕・日暮れの〔星々〕だと、より女性的、より (12) 沈着さに寄与する:同様にまた、クロノスの〔星〕も、より放縦さ、不浄さ、あるいはまた述べられた事柄の各にとってより恥辱に共働するよう生まれついているが、ゼウスの〔星〕はより格好良さ、より守護的と、廉恥に、ヘルメースの〔星〕の方は評判、感情の活発さ、抜け目なさ、先見性に寄与する。 2021.01.14. 訳了 |