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[21] さらにその後のことは、どれほど多くの三段櫂船を捕獲したかとか、戦闘に勝利したとか、国々を強奪したとか、言葉で説得してあなたがたの友邦と為したとか、一つずつ語るのは大変な仕事であろう。が、時あたかも最多の国難が生じたあの時代、主導権が父にあった間は、あなたがたの敵国人たちが勝利牌を打ち立てたことは一度もなかったのである。 [22] ところで、将軍としての働きぶりについては、多くを言い漏らしていることを私は知っているが、これについて詳しく述べなかった所以は、為されたことをほとんどの皆さんがご存知だからである。しかるに連中は、父のその他の生活〔私生活〕までも、あまりに不埒にも向こう見ずにも悪罵し、生きていれば恐れたであろうような率直さを死者に対して用いることを恥じず、 [23] 愚かさのあまりに、父についてできる限り多く悪口雑言すれば、あなたがたからもその他の人たちからも名声を得られると思っているほどなのである。あたかも、最善の人士たちについてのみならず、神々についてても、暴慢な言説を口にするのは、人間中最も劣悪な者たちのみがよくすることだということを、万人が知っているわけではないかのようにである。 [24] おそらくは、述べられていることすべてを気にするのは愚かなことであろう。とはいえ、父の業績についてあなたがたに詳述しないではいられないが、それに先だって、少しく祖先についても言及しておきたい。最大にして最美のことは、はるか昔から市民たちの中で私たちに帰せられているのだということをあなたがたが知るためにである。 [25] すなわち、父は、父方の家系はエウパトリダイに属し、これの生まれの良さは添え名ひとつとっても容易に知られるとおりであり、女方の家系はアルクメオン家に属し、これが富裕さの点で最大の記念を残した所以は、アルクメオンは市民たちの中でオリュムピア祭の戦車競技で優勝した最初の人物だからであるが、好意は大衆に対して示し、これを僭主制時代に立証した。すなわち、ペイシストラトスの同族であり、これが権職に就く以前には、市民たちの中で彼と最も親しくしていながら、彼の僭主制に参加することを断り、亡命することの方を、市民たちが隷従するのを眼にすることよりも選んだのである〔595年〕。 [26] そして、党争が続いた40年間、その他の者たちによりも、むしろ僭主たちによって憎まれたあまりに、連中が優勢の時には、一族の屋敷を打ち壊されたのみならず、墓まで暴かれたが〔ヘロドトス、第5巻、第71章〕、亡命者仲間からは大いに信頼された結果、いつの時代にも民衆を指導して過ごしたのである。そして最終的にアルキビアデスとクレイステネスとが、――前者は私の父の父方の、後者は母方の曾祖父であるが、将軍となって民衆派を亡命から連れ帰って僭主たちを追い出し、 [27] あの民主制を樹立し、この体制から生まれた市民たちが男らしさを教育された結果、ヘラスのいずれであろうと、ここに侵攻せんとする異邦人たちと独力で闘って勝利し〔490年、マラトンの戦い〕、正義についてはこれほどの名声を博し、ヘラス人たちが進んで彼らに制海権を手渡し、また国家は権力の点でもその他の装備の点でも、かくまでも強大化した結果、これをヘラスの首都と称したり、同じような誇張表現がよく使われるが、真実を言っているように思われるほどなのである。 [28] さて、民衆に対する友愛は、このように、昔からの、生粋の、功績の大きさによって生じたのであるが、〔父は〕これを祖先から受け継いだものである。しかるに、自らは孤児として残された、というのは、彼の父親〔クレイニアス〕がコロネイアにおいて敵国人たちと闘って戦死し〔446年、ボイオティアに敗れる〕、ペレクレスに後見されたからである。この人が市民たちの中で最も思慮深くもあり、最も公正でもあり、最も知恵者でもあることは、万人が同意されるであろう。これもまた美しいことの一つだと私は考えるのである、――このような出自を持ち、このような環境の中で後見され養育され教育されたということが。 [29] かくして、成人の資格審査を受けたが、上述の人たちに劣るところなく、自分は安易に生きながら祖先の徳を鼻にかけて尊大になることをいさぎよしともしなかったかわりに、初めから血気にはやるあまりに、祖先の働きさえも自分のおかげで記憶されるべきだと思ったほどである。そこで、先ず第一に、ポルミオンがアテナイ人たちの中から最善な者たち1000を選抜して、トラキアに出撃したとき〔432年、 ポテイダイアの戦い〕、これといっしょに出征し、危難の中にあって花冠を受け、武具一式を将軍から授かるほどの人物となった。 [30] はたして、最大の称賛に値する者が為すべきこととは何か。最善者といっしょに国から出征するときには、高貴な者として尊敬され、ヘラス人たちの中で最強の者たちを相手に反攻するときには、あらゆる危難において彼らを凌駕する者であることを明示することではないか。ところで父は、若いときには前者を受け、長じての後は後者を実行したのである。 |