[解説]3 アテナイの訴訟体系
[解説]4 審理の実際法廷での審理は、訴訟当事者である原告と被告とが、多数の裁判官の面前で、それぞれの主張を述べたて、最後に、裁判官が票決によって、双方のいずれの主張を採るかを決めて終結する。 現代のごとき検察官に該当する者もいなければ、弁護士も存在せず、訴訟当事者が自ら弁論に立つことを原則としたが、婦人や未成年者の場合は後見人が代行し、成年男子の場合でも、弁の立つ親類や友人が共同陳述人(synegoros) として弁論の一部を受け持つこともあった。いずれにしても、この弁論の如何によって、自分の財産はいうに及ばず、生命さえもが左右されるのであるから、法律や法廷技術に精通し、法廷弁論の草稿を代作するロゴグラポスは、いわば必要不可欠の存在であったといってよい。とりわけリュシアスは、依頼人の立場になりきって、あたかも、いわば法律と裁判にはまったくの素人である依頼人みずからが書いたかのような弁論を用意するところに、彼の独創性を発揮した。 原告・被告とも、それぞれ2回の弁論が許されたが、持ち時間が決められており、水時計で計測された。研究によれば、係争額5000ドラクマ以上の私訴で、当事者の一方に許される時間は、第一弁論40分、第二弁論12分程度であったらしい。公訴の場合は丸一日が費やされるが、この場合でも、訴訟当事者の一方に許容される時間は、3時間強にすぎない。 2回の弁論の後、ただちに票決が行われる。票決は単純多数決である。裁判官の数が201 人とか501 人とか半端なのは、多数決の際に同数になることを避けるためと言われている。被告に有罪判決が出、量刑の必要が生じた時には、改めて刑量に関する原告・被告双方の申し立てを許し、その後ただちに、そのいずれを採るかで票決を行う。裁判官どうしが話し合うこともなければ、裁判官が独自に判断を下すわけでもなかったのである。 このように、わずかな時間で、いかにして裁判官たちを(すなわち、訴訟当事者とまったく変わらぬ素人の市民たちを)自分に有利なように説得するか。そこに、この裁判の危うさがあった。しかし、だからといって、彼らの法廷弁論が、現代の法廷でわれわれが眼にし耳にするそれよりも卑屈・低劣であったわけではない。むしろ、言葉ひとつに、発言者の全財産・全生命が賭けられている事実の重みに胸をうたれる。アテナイ人たちが言葉の欺瞞を知らなかったわけでは、もちろん、ない。むしろ、言葉の力だけで、まったく無実かもしれない相手の生命を奪う残忍・卑劣な「誣告者(skopantes) 」の群に悩まされてさえいた。にもかかわらず、そんな世界に、「言葉(logos) 」ひとつを頼りに、たじろぐことなく立ち向かう雄々しさは、当時のアテナイにあっては、何もあの哲人ソクラテスひとりのものではなかったのである。 |