犬儒派について
犬儒派作品集成
アンティステネース
〔前5世紀中頃-前4世紀中頃〕
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[略伝]
アンティステネース=AntisqevnhV(前5世紀中頃-前4世紀中頃)
ソークラテースの仲間、ソークラテース最期の対話に臨席したとプラトーンによって名前を挙げられている者たちの一人。数々の主題についておびただしい量の書を著すことで、ソフィストの伝統を継承した職業的教師。そこには、倫理学、政治学、自然哲学、認識論、言語学が含まれ、ジャンルも、ソークラテース的対話、演説、またプラトーンを含むさまざまな人物に対するdiatribhvを包含する。
彼はソークラテースに倣って、徳は教えられ得るものであり、幸福となるには徳だけで足りるのであって、「ソークラテース的な強さ以外には何ひとつその上に必要ではない」(D. L. 6. 11)とした。結局、彼が強調したのは、ソークラテース的な生活態度の禁欲生活であり、厳しくて単純な生活の快楽以外の快楽に対して激しく敵対した。この自足に対する強調と道徳的主体の超俗性は、ストア派に採りあげられ、(身体的な禁欲に対する特別な強調とともに)犬儒派に受け継がれた。
彼は、言語の本質と、言語と現実との関係について、クラテュロス、プロディコス、その他と関心を共有した。彼は、矛盾の可能性を否定したと報告されている人々(プロタゴラスやプロディコスを含む)の一人であった。この立言は、一つの主語には一つの述語あるのみという見解から導き出されたとして、アリストテレースはこれを彼に代表させている(Metaph. 1024b32-4)。また、定義できるのは「どのようなものであるか」だけであって、「何であるか」は定義できないという理論(プラトーンの『テアイテートス』で批判された理論)を、アリストテレースは「アンティステネースの仲間」に帰している(Metaph. 1043b23-32)。
クセノパネースその他によれば、彼は因習的な宗教を批判し、ノモスによっては(kata; novmon)数々の神がいるが、自然においては(kata; fuvsin)神は一つであると主張したという。
F. Decleva Caizzi, Antisthenis Fragmenta (1966);
G. Giannantoni, Socraticorum Reliquiae (1983);
Guthrie, Hist. Gk. Phi. 3;
H. D. Rankin, Sophists, Socrattcs and Cynics (1983);
N. Denyer, Language, Thought and Faisehood in Ancient Greek Philosophy (1991), ch. 3 .
(OCD, C. C. W. T.)
Dudley, Donald R. (1937), A History of Cynicism from Diogenes to the 6th Century A. D.. Cambridge;
Long, A. A. (1996), "The Socratic Tradition: Diogenes, Crates, and Hellenistic Ethics", in Bracht Branham, R.; Goulet-Caze Marie-odile, The Cynics: The Cynic Movement in Antiquity and Its Legacy. University of California Press. ISBN 0520216458;
Luis E. Navia, (2005), Diogenes The Cynic: The War Against The World. Humanity Books. ISBN 1-59102-320-3;
Luis E. Navia, (2001), Antisthenes of Athens: Setting the World Aright. Greenwood Press. ISBN 0-313-31672-4:
ディオゲネース・ライエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第6巻1章「アンティステネース伝」
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