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back.gif沈黙の哲学者セクンドス

犬儒派作品集成

デーモーナクス断片集

〔紀元後2世紀〕



[略伝]

 キュプロスのデーモーナクス(Dhmwvnax)(紀元後2世紀)。
 犬儒派の哲学者、ルゥキアーノスに帰せられる書「デーモーナクスの生涯」によって主として知られる。
 富裕な家柄の出身であったが、相続を放棄した。彼の教師の中にエピクテートスがいた。遍歴したが、アテーナイに定住、個人や都市に勧告した。
 彼は100歳近くになって、みずから食を断って死んだ。アテーナイ人たちは彼を国葬にした。

C. P. Jones, Culture and Society in Lucian (1986), ch. 9.

(OCD, W.D.R.; A.J.S.S.)

book.gif ルゥキアーノス『デーモーナクスの生涯』



[底本]
TLG 2969
DEMONAX Phil.
(A.D. 2: Cyprius)
1 1
2969 001
Fragmenta, ed. F.W.A. Mullach, Fragmenta philosophorum Graecorum,
vol. 2. Paris: Didot, 1867 (repr. Aalen: Scientia, 1968): 351-357.
frr. 1-67.
5
(Q: 2,123: Phil.)





断片集(Fragmenta)

1.1
 もろもろの快楽から減算すればするほど、汝は徳に加算することになろう。

2.1
 恥ずべきことは、諸々の徳は他の人たちの中に受け容れ、自身のなかには、諸悪を保持すること。

3.1
 身体のことには気づかいながら、自分自身のことはないがしろにする人たちを彼は非難した。家のことには気づかいながら、住んでいる者たちのことはないがしろにする者たちだとして。

4.1
 他人を手本として、汝自身を教育せよ、そうすれば、諸悪にかかわりない者となれるだろう。

5.1
 汝らは死すべき存在であるから、神々以上に考えてはならぬ。

6.1
 ある人たちが、宇宙(ko/smoj)は有魂かどうか、さらにまた、球体かどうか、検討しているとき、「あんたらは」と彼が謂った、「宇宙については詮索するが、自分たち自身の無秩序さ(a)kosmi/a)については配慮しないのだ」。

7.1
 ひとりのソフィストが彼を責めて、「なにゆえ、わたしのことを悪く言うのか?」と言ったとき、彼は謂った、「悪く言っている者を無視しないからだ」。

8.1
 デーモーナクスが、「いつ、哲学を始めたのか」と質問されて、彼は謂った、「自分自身を知り始めたときに」。

9.1
 舌よりも両耳の方をわたしは多用する。

10.1
 無教育な者たちは、釣られた魚たちのように、引っ張られても、沈黙している。

11.1
 人間どもが諸悪をこうむるのは、友たちによってよりは、敵たちによっての方が、被害はより少ない。なぜなら、敵たちを恐れる者たちは守備するであろう。しかし、友たちに心を開いている者たちは、危なっかしく、かつ、たくらみにさらされた者であるし、またそうなるであろう。

12.1
 友愛の秘儀を聞いて、その後で敵となったら、表明してはならない。なぜなら、敵に不正するのではなく、友愛に〔不正する〕のだからである。

13.1
 あらゆる点で信を置けないような友は持つなかれ。

14.1
 現在の生を生きるのではなく、別の生を生きる人たちのように、現在の〔生〕を大いに真剣になってそなえない人たちがいる。

15.1
 転変は真実に勇敢な人を示し、不運は知慮深い人を〔示す〕。

16.1
 都市は奉納物によって、魂は学知によって飾るべきである。

17.1〔以下は、ルゥキアーノス「デーモーナクスの生涯」から〕
 例えば、パボーリノスは、あるひとから、〔デーモーナクスが〕自分〔=パボーリノス〕の講義を笑いものにして、とりわけその〔講義の〕なかの歌曲の軟弱さを、下品で女々しくて、哲学にまったくふさわしくないと、ひどく〔笑いものにしている〕と聞いて、押しかけていって、デーモーナクスに質問した、「わしの〔歌曲〕をけなすとは、何様だ」。「人間様だ」と彼〔デーモーナクス〕が謂った、「だまされやすくはない耳を持っているところの」。そのソフィストがなおもしつこく、「いかなる旅支度をして、おおデーモーナクスよ、子ども時代から哲学へとたどりついたのか」と尋ねると、「睾丸をさ」と謂った。

18.1
 また別のときに、この同じ男が押しかけてきて、デーモーナクスに尋ねた、「哲学のなかでどの学派がより気に入っているのか?」。すると相手は、「わしが哲学していると、いったい誰があんたに言ったのか」。そうして、彼のもとからすでに立ち去りぎわに、呵々大笑した。そこで相手が、「どういうわけで笑うのか」と尋ねると、くだんの人物が謂った、「もしかして、哲学する連中は、髭で判断すするのがよいとあんたが思ったのなら、可笑しいとわたしに思われたのだよ、あんた自身は髭がないもんだからね」。

19.1
 また、あるとき、シドーン人のソフィストがアテーナイで好評を博し、自画自賛して、あらゆる哲学を体得したとか何とか言っていたとき(彼が言っていたことをそのまま云うのも悪くない)。
 「アリストテレースがわしをリュケイオンに呼んだら、ついてゆこう。プラトーンがアカデーメイアに〔呼んだら〕、出かけてゆこう。ゼーノーンが〔呼んだら〕、柱廊で時を過ごそう。 ピュタゴラスが呼んだら、沈黙しよう」。
 すると、聴衆の真ん中から〔デーモーナクスが〕立ち上がって、「そこの御仁」と、名前を呼んで謂った、「ピュタゴラスがあんたを呼んどるよ」。

20.1
 マケドニアの貴族の中に、ピュトーンとかいう、見目麗しい若者がいて、彼をからかって、相当ソフィスト的な質問を持ち出し、論理的な答えを云うよう命じたとき、「ひとりの坊やを知っとるよ」と彼が謂った、「これが結論だよ」。すると、相手はこの両義に取れる冗談に怒って、「今すぐあんたに男(a)nh/r)をたっぷり見せてやるぞ」と脅迫すると、彼は笑って尋ねた、「すると、あんたは情夫(a)nh/r)を持っているってことか」。

21.1
 ある競技者が、オリュムピア競技の優勝者なのに花柄の衣装注3)を身につけているところを見られたね、と彼に嘲笑されて、彼の頭を石で殴り倒して、血が流れたとき、居合わせた人たちは、めいめい自分が殴られたかのように憤慨し、地方総督(a)nqu/patoj)のところに行くよう大騒ぎしたが、デーモーナクスはといえば、「諸君」と彼は謂った、「地方総督のところなんかじゃなくて、医者のところへ」。

22.1
 さらにまた、あるとき、道を歩いていて黄金の指輪を見つけたので、市場に張り紙をして、紛失者を求めた、「誰か指輪の持ち主たる者は、来りて、その嵌め込みと石と型とを云って引き取られたし」。 すると、ひとりの見目麗しい少年がやってきて、自分がなくしたと言う。ところが、何ひとつまともなことを言わなかったので、「お帰んなさい」と彼が謂った、「おお、少年よ、そうして、自分の指を守ってなさい。それはまだなくしてないのだから」。

23.1
 また、ローマの元老院議員のひとりが、アテナイで彼に息子――きわめて見目麗しく、おまけに女性的で、なよなよしたの――を示して、「あなたにご挨拶申します」と謂った、「わたくしのこれなる息子めが」。するとデーモーナクスが、「美男だね」と謂った、「君の儲けものだね、お母さん似で」。

24.1
 また、熊の毛皮を着て哲学している犬儒派を、本名のホノーラトスではなく,アルケシラオスと呼ぶのがふさわしいといった注4)。

25.1
 そこで、あるひとが、彼にとって幸福の定義は何だと思われるかと尋ねたとき、「幸福な人とは」と彼は謂った、「ひとり自由人のみである」。 そこでくだんの人が、「自由人なら数多くいる」と主張すると、「しかし、わしが考えているのは、何か希望も持たず恐れも持たぬ彼〔アルケシラオス〕のことだよ」。そこで相手が、「いったい、どうすれば」と謂った、ひとはそれができるのですか? たいていのひとは皆、それら〔希望や恐れ〕に隷従してきたのですから」。「たしかに」と彼が謂った、「人間どもの所行をよくよく考えれば、それらが希望にも恐怖にも値しないことを見いだすことができよう、苦悩も快楽完全に止んだときに」。

26.1
 ペレグリノス・プローテウスが、彼〔デーモーナクス〕が多くのことを笑い話にして、人間をからかっていると非難して、「デーモーナクスよ、あんたは犬儒派じゃない」と言ったとき、彼は答えた、「ペレグリノスよ、あんたは人間じゃない」。

27.1
 じっさいまた、ある自然究理家(fusiko/j)が、アンティプゥス人間(a)ntipo/des)について対話しているのを、立ち上がらせ、井戸のところに連れて行って、水面に映った影をこれに示して尋ねた、「いったい、こういった連中をアンティプゥス人間だとあんたは言うのか?」。

28.1
 いや、それどころか、ひとりのマゴス僧が、〔自分はしかじかの者〕であり、強力な呪術を持っているから、自分の望む者は何でも自分に差し出すよう誰でも説き伏せることができると言ったとき、「驚くなよ」と彼〔デーモーナクス〕が謂った、「このわしもあんたと同じ術を持っておるのじゃ、お望みなら、パン屋の女将のところまでついて来なされ、そうしたら、呪文一つや小さな薬によって、彼女がパンをわしに差し出すようわしが説得するのを眼にすることができよう」――つまり、貨幣は呪文と同じ力があるということをほのめかしたのである。

29.1
 ヘーローデース注5)〔Claudius Atticus Herodes, Tiberius〕は、〔お気に入りの奴隷〕ポリュデウケースが夭折したのを歎き悲しみ、これのために馬車に軛をつけ、これが搭乗するかのように馬をつなぎ、また食事の用意もするようにしていたとき、〔デーモーナクスは〕訪ねていって、「ポリュデウケースから」と謂った、「あなた宛に手紙を1通あずかってきました」。そこで、くだんの人物は喜んで、世間並みに他の人たちと同様、彼なりの気持ちで駆けつけてくれたのだと思って、云った、「それで何を、おお、デーモーナクス、ポリュデウケースは求めているのかね?」。「あなたを責めてるんですよ」と彼は謂った、「すぐに彼のところに逝かないものだから」。

30.1
 また同じ人〔デーモーナクス〕が、息子を嘆き悲しみ、闇の中に引きこもっている者のところを訪ねて、〔自分は〕マゴス僧で、いまだかつて誰ひとり嘆き悲しんだことのない人間を3人ばかり名前を挙げてくれさえすれば、子どもの影像を呼び出すことができる言った。そこでくだんの人が、長い間思案して、行き詰まっていると(思うに、そういう人を云うことができなかったのであろう)、「だから」と彼が謂った、「おお、おかしな人よ、悲嘆に無縁な人はひとりも見当たらないのに、自分だけは堪えがたい目に遭っていると思いなしているのだよ」。

31.1
 実際また、議論の中に古めかしい聞き慣れない単語を使う例の連中も、嘲笑するにあたいすると彼は見なしていた。例えば、ひとりの男が、彼にある言葉を質問されて、過度のアッティカ方言で答えたので、「わしはあんたに」と謂った、「おお、同志よ、今の時代に質問したのに、あんたはわしに、まるでアガメムノーン時代のように答えている」。

32.1
 また、仲間のひとりが、「出かけよう、デーモーナクス、アスクレーピオス神殿に、そうして息子のためにお祈りをしよう」と云ったとき、「完全な聾だと考えたまえ」と謂った、「アスクレーピオスはな、われわれが祈っているのが、ここからでも聞こえないとするなら」。

33.1
 また、あるとき、二人の哲学者なるものが、探究における無教養をさらけ出して論争し、一方が馬鹿げたことを問い、他方が論理的に何も答えられないのを目撃して、「あんたたちには思われないか」と謂った、「おお、友たちよ、この一方が牡山羊の乳を搾り、もう一方が彼のために濾し器で受けていると」。

34.1
 逍遥学派のアガトクレースが、自分のみが唯一、問答家の第一人者であると大威張りしていたとき、彼が謂った、「実際のところ、おお、アガトクレースよ、第一人者なら、唯一ではないし、唯一なら、第一人者ではない」。

35.1
 執政官のケテーゴスが、父の代理として、ヘッラスを経由してアシアに下向していたとき、数々の嘲笑すべきことを言いもし行いもしたのであるが、仲間のひとりがこれを見て、やつは大した屑だねと言ったので、「ゼウスにかけて」とデーモーナクスが謂った、「大した屑でさえない」。

36.1
 さらにまた、あるとき、哲学者のアポッローニオス注6)が、大勢の弟子たちを引き連れて出かけるのを見て(教育係として皇帝に仕えるべく呼び寄せられて、出向くところであった)、「出発だね」と謂った、「アポッローニオスと、彼のアルゴス号の乗組員たちの」。

37.1
 また、あるとき、別の人が、魂は不死だと彼に思われるかどうかと尋ねると、「不死だとも」と謂った、「万物がそうであるように」。

38.1
 しかるに、ヘーローデースについて、われわれが有する魂はひとつではないとプラトーンが主張したのは、真実をいっていると〔デーモーナクスは〕言った。なぜなら、〔ヘーローデースの妻〕レーギッラと〔ヘーローデースの気に入りの奴隷〕ポリュデウケースとを、生きているかのように饗応することと、こういった演説をすることとは、同じ魂にできることではないから、と。

39.1
 さらにまた、あるとき、〔秘儀の〕予告を聞いて、アテーナイ人たちに公然と質問することを敢行した、いかなる理由で、異邦人たちを閉め出すのか、それも、彼らのためにこの儀式を設立したエウモルポスは異邦人のトラキア人だったのに、と。

40.1
 また、あるとき、冬のさなかに、航海しようとする彼に、友人のひとりが、「船がひっくり返って、魚たちに喰われはすまいかと怖くないのか」と云ったところ、「恩知らずということになるだろうよ」と彼が謂った、自分はあれだけの魚たちを喰らっていながら、魚たちに平らげられるのをためらうとしたら」。

41.1
 また、最悪の演説をしたある弁論家に、練習し鍛錬するよう忠告してやった。すると相手が、「いつも自分に向かって演説しているよ」と云ったので、「それなら当然だな」と彼が謂った、「阿呆な聴衆を相手にしているのだから、こういう演説になるのは」。

42.1
 さらにまた、あるとき、占い師が公の場で報酬を取って占いをしているのを見て、「わしにはわからん」と彼が謂った、「あんたが報酬を要求するわけが。なぜなら、運命の定めを何か変えることができるというなら、どれほど要求しても要求は少ないことにあるし、万事は神によいと思われるとおりになるのだとしたら、あんたの占い術は何ができるのか?」。

43.1
 歳のいったあるローマ人で、逞しい体つきをしたのが、立ち杭を相手に武装の模擬戦闘を彼に披露して、尋ねた、「あなたに、デーモーナクス、闘いぶりはどう思われましたか?」。「お美事だ」と彼が謂った、「木製の敵手を相手にしているかぎりは」。

44.1
 実際また、もろもろの質問のうち難問に対しても、まったく的を外さぬ心構えができていた。例えば、ある人がからかうつもりで、「材木1000ムナを燃やしたら、おお、デーモーナクス、何ムナの煙が発生するのか?」と質問したとき、「灰を量れ」と彼が謂った、「そうしたら、残りがすべて煙だ」。

45.1
 また、ポリュビオスとかいう、ひどく無教養な人間で言葉遣いの乱れたのが、「皇帝はローマ人たちの市民権をもって名誉あらしめたり」と云ったとき、「あんたを」と彼が謂った、「ローマ人よりもヘッラス人たらしめておけばよかったのに」。

46.1
 また、貴族のひとりが、紫帯の幅に大得意なのを見て、彼の耳元にかがみこむと、その衣装を手にとって、示して、「ところで」と彼は謂った、「これを身につけていたのは、あんたより先に羊だった、そいつは羊だった」。

47.1
 ところで、入浴しようとして、煮える湯に入るのをためらっていたので、誰かが臆病なやつだと咎めたので、「わしに云ってみろ」と彼が謂った、「祖国のためにこんな目に遭わねばならんとでもいうのか?」。

48.1
 また、あるひとが、「ハデスの〔館〕の状況はどんなふうだとおもいますか?」と尋ねたとき、「お待ちなされ」と彼が謂った、「そこからあんたに便りを出そうほどに」。

49.1
 アドメートスとかいうつまらぬ詩人が、1行のエピグラム詩を書き、これを自分の墓標に刻むよう遺言に頼んでおいたと言う。これを云うのも悪くはあるまい。
  大地はアドメートスの亡骸を受け取れり、されどみずからは神のもとに行けり。
〔この詩人に〕彼〔デーモーナクス〕は笑って云った、「とても美しい、おお、アドメートスよ、このエピグラム詩は、これがとっくに刻みこまれていたらよかったのにと思うほどに」。

50.1
 また、あるひとが、彼の脚に、老人たちに特有のもの〔シミ〕ができているのを見て、「これは何だ、デーモーナクス」と尋ねた。すると相手は微笑して、「カローンがわしを噛んだのだよ」と謂った。

51.1
 実際また、ひとりのラケダイモーン人が自分の家僕を鞭打っているのを見て、「やめろ」と彼が謂った、「あんたの奴隷を同じ身分の者だと表明することは」。

52.1
 また、 ダナエーとかいう女が兄弟と争訟を起こしたとき、「裁いてもらうがいい」と彼が謂った、「あんたはアクリシオス〔アクリシオスを「裁きに訴えない男」と意に解した語呂合わせ〕の娘のダナエーじゃないのだから」。

53.1
 また、彼がとくに敵対したのは、、真理のためではなく、見せびらかせのために哲学する連中であった。例えば、ひとりの犬儒派の男が、襤褸外套 (tri/bwn)に頭陀袋をもち、杖の代わりに棍棒を〔持って〕、アンティステネースとクラテースとディオゲネースの信奉者だと喚いて言っているのを見て、「嘘をつくな」と彼が謂った、「あんたはまぎれもないヒュペリデースの弟子だろ」。

54.1
 ところで、競技者たちの多くがきたない試合をして、競技規則に反して格闘する代わりに噛みついているのを目撃したとき、「的外れじゃないな」と彼が謂った、「今時の競技者たちのことを、取り巻き連中がライオンと呼ぶのは」。

55.1
 彼が州総督に向かって言い放ったあのことも、雅やかであると同時に辛辣なものであった。つまり、〔その州総督ときたら〕脚はもとより身体全体をも瀝青で脱毛する連中のひとりであった。そこで、ひとりの犬儒派の男が、石の上にのぼって、彼がまさにそのことを弾劾し、ふしだらさを侮辱したので、〔州総督は〕怒って、その犬儒派を引きずり下ろすよう命じ、棒で打ちのめすなり、あるいはまた追放刑に処するなりしようとした。ところが、ここにデーモーナクスが通りかかり、この男は犬儒派にとって祖法ともいえる直言 (par)r(hsi/a)を敢行したのだからと宥恕あるべしと懇願した。そこで、州総督が云った、「今は、そなたに免じてこやつを放免してやろう、だが、後になって何かこういうことをしでかしたら、どんな目に遭うのがふさわしいか?」。するとデーモーナクスが、「そのときはこやつは脱毛さるべしとお命じなされ」。

56.1
 また、別の人で、軍隊と同時に最大の族民の支配を皇帝から委任された人が、どうしたら最善に支配できるかと尋ねたのに対して、「怒りを抑えること」と彼が謂った、「話すことは少なく、聞くことは多くすること」。

57.1
 また、あるひとが、彼もまた平菓子を食べるのかどうか尋ねたのに対して、「するとあんたは思っているのか」と彼が謂った、「阿呆どものために蜜蜂たちは蜜蝋をためるのだと」。

58.1
 また、柱廊のほとりに、片手を切り落とされた人像があるのを見て、アテーナイ人たちが銅像でもってキュナイゲイロス注7)を顕彰したのは遅きに失したと謂った。

59.1
 実際また、キュプロス人のルゥピオス(わたしが言っているのは、逍遙学派出身の足萎えのことだが)、逍遙談義で長々と暇つぶししているのを見て、彼は謂った、「逍遙学派の足萎え〔出来損ない〕ほど恥知らずなものはない」。

60.1
 また、あるとき、エピクテートスが詰ると同時に彼に忠告した、――妻を娶って子どもをもうけろ、それもまた哲学者ふさわしい、自身の代わりに別人を自然に遺すというのは、と。これに対してこう答えてこてんぱんにやりこめた、「それじゃ、おお、エピクテートス、あんたの娘をひとりわしにくれ」。〔もちろん、エピクテートスも独身であった〕

61.1
 実際また、アリストテレース学徒のヘルミノスに向かって〔いった〕ことも、思い出しておくにあたいする。というのは、この男が極悪人であり、無量の悪事をはたらきながら、アリストテレースとその10の範疇 (kathgori/a)のことをいつも口の端にのぼらせるのを知って、「ヘルミノスよ」彼は謂った、「あんたは真に10の告訴 (kathgori/a)にあたいする」。

62.1
 また、アテーナイ人たちが、コリントス人たちに対する対抗心から、剣闘士たちの見世物を催すことを検討しているとき、彼らの前に進み出て、謂った、「それを票決する前に、おお、アテーナイ人たちよ、『憐れみ』の祭壇を取り壊さざるべからず」。

63.1
 また、あるとき、オリュムピアに赴いた彼のために、エーリス人たちは銅像を〔建てることを〕票決しようとしたので、「それはやめなされ」と彼は謂った、「おお、エーリス人諸君、さもないと、ソークラテースの像もディオゲネースの像も建てなかったと、先祖たちに非難を向けているようにあなたがたが思われようから」。

64.1
 さらにまた、法律の専門家に向かって彼がこう言っているのをわたしは耳にしたことがある。――法律というものは、悪人たちのために立法されるにしろ、善人たちのために立法されるにしろ、無用なものである危惧がある。なぜなら、後者は法律を必要とせず、前者は法律によってより善人になることはちっともないのだから、と。

65.1
 また、ホメーロスの詩句のうち、次の1節をしきりに口ずさんでいた。

  手柄なき者も、手柄多き者も、死ねば同じ。〔Il. IX_320〕

66.1
 さらにまた、テルシテースをば、犬儒派の民衆演説家のようなものだと賞讃していた。

67.1
 また、あるとき、哲学者の中で彼のお気に入りは誰かと尋ねられて、彼は謂った、「みんな驚嘆すべき人たちであるが、わしとしてはソークラテースを尊敬し、ディオゲネースを賛嘆し、アリスティッポスが好きだ」。

2005.11.26. 訳了。

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