オネーシクリトス伝
Vitae philosophorum, ed. H. S. Long, Diogenis Laertii vitae, vi. 5. [85] ぷどう酒色をした虚栄の〔海の〕まん中に、ぺーレー〔頭陀袋〕なる国がある。 [86] 料理人には10ムナ、医者には1ドラクマ、 ところで、彼はまた「扉をあける人」とも呼ばれていたが、それは彼がどの家にでも乗り込んで訓戒する人だったからである。また、次の詩も彼のつくったものである。 わたしが学んだり考えたりしたこと、またムゥサの女神たちの助けで教わった尊いこと、 また、哲学から彼が得たものは、 1コイニクスの量のはうちわ豆と、何ごとも気にしないことだ。 と彼は言っている。 愛欲の情〔エロース〕を抑えるものは、飢えか、さもなければ、時。 [87] そして夏の間は、(その名にふさわしく)克己心の強い人(エンタラテース)になるべく、彼は毛の厚い外套をまとっていたし、 また、ディオクレースの伝えているところによると、ディオゲネースが彼を説得して、彼に土地を放棄させて、それを羊が草を食むがままの荒れ地にしたり、また彼がなにがしかのお金を持っていたとすれば、それは海に投げ捨てるようにさせたということである。 [88] さらに、マグネーシアのデーメートリオスが述べているところによれば、彼はある両替商に、次のような約束でお金を預けたという。すなわちそれは、自分の子供たちが大きくなって普通の人間になったなら、彼らにそのお金を渡してもらうが、もし哲学者になったなら、そのお金は市民たちに分配してくれるようにという約束であった。というのも、子供たちが哲学に励んでいるなら、何もいらないだろうからというわけであった。 また、エラトステネースが述べているところによると、彼はヒッバルキアから この人のことはやがて(第七草)述べることになるが パシクレースという名の子供をもうけたが、その子が兵役年齢をすぎたとき、彼はその子を売春宿に連れて行って、父親の結婚はこんなふうにしてだったよとその子に言った、とのことである。[89] また、密通着たちの結婚は悲劇的な経過をたどるものであって、それは追放や殺害をその報いとしてもつことになるが、他方、遊女に近づく着たちの結婚は喜劇の対象になるだけだと、彼は言ったとのことである。なぜなら、後者の場合には、浪費や離酎によって分別を失った状態におちいるからだと。 この人にはパシクレースという名の兄弟がいたが、これほエウクレイデースの弟子となった人である。 なお、パボーリノスは『覚書』第二巻のなかで、彼(タラテス)について愉快な話を伝えている。すなわち、その話というのは、彼が体育場の管理人にあることを頼んでいたとき、その人のお尻のあたりを手でさわった。それで、相手が文句をつけると、「どうしてかね。そこのところだって、膝と同じょうに、君のものではないのかね」と彼は言ったというのである。 また彼は、欠点の全くない人を見つけ出すのは不可能なことであって、それはちょうど、ザクロの実のなかには腐っているものもあるのと同じことだと語っていた。 キタラ奏者のニコドロモスを怒らせたとき、彼は眼の下をなぐられてあざができた。それで彼は、「ニコドロモスの仕業だ」と書きこんだ紙片を自分の額の上に肪りつけたのだった。 [90] アテーナイ市を警備している役人たちから、彼がリンネル製の上等の衣服を着ているといって冬められたとき、「テオブラストスだってリンネルの衣服を身にまとっているのを、あなた方にお見せしょう」と彼は答えた。しかし役人たちはそのことを信じょうとしなかったので、彼はその人たちを床屋に案内して、そしてテオブラストスが(リンネルの布で身体を厳って)髪を刈ってもらっている姿を見せてやったのだった。 テーバイの町で、彼が体育場の管理人に鞭で打たれて しかし、ある人たちによると、これはコリントスの町でのことであり、またエウリュクラテースという人によってであるということだが そして足をつかまれて引きずり出されようとしたとき、彼は何でもないことのようにしながら、(ホメロスの詩句を借りて)こう言ったのだった。 足をつかまえて、神々しい天の敷居を通って引き出しておくれ。 [91] また、キティオーンのゼーノーンは『歳言集』のなかで、彼はあるとき自分のすり切れた衣服に羊の皮までも縫いつけて平然としていたと述べている。 また彼は、顔つきは醜かったし、そして体育の練習をしていると、人びとから笑われたものだった。しかし彼は、両手を振り上げながら、いつもこんなふうに言っていたのである。「さあ、元気を出すんだ、クラテースよ、それは眼のためにもなるし、身体のほかの部分のためにもなるのだ。」 [92] また、将軍たちとは駿馬を追い立てている人間なのだと思えるようになるまで、ひとは哲学に励まなければならないと彼は語っていた。 さらに、追従者たちといっしょに暮らしている者は、ちょうど狼のなかにおかれた仔牛のように、孤独な者だと彼は言っていた。なぜなら、仔牛にとってと同じく、その人たちにも、自分たちを守ってくれる身内の者はいなくて、謀りごとを企んでいる着たちばかりがいるのだからと。 彼は死が迫っていることに感づくと、自分白身に向かって呪文を唱えながら、こう語りかけたのであった。 親愛なる猫背の男よ、お前は行こうとしているのだ、 [93] なお、メナンドロスもまた、『双子の姉妹』のなかで彼に言及しながら、次のように述べている。 お前はすり切れた衣服をつけて、わたしと一緒に歩き過ってくれるだろうね、 さて次は、彼の弟子たちのことである。 (2011.03.06.) |