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ディオゲネース・ライエルティオス
『ギリシア哲学者列伝』
第6巻5章

テーバイのクラテース伝

〔fl. 326 B.C.〕



Vitae philosophorum, ed. H. S. Long, Diogenis Laertii vitae, vi. 5.


[85]
 アスコンダスの子クラテースはテーバイ人。この人も、犬〔=ディオゲネース〕の名だたる学徒の一人。しかしヒッポボトスは、彼はディオゲネースの学徒ではなくて、アカイアの人ブリュソーンの〔学徒〕であったと謂う。次のような戯れの詩が彼のものとして伝えられている。

ぷどう酒色をした虚栄の〔海の〕まん中に、ぺーレー〔頭陀袋〕なる国がある。
その国は美しく、稔り豊かであるが、どこもかしこも汚らしくて、何ひとつ所有していない。
その国へ向かっては、愚か者も食客も、また遊女の尻に狂喜する淫乱な男も、船を進めることはない。
だが、その国には、たちじゃこうそうもにんにくも、また無花果もパンもあるのだ。
だから、人々はそれらのものをめぐって互いに争うこともなければ、
金銭や名声のために武器をそなえることもないのだ。
 〔Anth. Plan. v. 13.〕

[86]
 また、しばしば話題にされる彼の日記帳もあるが、それにはこんなことが記されていたのである。

料理人には10ムナ、医者には1ドラクマ、
おべっか使いには5タラントン、助言者には煙、
娼婦には1夕ラントン、哲学者には3オボロス。

 ところで、彼はまた「扉をあける人」とも呼ばれていたが、それは彼がどの家にでも乗り込んで訓戒する人だったからである。また、次の詩も彼のつくったものである。

わたしが学んだり考えたりしたこと、またムゥサの女神たちの助けで教わった尊いこと、
それらすべてがわたしの所有しているもの。 だが、人の世の仕合せとされている数多くのよきものは、虚栄が手に入れた空しいもの。
 〔Anth. Pal. vii.326.〕

 また、哲学から彼が得たものは、

1コイニクスの量のはうちわ豆と、何ごとも気にしないことだ。

と彼は言っている。
 さらに、次のものも彼の詩句として伝えられている。

愛欲の情〔エロース〕を抑えるものは、飢えか、さもなければ、時。
しかしもし、これらのものも役に立たないのであれば、首吊りの索。

[87]
 ところで、彼の盛年は第113回オリンピック大会期〔前328-325年〕の頃であった。
 アンティステネースが『哲学者たちの系譜』のなかで述べているところによると、彼が犬儒派の哲学に向かうことになったのは、ある悲劇作品のなかで、テーレボスなる者が小さな籠をさげているだけで、それ以外は全くみじめな状態にあるのを見たのがその動機であった。そこで彼は、自分の土地財産を銀貨に換えて — というのも、彼は名家の出だったからであるが — こうして約200タラントンばかりを集めると、それらを市民たちに分け与えた。そして彼は、そのような不退転の決意をもって哲学に励んだので、喜劇作家のビレーモーンによっても言及されることになったということである。事実、ビレーモーンは次のように述べているからである。

そして夏の間は、(その名にふさわしく)克己心の強い人(エンタラテース)になるべく、彼は毛の厚い外套をまとっていたし、
また冬の間は、ぽろぽろの着物を身につけていたのだ。

 また、ディオクレースの伝えているところによると、ディオゲネースが彼を説得して、彼に土地を放棄させて、それを羊が草を食むがままの荒れ地にしたり、また彼がなにがしかのお金を持っていたとすれば、それは海に投げ捨てるようにさせたということである。

[88]
                                             また、クラテースの家にはアレクサンドロス大王が逗留したが、(彼の妻の)ヒッバルキアの家にはビリッボス王が滞在したとも言われている。
 また、彼の縁者たちのうちの何人かの者が彼のところへやって来て、彼に決心をびるがえさせようとしたことが何度もあったが、彼はそのたびごとにこの人たちを杖で追い払って、毅然とした態度を示したということである。

 さらに、マグネーシアのデーメートリオスが述べているところによれば、彼はある両替商に、次のような約束でお金を預けたという。すなわちそれは、自分の子供たちが大きくなって普通の人間になったなら、彼らにそのお金を渡してもらうが、もし哲学者になったなら、そのお金は市民たちに分配してくれるようにという約束であった。というのも、子供たちが哲学に励んでいるなら、何もいらないだろうからというわけであった。

 また、エラトステネースが述べているところによると、彼はヒッバルキアから — この人のことはやがて(第七草)述べることになるが — パシクレースという名の子供をもうけたが、その子が兵役年齢をすぎたとき、彼はその子を売春宿に連れて行って、父親の結婚はこんなふうにしてだったよとその子に言った、とのことである。[89] また、密通着たちの結婚は悲劇的な経過をたどるものであって、それは追放や殺害をその報いとしてもつことになるが、他方、遊女に近づく着たちの結婚は喜劇の対象になるだけだと、彼は言ったとのことである。なぜなら、後者の場合には、浪費や離酎によって分別を失った状態におちいるからだと。

 この人にはパシクレースという名の兄弟がいたが、これほエウクレイデースの弟子となった人である。

 なお、パボーリノスは『覚書』第二巻のなかで、彼(タラテス)について愉快な話を伝えている。すなわち、その話というのは、彼が体育場の管理人にあることを頼んでいたとき、その人のお尻のあたりを手でさわった。それで、相手が文句をつけると、「どうしてかね。そこのところだって、膝と同じょうに、君のものではないのかね」と彼は言ったというのである。

 また彼は、欠点の全くない人を見つけ出すのは不可能なことであって、それはちょうど、ザクロの実のなかには腐っているものもあるのと同じことだと語っていた。

 キタラ奏者のニコドロモスを怒らせたとき、彼は眼の下をなぐられてあざができた。それで彼は、「ニコドロモスの仕業だ」と書きこんだ紙片を自分の額の上に肪りつけたのだった。

[90]
 彼は娼婦たちをわざと罵っていたが、それは彼女らの悪態に対抗するための訓練をしていたのであった。
 バレーロンのデーメートリオスが彼にパンとぶどう酒とを贈ってやったとき、彼は、「泉が(水だけでなく)パンももたらしてくれていたのならなあ」と言って、文句をつけたのだった。このことからみても、彼が水だけを常の飲みものにしていたことは明らかである。

 アテーナイ市を警備している役人たちから、彼がリンネル製の上等の衣服を着ているといって冬められたとき、「テオブラストスだってリンネルの衣服を身にまとっているのを、あなた方にお見せしょう」と彼は答えた。しかし役人たちはそのことを信じょうとしなかったので、彼はその人たちを床屋に案内して、そしてテオブラストスが(リンネルの布で身体を厳って)髪を刈ってもらっている姿を見せてやったのだった。

 テーバイの町で、彼が体育場の管理人に鞭で打たれて — しかし、ある人たちによると、これはコリントスの町でのことであり、またエウリュクラテースという人によってであるということだが — そして足をつかまれて引きずり出されようとしたとき、彼は何でもないことのようにしながら、(ホメロスの詩句を借りて)こう言ったのだった。

足をつかまえて、神々しい天の敷居を通って引き出しておくれ。

[91]
 しかしディオクレースは、彼がこんなふうにして引きずり出されたのは、エレトリア人のメネデーモスによってであると述べている。というのも、メネデーモスは美男子であったし、プレイウス出身のアスクレビアデースと懇ろな仲だと思われていたのであるが、クラテースがアスクレビアデースの腰のあたりをつかんで、「アスクレビアデースよ、中へ入ろう」と言ったので、メネデーモスはそのことに腹を立てて、クラテスを引きずり出したのであり、またクラテスの方は先 のように言ったのだ、ということだからである。

 また、キティオーンのゼーノーンは『歳言集』のなかで、彼はあるとき自分のすり切れた衣服に羊の皮までも縫いつけて平然としていたと述べている。

 また彼は、顔つきは醜かったし、そして体育の練習をしていると、人びとから笑われたものだった。しかし彼は、両手を振り上げながら、いつもこんなふうに言っていたのである。「さあ、元気を出すんだ、クラテースよ、それは眼のためにもなるし、身体のほかの部分のためにもなるのだ。」

[92]
 「いまにきっと、お前のことをあざ笑っているあの連中が、そのときにはもう病気のためにしなびきって、お前を仕合せ者だと羨みながら、自分たちの不精を谷め立てる日がやってくるだろう。」

 また、将軍たちとは駿馬を追い立てている人間なのだと思えるようになるまで、ひとは哲学に励まなければならないと彼は語っていた。

 さらに、追従者たちといっしょに暮らしている者は、ちょうど狼のなかにおかれた仔牛のように、孤独な者だと彼は言っていた。なぜなら、仔牛にとってと同じく、その人たちにも、自分たちを守ってくれる身内の者はいなくて、謀りごとを企んでいる着たちばかりがいるのだからと。

 彼は死が迫っていることに感づくと、自分白身に向かって呪文を唱えながら、こう語りかけたのであった。

親愛なる猫背の男よ、お前は行こうとしているのだ、
ハデスの館へと。

[93]
                                            アレクサンドロス大王が彼に向かって、祖国を再建してほしいかどうかと訊ねたとき、「またどうしてその必要がありましょう。おそらく、別のアレクサンドロスがそれをまた破壊することでしょうからね」と彼は答えた。しかし彼は、運命によっても攻略されることのない、不評判と貧乏という祖国を持っているのだと語っていた。また、自分は嫉妬の企みをものともしなかったディオゲネースの同胞市民であるとも。

 なお、メナンドロスもまた、『双子の姉妹』のなかで彼に言及しながら、次のように述べている。

お前はすり切れた衣服をつけて、わたしと一緒に歩き過ってくれるだろうね、
かつて、犬儒派のクラテースと一緒に、彼の妻が歩き廻ったように。
またあの人は自分の娘を、彼自身が宣言していたとおり、
三十日の間求婚者の手に渡して、結婚の試しとしたのだったが。

 さて次は、彼の弟子たちのことである。

(2011.03.06.)

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