メートロクレース伝
Vitae philosophorum, ed. H. S. Long, Diogenis Laertii vitae, vi. 7. [96] そうして、言説にも生き方にも、クラテースのそれに恋し、求婚者たちの誰ひとりにも見向きしなかった。その富にも、生まれのよさにも、美しさにも。いや、彼女にとってはクラテースがすべてであった。実際また、このひとに嫁にやってくれなければ、自殺すると、両親を脅迫さえしたのであった。ところが、クラテースはといえば、彼女の両親に、娘にあきらめさせるよう頼まれたので、万事手を尽くしたが、結局は説得できなかったので、〔クラテースは〕起ち上がって、彼女の目の前で自分の身につけていたものを脱ぎ捨てて謂った、「花婿はこのわし、持ち物はこれだけ。これを見てよく考えよ」。同じ生活態度(e)pithdeuma/ta)をとらないかぎり、共同者(koinwno/j)にもなれまいから、と。 [97] こいつが、織機のそばに梭を置き去りにした女か。 と云ったので、「わたしが」と彼女が謂う、「そうよ、テオドーロスさん。でも、わたしが自分について悪い料簡をおこしているとは、あなたに思われないでしょうよ、織機に向かって浪費する時間を、教育に使ったとしても」。こういったことや、他にも無数の話が、この女流哲学者には伝えられている。 ところで、『書簡集』というクラテースの書物が伝わっているが、そのなかで彼は、時にはプラトーンに似た文体を用いて、最善の哲学を述べている。また彼は悲劇作品も書いたのであるが、それらも最高の哲学的性格をそなえたものである。例えば次のような詩句もその一例である。 わが祖国は城郭の一つの塔にあらず、ひとつの館にあらず、 彼〔クラテース〕は高齢で亡くなり、ボイオーティアに葬られた。 (2005.12.03.) |