ディオゲネース伝
					
						
							 
								ディオゲネース・ライエルティオス 
										『ギリシア哲学者列伝』 
										第6巻3章
								
								モニモス伝
								
								〔前4世紀〕  
								 
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					Vitae philosophorum, ed. H. S. Long, Diogenis Laertii vitae, vi. 3. 
					 
					 
					[82] 
						 シュラクゥサイ人モニモスはディオゲネースの弟子であったが、あるコリントス人の両替商の家僕であったとは、ソーシクラテースの謂うところである。この〔両替商〕のもとに、ディオゲネースの買い主クセニアデースがしょっちゅうやってきて、所行についても言説についても、彼〔ディオゲネース〕の徳を語り聞かせ、モニモスをくだんの男に対する恋情へと陥らせた。というのは、この男はたちまち狂気のふりをして、銅貨を投げ飛ばし、卓の上の銀子をすべて〔投げ飛ばし〕て、ついに主人は彼を解雇するに至った。すると、この男はすぐさまディオゲネース派のひとりになった。しかし、犬儒派のクラテースにもしょっちゅうついてまわり、似たようなふるまいをしたので、主人は彼を見て、ますますもって気が狂っているように思えたのであった。 
					[83] 
						 さて、彼は著名人となり、〔喜劇作家の〕メナンドロスでさえ、喜劇役者として彼に言及するまでになった。例えば、劇作品のあるひとつ、『馬丁』のなかで、次のように云った。 
					 モニモスとかいうやつがいたが、おお、ピローン、賢者だったよ。もっとも、それほど有名人ではなかったが。 
						乙 あの頭陀袋をさげていたやつか。 
						甲 たしかに、頭陀袋を三つ。だが、あの男は、ゼウスにかけて、一語も発しなかったよ。「汝自身を知れ」に類したことはな、またそういうふうな警句に〔類した〕こともな。そういったことは超越していたんだ、あの物乞いの不潔なやつは。人間の考えつくことはみな見せかけだ(to_ u(polhfqe_n tu~fon ei}nai pa~n)と謂っていたのだから。
					 
					 この人はたしかにきわめて謹厳な人物であったので、思いなしは軽蔑して、真理を目指して邁進した。 
						 また、真面目さのひそかに混じった戯れの詩数編と、『衝動について』と『哲学のすすめ』という二冊の書物を書いた。 
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