砂漠の師父の言葉(Θ)
原始キリスト教世界
語録集(Apophthegmata)1
砂漠の師父の言葉(Ι)
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204."30t"
字母Ιの初め。
204."31t"
コロボス人、師父イオーアンネースについて
204.32
1 コロボス人、師父イオーアンネースについて語り伝えられている、 スケーティスのテーバイ人の老師のもとに隠修し、砂漠に住んでいた。ところで、彼の老師は、乾涸らびた樹木を取って来て植えて、彼に云った。「これが実を結ぶまで、毎日一瓶の水をやれ」。けれども、水は彼らのところから遠く、夕方に出かけていって、明け方戻るほどの距離があった。だが、3年後、樹木は生命を吹き返し、実を結んだ。そこで、老師はその実を取って、兄弟たちに言うため、教会に持っていった。「従順の実を取って、喰うがよい」。〔主題別14-4〕
204.43
2 コロボス人、師父イオーアンネースについて言い伝えられている、 かつて、自分より年長の兄弟に云った。「天使たちが何も働かず、間断なく神に仕えて、思いわずらいがないように、思い煩いのない者になるつもりです」。そして、外衣を脱ぎすて、砂漠へと出て行った。しかし1週間後、自分の兄弟のところへ戻ってきた。そして戸を叩くと、開く前に、彼に聞いた、いわく。「おまえは誰だ?」。相手が云った。「あなたの兄弟のイオーアンネースです」。すると答えて彼に云った。「イオーアンネースは天使となり、もはや人間界にはいない」。相手は呼びかける、いわく。「わたしです」。しかし彼のために開けることはせず、彼が消耗するまま夜明けまで放っておいた。そして最後に彼に戸を開けて、言う。「おまえは人間だ、だから、食べるためには、また働かなければならない」。すると彼は跪いた、いわく。「どうかわたしをお赦しください」。〔主題別10-36〕
3 コロボス人、師父イオーアンネースが云った、 王が敵どもの都市を占領しようと思うならば、先ず水と食料とを支配し、じつにそうやって敵どもは空腹に打ちのめされて、彼に降服する。肉の情念も同様であって、人が断食と空腹の中に暮らすなら、敵どもはその人の魂に対して無力になるのだ」。〔主題別4-20〕
4 彼がさらに云った、 満腹するまで食べて、少年と話す者は、すでに想念において、彼と邪淫の罪を犯したことになる。〔主題別5-3〕
205.18
5 彼がさらに云った、 あるとき、縄を持ってスケーティスの道を上ってゆくと、駱駝曳きが話しかけてきて、わしを怒らせようとするのを見た。そこで、わしは荷物を置いたまま、逃げた。
6 また別の夏、兄弟が怒って隣人に話しかけ、「ああ、おまえもか」と言うのを聞いた。そこで、彼は収穫物を放置して、逃げた。
7 スケーティスの幾人かの老師たちが、お互いに食事の時を過ごしていた。師父イオーアンネースも彼らといっしょにいた。するとある偉大な司祭が、細首瓶の水を供するために立ち上がった。しかし、ただ一人コロボスのイオーアンネースを除いては、誰もそれを受けなかった。それで、彼らは驚き、彼に云った。「あたは皆の中で一番若いのに、なぜあえて司祭から奉仕を受けたのですか?」。すると彼らに言う。「わたしが水差しの水を供するために立ち上がるとき、わたしが報いを受けるようにと、もし皆がそれを受け取ってくださるとしたら、わたしは嬉しいでしょう。それで、あの方が報いを受けるよう、また、誰もあの方の奉仕を受けないことで、彼が悲しまないようにと、わたしもそれを受けたのです」。彼がこのように云ったので、皆は驚嘆し、その分別に益されたのであった。〔主題別10-37〕
205.39
8 あるとき、彼が教会の前に坐っていると、兄弟たちが彼を取り囲み、自分たちのさまざまな想念のことを彼に聞き合わせた。これを見て、老師たちの一人が妬みにかられ、彼に言う。「そなたの水差しは、イオーアンネースよ、毒薬に満ちている」。これに師父イオーアンネースが言う。「そのとおりです、師父よ。しかし、あなたがそう云ったのは、外面だけを見てのことです。内なるものを見たら、何と云うことができることやら」。〔主題別16-4〕
9 師父たちは言うを常とした、 あるとき、兄弟たちが愛餐の食事をしていたとき、一人の兄弟が食卓で笑った。すると、それを見た師父イオーアンネースが泣いた、いわく。「この兄弟はその心中にいったい何を持っていることやら、愛餐を食するときは、むしろ泣くべきであるのに、笑うとは」。〔主題別3-16〕
10 あるとき、兄弟たちの何人かが、彼を調べるためにやって来た。自分の想念が散らされてはいないか、この代のことを話してもいないかを。そして彼に言う。「わたしたちは神に感謝しています、今年は雨が多く降り、ナツメヤシが水を吸って、葉を伸ばし、そのため兄弟たちが自分たちの手仕事を見つけたからです」。彼らに師父イオーアンネースが言う。「聖霊も同様である。それが人間どもの心に降りるとき、彼らは新たにされ、神への畏れのうちに葉を伸ばすのである」。〔主題別11-37〕
11 彼について言い伝えられている、 あるとき、二つの籠をつくるために縄を編んでいたが、その一つを編んでいて、壁に届くまで気づかなかった。彼の想念が観想に没頭していたからである。〔主題別11-38〕
208.18
12 師父イオーアンネースが云った、 わしは大樹の下に坐って、多くの野獣や爬虫類が自分に向かってくるのを観ている人のようなものだ。それらに立ち向かうことができないときは、樹の上に走り、救われる。わしも同様である。わしの修屋に坐して、わしの上を繊切る諸々の悪しき想念を観想する。そして、それに対して力を持てないときには、祈りによって神のもとへと避難し、敵から救われるのである。〔主題別11-40〕
13 師父ポイメーンがコロボスの師父イオーアンネースについて云った、 彼は神に呼びかけて、諸々の情念が自分から取り除かれたので、煩いがない者となった。そこで引き上げて、ある老師に云った。「わたしはおのれが安らかになり、いかなる敵もいないのを見ます」。するとこれに老師が言う。「行け、神に呼びかけよ、そなたに攻め来るようにと、敵や、以前にそなたが持った患難や、謙遜が。というのは、戦いによってこそ、魂は進歩するのじゃから」。そこで、彼は再び呼びかけ、敵がやってくると、もはやそれが自分から除かれることを祈らず、こう言った。「わたしに与えたまえ、主よ、敵のさなかにある忍耐を」。〔主題別7-12〕
14 師父イオーアンネースが云った、 老師たちの一人が脱魂状態にあって見た、と。そして、見よ、3人の修道者が海辺に立っていた。すると、別の岸から彼らにこう言う声がした。「火の翼をとって、こちらへ、わたしのところに来るがよい」。そこで、二人は受け取り、別の岸まで飛んでいった。だが、もう一人はとり残され、激しく泣いて叫んだ。やがて、彼にも翼が与えられたが、それは火の翼でなく、弱く無力なものだった。そこで苦労して、沈んだり浮いたりしながら、大変な艱難のすえ、向こう岸にたどり着いた。この世も同様である、翼を受け取るとしても、火の翼ではなく、弱く無力なのをかろうじて受け取っているのだ。〔主題別18-14〕
208.52
15 兄弟が師父イオーアンネースに尋ねた、いわく。「わたしの魂は傷を負っていながら、なぜ、恥知らずにも隣人を中傷してしまうのでしょうか」。これに老師が、中傷について例え話を言う。「貧しい男がいて、妻を持っていた。ところが、彼は自分の好みにあった他の女を見て、これをも娶った。どちらの女も裸であった。さて、あるところで祝祭があったとき、彼に頼んだ、いわく。「わたしたちをあなたといっしょに連れていってください」。そこで二人を連れ、大甕の中に入れた。そして船に積んで、その場に赴いた。しかし炎熱となり、人々が静寂を保っているとき、女の一人が覗いて、誰もいないのを見て、堆肥の中に跳びこんだ、古いぼろぎれを集めて、自分の腰巻をつくり、いけしゃあしゃあと(meta; parjrJhsiaV)歩きまわった。すると、裸のまま中に坐っていた他方の女が言った。「見よ、あの淫婦は、恥知らずにも裸で歩きまわっている」。すると彼女の夫が呆れかえって云った。「これは驚いた。あれは少なくとも自分の不調法を隠している。おまえときたら素っ裸のくせに、そんなことをいって、恥ずかしくないのか」。中傷についても同様である。〔主題別9-12〕
209.19
16 さらにまた、回心しようとする魂について、老師が兄弟に言った。「ある都市に別嬪な娼婦がいて、多数の愛人を持っていた。彼女のもとに一人の長官がやって来て、彼女に云った。『身を慎むとわしと約束せよ。そうすれば、そなたを妻として迎えよう』。彼女は彼と約束した。そこで彼女を娶り、自分の家に連れていった。彼女の愛人たちの方は、彼女を探して、言った。『あの長官が、彼女を自分の家に連れていった。もしわれわれが彼の家に押しかけて、それが知れたら、われわれを罰するだろう。さあ、家の裏に回って、彼女に口笛で合図しよう。口笛の音を聞いたら、われわれのところに降りてきて、われわれには罪がないことになろう』。ところが、口笛を聞くと、彼女は自分の耳を塞ぎ、奥の寝室に急いで入って、戸をしめたのじゃ」。さて、〔老師が〕長老が言ったのは、娼婦とは魂のこと。その愛人たちとは、さまざまな情念と人間たちのこと。長官とはクリストスのこと。奥の部屋とは永遠の住まいのことである。また、彼女に口笛を吹く者どもとは、邪悪なダイモーンたちのことである。が、彼女はいつも主のもとに逃げこむのである。
17 かつて、師父イオーアンネースが他の兄弟たちと連れ立ってスケーティスから上ってきたとき、彼らを案内していた者が道に迷った。夜だったからである。そこで兄弟たちが師父イオーアンネースに言う。「どうしたらいいでしょうか、師父よ、兄弟が道に迷ったのですが、迷って死ぬことがないようにするには」。彼らに老師が言う。「彼に云えば、彼は悲しみ、恥じるであろう。いざ、見よ、わしが病気を装って、言うことにしよう。『歩くことができないから、夜明けまでここにとどまろう』と」。そしてそのとおりにした。残りの者たちは云った。「わたしたちも先へは行きません、あなたとともに坐りましょう」。こうして、彼らは夜明けまで坐し、その兄弟を蹟かせなかった。〔主題別17-10〕
18 ある老師がスケーティスにいた、身体的なことには勤しむが、思量事には精確な人ではなかった。そこで、師父イオーアンネースのもとにやって来た、忘れっぽさについて彼に尋ねるためである。そして彼から言葉を聞いて、自分の修屋に修屋に戻ったが、師父イオーアンネースが自分に云ってくれたことを忘れてしまった。そこで、もう一度彼に尋ねるために出かけて行った。で、同じように彼から言葉を聞いて、戻った。だが、自分の修屋に着くと、再び忘れてしまい、そのようにして何度も行ったのだが、帰ると忘れっぽさに支配された。その後、老師に出会ったので、云った。「ご存じの通り、師父よ、わたしに述べてくださったことをまたもや忘れてしまいました。しかし、あなたたからないために、来ませんでした」。これに師父イオーアンネースが言う。「行け、燭台に灯をともせ」。そこで彼が灯した。するとまたもや彼に云った。「他の燭台を持って来よ、そしてそれから灯せ」。で、同じようにした。すると師父イオーアンネースが老師に云った。「燭台は、それから他の燭台たちに点灯したことで、まさか何ぞ害は受けなかったな?」。彼が言う。「はい」。そこで老師が云った。「イオーアンネースも同様じゃ。たといスケーティス全体がわしのもとにやってきても、クリストスの恩寵からわたしを妨げることは断じてない。されば、そなたの好きなときに来なさい、遠慮などせずに」。じつにこういうふうにして、両人の忍耐によって、神は老師から物忘れを取り去った。これこそが、スケーティスの人々の為業であった。すなわち、闘う人々には熱意を与えること。そして、善において互いが利得するよう、自分たち自身を強制するということが。〔主題別11-41〕
19 兄弟が師父イオーアンネースに尋ねた、いわく。「わたしはどうすればよいでしょうか。しばしば兄弟が来て、わたしに仕事をさせようとするのですが、わたしはみじめで病弱なため、為事に疲れてしまうのです。そういう次第で、わたしは掟のために何をすればよいのでしょうか」。すると老師が答えて云った。「カレブはナウエーの子イエースゥス〔ヨシュア〕に言った。『わたしが40歳のとき、主の僕モーウセースが、砂漠からわたしとあなたをこの地に遣わしました。わたしは今85歳です。当時そうであったように、今も戦いに加わったり離れたりすることができます』〔ヨシユア14:7-11〕。されば、そなたもそのように、戦闘に加わったり離れたりできるならば、行け。しかし、もしそういうふうにすることができなければ、そなたの罪を嘆くために、修屋に坐っているがよい。嘆いているそなたを見れば、無理にそなたを引き出すことはないであろう」。〔主題別11-44〕
20 師父イオーアンネースが云った。「イオーセープを売ったのは誰か?」。するとある兄弟が答えた、いわく。「彼の兄弟たちです」〔創世記37:36〕。これに老師が言う。「いや、違う。彼の謙避が彼を売ったのだ。なぜなら、『わたしは彼らの兄弟です』と云って、反論することもできたのだから。しかし、彼は黙って、謙遜にみずからを売った。そしてこの謙遜が、彼をアイギュプトスで嚮導者に据えたのである〔創世記41:41〕」。
21 師父イオーアンネースが云った。「われわれは、軽い荷〔マタイ11:30〕、つまり自己批判を捨てて、重い荷、つまり自己正当化を担ってしまっている」。
22 同じ人が云った。「謙遜と神への畏れとは、あらゆる徳にまさる」。
23 同じ人が、あるとき、教会に坐っていて、溜め息をついた、自分の後ろに誰かがいるのに気付かなかったのだ。213.1 そういう次第で、気づくと、跪いた、いわく。「どうかわたしを赦してください、師父よ。わたしはまだ初歩さえも分かっていないのですから」。
213.4
24 同じ人が自分の弟子に言った。「一人のお方を敬おう、そうすれば、万人がわれわれを敬うであろう。しかし、われわれが神なる一人のお方を軽んじれば、万人がわれわれを軽んじ、われわれは破滅へと向かうであろう」。
25 師父イオーアンネースについて言い伝えられている、 彼はスケーティスの教会に赴いた。そして何人かの兄弟たちの論争を聞いたうえで、自分の修屋へと引き返した。そして3度その周りを回って、そのうえで中へ入った。そこでこれを見た何人かの兄弟たちが、なぜそのようなことをしたのかをいぶかり、やって来て彼に尋ねた。相手が彼らに言う。「わしの耳が論争で満たされた。そこで、これを清めるために周りを巡り、そうやってからわしの理性の静寂さのうちにわしの修屋に入ったのじゃ」。
26 あるとき、兄弟が師父イオーアンネースの修屋に、夕刻やって来た。急いで帰るつもりだったからだ。しかし彼らが諸徳について話し合っているうちに、夜明けになったが、気づかなかった。213.20 そして彼を送り出すために外に出た。しかし第6刻〔正午〕まで話し続けた。そして修屋に招き入れた。そうして食事をして、そうやって帰っていった。
27 師父イオーアンネースは言うを常とした、 牢獄とは、修屋の中に坐して、つねに神を想起することである。これこそが、「わたしは獄あったが、あなたたちはわたしを訪れてくれた」〔マタイ25:36〕ということである。〔主題別11-43〕
28 彼がさらに云った。「獅子ほど強いものがあろうか。だが自分の空腹のために罠に落ち、自分のすべての力が平らにされるのだ」。〔主題別4-61〕
213.30
29 彼がさらに云った、 スケーティスの父たちは、パンと塩しか食べていないのに、言うを常とした。「われわれは自らに、パンと塩とを強いはすまい」。このように、彼らは神の為事を行うのに強固であった。
30 ある兄弟が、師父イオーアンネースの所に籠を受け取るためにやって来た。すると出て来て彼に言う。「何か用か、兄弟よ」。相手が云った。「龍です、師父よ」。そこで運び出すために中に入ったが、忘れた。それで〔籠を〕編むために坐った。再び戸を叩いた。そして出て来たので、これに言う。「籠をください、師父よ」。そこで中に入ったが、またもや〔籠を〕編むために坐った。さらにもう一度戸を叩いた。すると出て来て彼に言う。「何か用か、兄弟よ」。相手が云った。「籠です、師父よ」。すると、彼の手をつかみ、こう言いながら、彼を中に連れて入った。「籠がほしいとな。持ってゆくなり見回るなりするがよい。わたしには暇がないのじゃ」。
31 あるとき、駱駝曳きがやって来た、彼の品物を受け取って、別の所に行くためである。そこで相手〔イオーアンネース〕は彼に綱を渡すために中に入ったが、失念した、精神(diavnoia) が神に向けられていたからである。そこで再び駱駝曳きが戸を叩いて煩わせ、再び師父イオーアンネースは入って、失念した。そこで、3度目に駱駝曳きが戸を叩くと、中に入りながら言った。「綱、駱駝、綱、駱駝」。〔主題別11-39〕
213.54
32 同じ人が霊において煮えたぎっていた。さて、ある人が彼を訪ね、彼の業を称賛した。しかし彼は黙っていた。もう一度くだんの人が彼に言葉をかけた。またもや黙っていた。3度目に、来訪者に言う。「そなたがここに入ってから、そなたはわしから神を追い払ってしまった」。
33 ある老師が師父イオーアンネースの修屋にやって来たところ、彼が横になっていて、天使が彼のそばに立って、彼を煽いでいるのを目撃した。そして、それを見て、去っていった。さて、目を覚ましたとき、自分の弟子に言う。「わしが眠っている間に、誰かがここにやって来たか」。言う。「はい。しかじかの老師が」。師父イオーアンネースは知っていた、その老師が自分ほどの境位にあり、天使を目撃したということを。
34 師父イオーアンネースが云った。「わしは人間があらゆる諸徳の分け前に少しく与ることを望む。されば、毎日夜明けに起きあがるや、あらゆる徳と神の誡めに心を寄せ、畏れと寛容をもって大いなる忍耐において、魂と身体のあらゆる熱意とあらゆる謙遜を持って神の愛において、心の悩みと見張りの忍耐において、多くの祈りと呻吟を伴う嘆願において、聖なる舌と眼の見張りにおいて、〔1日を〕始めよ。侮辱されても怒らず、平安を保って、悪に悪を報いず、他者の過ちに意を注がず。自分自身を測ることなく、そなたをあらゆる被造物の下に置き、物質と肉的なことの放棄において、十字架において、聖性において、霊の貧しさにおいて、選択と霊の修行において、断食において、悔い改めと嘆きにおいて、戦いの競合において、分別において、魂の聖性において、有用な受容において、そなたの手仕事における静寂において、不眠の徹宵において、飢えと渇きにおいて、寒さと裸において、労苦において、すでに命終した者たちのごとくそなたの墓を閉ざし、すべての刻々、そなたの死が近いと思って」。〔主題別1-13〕
35 この師父イオーアンネースについて言い伝えられている、 収穫の仕事や、老師たちへの訪問から戻るや、祈りや、観想や、詩篇朗唱に時を費やすのであった。自分の想念がもとの状態に回復するまで。
216.40
36 師父たちの一人が彼について云った、 イオーアンネースとは何者か、おのれの謙遜によって、スケーティス全体を自分の小指でぶらさげるとは、と。
37 師父たちの一人がコロボスの師父イオーアンネースに、「修道者とは何か」と尋ねた。相手が云った。「労苦である。修道者はすべての為事に労苦する故に。これが修道者である」。
38 コロボス人師父イオーアンネースが云った、 ある霊的な老師がみずからを閉じこめ、都市において有名となり、多大な栄光を得ていた。ところが、聖人たちの一人が亡くなりかけ、永眠する前に挨拶するよう知らされた。そこで彼は心中思いを致した、 わたしが昼間に出かければ、人々が追いかけて来て、わたしにとって大いなる栄光となろうが、そうすると休息できまい。されば、今晩、闇にまぎれて出かけよう、そうすれば誰にも気づかれまい、と。そこで、晩方、気づかれないよう修屋を出発した。そして、見よ、灯火を持った二人の天使が神から遣わされた、彼を照らすためである。結局は、その都市全体がその栄光を見ようと駆けつけた。それで、栄光を避けようとすればするほど、ますます栄化されることになったのである。こういう次第で、書かれたことが成就したのである。「自分を低める者は高められる」〔ルカ14:11〕。
39 コロボス人の師父イオーアンネースは言うを常とした。「家を建てることはできるのは、上から下へではなく、土台から始めて、上へである」。彼に人々が言う。「その言葉はどういう意味ですか?」。彼らに言う。「土台とは、隣人のことであり、そなたはこれを利得すべきだということである。これこそまっさきにすべきことである。クリストスの掟すべてが、これに懸かっているからである」。
40 師父イオーアンネースについて言い伝えられている、 ある娘の両親が亡くなり、孤児として後に残された。彼女の名はパエーシア。さて、彼女はスケーティスの師父たちのために、自分の家を宿泊所にしようと思量した。かくして、長い間、彼女は師父たちを客遇し、仕えつづけた。しかし、その後、蓄えは費やされ、不足し始めた。そういう次第で、邪道に陥った連中が彼女につきまとい、善き目標から彼女を逸脱させた。そしてついに、彼女は悪い暮らしを始めたあげく、彼女は邪淫へと堕落してしまった。
さて、師父たちが聞いて、ひどく悲しみ、コロボス人の師父イオーアンネースに呼びかけて、これに言う、 わたしたちは、あの姉妹について、悪しき暮らしをしていると聞きました、しかし彼女は、できるとき、自分の愛をわたしたちに示してくれました。今こそわたしたちが彼女に愛を示し、彼女を救うことにしよう。そこで、彼女のところに行く労をとってもらいたい。そして神があなたに賜った知恵によって、彼女の問題を解決してください、と。そこで、師父イオーアンネースは彼女のところに出かけ、門番の老女に言う。「そなたの女主人にわしを取り次いでくれ」。しかし彼女は彼に応えた、いわく。「もとはといえば、あんた方があの方の財産を食い潰した、それであの方は物乞いになっている」。これに師父イオーアンネースが言う。「彼女に云ってください。わたしは大いに彼女を益することができる、と」。すると彼女の童僕たちが薄ら笑いをうかべながら彼に言う。「彼女に会いたいといったって、彼女に何をしてやれるというのだ」。相手が答えた、いわく。「わたしが彼女に何かをしてやろうとしていると、どうして分かるのか」。そこで老女は上がっていって、彼のことを彼女に云った。すると娘は彼女に言う。「あの修道者たちは、いつも紅海のあたりを区別して、真珠を見つけているのだよ」。そして、身なりをきちんとしたうえで言う。「わたしのところに連れ上っておくれ」。
さて、彼が上ってくると、彼女は先に寝床に坐った。師父イオーアンネースは入ってきて、彼女のそばに坐った。そして彼女の顔をじっと見て、彼女に言う。「何ぞイエースゥスを責めることがあるのか、こんなところに墜ちるとは」。これを聞くと、彼女は凍りついたようになった。また師父イオーアンネースは、自分の頭を垂れて、激しく泣き出した。これに彼女が言う。「師父よ、なぜ泣くのですか?」。彼は頭を起こし、また下げて泣きつつ、彼女に言う。「そなたの顔の前でサターンが戯れているのが見えるのに、どうして泣かないでいられようか」。これを聞いて、彼に言う。「悔い改めできるでしょうか、師父よ」。彼女に言う。「然り」。彼に言う。「あなたの望むところに、わたしを連れていってください」。彼女に言う。「行こう」。そして彼についてゆくべく、立ち上がった。
ところで、彼女が自分の家のことは何も処理とか話とかすることがないことに師父イオーアンネースは注目し、かつ驚嘆した。さて、彼らが砂漠に到着したときは、もう遅い時刻になっていた。そこで、彼は砂で彼女の小さな枕を作り、十字を切ったうえで、彼女に言う。「ここに寝なさい」。そして、少し離れたところに自分の分をつくり、自分の祈りを終えてから、横になった。で、真夜中ごろ、目を覚ますと、空から彼女のところまで届く光り輝く道を目にした。そして、神の天使たちが彼女の魂を運び上げているのを見た。そこで彼は立ち上がって、そばに行き、彼女の足を突いた。しかし彼女が死んでいるのを見ると、神に願うため突っ伏した。すると、声が聞こえてきた、 彼女の悔い改めの1刻は、悔い改めのために長い時間を過ごす者たちよりも、また、このような悔い改めの熱を示さない者たちよりも、遥かに受け容れられるのである、と。
220."17t"
共住修道院の師父イオーアンネースについて
220.18
共住修道院に兄弟が住んでいて、厳しい修行に励んでいた。そこで、スケーティスの兄弟たちが彼について聞いて、彼に会いにやって来た。そして彼が働いている場所に入った。しかし、彼らに挨拶すると、くるりと背を向けて仕事をし始めた。そこで、かれのしたことを兄弟たちが見て、これに言う。「イオーアンネースよ、誰があなたに修道服を与えたのですか。あるいは、誰があなたを修道者にしたのですか。あなたに教えなかったのですか、兄弟たちから〔修道者のしるしとしての〕毛皮を受けたり、彼らに『祈りなさい』とか『坐りなさい』とか言えということを」。彼らに言う。「罪人イオーアンネースには、そんな暇はないのです」。
220."28t"
師父イシドーロスについて
220.29
1 スケーティスの長老、師父イシドーロスについて言い伝えられている、 或る者が虚弱で不注意、乱暴な兄弟をもち、これを追い出そうとしていたので、〔イシドーロスが〕言った。「彼をわしのところに連れてきなさい」。そして、彼を引き取り、自分の寛大さによって彼を救ったのである。〔主題別16-6〕
2 兄弟が彼に尋ねた、いわく。「なぜダイモーンどもは、あなたをそれほど強く恐れるのですか」。これに老師が言う。「わしが修道者になって以来、決して怒りをわしの喉にまで上らせぬよう修行しているからじゃ」。〔主題別4-24〕
220.40
3 彼がさらに云った、40年間を過ごしたが、その間、精神において罪を意識することはあっても、欲望にも怒りにも同意したことはない、と。〔主題別4-25〕
4 彼がさらに云った。「わしがまだ若く、わしの修屋に坐していたとき、時課祈祷(sunavxiV)には限りがなかった。わしにとっては、夜も昼も時課祈祷であった」。〔主題別11-46〕
5 師父ポイメーンが師父イシドーロスについて云った、 彼は夜、ナツメヤシの枝の縄を編んでいた。そこで兄弟たちが彼に呼びかけた、いわく。「少し身をお休めになってください、もうお歳なのですから」。すると、彼らに言った、 イシドーロスを焼いて、その灰を風にまき散らしたとしても、まだわしにはひとつの恩寵さえない、神の御子が、われわれのためにこの世に来てくださったからじゃ、と。
221.6
6 同じ人が師父イシドーロスについて云った、 諸々の想念が彼に「おまえは偉大な者だ」と言うを常としていた。そこでこれら〔想念〕に向かって言った。「わしは師父アントーニオスに匹敵せぬな。わたしは真実、師父パンボーや、神に嘉せられた自余の師父たちと並ぶ者になったのだろうか」。このような考えに至ることで、彼は平安を得た。また、敵たちがこれらすべての後に最後の懲罰があるぞ、と言って彼を失望させようとしたとき、彼は彼らに向かって言った、 「たとい懲罰の中に投げ込まれても、わしはおまえたちをわたしの足元に見るだろう、と。
221.17
7 師父イシドーロスが云った、 あるとき、わずかな品物を売りにわしは市場に行った。が、怒りがわしに近づいてくるのを見て、品物を置いて逃げた、と。〔主題別4-21〕
221.21
8 あるとき、師父イシドーロスは、アレクサンドレイアの大主教、師父テオピロスのところに出かけた。そしてスケーティスに戻ってくると、兄弟たちが彼に尋ねた。「都市はどうでしたか?」。相手が云った。「まこと、兄弟たちよ、わしは人間の顔を見なんだ、ただ大主教以外にはな」。聞いて彼らは動揺した、いわく。「いったい、焼き払われたのですか、師父よ」。相手が云った。「そうではない。誰かを見ょうとする想念が、わしに勝たなかったのだ」。聞いた者たちは驚嘆し、自分たちの眼を、軽率(metewrismovV)から守るように強められたのであった。〔Anony161〕
221.33
9 同じ師父イシドーロスが云った。「聖人たちの悟りとは、神の意志を知悉すること、これである。なぜなら、人間が『真理に聴従することによって』〔1ペトロ1:22〕あらゆることを圧倒するのは、〔人間が〕神の似像であり、似姿であるからだ。すべての霊の中で最も恐るべきは、おのれの心、すなわち、固有の想念に追随して、神の法に追随しないことである。かくてついに悲歎に到る、神秘を知ることなく、聖人たちの道がその中で働くことさえ見出せないからである。されば、今こそ主のために実修すべき時である、救いは艱難の時にあるからである。『あなたたちの忍耐において、あなたたちの魂を所有せよ』〔ルカ21:19〕と書かれているからである」。
221."45t"
ペールゥシオーンの師父イシドーロスについて
221.46
1 ペールゥシオーン人の師父イシドーロスは言うを常とした、 言葉なき生は、生なき言葉よりも、自然本性的に[いっそう]益を生む。前者は、無言であって益する。後者は、叫んで悩ます。しかし、言葉と生がいっしょに進むならば、221.50 あらゆる愛智の1つの奉納物成就する。
221.52
2 同じ人が言うを常とした。「諸々の徳を尊べ。好日に仕えてはならない。前者は不死なるものである。後者は簡単に消滅するからだ。
3 彼がさらに云った、 人間どもの多くは、徳を追求しはするが、そこに至る道を行くことをためらう。しかし他の人々は、徳など存在しないと考える。それゆえ、後者には、ためらいを捨て去るよう説き、前者には、徳はまさに徳であることを教える必要がある、と。
224.6
4 彼がさらに云った、 悪徳は、人間どもを神からも遠ざけ、また人間相互をも分離させる。されば、一目散にこれを避け、神に導き互いに結びつける徳をこそ、追い求めねばならない。224.10 徳と愛智の定義とは、悟りを伴う単純さである、と。
5 彼がさらに云った。「謙遜の上昇と虚勢の落下とがわれわれに忠告するのは、前者は歓迎し、後者には陥るな、ということである」。
6 彼がさらに云った。「愛銭への恐るべき、破廉恥な恋は、飽きることを知らず、それに捕えられた魂を、悪の極みにまで追いやる。だから、とくに初めの段階でそれを追いやろう。支配者になってしまうと、手に負えぬものとなるからである」。
224."21t/22t"
ケッリアの司教、師父イサアークについて
224.23
1 あるとき、師父イサークを司祭にするために〔人々が〕やって来た。それを聞いて、彼はアイギュプトスに逃げた。そして野原へ行って、牧草の中に隠れた。そこで、師父たちは彼の後を追いかけた。そしてその野原に着くと、少し休憩するためにそこでくつろいだ。夜になったからである。そして彼らは草を食ませようと、驢馬の綱を解いた。すると驢馬は、老師のそばに留まった。明け方、彼らは驢馬を捜して、師父イサアークを見つけた。彼らは驚いた。そこで彼を縛ろうとしたが承知しなかった、いわく。「わしはもう逃げない。神の意志であり、またどこかへ逃げても、同じところに来てしまうからじゃ」。
2 師父イサアークが云った。「若い頃、師父クロニオスとともに坐していた。彼は年老いて体が震えていたけれど、わしに仕事をするよう云ったことはない。むしろ、自分から起ち上がって、わしやあらゆる人たちにも同様に水差しを持って来てくれた。その後、わしはペルメーの師父テオドーロスといっしょに坐したことがあるが、彼もわしに何かをするようにと言ったことはない。むしろ手ずから食事を調えて、言った。『兄弟よ、よかったら、こちらに来て食べなさい』。そこでわしが彼に言った。『師父よ、わたしがあなたのところに来たのは、お役に立てるためです。何かするようにと、どうしてわたしに言ってくださらないのですか?』。しかし、老師はつねに沈黙を保っていた。そこで、わしは去って、老師たちに報告した。そこで彼らはテオドーロスのもとに来て、彼に云った。『師父よ、この兄弟はあなたの聖性を目指して、お役に立つために来たのです、なぜ、彼に何かするよう言われないのですか』。すると、老師が彼らに言う。224.50
『まさか、わしは彼に命令すべき共住修道院の長上ではあるまい。ともあれ、わたしは彼に何も言わん。しかし望むなら、わしが何をするか見て、自分もそうするがよい』。それでその時から、老師が何をしようとするにしても、わしは率先して実行してきた。あの方もまた、何をするにも黙って行った。黙って行いということ、これもまたわしに教えてくれたことである」。
3 師父イサアークと師父アブラアームが、いっしょに住んでいた。そして、師父アブラアームが入ると、師父イサアークが泣いているのを目にした。そこでこれに言う。「なぜ泣くのですか」。すると老師が云った。「いったいどうしてわれわれは泣かずにいられようか。いったい、われわれはどこに行けるのか。われわれの師父たちは眠りについた。われわれの手仕事では、老師たちを訪ねてゆくのに払う船賃にも足りない。今や、われわれは孤児になってしまった。それゆえわたしも泣いているのだ」。
4 師父イサアークが云った。「わしが知っている兄弟が、畑で刈り入れをしていて、麦の穂を喰いたいと思った。そこで畑の主人に云った。『麦の穏を一本食べてもよいですか』。相手はそれを聞いて、驚いて、彼に云った。『この畑はあなたのものです、師父よ、それなのに、わたしに尋ねるのですか』。これほどまでに、この兄弟は厳格であったのだ」。〔主題別4-22〕
5 さらに兄弟たちに云った。「ここに少年たちを連れて来てはならない。スケーティスの4つの教会は、少年たちのせいで砂漠と化したからだ」。〔主題別10-44〕
6 師父イサアークについて言い伝えられている、 彼は奉敬祭儀の香炉の灰を、パンそのものといっしょに食していた、と。
7 師父イサアークが兄弟たちに言うを常とした、 われわれの師父たちは、また師父パンボーも、ナツメヤシの皮でつぎをあてた古い服を着ていた。しかるに今や、そなたたちは、高価なものを着ている。ここから出てゆくがよい、そなたたちはここを砂漠にしてしまった。また、彼らが収穫に行こうとしたとき、彼らに言った。「わしはもはやそなたたちに掟を与えない。そなたたちは守らないからだ」。〔主題別6-10〕
225.28
8 師父たちの一人が語り伝えている、 あるとき、小さな頭巾をかぶった兄弟の一人が、ケッリアの教会に、師父イサアークを訪ねてやって来た。すると老師はこれを追い出した、いわく。「ここは修道者たちの場所だ。そなたは世俗の者なので、ここに留まることはできぬ」。〔主題別7-62〕
9 師父イサアークが云った、 わしは、いまだかつて、わしを苦しめた兄弟に対する想念を、わしの修屋に持ちこんだことはない。また、兄弟がわしに対する想念をいだいたままで、その修屋に帰すことがないように努めてきた。
225.39
10 師父イサアークが大病を患い、しかもそれが長引いた。そこで兄弟が彼のために少しの粥をつくり、これに干しぶどうを加えて与えた。しかし老師は味わうことを拒んだ。そこで兄弟が呼びかけた、いわく。「少し召し上がってください、師父よ、ご病気なのですから」。するとこれに老師が言う。「自然本性に、兄弟よ、わしはこの病気とともに30年間を敢えて過ごしてきたのだ」。〔主題別4-78〕
11 師父イサアークについて言い伝えられている、 彼が命終せんとしたとき、彼のそばに老師たちが集まってきて、言った。「あなた亡き後、どうすればよいでしょうか、師父よ」。相手が云った。「そなたたちの前をどのように歩んだかを見るがよい。そなたたちも神の掟に従い、それを守ることを望むならば、その恩寵をもたらし、この場所をお守りくださる。だが、守らないならば、そなたたちはこの場所に留まれない。事実、われわれの師父たちが死んだとき、われわれも苦しんだが、主の掟と彼らの勧告を守ることで、あたかも彼ら自身がわれわれとともにいるかのように持ちこたえた。そなたたちもこのようにせよ、そうすれば救われよう」。
12 師父イサアークが云った、 師父パムボーは言うを常とした、 修道者はこういう外衣を着るべきである、3日間修屋の外にこれを放置しても、誰もこれを持っていかないようなのを、と。〔主題別6-11〕
228."9t"
パネポーの人、師父イオーセープについて
228.10
1 師父たちの幾人かが、パネポー〔地図参照〕の師父イオーセープのもとに上った、自分たちのところに異邦の客として来る兄弟たちとの会談について、彼らといっしょに気易くする(parjrJsiavzesqai)べきかどうかを、彼に尋ねるためであった。すると、自分が尋ねられる前に、老師が自分の弟子に云った。「今日わしがしようとすることを理解し、忍ぶがよい」。そして、老師は2枚のむしろを、1枚は右に、もう1枚は自分の左に置いて、云った。「座りなさい」。それから自分の修屋に入り、物乞いの衣を着た。そして出て来て、彼らの間を歩いた。そして、再び中に入って、自分の着物を着た。そして再び出て来て、彼らの間に座った。
彼らの方は、老師の仕草に吃驚した。すると彼らに云った。「わしが何をしたか、よく見たか?」。彼らが言う。「はい」。「このみじめな格好によって、わしは変わらなんだな」。彼らが言う。「はい、変わりません」。そこで彼らに言う。「されば、わし自身がどちらの身なりをしようと、最初の身なりがわたしを変えなかったのと同じように、二番目の身なりもわたしを損なわなかった。それゆえ、われわれは外来の兄弟たちをもてなすとき、聖なる福音に従って振舞わねばならない。実際、『カエサルのものはカエサルに』と謂う、『神のものは神に返せ』〔マタイ22:31〕。だから、兄弟たちが来たら気易く(meta; marjrJsivaV)彼らを迎え、一人でいるときには、罪を嘆き悲しみ、忍んでいることが必要だ」。これを聞いた彼らは驚嘆した、というのは、彼らが尋ねる前に、彼らの心にあることを云ったからである。そして彼らは神を栄化した。〔主題別5-30?、13-1、14-32?〕
228.38
2 師父ポイメーンが師父イオーセープに云った。「どうしたら修道者になれるか、どうかわたしに云ってください」。すると云った。「この世でもあの世でも休息を見出すことを望むならば、何事においてもこう言え。『わたしは何者だろうか』」と。そしてひとを裁いてはならない」。〔主題別9-8〕
3 同じ人が、さらに師父イオーセープに尋ねた、いわく。「諸々の情念が接近したときには、どうしたらいいでしょうか。これに抵抗すべきでしょうか、それとも、それが起こるままにしておくべきでしょうか」。これに老師が言う。「起こるままにして、それと闘うがよい」。そこで、スケーティスに立ち帰り、住持した。ところが、テーべ人のある人がスケーティスに来て、兄弟たちに言った、 わたしは師父イオーセープに尋ねた、いわく。「わたしに情念が接近したら、これに抵抗すべきでしょうか、それとも入るがままにすべきでしょうか?」。するとわたしに云った。「断じて情念が入るがままにしてはならん、ただちにそれを断ち切れ」、と。
師父ポイメーンは、師父イオーセープがテーバイ人にそのように言ったと聞くや、立ち上がって、パネポーの彼のところへ上り、これに言う。「師父よ、わたしはあなたにわたしの諸想念を信託しました。しかし、見よ、あなたは、わたしとテーバイ人とに、それぞれ別様に云われたのです」。これに老師が言う。「わしがそなたを愛していることを知らぬのか」。そこで彼が云った。「知っています」。「そなたは、『あなた自身に対するように、わたしに言ってください』とわしに言ったのではないか?」。「そのとおりです」。これに老師が言う。「情念が入りこんだとき、そなたがそれらと事を構えようが構えまいが、そなたをいっそう試練を経た者としよう。そこで、わしは自分自身に対するように、そなたに話したのじゃ。しかし、情念の接近が何の益にもならず、直ちにそれを断ち切らねばならない他の者たちもいるのじゃ」。〔主題別10-38〕
229.15
4 ある兄弟が師父イオーセープに尋ねた、いわく。「わたしは苦しみに耐えることも、働いて施しをすることもできないのですが、どうすればよいでしょうか」。これに老師が言う。「そのようなことが何もできないならば、少なくとも、そなたの隣人から来るあらゆる悪からそなたの良心を見張れ。そうすれば救われよう」。〔主題別10-40〕
229.22
5 兄弟たちのひとりが言った、 。あるとき、わたしはヘーラクレアに下り、師父イオーセープのもとを訪ねた。すると、修道院には熟した桑の実がたくさんなっていた。明け方、彼はわたしに言う。「行って食べよ」。しかし、金曜目だったので、断食のためにわたしは行かなかった。そこで彼に呼びかけて云った。「どうかこの想念をわたしに云ってください。見よ、あなたはわたしに言いました。『行って食べよ』。しかしわたしは断食のためにそこに行かなかったのですが、あなたの命令のことを思量して恥じています。どういうおつもりで老師はわたしに言われたのですか? だったのでしょうか。あなたがわたしに『行け』と仰ったのは、わたしはどうすべきだったのでしょうか」。相手が云った。「師父たちは、最初から兄弟たちに真つ直ぐなことは言わず、むしろひねったことを言うものだ。そして、彼らがそのひねったことをするのを見て、彼らが万事において従順であることを知って、もはやひねったことを言わず、真実を語るのである」。〔主題別10-39〕
229.38
6 師父イオーセープが師父ロートに云った。「そなたの全身が火のように燃えなければ、修道者になることはできない」。〔主題別11-45〕
7 師父ロートが師父イオーセープを訪ねて、これに言う。「師父よ、わたしはできる限り、わたしのわずかの時課祈祷、わたしの軽い断食、祈り、注意、静寂さを実行し、また、わたしの力のかぎり諸々の想念から自らを浄めています。そのほかに何をすべきでしょうか」。すると、老師は立ち上がり、両手を天に差し伸べた。すると彼の指は、十本のランプの火のようになった。そして、彼に言う。「そなたが望むならば、全身を火のようにせよ」。〔主題別12-9、15-62?〕
229.50
8 兄弟が師父イオーセープに尋ねた、いわく わたしは共住修道院を出て、一人で坐したいのですが」。するとこれに老師が言う。「そなたの魂が安らかになり、妨げを受けないところを見つけ、そこに坐すがよい」。これに兄弟が言う。「わたしは共住修道院においても、隠修生活においても安らかです。だとすると、あなたはわたしがどうすることをお望みですか」。2232.1 これに老師が言う。「そなたが共住修道院において隠修生活においても安らかであるならば、そなたの2つの想念を天秤にかけよ。そしてどちらがより益になるかを見て、そなたの考えが傾く方を行うがよい」。〔主題別14-30〕
9 老師たちの一人が、自分の仲間のところ訪ねた、出かけて行って、師父イオーセープを調べるためである。そして言う。「そなたの弟子に云え、驢馬に鞍を置くようにと」。すると言う。「彼に声をかけるがよい。そうしたら、何であれ望むことをしてくれよう」。言う。「何と呼ばれるているのか?」。相手が言った。「知らない」。そこでこれに言う。「どれほどの期間彼といっしょに居るのか、その名を知らぬとは」。すると言った。「2年になる」。相手が謂った。「そなたは2年間もそなたの弟子の名前を知らぬとするなら、わしがたつた1日で、それを知る必要があろうか」。
10 あるとき、兄弟たちが師父イオーセープのもとに集まった。そして、彼らが坐して、彼に質問をしていると、彼は喜んだ。そして乗り気になって彼らに言った。「わしは今日は王だ。わしは諸々の情念を王支配しているからだ」。
11 パネポーの師父イオーセープについて言い伝えられている、 彼が命終せんとし、老師たちが坐していたとき、彼が戸口の方を見つめると、戸口のところに悪魔が座っているのを目にした。そこで自分の弟子に声をかけて、言った。「杖を持って来てくれ。あいつは、わしが年寄りで、もう自分に対して力がないと思っているのじゃ」。そして、杖を手にすると、〔悪魔が〕犬のように戸口を飛び出し、消え失せてしまうのを、老師たちは目撃した。
232."27t"
師父イアコーボスについて
232.28
1 師父イアコーボスが云った、客を迎えるよりも客として迎えられる方が、より大きなことである。
232.30
2 彼がさらに云った、 称讃される者は、自分の罪を思量し、自分は言われている内容に値しないということに思いを致さなくてはならない。〔主題別15-108〕
3 彼がさらに云った、 灯火が、暗い部屋を明るくするのと同じように、神への畏れも、人間の心に入ってくると、彼を照らし、すべての徳と神の掟とを教える。〔主題別3-17、11-50〕
4 彼がさらに云った、 単に言葉のみが必要なのではない。事実、今の世の人間どもには多くの言葉がある。しかし、為業こそが必要なのだ。求められているのがそれであって、実を結ばぬ言葉ではないからである。
232."42t"
師父ヒエラクスについて
232.43
1 兄弟が師父ヒエラクスに尋ねた、いわく。「どうしたら救われるか、どうかわたしに御言葉をください」。これに老師が言う。「そなたの修屋に坐してあれ。飢えたら、喰え。渇いたら、飲め。ひとの悪口を言うな。そうすれば救われよう」。
232.48
2 同じ人が云った、 わしは未だかつて、世間的な言葉を云ったこともなければ、聞こうとしたこともない。
232."50t"
宦官の師父イオーアンネースについて
232.51
1 宦官である師父イオーアンネースが、若い頃、老師に尋ねた、いわく。「どのようにして、あなたがたは平安のうちに神の業を果たすことができるのですか。わたしたちは苦労しても行うことができません」。すると老師が言う。「われわれにそれができたのは、神の仕事を頭として持ち、身体的必要性を最もつまらぬものとしていたからだ。しかるにそなたたちは、身体的必要性を頭として持ち、神の仕事を必然的なものとしては持たない。それ故にそなたたちは疲れ、それ故に救い主は弟子たちに云ったのだ。「信仰薄き者たちよ、まず神の王国を求めよ、そうすればこれらのものは皆、あなたたちに増し加えられる」〔6:30〕。
2 師父イオーアンネースが云った、 われらの父、師父アントーニオスが云った、 わしは、未だかつておのれの益をわしの兄弟の利益に優先させたことはない、と。
3 ライトーの修道院長で、キリキア人の師父イオーアンネースは兄弟たちに云うを常とした。「わが子らよ、われわれは、世間を避けたのと同様、肉の諸々の欲をも避けよう!」。
4 彼がさらに云った。「われわれの師父たちに倣おう。どれだけの厳しさと静寂さでもって、彼らはここに坐したことか」。
5 彼がさらに云った。「汚さないようにしよう、わが子らよ、われわれの師父たちがダイモーンたちから浄めたこの場所を」。
6 彼がさらに云った。「この場所は、修行者たちの場所であって、商売人たちのそれではない。
233."24t"
ケッリアの師父イオーアンネースについて
233.25
ケッリアの師父イオーアンネースが語り伝えている、いわく アイギュプトスに、このうえなく美形で、すこぶる裕福な、一人の娼婦がいた。長官たちも彼女のところに通っていた。ところが、ある日、教会にやって来る機会があり、中に入ろうとした。ところが、門のところに立っていた副補祭が彼女を拒んだ、いわく。「おまえには神の家に入る資格がない、不浄だからだ」。彼らが言い争っていると、主教が騒ぎを聞きつけて、出て来た。そこでこれに娼婦が言う。「わたしが教会に入るのを許してくれないのです」。すると、主教も彼女に言う。「そなたには入ることが赦されない、不浄だからじゃ」。すると、彼女は悔恨の情に打たれて彼に言う。「もう姦淫しません」。これに主教が言う。「そなたの財産をここに持ってきたならば、そなたがもはや姦淫せぬことを認めよう」。そこで、彼女が持ってくると、取って、それを火で焼いた。彼女は教会に入り、泣き、かつ言った。「この世でわたしにこのようなことが起きたのならば、あの世ではどれほど苦しむことだったでしょうか」。そして彼女は悔い改め、「選びの器」〔行伝9:15〕となった。
233."44t"
テーバイの師父イオーアンネースについて
233.45
テーバイの師父イオーアンネースが云った。「修道者は、何よりもまず、謙遜を修得しなければならない。これこそ、『霊において貧しい者は幸いである。天の国は彼らのものだからである』〔マタイ5:3〕と言う救い主の第一の掟だからである」〔主題別15-36〕
233."49t"
司祭、師父イシドーロスについて
233.50
1 司祭である師父イシドーロスについて言い伝えられている、 あるとき、兄弟がやって来た、彼を朝食に呼ぶためである。しかし老師は出かけることを承知しなかった、いわく アダムは食べ物によってだまされ、楽園の外に住まわせられた」。これに兄弟が言う。「あなたは、あなたの修屋から出て行くことをそんなに恐れているのですか」。相手が再び云った。「わが子よ、わしは恐れる、悪魔が吠えたける獅子のように、誰かを飲み込もうとして探し回っている〔1ペトロ5:8〕からじゃ」。また彼は、しばしば言うを常とした、 もし誰かがおのれを飲酒にゆだねるならば、さまざまな想念の悪巧みからけっして逃れられない。というのも、ロートは、自分の娘たちに強いられて、葡萄酒に酔い、酪町の結果、悪魔はやすやすと彼を、無法な姦淫へと向かわせた〔創世記19:30-38〕からだ、と。〔主題別4-23〕
2 師父イシドーロスが云った。「そなたが王国を恋い慕うなら、金銭を軽蔑し、神的な報いを主張せよ」。〔主題別6-12〕
3 彼がさらに云った。「快楽を愛し銀子を愛する者であるかぎり、そなたが神に従って生きることは不可能じゃ」。〔主題別6-13〕
4 彼がさらに云った。「そなたたちが断食しつつ法に則って修行するするとしても、倣慢になってはならない。そのことを自慢するくらいなら、むしろ肉を喰うがよい。なぜなら、傲ったり尊大になったりするよりは、むしろ肉を食べることの方が人間にとって幸せだからだ」。〔主題別10-41〕
236.23
5 彼がさらに云った。「弟子たちは、真の師である人々を父のように愛し、支配者のように畏れなければならない。そして、愛によって畏れを緩めないように、また畏れによって愛を暗くしないようにせねばならない」。〔主題別10-42〕
6 彼がさらに云った。「そなたが救いを恋い慕うならば、そなたをそれへと導くことをすべて行うがよい」。〔主題別10-43〕
236.30
7 師父イシドーロスについて言い伝えられている、 兄弟が彼のところに来るや、彼は修屋の中に逃げ込むを常とした。そこで兄弟たちは彼に言うを常とした。「師父よ、あなたがなさっていることは何ですか」。すると彼は言うを常とした、 野獣も、自分のねぐらに逃げ込むことで救われる」。しかし彼がこれを言ったのは、兄弟たちの益になるためであった。〔主題別2-18〕
236."36t"
ペルセース人、師父イオーアンネースについて
236.37
1 あるとき、少年がダイモーン憑きから治癒されるためにやって来た。また、アイギュプトスの共住修道院の兄弟たちも訪れた。外に出かけようとしていた老師は、兄弟がその少年と罪を犯しているのを見たが、彼を咎めることをしなかった、いわく。「彼らを造った神が、彼らを見て焼き滅ぼさないのならば、このわたしは、彼らを咎めることのできるような者だろうか」。
236.44
2 師父たちの一人が、ペルセース人である師父イオーアンネースについて語り伝えている、 彼に対する大いなる恩寵によって、彼は最も深い無悪に達していた。この人物は、アイギュプトスのアラビアに住んでいた。あるとき、兄弟から一枚の金貨を借り受け、制作するために亜麻布を買った。ところが、兄弟がやって来てた、彼に頼んで、こう言うためである。「どうかわたしに恵んでください、師父よ、少しの亜麻布を、おのれのために修道の上衣を作りたいので」。そこで、喜んで彼に与えた。同じように、別の者も彼に頼むためにやって来た。「どうかわたしに亜麻布を少しください、わたしの敷布を作るために」。そこで彼にも同様に与えた。さらに他の者たちが要請したので、単純に喜んで与えた。最後に貸し金の主がそれを求めてやって来る。これに老師が言う。「出かけて行って、そなたにそれを持ってこよう」。しかし、どこからも返すことができず、輔祭職にあった師父イアコーボスのところに出かけて行き、兄弟に返すために、金貨を自分に与えてくれるよう彼に頼もうと決心した。
さて、途中で、金子が地面に落ちているお金を見つけたが、それには触れなかった。そして祈りをした後、自身の修屋に引き返した。すると、兄弟が再びやって来て、貨幣のことで彼を悩ませた。するとこれに老師が言う。「わしはまったく気にかけておる」。そして再び出かけて行き、もとあった地面に貨幣を見つけた。しかし今度も祈りをして、自分の修屋に引き返した。すると、みよ、彼にたかる兄弟が同じようにやって来た。て、すると老師が言う、 今度は必ず持ってくる、と。そこで再び立ち上がり、例の場所に行ったところ、それがそこに落ちているのを見つけた。そこで彼は祈りをなし、それを取った。そして師父アイコーボスのところに行って、これに言う。「師父よ、わたしはあなたのところに来る途中、道にこのお金子を見つけました。そこで恵みをください、誰かがそれを無くしたのですから、どうかこのことを一帯に告げ知らせてください。これの主が見つかったら、それを返してください」。
そこで、長老は出かけてゆき、3日間これを布告した。しかし、金子をなくした者は見つからなかった。老師が師父イアコーボスに言う。「なくした人がいなかったら、それをあの兄弟に与えてください。わたしは彼に金を借りていますから。わたしはあなたから施しを受け、借金を返すためにここにやって来て、そのお金を見つけたのです」。そこで老師は、彼が借金をしていて、そのお金を見つけておきながら、それをすぐ取って貸し主に与えなかったことに驚いた。さらに彼の驚くべき点は、彼は兄弟が何かものを借りにきても、自分では何も与えず、兄弟に「行って自分の必要なものを取りなさい」とだけ言っていたこと。また、兄弟がそれを返しに来ると、「もとの場所に置きなさい」と言った。が、取った人が返しに来なくても、何も言わなかったことである。
3 ペルセース人の師父イオーアンネースについて言い伝えられている、 悪行者どもが彼を急襲したとき、彼はたらいを持って来て、彼らの足を洗うことを求めた。連中も恥じ入り、悔い改めだした。
237.47
4 ある人がペルセース人、師父イオーアンネースに云った、 わたしたちは諸天の王国のために大変な苦行をしました。はたして、それを受け継ぐことができるのでしょうか、と。すると老師が云った。「わしは、諸天に記されている天上のヒエルゥサレームを遺産相続すると信じている。なぜなら、『約束なさった方は信実な方である』〔ヘブライ10:23〕からだ。どうしてわたしが信じないことがあろうか。わたしは、アブラアームのように客人をもてなす者、モーウセースのように柔和な者、アアローンのように聖なる者、イオーブのように忍耐強き者、ダピデのように謙遜な者、〔洗礼者〕イオーアンネースのように砂漠に住む者、ヒエレミアのように悲歎者、パウロスのように教える者、ペテロスのように信じる者、ソローモーンのように知恵或る者となった。そしてわしは、固有の善性によってわしにこうしたものらを恵んでくださった方が、王国をも与えてくださることを、あの盗賊同様に信じている」。
240."7t"
テーバイ人、師父イオーアンネースについて
240.8
師父アンモーエースの弟子である、テーバイ人の小イオーアンネースについて言い伝えられている、 彼は病気の老師アンモーエースに奉仕して、彼〔師〕とともに茣蓙に坐って、12年間を過ごした。しかし老師は彼を軽視した。彼が彼のためにどれだけ苦労しても、彼に「救われるように」と云ったことはなかった。ところが命終せんとしたとき、老師たちが坐している中で、彼の手を握り、彼に言う。「救われるように、救われるように、救われるように」。そうして彼を老師たちに預けた、いわく。「この者は天使であって、人間ではない」。〔主題別16-5〕
240."18t/19t"
師父パウロスの弟子である師父イオーアンネースについて
240.20
師父パウロスの弟子、師父イオーアンネースについて言い伝えられている、 大いなる従順さを具えていた。で、あるところに墓があり、そこにハイエナが棲んでいた。さて、老師が、その場所の周りに牛の糞があるのを見つけた。そこでイオーアンネースに、行ってそれを持ってくるように言う。相手が彼に云った。「いったいどうすればいいのでしょうか、師父よ、ハイエナの件は」。老師の方は冗談に云った。「そなたに襲いかかってきたら、これを縛って、これをここに連れてくるがよい」。
そこで、夜、兄弟はそこに出かけた。すると、見よ、ハイエナが彼に襲いかかってきた。相手はといえば、老師の言葉どおり、これをつかまえようと飛びかかった。するとハイエナは逃げた。しかし彼はそれを追いかけながら言った。「わたしの師父がおまえを縛るよう云われた」。そしてこれを捕えて縛った。ところで長老の方は、不安に押し潰されるような気持ちで、彼を待って坐していた。すると、見よ、縛られたハイエナを連れて帰ってきた。老師はそれを見て驚いた。しかし彼を謙らせようと思い、彼を打った、いわく。「たわけ者め。このわしのところに馬鹿犬を連れて来織ったな」。そして、老師はすぐにこれを解き、放して逃がしたのだった。〔主題別14-5〕
240."38t"
テーバイ人、師父イサアークについて
240.39
1 あるとき、テーバイの人、師父イサアークが共住修道院を訪れ、兄弟が躓くのを見て、これを断罪した。しかし、砂漠に戻ると、主の使いがやって来て、彼の修屋の戸の前に立ちはだかった、いわく。「おまえが中に入るのことは認めない」。相手が呼びかけた、いわく。「何事ですか」。天使が答えて彼に云った。「神がわたしを遣わされたのだ、いわく。『彼に云え、「おまえが裁いた躓いた兄弟を、どこへ追いやれと命ずるのか?』と」。そこで、彼は直ちに悔改めた、いわく。「わたしは罪を犯しました、どうかわたしをお赦しください」。すると使いが云った。「立て、神はおまえをお赦しになった。だがこれからは、神が裁く前に人を裁かぬように心せ」。〔主題別9-5〕
241.1
2 師父アポッローンについて言い伝えられている、 彼には名をイサアークという、あらゆる善き業の極みまで教育された弟子がいた。〔その弟子は〕また聖なる奉献祭儀において静寂さを保っていた。教会に行くときには、誰かが自身の会話に加わることを容赦しなかった。というのは、彼の言葉はこうだったからである、 すべてのものはそれぞれの好機において美しい。というのは、「万事にす好機がある」〔伝道の書3:1〕からである、と。そうして、集会が終わると、彼は火に追われるように、自分の修屋に飛んで帰った。また、集会後、しばしば、兄弟たちにビスケットと一杯の葡萄酒が与えられた。が、彼はそれを受け取らなかった。それは、兄弟たちの祝福を拒んだのではなくて、集会の静けさを優先したのである。
さて、そんな彼が病気になったことがある。兄弟たちがそれを聞いて、彼を見舞いにやって来た。そして兄弟たちが坐して、彼に尋ねた、いわく。「師父イサアークよ、あなたはどうして、集会の後に兄弟たちを避けるのですか」。すると彼らに向かって云った。「わたしが避けるのは兄弟ではなく、ダイモーンたちの悪巧みなのです。というのも、人が火のついた松明を持って、戸外に立ったままぐずぐずしていると、火は消えてしまうでしょう。それと同じように、わたしたちも、聖なる奉献祭儀によって照らされても、修屋の外でぐずぐずしていると、わたしたちの理性が暗闇になってしまうのです」。これこそが、神法に適った師父イサアークの行住坐臥であった。〔主題別11-47〕
241."25t"
テーバイ人、師父イオーセープについて
241.26
テーバイ人、師父イオーセープが云った、 主の御前において尊い事は3つである。人間が病気になったとき、また、彼に試練がやってきたとき、感謝さえしてそれらを受けとめること。第二は、人が行うすべての為業を、神の御前において清く、何ら人間的なものではないものとすること。第三は、人が霊的な父に対する聴従のもとに坐し、自らの意志をすべて捨て去ること。この〔第三の〕一事こそ、とくに優れた栄冠を持っている。そこで、わしは病弱さを選んだのじゃ。〔主題別1-14〕
241."36t"
師父ヒラリオーンについて
241.37
師父ヒラリオーンは、パライスティネーから山に、師父アントーニオスのもとを訪れた。すると、これに師父アントーニオスが言う。「美しくもいらした、夜明けに昇る明けの星よ」。すると、これに師父ヒラリオーンが云った。「あなたに平和がありますように、全地を照らす光の柱よ」。〔主題別17-4〕
241."43t"
師父イスキュリオーンについて
241.44
聖なる師父たちが、世の終わりについて、預言しあっていた。「われわれはいかなる働きをすべきであろうか」と彼らは謂った。すると彼らの一人、偉大な師父イスキュリオーンが答えて、云った。「われわれは神の掟を実修した」。すると〔幾人かが〕答えて云った。「われわれの後から来る者たちは、いったい、何を為すのだろうか」。すると〔イスキュリオーンが〕云った。「彼らはわれわれの業の半分に達するだろう」。すると彼らが云った。「では、彼らの後の人々はどうか」。彼が云った。「その時代の人々は、何のわざも持たぬ。試練が彼らにやって来ることになる。だが、その時に資格ありとみなされた者たちは、われわれや、われわれの師父たちよりも偉大な者となるだろう」。
2016.01.25.
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