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back.gif砂漠の師父の言葉(Ι)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)1

砂漠の師父の言葉(Κ)
(10/24)



244."3t"
字母Κの初め。

244."4t"
師父カシアーノスについて

244.5
1 師父カシアーノスが常々話していた、— わしと聖ゲルマノスとが、アイギュプトスのある老師のもとを訪れた。するとわれわれを客遇したので、われわれから尋ねられた。「異邦の兄弟たちをもてなす機に、パライスティネーでわたしたちが受け継いでいるとおりに、わたしたちの断食の規則を守らないのは何ゆえですか?」。すると彼が答えた、いわく。「断食は、常にわしとともにある。しかし、そなたたちを常におのれとともに引き留めておくことはできぬ。たしかに断食も有用で必要なものだが、それはわれわれの選びに属する。他方、愛の達成の方は、の法が、必然的に要求するものである。されば、わしは、そなたたちにおいてクリストスを迎えるのだから、できるかぎりの熱心さでもってもてなさなければならない。しかし、そなたたちを送り出した後に、わしは断食の規則を取り戻すこともできよう。たしかに、花婿の息子たちは、花婿が自分たちとともにいる間は、断食できない。が、花婿が取り去られると、その時には思い通りに断食するのである〔マルコ2:19-20〕」。〔主題別13-2〕

2 同じ人が云った、— ある老師がいた、彼は聖なる乙女に奉仕されていた。すると人々が言った。「清浄でない」。老師も耳にしてはいた。さて、命終するとき、師父たちに云った。「わしが命終したら、わしの杖を墓に植えよ。もし芽を吹き実を結んだら、わしが彼女に対して清浄であると知れ。もし芽を吹かなかったら、わしが彼女と罪に陥っていたと識れ」。そこで、杖が植えられたが、それは3日めに芽を吹き、実を結んだ;。そして、皆はを栄化したのである。

3 彼がさらに云った、— われわれが別の老師を訪問した。すると彼はわれわれに食事の席を設けてくれた。だが、満腹したわれわれに、彼はなお食べ物を摂るよう熱心に勧めた。そこでわたしが、もう食べられないと述べると、答えた。「兄弟たちが訪ねてきたとき、わしは6度、その席を設け、めいめいの者と食事をしたが、まだ空腹だ。しかるにそなたは、一度喰って満腹したあまりに、もう喰えない」。〔主題別13-3〕

4 同じ人がさらに語り伝えている、— 共住大修道院の院長、師父イオーアンネースが、40年間、最奧の砂漠で暮らした師父パエーシオスを訪ね、後者に大きな愛と、そこから生じる気易さ(parjrJhsiva)を持っていたので、彼に云った。「これほど長い間隠修し、どんな人間にもたやすくは悩まされずにいて、どんなことが達成できましたか」。相手が謂う。「修行者となって以来、わたしが食事するのは太陽が見たことはありません」。すると師父イオーアンネースも云った。「〔太陽が〕わしが怒るのを見たことはない」。〔主題別4-26〕

5 この師父イオーアンネースが臨終に際し、のもとに熱心に、かつ嬉々として出離しようとししているのを、兄弟たちが取り巻いた、簡潔で救済的な言葉のようなもの(それによってクリストスの完徳に達することができるような)を、遺言の仕方で自分たちに遺してくれるよう要請するためである。相手が嘆息して謂った。「わしは我意を通したこともない。自分が先ず実行しなかったようなことを教えたこともない」。〔主題別1-15〕

6 彼がさらに、砂漠に坐していた別の老師について語り伝えている、— 彼は自分に恩寵をたまうように呼びかけ、その結果、霊的交わりが動いている間は決して居眠りをしなかった。また、誰かが悪口や無駄話をふっかけると、すぐに眠りに陥ち、自分の耳がそういう毒を味わうことのないようにした。またこの人が言うを常としたのは、悪霊とは無駄口の好き者であり、あらゆる霊的な教えの敵対者である、ということであった。その際、次のような例を使った。「というのは、わしが」と彼は謂う、「有益さについて数人の兄弟たちに話していると、彼らは深い眠りに陥ちたあまりに、まぶたを動かすこともできないほどであった。そこで、わしは彼らに悪霊の活動を示そうと思い、無駄話を挟んだ。彼らはこれを喜び、たちどころに目を覚ました。そこで嘆息して云った。「今までわれわれは諸天のことを対話していたが、そなたたちの眼はみな眠りに捕らわれていた。しかし、無駄話が述べられたときには、すぐに目を覚ました。それゆえ、兄弟たちよ、願わくば、邪悪な悪魔の活動を認識せよ、そして、何か霊的なことを行う場合には、居眠りに警戒し、おのれ自身に心を注ぎ、あるいは聞くがよい」。〔主題別11-48〕

7 彼がさらに云った、— ある元老院議員が、職を辞し、自分の金銭を貧者に分け与えながら、自分の楽しみは幾分か取っておいた、完全な無所有から生まれる謙遜や、共住修道院規則に対する真正な従順を望まなかったからである。彼に対して、聖者に列するバシレイオスは以下の言葉を言い放った。「たしかに元老院の職は棄てたが、修道者にはならなかった」。〔主題別6-14〕

8 彼がさらに云った、— 砂漠の洞窟に住むある修道者がいた。すると、肉のうえで親類の者によって彼にしらさせられた、— おまえの父上が重病で、命終しかかっている、彼から遺産相続するためにやって来い、と。そこで彼らに答えた。「わたしはあの人より先にこの世に死んだ。死者が生者から遺産相続することはない」。


248."1t"
師父クロニオスについて

248.2
1 兄弟が師父クロニオスに謂った、「どうかわたしに説話(rJh:ma)をください」。するとこれに言う。「エリッサイオス〔=エリシャ〕がソーマネー〔=シュネム〕女のところにやって来たおりに、女が誰とも関係を持っていないのを見出した。かくして妊娠し、出産したのは、エリッサイオスが現れたせいであった〔列王記下4:8-17〕」。そこで彼に兄弟が言う。「この説話(rJh:ma)はどういう意味ですか?」。すると老師が言う。「魂が素面であって、気を散らすことからおのれを離し、自分の意志を捨てるならば、そのときこその霊が魂に寄り添う。そして、石女であっても、ついには生むことができるのだ」。

2 兄弟が師父クロニオスに尋ねた。「わたしの理性を捕囚にし、わたしをほかならぬ罪に陥らせるまでにわたしが感知することを拒む忘却に対して、どうすべきでしょうか?」。すると老師が言う。「イスラエールの息子たちの悪しき行いのために、異邦人どもが契約の櫃を奪ったとき、彼らはそれを、自分たちのダゴーンの殿の中にまで引っ張っていった。まさにそのとき、〔ダゴーンの像は〕その〔契約の櫃の〕前に倒れた〔サムエル上5:1-5〕」。すると兄弟が言う。「それはどういう意味ですか?」。そこで老師が云った、— 人間の理性を、自分の独自の口実で捕囚にせんとするとき、彼を引きずっていって、目に見えぬ情念の方へと導く。されば、理性があの場所還り、を求めて、永遠の裁きを思い起こすならば、情念はすぐに倒れ、消え去る。なぜなら、〔聖書に〕こう書かれているからである。『あなたが立ち帰って嘆くとき、あなたは救われ、自分がどこにいたかが分かるだろう』〔イザヤ30:15〕と。

3 兄弟が師父クロニオスに尋ねた。「どういう仕方で、人間は謙遜に達するでしょうか」。これに老師が言う。「への畏れによって」。これに兄弟が言う。「どのような行いによって、への畏れに達するのでしょうか?」。これに老師が言う。「わしの思うに、あらゆる思い煩いから離れることによって、身体的な労苦にみずからをゆだね、力の及ぶ限り、身体からの脱出と、の裁きとの想起によって」。〔主題別15-37〕

4 師父クロニオスが云った、— モーウセースが羊たちをシナ〔シナイ〕山のふもとに導かなかったならば、茂みの中に火を見なかったであろう〔出エジプト3:1-7〕」。兄弟が老師に質問した。「茂みとは、何を意味するのですか?。するとこれに言う、— 茂みとは、身体的な行いを意味する。事実、こう書かれているからである、— 諸天の王国は畑に隠されている宝に似ている〔13:44〕、と。兄弟が老師に言う。「それでは、身体的な労苦なしには、人間が何か価値あるものに達することはないのでしょうか?」。これに老師が言う。「いずれにせよ、こう書かれている。『信仰の始めであり終わりであるイエースゥスに目を向けよ、彼は御自分の前に置かれた喜びの代わりに、十字架を忍ばれた』〔ヘブライ12:2〕。また、ダピデも言う。『わたしはわたしの目に眠りを与ええず、わたしの目蓋にもまどろみを〔与ええ〕ない云々』〔詩編131:4〕と」。〔主題別21-2〕

5 師父クロニオスが云った、— ペールゥシオン〔地図「ペルシオン」参照〕の師父イオーセープがわたしたちに話すを常とした、— わしが、シナ〔シナイ〕に坐っていたとき、そこに兄弟であり修行者としても美しい、いやそればかりか身体的にも恰好のよい者がいた。そして、教会の時課祈祷に来ていたが、あちこちに継ぎのあたった小さな古い衣を着ていた。そこで、彼が決まってこのような身なりで集会に来るのを観て、彼に言う。「兄弟よ、そなたは兄弟たちを見ないのか、彼らがどんなに天使たちのように教会に来るのを。どうしてそなたはいつもこのような身なりでここに来るのか?」。相手が謂った。「どうかわたしをお赦しください、師父よ、わたしは他のものを持っていないもので」。そこで、彼をわしの修屋に連れていき、小さな修道服と、彼が必要とする他のものとを彼に与えた。それ以来、彼は自余の兄弟たちのような身なりをし、天使のように見えた。
 ところで、ある日、師父たちは必要があって、皇帝に10人の兄弟を派遣しなければならなくなった。代表者の中に彼も選ばれた。しかし、それを聞くや、師父たちの前に跪いた、いわく。「主のために、どうかわたしをお赦しください、— わたしはあちらのある大人の奴隷です。もしわたしだと知ったら、彼はわたしの修道服を剥ぎ取り、わたしをまた自分に隷従させるために連れてゆくでしょう」。そこで、師父たちは納得して、彼を赦したのだが、後になって、彼のことをよく知っている者から、彼が世間では親衛隊の司令官であったことを知った。彼が先の口実を持ち出したのは、このことを知られ、見つかって、人間どもから悩まされるのを恐れたためであったのだ。師父たちがこの世の栄誉と安逸とを避ける熱意は、このようなものであった。


249."41t"
師父カリオーンについて

249.42
1 師父カリオーンが云った、— わしが数多くの苦行を為したことは、わが息子ザカリアースよりも多かったが、彼の謙遜と沈黙においては、彼の境位に及ばなかった、と。〔主題別15-17〕

2 スケーティスにひとりの修道者がいた、師父カリオンと呼ばれていた。この人は、二人の子供をもうけた後、これを自分の妻に託して、隠修した。ところがしばらくすると、アイギュプトスに飢饉が起こり、となり、彼の妻は切迫して、249.50 二人の子ども(ひとりはザカリアースという男児と、ひとりは娘であったが)を連れて、スケーティスにやって来て、老師からは遠く離れた宿泊地に坐った。事実、スケーテイスには沼地があり、そこにいくつかの教会が建てられており、またいくつかの泉もある。ところでスケーティス習慣たるや、女が自分の兄弟や自分と違う他の者と話をしに来たときには、互いに離れたところに坐って話すことになっていた。そのとき、妻は師父カリオンに言う。「見よ、あなたは修道者になりましたが、いま飢僅になっています。それでは、誰があなたの子どもたちを養うのですか」。彼女に師父カリオンが言う。「子どもたちをわしのいるここによこすがよい」。妻は子どもたちに言う。「そなたたちの父上のところに行きなさい」。そこで、彼らは自分たちの父親のところにやって来たが、娘は自分の母親のもとへ戻り、息子は自分の父親のところにやって来た。そのとき、妻に言う。「見よ、事情は美しくなった。そなたは娘を連れて帰るがよい、わたしは息子を引き取ろう」。
 かくして、これをスケーティスで育てたが、彼の子であることは誰しもが知っていた。しかし、年頃になるや、僧団(ajdelfovthV)の間で彼について不平が起こった。師父カリオンはこれを聞いて、自分の子に言う。「ザカリアースよ、起て、ここを出て行こう、師父たちが不平をならしているゆえ」。これに少年が彼に言う。「父上、ここでは皆が知っています、わたしがあなたの息子であることを。でも、よそへ行けば、わたしがあなたの息子だとは言われないでしょう」。そこでこれに老師が言う。「起て、ここを出て行こう」。そして、彼らはテーバイに行った。だが、彼らが修屋を得て、幾日か住持すると、そこでも少年について同じ不平が起こった。このとき、その父親が彼に言う。「ザカリアースよ、起て、スケーティスに行こう」。そうして彼らがスケーテイスに着き、幾日か経つと、またもや彼について不平が起きた。このとき、少年ザカリアースは、硝酸の池に行き、脱衣して降りていった、自分の鼻までおのれを沈めるためである。彼はできるかぎり長い時間そこに留まり、おのれの身体を消した。ついに、彼は癩者のようになってしまった。それから上がって、自分の外衣を纏い、自分の父親のところに行った。そして、辛うじて彼だと認めた。で、いつもどおり聖体の拝領に行くと、スケーティスの長老、聖イシドーロスに、〔少年が〕何をしたかが啓示された。そして、彼を見て驚いて、云った。「少年ザカリアースは、先週の主の日には、人間としてやって来て、聖体拝領したが、今は、天使のごとくになった」。


252."40t"
師父コプリスについて

252.41
1 師父ポイメーンは師父コプリスについて言うを常とした、— 病気になって、病床にあって、なお感謝し、自分の意志を禁じるまでの境位に達していた、と。

2 師父コプリスが云った。「感謝をもって苦行をもちこたえる者は浄である」。

3 あるとき、スケーティスに或る者たちがメルキセデクについて寄り合ったが、師父コプリスを呼ぶのを忘れていた。そこで、後に彼を呼び、この件について尋ねた。相手は、自分の口を三度叩いて、云った。「ああ情けなや、コプリスよ、行うようがおまえにいいつけたことをそっちのけにして、おまえに求めないことを求めているとは」。これを聞いた兄弟たちは、自分たちの修屋に逃げ帰った。〔主題別15-38〕


253."1t"
師父キュロスについて

253.2
 邪淫の想念について、アレクサンドレイア人、師父キュロスが質問されて、次のように答えた。「もし想念を持たないなら、希望も持たない。諸々の想念を持たないと、行為を持つ。これこそ、精において罪と闘わず、反論もしない者は、身体的にそれ〔罪〕を犯している、ということである。なぜなら、諸々の行為を持つ者は、諸々の想念にたかられることはないからである」。そこで老師が兄弟に尋ねた、いわく。「そなたには、女と話す習慣はないか」。すると兄弟が云った。「ありません。わたしの想念とは、諸々の古い且つ新しい肖像です。わたしにたかるのは、それは記憶であり、女の影像なのです」。そこで長老は彼に向かって。「死者を恐れてはならぬ。むしろ、生きている者たちを避け、よりいっそう祈りに専念するがよい」。〔主題別5-5〕

2016.01.28.

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