砂漠の師父の言葉(Ο)
317."1t" 217.3 2 あるとき、師父ポイメーンの兄弟であるパエーシオスが、彼の修屋の外である人と交歓していた。ところが、師父ポイメーンはそれを好まず、立ち上がり、師父アムモーナースのところに逃げて行って、彼に言う。「わたしの兄弟パエーシオスが誰かと交歓していて、わたしは平安を得られません」。これに師父アムモーナースが言う。「ポイメーンよ、そなたはまだ生きているのか? 行け、そなたの修屋に坐せ、そして、そなたはすでに1年前から墓の中にいるのだと、そなたの心に銘じよ」。〔主題別10-92〕 3 あるとき、地方の司祭たちが師父ポイメーンがいる修道院へやって来た。そこで、師父アヌゥブが中に入って来て、彼に言う。「今日、ここに司祭たちを呼ぼう」。しかし、彼は長い間立ったままで、彼に返事を与えなかった。そこで、悲しんで出て行った。彼の近くに坐っていた人々が彼に言う。「師父よ、どうして彼に返事をしなかったのですか」。彼らに師父ポイメーンが言う。「わしは関わりを持たぬ。なぜなら、わしは死んだ者だからだ。死人は話さない」。〔主題別10-53〕 4 師父ポイメーンの一派がやって来る前、アイギュプトスにある老師がおり、名声と多くの尊敬を受けていた。しかし、師父ポイメーンの一派がスケーティスから上って来ると、人々は彼を見捨てて、師父ポイメーンのところに行き始めた。彼は心を痛めて、自分の兄弟たちに言う。「人々はあの偉大な老師を見捨て、何者でもないわれわれのところにやってきて、われわれを苦しめているが、われわれはこの偉大な老師に対して、何を為すべきだろうか。どうすれば、この老師を癒すことができるだろうか」。そこで兄弟たちに言う。「少しの食べ物をつくり、革袋一杯分の葡萄酒を持って来てくれ。彼のところに行き、一緒に食事をしよう。そうすれば恐らく彼の心を癒すことができよう」。そこで、彼らは食べ物を持って、出発した。彼らが戸を叩くと、老師の弟子が訊いた、いわく。「あなたがたは誰ですか」。317.50 彼らが云った。「師父に取り次いでください、ポイメーンがあなたから祝福を受けることを望んでいます、と」。そこでこのことを弟子が報告すると、こう云って言明した。「行け、わしには暇がない」。しかし、彼らは、暑さの中を待ち続けた、いわく。「わたしたちは老師に認められないかぎり、引き下がりません」。老師は、彼らの謙遜と忍耐とを見て、心を動かされ、彼らのために戸を開けた。そこで、彼らは中に入って、ともに食事をした。彼らが食事をしているとき、老師が言った。「まこと、あなたがたについて聞いていたことだけでなく、その百倍ものことを、あなたがたの業のうちにわしは見た」。こうして、その日から彼は彼らの友となったのであった。〔主題別17-11〕 320.10
6 あるとき、共住修道院で兄弟が躓いた。その地域に、隠修者がいた。彼は長い間外出したことがなかった。共住修道院の師父は、その老師のもとに行き、躓いた者について彼に報告した。相手が云った。「彼を破門せよ」。それで、兄弟は共住修道院から出て行って、洞窟に入り、そこで泣いていた。折よく兄弟たちが師父ポイメーンのところに行こうとして、彼が泣いているのを耳にした。彼らが中に入ると、兄弟が非常に苦しんでいるのを見つけた。そこで、兄弟たちは老師のところに行くように勧めた。しかし彼はことわった、いわく。「わたしはここで死ぬのです」。
7 あるとき、大勢の老師たちが師父ポイメーンを訪ねた。すると、見よ、師父ポイメーンの親族の一人が子どもを連れて来ていたが、その子の顔は仕業によって、後ろを向いていた。その父親は大勢の師父を見ると、子どもを連れ、泣きながら修道院の外に坐った。そこにたまたま一人の老師が出て来た。彼を見ると云った。「なぜ泣くのか、人よ」。321.10 相手が云った。「わたしは師父ポイメーンの親戚の者です。どうか見てください、この子にこんな試練が降りかかったのです。わたしたちはこの子を長老のもとに連れていこうと思いましたが、恐ろしいのです。というのは、彼はわたしたちに会うことを拒むからです。そして、今ではここにわたしがいると知るや、人を遣ってわたしを追い出そうとさえします。しかし、わたしはあなたがたがおられるのを見て、思い切ってやって来ました。師父よ、お願いですからわたしを憐れんで、子を中へ入れ、この子のために祈ってください」。
8 あるとき、ある兄弟が師父ポイメーンの地方から異邦に旅立った。そしてそこである隠修者のところに着いた。この人は愛或る者で、多くの人々が彼のもとに来ていた。兄弟は彼に師父ポイメーンのことを報告した。するとその徳を聞いて、彼に会うことを渇望した。さて、兄弟がアイギュプトスに戻って、しばらく後、隠修者は立ち上がり、異邦からアイギュプトスに、かつて自分を訪問した兄弟のもとにやって来た。どこに住んでいるかを彼に話していたからである。くだんの人は彼を見て驚き、また非常に喜んだ。そこで隠修者が云った。「お願いですから、師父ポイメーンのところに連れて行ってください」。そこで、彼を連れて老師のところに赴き、彼のことを彼に報告した、いわく。「偉大な人物で、豊かな愛を持ち、自分の国で名声を博しています。あなたのことを彼に報告したところ、あなたに会いたいと思ってやって来たのです」。そこで喜んで彼を迎え、互いに挨拶を交わして坐した。 9 あるとき、その地方の長官が、師父ポイメーンの村のある男を逮捕した。そこで村人たち皆がやって来た、師父ポイメーンが出かけて行って、彼を釈放するよう頼むためである。相手は云った。「われに3日の猶予を与えよ、そうすれば出かけよう」。そういう次第で師父ポイメーンは主に祈った、いわく。「主よ、この恩寵をわたしに与えないでください。〔さもなければ〕わたしがこの場所に坐することを放っておかないでしょうから」。さて、老師は長官に願いに赴いた。すると相手が彼に謂った。「盗賊のために願うのですか、師父よ」。老師が喜んだのは、そやつのために恩寵を受けなかったことをであった。 10 何人かの人たちが語り伝えている、 当時、師父ポイメーンとその兄弟たちは、縄綯い(skolavkin?)を仕事としていた。ところが、亜麻糸を買えないため、仕事を続けられなくなった。そこで、彼らを愛していたある人が、信者であるある商人に事情を話した。師父ポイメーンはといえば、煩わしさ故に、何であれひとからもらうことを拒むを常としていた。さて、かの商人が、老師に仕事を与えようと思って、縄が必要であるという口実で、自分の駱駝を連れて来て、それを受け取った。そして兄弟が師父ポイメーンのところにやって来たおり、商人がしたことを聞き、彼を称賛するつもりで云った。324.40「実は、師父よ、彼がそれを受け取ったのは、必要があったからではなく、わたしたちに仕事をさせるためだったのです」。師父ポイメーンは、必要があってそれを受け取ったのではないと聞いて、兄弟に云った。「立て、駱駝を借用せよ、そしてそれを持って帰れ。もしそれを持って帰らなければ、ポイメーンはそなたたちとここにとどまらない。なぜなら、縄を必要としない何びとかが損をして、わしの利得を得るという不正をなしたくはないからだ」。彼の兄弟は大変悩んで出かけてゆき、それを持って帰って来た。さもなければ、老師が彼らから離れてしまうからである。老師はそれ〔縄〕を見ると、大変な宝物を見つけたかのように喜んだ。 324.51 12 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしは大きな罪を犯しました、それで3年間、悔い改めをしたいと思います」。これに老師が言う。「それは多過ぎる」。そこで彼に兄弟が云った。「少なくとも1年間は」。すると再び老師が云った。「多過ぎる」。そこで、そばにいた人々が言った。「40日間くらいは?」。すると再び云った。「多すぎる」。そして云った。「わしが言っておるのは、 人が心の底から悔改めて、それ以上罪を重ねないならば、神は、3日で彼を受け入れてくださる、ということじゃ」。〔主題別10-57〕 13 彼がさらに云った、 修道者の証しは、さまざまな試練において現れる。〔主題別7-18〕 14 彼がさらに云った。「王の護衛兵が王のそばに常に備えをして立っているようなもの。同様に、魂はつねに邪淫のダイモーンに抗して、備えをしていなければならない」。〔主題別5-7〕 325.30 16 師父ポイメーンがさらに云った。「もし近衛兵の隊長であるナプゥザルダンが来なかったならば、主の神殿は焼かれなかっただろう〔列王下25:8〕。これはこういう意味だ。つまり、大食という安息が魂に起きなければ、理性が敵の攻撃に屈することはないだろう、ということじゃ」。〔主題別4-32〕 325.43 18 師父ポイメーンがさらに云った。「何びとたちかがそなたに妬みを持っているのを目にしない場所に住んではならない。さもないと、そなたは進歩しない」。〔主題別10-65〕 325.50 328.1 21 師父イオーセープが同じロゴスを尋ねた。すると彼に師父ポイメーンが云った。「ひとが蛇や蠍を容器に入れて、蓋をしておくと、時とともに完全に死ぬようなもの。邪悪な想念も同様で、ダイモーンたちに発芽しても、忍耐によって消えてしまうものなのだ」。〔主題別10-60〕 328.14 329.50 332.10 25 彼がさらに云った。「教えながら、自分の教えることを実行しない者は、井戸に似ている。〔井戸は〕あらゆるものを浸し、洗うが、自分自身をば浄めることができないからだ」。〔主題別10-72〕 328.50 27 彼がさらに云った、 沈黙していると思われている人がいるが、彼の心は他者を裁いている。このような人は絶えず話しているのだ。また他に、朝から晩まで話しながら、沈黙を保持している人もいる。つまり、益になること以外は何も話していないということである」。〔主題別10-75〕 28 ある兄弟が、師父ポイメーンのところに来て、329.10 彼に言う。「師父よ、わたしは多くの想念を抱いていて、それらせいで危機に瀕しています」。すると、老師は彼を戸外に連れ出し、彼に言う。「そなたの胸を広げ、風をためよ〔箴言30:4〕」。相手が云った。「わたしにはそうすることができません」。すると彼に老師が言う。「そうすることができないのなら、想念が起こるのを防ぐことなどできない。しかし、それに抵抗することは、そなたのわざなのだ」。〔主題別10-81〕 29 師父ポイメーンが云った、 3人の者が同所に落ち合っていて、一人は美しく静寂を守り、一人は病弱でありながら感謝し、今一人は清い想念をもって奉仕しているとしよう。そのとき、3人は1つのわざをなしているのだ、と。〔主題別10-76〕 30 彼がさらに云った。「聖書に書かれている。『鹿が水の泉をあえぎ求めるように、わたしの魂もあなたを、神よ、あえぎ求める』〔詩編41:2〕。鹿たちは砂漠で沢山の爬虫類を飲み込む。そしてその毒が自分を焼くとき、水辺に来ることを渇望する。飲むことで、爬虫類の毒から身を鎮めるのである。同様に、修道者たちも、砂漠に坐し、邪悪なダイモーンたちの毒に焼かれたとき、土曜日と主の日を渇望し、その結果、水の泉に、つまり、主の身体と血に赴くのである。悪の苦しみから浄められるためである。〔主題別18-22〕 31 師父イオーセープが師父ポイメーンに、どのように断食すべきか、尋ねた。師父ポイメーンが彼に言う。「わしは、食べる者が毎日少しずつ食べることを好む、満腹しないためである」。これに師父イオーセープが言う。「あなたは若い頃、2日に1度断食されたのではありませんか?」。すると老師が云った。「実は、3日も4日も、さらには1週間もじゃった。かつて師父たちは、そのようなことすべてを試みた、強かったからじゃ。しかし、毎日少しずつ食事をする方が望ましいことに気づいた。そうして、彼らはわれわれに王道を伝えてくれた〔民数記20:17〕。容易だからじゃ」。〔主題別10-61〕 332.40 329.50 332.10 35 師父ポイメーンが云った、 見張ること、自己に傾注すること、そして分別、これら3つの徳が、魂の道案内人である。〔主題別1-20〕 36 彼がさらに云った、 神の御前に自分自身を投げ出すこと、自分自身を評価しないこと、そして我意を後ろに捨て去ることは、魂の道具である。〔主題別1-20?〕 333.10 333.14 39 彼がさらに云った。「悲嘆は二重である。働くこと、見張ること〔創世記2:15〕」。〔主題別3-26〕 333.20 333.27 332.40 43 彼がさらに云った。「諸悪のはじまりは、気を散らすこと」。〔主題別2-24〕 44 彼がさらに云った、 スケーティスの司祭である師父イシドーロスは、あるとき、民に話した、いわく。「兄弟たちよ、われわれがこの場所に来たのは、労苦のためではなかったか。しかし、今はもはや労苦はない。だから、わしはわしの毛皮を具えて、労苦のあるところへ行き、そこに平安を見出すことにしよう」。〔主題別7-20〕 332.53 46 ある兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「人は一つの行為を恣にすることができるでしょうか?」。するとこれに老師が云った、 コロボス人である師父イオーアンネースが云った、 わしはあらゆる徳を少しずつ獲得することをこのむ、と。 333.10 333.14 49 彼がさらに云った、 人は、自分の鼻から出る気息を必要とするように、謙遜と神への畏れとを必要とする。 〔主題別15-48〕 333.20 333.27 52 師父ポイメーンがさらに云った、 師父アムモーナースが云っていたものじゃ、 人は自分の一生涯斧を持っていても、木を伐り倒す方法がわからない。他の人は、伐採の経験があるので、容易に木を切り倒す、と。そして、斧とは分別のことだと言った。〔主題別10-88〕 53 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「人はどのように暮らすべきでしょうか?」。これに老師が言う。「ダニエールを見よう、彼に対する非難は見当たらなかった、自分の神なる主に対する奉神礼儀(leitourgiva)における以外は」。〔主題別1-22〕 54 師父ポイメーンが云った、 人間の意志は、人間と神との間を隔てる青銅の壁であり〔エレミア1:18〕、妨害の岩である。それゆえ、人間がこれを捨て去ると、彼も言う。『わたしの神において城壁を乗り越える』〔詩編17:30〕。しかし、弁解が意志に加わるようになると、人間は病んでしまう。〔主題別10-89〕 55 彼がさらに云った、 あるとき、老師たちが坐って、食事をしていたとき、師父アローニオスが給仕をするため立ち上がった。これを見て彼を褒めた。しかし、彼は一言も答えなかった。そこで、ある人がひそかに彼に言う。「あなたを褒めている老師たちに、なぜ答えないのか?」。これに師父アローニオスが言う。「もし彼らに答えれば、わたしはその称賛を受け入れものと見られよう」。〔主題別15-54〕 56 彼がさらに云った、 人々は完壁に話すが、最少に働く。 57 師父ポイメーンが云った、 煙が蜜蜂たちを追い払い、そのとき彼らの働きの甘美さが取り上げられるようなもの。同様に、身体的休息は、魂から神への畏れを追い払い、それからすべてのわざを解散させる。 336.20 59 師父ポイメーンがさらに云った。「肉的な事柄を避けねばならない。なぜなら、人は肉的闘いに近づくたびに、非常に深い池のほとりに立つ男のようになる。つまり、いかなる刻であれ、彼の敵によいと思われる刻に、なる悪霊は好きなときに、彼をやすやすと下に突き落とす。しかし、肉的な事柄から遠く離れているならば、池から速く離れた男のようになるであろう。すなわち、敵が彼を投げ落とそうと誘惑し、また襲おうとする瞬間に、神が彼に助けを遣るのである」。〔主題別2-25〕 337.50 61 師父イオーセープが言うを常とした、 われわれが師父ポイメーンと坐していたとき、彼はアガトーンを師父と呼んだ。そこで、われわれが彼に言う。「彼はまだ若いのに、どうして彼を師父と呼ぶのですか?」。すると、師父ポイメーンが云った。336.50彼の〔賢明な〕口が、彼を師父と呼ばせるのだ」。 62 あるとき、兄弟が師父ポイメーンのところにやって来て、彼に言う。「どうしたらよいのでしょうか、師父よ、わたしは邪淫に悩まされていますが。そして、見よ、わたしは師父イピスティオーンのところに行きましたが、彼はわたしに言います。『それがそなたの上に留めておいてはならない』」。これに師父ポイメーンが言う。「師父イピスティオーンは、彼の諸々の行いは天使たちとともに天上にあり、わしやそなたが邪淫の内にことを忘れているのだ。修道者が腹と舌を制し、さらに余所者性をも制するなら、元気を出せ、死ぬことはない」。〔主題別5-9〕 63 師父ポイメーンが云った。「そなたの口に教えよ、337.10 そなたの心が有する事を話すべし、と。〔Cf. ポイメーン164〕 64 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしの兄弟の躓きを見た場合に、それを隠すのは美しいでしょうか」。これに老師が言う。「われわれの兄弟の躓きを隠す刻はいつも、神もまたわれわれの〔躓き〕を隠してくださるであろう。しかし、兄弟のを曝く刻には、神もなたわれわれのを曝きたもう」。〔主題別9-9〕 65 師父ポイメーンがさらに云った、 あるとき、ある人が師父パイシオスに尋ねた、いわく。「わたしの魂のためにどうしたらいいのでしょうか、わたしは無頓着で、神を畏れないのですが」。すると337.20 彼に言う。「行って、神を畏れる人と親密にせよ。そして、その人に近づくことで、そなたも神を畏れるように教えてくれるであろう」。〔主題別11-59〕 66 彼がさらに云った、 もし修道者が二つのことに打ち勝つならば、この世から自由な者になれるだろう」。そこで兄弟が云った。「それはどのようなものですか?」。すると云った。「肉的な安らぎと虚栄である」。〔主題別1-24〕 67 師父アガトーンの〔弟子〕、師父アブラアームが、師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうしてダイモーンどもはわたしに戦いを仕掛けるのでしょうか?」。するとこれに師父ポイメーンが云った。「ダイモーンどもがそなたに戦争を仕掛けるのか? われわれの意志をわれわれが行うからには、彼らがわれわれに戦争を仕掛けるのではない。というのは、われわれの意志がダイモーンになるのである。つまり、それがわれわれを苦しめるのは、われわれがそれを実現するからである。ところで、ダイモーンどもが何びとたちに戦争を仕掛けるか見たいか。モウセースや彼と同じような人たちに対してである」。〔主題別10-91〕 68 師父ポイメーンが云った、 この在り方は、神がイスラエールに授けたもうたものである、つまり、自然本性に反すること、すなわち、怒り、気負い(qumovV)、ねたみ、憎しみ、兄弟に対する中傷、その他、337.40 古き人〔コロサイ3:9-10〕に属する事を遠ざけることである」。〔主題別1-21〕 69 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうかわたしに説話(rJh:ma)を云ってください」。そこでこれに言う。「師父たちが物事の根本に据えたのは、悲嘆である」。兄弟がさらに言う。「どうかわたしに他の説話(rJh:ma)を云ってください」。老師が答える。「できるかぎり手仕事をして働け、自分で施しをするために。こう書かれているからじゃ、『憐れみと信仰とは罪を浄める』〔格言13:27〕」。兄弟が言う。「信仰とは何ですか?」。老師が言う。「信仰とは、謙遜のうちに暮らし、憐れみを実行することだ」。〔主題別13-7〕 337.50 71 師父ポイメーンが云った、 われわれが非常に大きな試練の中に置かれる所以は、われわれの名前や身分に固執しないためである、それは、〔聖〕書も言うとおりである。カナーンの女が、自分の名を受け入れ、救い主が彼女を慰められたのをわれわれは見ないのか〔マタイ15:27〕。また、『わたしに罪があるように』〔サムエル上25:24〕とダピドに云ったことで、彼が彼女に耳を貸し、彼女を愛するようになった、あのアピガイアをも〔見ないか〕。アピガイアは魂の顔であり、ダピドは神性のそれである。それゆえ、もし魂が主の御前で自らを非難するならば、主はこれ〔その魂〕を愛したもう」。 72 あるとき、師父ポイメーンは、師父アヌゥブとともにディオルコス地方を通りかかった。そして墓地にやって来ると、恐ろしく胸を叩き、激しく泣いている女を目にした。そこで立ち止まって、彼女をつぶさに見た。それから少し進んでゆくと、ある人に出会った。そこで彼に師父ポイメーンが尋ねた、いわく。「あの女が激しく泣いているのは、どうしたわけか?」。すると彼に言う。「彼女の夫、息子、兄弟が死んだのだ」。すると、師父ポイメーンが答えて、師父アヌゥブに言う。「あなたに言っておく、 人は肉のあらゆる考え(qelhvmata)を死なせ(エフィソ2:3、コロサイ3:5〕、この悲嘆を所有しなければ、修道者になることはできない。この女の全生涯と理性こそは、悲嘆の中にあるのだ」。〔主題別3-25〕 73 師父ポイメーンが云った。「自分自身を買いかぶるな、340.40 むしろ美しく振る舞う者と親密にせよ」。〔主題別15-51〕 340.42 75 彼がさらに、師父パムボーにちなんで云った、 師父アントーニオスが彼について云った 彼は神を畏れることによって、神の霊を自分の中に住まわせた〔1コリント3:16〕、と。 76 師父の一人が、師父ポイメーンとその兄弟たちについて語り伝えている、 彼らはアイギュプトスに住んでいた。すると、彼らの母親が彼らに会いたいと欲していたが、できなかった。そこで彼女は、彼らが教会に行く頃合いを見張っていて、彼らに出会った。しかし、彼らは彼女を見ると、引き返し、彼女の面前で扉を閉めてしまった。彼女は扉に向かって、大変哀れな様子で泣いて叫んで、いわく。「あなたたちを見たいのです、わたしの愛しい子どもたちよ」。彼女のいうのを聞いて、師父アヌゥブは、師父ポイメーンのところに入って行った、いわく。「扉に向かって泣いている老女をどうしましょうか?」。そこで〔修屋の〕中に立ち、彼女が大変哀れげに泣いているのを聞いた。そして彼女に云った。「どうしてそのように叫んでいるのか、老女よ」。彼の声を聞いた彼女は、341.10 一層激しく叫び、泣きながらいわく。「あなたたちに会いたいのです、わが子たちよ。わたしがあなたたちを見たからといって、それが何でしょうか。わたしはあなたたちの母親ではありませんか。わたしはあなたたちに乳を与えたのではありませんか。わたしの髪は真っ白です。そなたの声を聞いて動揺してしまったのです」。彼女に老師が言う。「そなたがわれわれに会いたいのはこの世でか、それとも、あの世でか?」。彼に言う。「ここであなたがたを見ないとしたら、あの世であなたがたを見ることになるのですか?」。彼女に言う。「ここでわれわれを見ないように自身を抑えるならば、あの世でわれわれを見るだろう」。そこで、彼女は喜び立ち去った、いわく。「あの世で本当にあなたたちを見るのならば、もはやここでは会うことをことわります」。〔主題別4-40〕 77 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「高いこと(uJyhlav)〔ローマ11:20〕とは何ですか?」。これに老師が言う。「裁くこと(dikaivwma)である」。 78 あるとき、何人かの異端者たちが師父ポイメーンのところにやって来て、アレクサンドレイアの大主教を中傷しはじめた、司祭たちによって按手されたというのである。しかし、老師は沈黙を守り、自分の兄弟に声をかけ、云った。た。「食卓を調えて、彼らに喰わせ、平安のうちに彼らを送り帰すがよい」。 79 師父ポイメーンが云うを常とした、 兄弟たちと一緒に生活していた兄弟が師父ビサリオーンに訪ねた。「何を為すべきでしょうか?」。すると老師が彼に云った。「沈黙せよ、そして自分を買いかぶるな」。 80 彼がさらに云った。「そなたの心が満ち足りない相手、この人にそなたの心を傾注してはならない」。 81 彼がさらに云った、 そなたが自分自身を安く見積もるならば、どのような場所に坐そうとも、平安を得るだろう。 82 彼がさらに云った 師父シソエースは言うを常とした、341.40 恐れなき罪ある恥がある、と。 341.42 84 彼がさらに云った。「そなたが沈黙を守るならば、どこに住んでも、あらゆる場所で平安を保つだろう」。 85 師父ピオールについて彼がさらに云った、 日々、新たにした。 86 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。341.50「人が何らかの躓きに陥っても、回心するならば、神によって赦されるでしょうか?」。これに老師が謂った。「人間どもにそうすることを命じられた神が、ましてや自らそうなさらないことがあろうか。というのは、ペテロスに命じられた、いわく。「7度の70倍までも」〔マタイ18:22〕。〔主題別10-62〕 344.1 88 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「人は諸々の想念すべてすべてを支配し、それらのうちのいかなるものをも敵に与えないことができるでしょうか?」。すると老師が云った。「百を得ても、1を与える者がいる」。 89 同じ兄弟が、同じロゴスを、師父シソエースに訪ねた。すると彼に言う。「まこと、敵に何ものをも与えない者がいる」。 90 アトリベス〔地図参照〕の山に、ある偉大な静寂主義者がいた。しかし、そこに盗賊たちが襲来した。それで老師は叫んだ。彼の隣人たちがこれを聞いて、盗賊たちを逮捕し、連中を執政官のところに護送し、〔執政官は〕投獄した。しかし兄弟たちは悲しんだ、いわく。「われわれのせいで彼らは引き渡された」。そこで彼らは立ち上がって、師父ポイメーンのところに出かけて行き、この件を彼に報告した。すると、その老師に手紙を書いた、いわく。「最初の裏切りがどこから生じたかに思いを致せ、そうすれば、そのとき第2の〔裏切り〕をそなたは見よう。すなわち、そなたが初めに内心から裏切らなかったなら、第二の裏切りも為さなかったろう」。さて、師父ポイメーンの書簡を聞き入れ(彼はその地方全体に有名であり、自分の修屋を出たことのない人物であったが)、起って町に赴き、盗賊たちを牢から出してもらい、公的にも連中を自由人となしたのであった。 91 師父ポイメーンが云うを常とした。「自分の運命に不平をかこつ者(memyivmoiroV)〔ユダ16〕は修道者ではない。報復をなす者〔ロマ11:9〕は修道者ではない。怒りっぽい者〔ティトス1:7〕は修道者ではない」。〔主題別10-78〕 92 老師たちの幾人かが、師父ポイメーンのもとを訪ね、彼に云った。「いかがでしょうか、兄弟たちが時課祈祷のおりに居眠りをしているのを見たら、徹夜祈祷のあいだ目を醒ましているよう、揺り起こすべきでしょうか」。相手が彼らに言う。「わしならば、兄弟が居眠りをしているのを見たら、彼の頭をわしの膝の上に置いて、彼を休ませるだろうよ」。 93 ある兄弟について言い伝えられている、 彼は冒涜へと戦いを仕掛けられたが、云うのを恥じていた。しかし、偉大なる老師たちのことを耳にして、彼らを訪ねた。告白するためである。しかし、いざ来てみると、告白するのが恥ずかしくなった。また、彼はしばしば師父ポイメーンをも訪ねた。すると老師は、彼が諸々の想念を持っているのを目にして、兄弟が告白しないことを悲しんでいた。ところが、ある日、彼に先んじて彼に言った。「見よ、長い間、そなたはわしに何か告げようとしてここに来ているが、いざ来てみると、それを云うことを拒み、苦しんで突然行ってしまう。344.50 されば、どうかわしに云ってくれ、わが子よ、そなたが〔心に〕持っているのは何か」。相手が彼に云った。「神に対する冒涜へと、ダイモーンがわたしに闘いをしかけるのですが、云うのが恥ずかしいのです」。このことを彼に話すと、すぐに心が軽くなった。そこで彼に老師が云った。「悩むことはない、わが子よ。その想念が浮かぶたびに、言うがよい。『わたしには関係がない。おまえの冒演がおまえ自身の上に降りかかるがよい、サターンよ。わたしの魂はあんなことを拒むのだ』と。魂が望まない事はすべて、暫時のものである」。わずかのときしかもたないものだ。兄弟はこうして癒され、立ち去った。 〔主題別10-63〕 345.7 95 師父ポイメーンが云った、 人は自分自身を非難するならば、いかなる場所も堅忍できる」。 96 彼がさらに云った、 師父アムモーナースは言うを常とした、345.16 修屋で百年過ごしても、修屋にどのように坐すべきか、分からない人がいる。 97 師父ポイメーンが云った、 「清い者たちにとっては、すべて清い」〔ティトス1:15〕という使徒のことばに達すると、人は自分をすべての被造物よりも劣ったものと見る。兄弟が言う。「どうしてわたしが人殺しよりも劣っているなどと考えられるでしょうか?」。老師が言う、 もし人がこのことばに達した上で、人殺しを見るならば、彼は言うであろう、 この者はただ一つの罪を犯したに過ぎないが、自分は毎日、人を殺している、と。 98 兄弟が同じ説話(rJh:ma)を、師父ポイメーンが云ったこととして、師父アヌゥブに尋ねた。すると、師父アヌゥプが彼に言う、 もし人がこの説話(rJh:ma)に達した後、自分の兄弟の欠点を見たら、それら〔欠点〕を飲み込んで、自分の義を行う」。これに兄弟が言う。「その者の義とは何ですか?」。老師が答えた。「つねに自分自身を非難すること」。 99 兄弟が師父ポイメーンに云った、 わしが嘆かわしい躓きに陥ると、わしの想念がわしを食いつくし、『なぜ躓いたのか』告発するのです」。これに老師が言う。「人が過ちに陥るときでも、『わたしは罪を犯した』と云えば、たちまち安らえるのじゃ」。 345.40 345.50 348.1 348.10 104 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしの困惑のさなか、聖人たちの一人に、必要なものを求めた。すると、それを愛の施しとしてわたしに与えてくれた。「それでは、もし神がわたしに命ずるならば、わたしも他の人たちに愛の施しをすべきでしょうか、それとも、わたしにそれを与えてくれた人に返すべきでしょうか?」。これに老師が言う。「神から見れば、彼にあたえるのは義しい。それは彼のものだからである」。これに兄弟が言う。「では、わたしが持っていっても、彼が受け取ろうとせず、『行って、あなたが望むように人に施しなさい』とわたしに云ったら、どうすべきでしょうか?」。これに老師が言う。「ともかくも、それは彼のものだ。しかしもし、あなたが求めないのに誰かが自分から何かをくれるとしたら、それはそなたのものである。そして、修道者であろうと在俗者であろうと、その人にそなたが願っても受け取ろうとしないときには、彼は承知しているのだから、そなたがそれを彼の施しと見るのは正しい」。 348.31 348.35 107 あるとき、師父イサアークが師父ポイメーンのところに坐していたが、雄鶏の鳴き声が聞こえた。そこで彼に言う。「あれがここにいるのですか、師父よ」。相手が答えて彼に云った。「イサアークよ、どうしてわしが話すよう無理強いするのか。そなたと、そなたの同類には、あれが聞こえる。しかし、素面の者はそんなことは気にかけぬ」。 108 言い伝えられている、 師父ポイメーンのところにやって来る人がいると、先ず、これを師父アヌゥブのところに遣わした、彼が年上だからである。すると師父アヌゥブは彼らに言った。「わしの兄弟であるポイメーンのところに行くがよい、彼は言葉の賜物を持っているから」。しかし、彼処で師父アヌゥブが師父ポイメーンのそばに坐っているときには、師父ポイメーンは彼のいるところでは全く話すことはなかったのである。〔主題別14-14〕 109 その生において非常に敬虔な在俗信徒がいて、師父ポイメーンのもとを訪ねた。ところが、老師のところには他の兄弟たちもくつろいでいた、彼〔ポイメーン〕の説話(rJh:ma)を聞くことを請うていたからである。そこで、老師は在俗の信徒に言う。「兄弟たちに言葉を話すがよい」。相手は願った、いわく。「どうかわたしをお赦しください、師父よ。わたしは学ぼうとおもってやって来たのです」。しかし、老師に促されて、彼が云った。「わたしは野菜を売って商売をしている信徒です、束を解いて小さな束を作り、安く買って高く売ります。もちろん、聖書について云えることは何もありません。が、警えを話します。「ある人が自分の友人に云いました。『おれは皇帝を見たいという欲望を持っているから、おれといっしょに来てくれ』。これに友人が言う。『途中までおまえのお供をしよう』。そして自分の他の友人に言う。『さあ、おまえがおれを皇帝のもとに連れて行ってくれ』。するとこれに言う。『皇帝の宮廷までおまえを連れて行こう』。さらに彼は第三の〔友人〕に言う。『おれといっしょに皇帝のところに行ってくれ』。相手が云った。『おれが行こう、そして宮廷に引き上げ、堅く立ち、話し、皇帝のところにおまえを導こう』」。すると、この譬えの持つ力は何か、と彼らが彼に尋ねた。すると答えて彼らに云った。「最初の友人は、道まで案内する修行です。第二の〔友人〕は、天まで達する聖性です。第三の〔友人〕は、皇帝すなわち神にまで気易く(meta; parjrJhsivaV)導く施しです」。そこで、兄弟たちは教化されて立ち去った。 〔主題別14-13〕 110 兄弟が自身の村の外に坐していたが、長年村に上ることなく、兄弟たちに言うを常とした。「見よ、多くの年月が経ったが、わたしは村に上ることがなかった。しかし、あなたたちは一度は上っている」。そこで、彼のことを師父ポイメーンに云った。すると老師が言う。「わしなら、夜間に上って、村を一巡りしたことだろう、わしは上ったことがないなどと、わしの想念が高ぶることがないように」。 111 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうかわたしに説話(rJh:ma)を云ってください」。すると彼に言う。「鍋が火に掛っている間は、蝿あるいはその他地を這うものらの何かはそれに触れることはできない。しかし、冷えると、それにたかってくる。修道者も同様である。霊的な行いを続けている間は、敵が彼を堕落させるすべを見出せない」。 112 師父イオーセープが師父ポイメーンについて言うを常とした、 彼は云っていた、 福音書に書かれた言葉にこうある、「上衣を持っている者はそれを売り、戦刀を買え」〔ルカ22:36〕と。すなわち、休息している者は、それを離れ、狭い道を取れ〔マタイ7:14〕。 113 師父たちの幾人かが、師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「ある兄弟が罪を犯しているのを見たときには、彼を叱ったほうがよいでしょうか?」。彼らに老師が言う。「わしなら、あるところを通過する必要があって、彼が罪を犯しているのを見たら、彼を通り過ぎて、彼を叱ることをせぬ」。〔主題別9-21〕 352.10 352.22 352.29 117 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「偽善者とは何ですか?」。これに老師が言う。「偽善者とは、まだ自分が達していないことを自分の隣人に教える者のことである。というのは、こう書かれている。『そなたの兄弟の目にある屑は見るのに、なぜそなたの眼にある梁は見ないのか?云々』〔マタイ7:3〕」。 118 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「『自分の兄弟に対していたずらに怒る」〔マタイ5:22〕とはどういうことですか?」。すると云った。「そなたの兄弟が、そなたにどんな貪欲な態度を取ったとしても、彼に対して怒るならば、いたずらに怒ることになる。たとえば、彼がそなたの右の目をくり抜き、そなたの右手を切り落としたとしても、彼に対して怒るならば、いたずらに怒ることになる。だが、そなたを神から引き離すならば、そのときは怒るがよい」。〔主題別10-67〕 119 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしの諸々の罪に対して、どうしたらよいでしょうか?」。これに老師が言う、 罪を赦されたいと願う者は、悲嘆によってそれらを赦され、徳を所有しようと望む者も、悲嘆によってそれらを所有する。というのは、嘆き悲しむということは、聖書がわれわれに伝えた道であり、師父たちも言っている、『嘆き悲しめ』と。この道なくして、他の道はないからである、と。〔主題別?〕 120 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた。「罪からの悔い改めとは何でしょうか?」。すると老師が云った。「以後それを犯さないことである。それゆえ、義人たちは、責むべきところのない者と呼ばれている〔コロサイ1:22〕、罪を捨てて、義人になったからである」。 121 彼がさらに云った、 人々の邪悪さは、彼らの背後に隠されている、と。 122 兄弟が師父ボイメーンに尋ねた。「わたしを動揺させるこれらの不安を、どうすればよいのでしょうか?」。これに老師が言う。「われわれのあらゆる苦しみの中にあって、神の善性〔憐れみ〕の前で泣こう、その憐れみをわれわれにかけてくださるまで」。 123 さらに兄弟が彼に尋ねた。「わたしが持っているわたしの得なき愛執を、どうすべきでしようか?」。相手が云った。「死に瀕してあえぎつつも、この世への愛執を優先させる人がいる。それら〔の愛執〕に近づいても、また触れてもならない。そうすれば、自分たちの方から無縁となる」。 124 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「人は死人になり得るでしょうか?」。これに言う、 罪に陥るなら、死ぬことになる。しかし、善に達するならば、彼は生き、それ〔善〕を行うことになる、と。 125 師父ポイメーンが云った、 浄福なる師父アントーニオスが云っていた、 人間の偉大なる力は、主の御前で己れの過失を身に負い、最後の息を引き取るまで、試練を覚悟することだ、と。〔主題別15-2、アントーニオス4〕 126 師父ポイメーンが尋ねられた、 「明日のことを思い煩ってはならない」〔マタイ6:34〕と書かれている言葉は、誰に向けられたものでしょうか?と。これに老師が言う。「試練に遭い落胆する人に向けて言われたものだ。それは、彼が、『一体いつまでこの試練の中に留まるのか』と言って思い煩うことなく、むしろ、毎日を『今日という日』〔へブライ3:13〕と考えるためである」。 127 彼がさらに云った、 隣人に教えることは、健全で無神の人のわざである。他人の家を建てても、自分の家を壊すならば、何の役に立つだろうか、と。〔主題別10-55〕 353.50 129 彼がさらに云った、 あらゆる行き過ぎは、ダイモーンどものすること、と。 130 彼がさらに云った、 人が家を建てようとする場合、家を建てることができるように、多くの必要な材料を集め、さまざまな種類のものを積み重ねる。われわれも同様で、すべての徳を少しずつ身につけよう、と。 131 師父たちの何人かが師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どのようにして師父ニステローオスは、自分の弟子のことを耐え忍んだのでしょうか?」。彼らに師父ポイメーンが言う。「わしであれば、その頭に枕(kerbikavrion)さえも当てただろう」。これに師父アヌゥブが言う。356.10「あなたは神に一体何と言うのですか?」。師父ポイメーンが言う。「そこでわしは申し立てる、 あなたは云われました。『先ずそなたの眼から梁を取り除け、そうすればその時、そなたはよく見えて、の弟の眼から屑を取り除けられるだろう』〔マタイ7:5〕と」。 132 師父ポイメーンが云った。「空腹と眠気とは、われわれが安ぽいものらをそれと見ることを許さない」。 133 彼がさらに云った。「強くなった人は多いが、これを促す人は少ない」。 134 彼がさらに云った、溜め息をつきながら。「ただ一つの徳を除いて、すべての徳がこの家に入って來。だが、それ〔徳〕なしには人はなお労苦のうちにある」。そこで人が、その徳とは何かと彼に尋ねた。すると彼が云った。「それは、人が自分自身を非難することである」。 135 師父ポイメーンはしばしば言うを常とした、 精神が素面でないこと以外に、われわれに足りないものはない、と。 136 師父たちの一人が師父ボイメーンに尋ねた、いわく。「『わたしは、あなたを恐れるすべての人の仲間である』〔詩編118:63〕と言ったのは誰ですか?」。すると老師が云った。「言ったのは聖書である」。 356.30 138 師父ダニエールが言うを常とした、 あるとき、われわれは師父ポイメーンのもとを訪れ、食事をともにした。食事をともにした後で、われわれに言う。「行って、しばらく休みなさい、兄弟たちよ」。そこで兄弟たちはしばらく休息を取りに行ったが、わしは一人で彼と話すためにとどまり、立ち上がって、彼の修屋に行った。ところが、彼はわしが来るのを見るや、眠ったふりをしていた。すべてを隠れたところで行うこと、これこそが老師の仕業だったからである。 139 師父ポイメーンが云った。「光景を見たり聞いたりしたならば、それをそなたの隣人に告げてはならない。それは争いを引き起こすからである」。 140 彼がさらに云った。「先ず、一度は逃げよ、二度目も逃げよ、三度目は、剣になれ」。 141 さらに師父ポイメーンが師父イサアークに云った。357.6「そなたの義の持ち分を軽くせよ、そうすれば、そなた〔に与えられた〕わずかな日に、休息を得るだろう」。 142 兄弟が師父ポイメーンのもとを訪れた。そして幾人かが同座している中で、ある兄弟を、悪を憎む者だいって褒めた。師父ポイメーンがその話をしている者に言う。「悪を憎むとは、一体何か?」。しかし兄弟は吃驚して、答えるすべを見出せなかった。そこで立ち上がって、老師の前にひれ伏した、いわく。「悪を憎むとはどんなことか、どうぞわたしに云ってください」。老師が謂った。「自分の罪を憎み、自分の隣人を義とする人あらば、それこそが悪を憎むということである」。 357.18 144 師父イオーセープが語り伝えている、 師父イサアークが云うを常とした、 あるとき、師父ポイメーンのそばに坐っているた。すると、彼が脱魂状態にあるのを見た。わしは彼ととても気易い仲(parjrJhsiva)だったので、彼の前に跪いて、彼に願った、いわく。「どうかわたしに云ってください、あなたはどこにいるのですか?」。彼は無理強いされて云った。「わしの想念は、神の母(QeotovkoV)たる聖マリアが、救い主の十字架のもとに立って泣いておられるというものだった〔ヨハネ19:25〕。それで、わしもそのようにずっと泣いていたかった」。〔主題別3-31〕 357.32 146 兄弟が、諸々の想念の苛みについて、師父ポイメーンに尋ねた。するとこれに老師が言う。「それは、左手に火を持ち、右手に水の入った混酒器を持つ男に似ている〔シラ15:16〕。されば、火が燃えれば、混酒器の水をかけて、それを消す。火とは敵の種子である。水とは、神の御前に身を投げ出すことである」。 147 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「話すことは、沈黙するよりも善いことでしょうか?。これに老師が言う。「神のために話す者は、美しく振る舞っている、神のために沈黙する者も、同様である」。 148 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうしたら、人は隣人の悪口を云うのを避けられるでしょうか?。これに老師が言う。「われわれとわれわれの兄弟とは、二つの似姿である。人が自分に目を向けて、非難するとき、その兄弟は彼のそばで価値或る者に見える。しかし、自分がよいと思ってしまうと、その兄弟は彼のそばで悪しき者に見える」。 149 兄弟が師父ポイメーンに倦怠について尋ねた。すると老師が彼に言う、 倦怠はすべての根底にあり、それより悪い情念はない。しかし、人が自らそれに気づくならば、それは静まる」。 360.10 151 彼がさらに云った、 師父テオーナースは言うを常とした、 ひとが徳を得たとしても、神は彼だけにこの恩寵を与えるわけではない。というのは、神は、その者が自分の労苦に信頼を置いていなかったことを知っているからだ。しかし、彼が自分の仲間のところに行くならば、そのとき神は、その仲間とともにおられるのであろう、と。〔主題別10-85〕 152 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。360.20「わたしは共住修道院に入って、住みたいと思います」。これに老師が言う。「共住修道院に入ることを望むのか。もしそなたが、あらゆる出会い、あらゆることに関する心配を捨てなければ、共住修道院でのわざを実践することはできないだろう。というのは、水差し一つでさえ、そなたの意のままにはならないからだ」。〔主題別10-69〕 153 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「何をなすべきでしょうか?」。すると云った。「聖書にはこう書かれている、 わたしの違法をわたしは告白し、わたしの罪を思い煩う〔詩篇37:19〕、と」。 154 師父ポイメーンが云った。「邪淫と悪口については、人はすべて、この二つの考えを話したり、そもそも心の中で考えたりしでもならない。というのは、心の中でそれらにすっかり決着をつけてしまおうとしても、益することがないからである。しかしそれらに対して怒るならば、平安を得るだろう」。〔主題別5-8〕 360.36 156 師父ビティミオスが師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「もし誰かがわたしに対して反感を抱き、わたしが彼に赦しを請うても納得してくれないとすれば、どうしたらよいでしょうか?」。これに老師が言う。「別に二人の兄弟をそなたと連れ立って、彼に赦しを請うがよい。それでも納得しないならば、別の五人を伴え。それでも納得しないならば、司祭を連れてゆけ。それでも納得しないならば、彼を満足させてくださるように、動揺することなく神に祈り、また思い煩ってはならない」。 360.53 158 彼がさらに云った。「そなたの我意を満足させてはならない。361.1 むしろ、そなたの兄弟の前で謙ることの方が必要である」。 159 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「兄弟たちが完全な休息を得られる場所を見つけました。よろしければ、わたしもそこに住みたいのですが」。すると老師が云った。「そなたの兄弟を妨げない場所、そこに留まれ」。 160 師父ポイメーンが云った。「有用な要点は次の3つ。主を畏れること、祈ること、そして隣人に善を行うこと」。 361.10 162 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしは何を為すべきでしょうか?」。これに老師が言う。「神がわれわれを視察に来られるとき、われわれは何を思慮できようか?」。これに兄弟が言う。「わたしたちの諸々の罪です」。すると老師が言う。「われわれの修屋に入り、坐して、われわれの諸々の罪を思い起こそう、そうすれば、主はすべてにおいてわれわれとともにおられる」。 163 兄弟が市場に行きがてら師父ポイメーンに尋ねた。「わたしは何を為すべきでしょうか?」。これに老師が言う。「自分を抑えることのできる人と友になれ、そうすれば、安んじてそなたの品物を売れよう」。 164 師父ポイメーンが云ったは。「そなたの心が有する事を話すべしと、そなたの口に教えよ」。〔Cf. ポイメーン63〕 165 師父ポイメーンが汚れについて尋ねられた。そこで彼が答えた、 もしわれわれが行いを堅持し、注意深く素面でいるならば、自分自身の中に汚れを見出すことはないであろう、と。〔主題別11-57〕 166 師父ポイメーンが云った、 スケーティスの三世代目から、つまり師父モーウセースのときから、兄弟たちはもはや進歩することがなかった、と。 167 彼がさらに云った。「自分の秩序を保つ者は、心を乱されないだろう」。〔主題別15-56〕 168 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「修屋でわたしはどのように坐すべきでしょうか?」。これに言う。「修屋に坐すとは、目に見えるところでは、手仕事をし、一日一食にし、沈黙し、361.40 そして修練である。だが、修屋におけるひそかな進歩とは、どこに行こうとあらゆる場所で自身の非(mevmyiV)を仮借し、時課祈祷の刻と隠れた行いをゆるがせにしないことである。さらにまた、たまたまそなたの手仕事の暇な機会があれば、時課祈祷に就き、動じることなく果たせ。このようなことの果てに、美しい道連れを獲得し、悪しき道連れからは離れるがよい」。 〔主題別10-93〕 364.1 170 師父たちの幾人かが、クリストスを愛する信徒の家を訪れたことがあり、その中に師父ポイメーンもいた。そして彼らが食事しているとき、肉が給仕された。すると師父ポイメーンを除いて皆が喰った。老師たちは、彼が食べなかったことに驚いた、彼の分別を知ったからである。そこで、立ったとき、彼に言う。「あなたはボイメーン〔牧者〕です、それであのように振る舞われたのですか?」。彼らに老師が答えた。「どうかわしを赦してほしい、師父たちよ。そなたたちは喰ったが、誰ひとり躓いた者はいない。しかし、わしが喰ったら、多くの兄弟たちがわしのところに押しかけ、取り乱させることになったろう、いわく。『ポイメーンは肉を喰ったが、われわれは食べていない』と」。そこで彼らは、彼の分別に改めて驚嘆したのである。 364.21 172 同じ人が師父アヌゥブに云った。「空しさを見ないように、そなたの両眼をそらせよ〔詩編118:37〕。自由は魂たちを亡き者にするからじゃ」。 173 あるとき、師父パイジオスが、師父ポイメーンの坐しているときに、他の兄弟と喧嘩して、彼らの頭から血が流れ落ちるまでになった。ところが、老師は彼らにひとことも口を利かなかった。そこへ師父アヌゥブが入ってきた。そして彼らを見て、師父ポイメーンに言う。「どうして兄弟たちが喧嘩するままにしているのですか、彼らに何も話さずに?」。師父ポイメーンが言う。「彼らは兄弟だから、また平和に暮らすだろう」。師父アヌゥブが言う。「それはどういうことですか? 彼らがあのように振る舞うのを見ていながら、『また平和に暮らすだろう』と言われるのですか?」。そこで師父ポイメーンが彼に言う。「そなたの心にとどめよ、わしはこの外にいたのだ、と」。 174 ある兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「兄弟たちがわたしと一緒に暮らしています。彼らに命令を下してもよいでしょうか?」。これに老師が言う。「いけない。むしろまず仕事をせよ。彼らが生活する気があれば、みずから顧みるであろう」。これに兄弟が言う。「師父よ、当人たちもその気なのです、わたしが自分たちに命令することに」。これに老師が言う。「いけない。彼らに対しては模範となるべきであって、立法者となってはならない」。 175 師父ポイメーンが云った。「兄弟がそなたのところに訪れて、自分の訪問によって益されるところがなかったと顧みるならば、そなたの精神を探求せよ、そして、彼の来訪の前にそなたが抱いていた想念がどのようなものであったかを知れ。そうすれば、無益の原因がわかるだろう。もし、このことを謙遜と注意とをもって行うならば、自分に欠点があったとしても、そなたの隣人に対して非難さるべきことのない者となる。というのは、人が慎重に自分の課業を営むならば、過ちを犯すことは決してないだろう。神が彼の前におられるからである。わしの見るところ、人はこの課業によって、神への畏れを獲得するのである」。 365.1 177 彼がさらに云った。「悪は決して悪を取り除くことはない。しかし、人があなたに悪を行うならば、彼に善行せよ、善行によって悪を破るために〔ローマ12:21〕」。〔主題別10-77〕 178 彼がさらに云った、 ダピデが獅子と出会したとき、その喉を押さえ、ただちにこれを殺した〔サムエル上17:35〕。されば、われわれも自分の喉と腹とを押さえるならば、神のおかげで、目に見えない獅子に打ち勝てるであろう」。 179 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、苦しみがわたしを襲うため、動揺してしまうのですが」。すると老師が云った。「暴力は、小さな者らをも偉大な者らをも動揺させるものだ」。 180 師父ポイメーンについて言い伝えられている、 彼は自分の二人の兄弟とともに、スケーティスに坐していた。しかし若年の方が彼らを悩ませた。そこで他方の兄弟に言う。「この若年者がわれわれを台なしにする。起ちあがれ、ここを出て行こう」。そこで彼らは、彼を置いて出て行った。さて、彼らが遅いのに気づき、彼らが遠くに去っていくのを見て、叫びながら、後を追い駆け始めた。師父ポイメーンが言う。「兄弟を待とう、疲れてしまうだろうから」。そういう次第で、彼らに追いつくと、跪いた、いわく。「どこへ行くのですか、わたし一人を残して」。これに老師が言う。「そなたはわれわれを悩ませる、われわれは隠遁しようとしているのだ」。彼らに言う。「然り、然り、あなたがたのお好きなところへ、いっしょに行きましょう」。老師は彼の無邪気さを見て、その兄弟に言う。「戻ろう、兄弟よ。彼がこれらのことを行うのは好き好んでではなく、そうさせているのは悪魔だからだ」。こうして、彼らはもといた場所に戻って行った。〔主題別10-3〕 365.35 365.40 183 師父イオーアンネースが言うを常とした、 あるとき、われわれはシュリアをでて、師父ポイメーンのもとを訪れ、心の頑迷さについて彼に尋ねるつもりであった。しかし老師はヘッラス語を知らず、通訳も居合わせなかった。すると、われわれが困っているのを見て老師は、368.1 ヘッラス語の発音で話しはじめた、いわく。「水の自然本性は柔らかく、石のそれは硬い。しかし、石の上に吊り下げられ、一滴ずつ落ちる水差しの水は、石を穿つ。同様に神の言葉は柔らかいが、われわれの心は硬い。だが、人あってしばしば神の言葉を聞くならば、彼の心は神への畏れへと開かれる」。〔主題別18-21〕 184 師父イサアークが師父ポイメーンを訪ねた。そして、彼が少しの水を自分の足にかけているのを見、彼と気安い仲(parjrJhsiva)だったので、彼に云った。「どうしてある人々は、自分たちの身体を厳しく扱うことによって、厳しさを適用するのでしょうか?」。するとこれに師父ポイメーンが言う。「われわれが教えられたのは、身体を殺すことをではなく、情念を殺すことである」。 185 彼がさらに云った。「わしには断ち切ることのできない傷がある、食糧、着物、眠りである。しかし、われわれはその幾分かは断ち切ることができる」。 186 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしは沢山の野菜を食べるのですが」。老師が謂った。「そなたの役に立たない。むしろそなたのパンと、わずかな野菜を喰え。必要だからといって、そなたの親の家に行ってはならない」。 187 師父ポイメーンについて言い伝えられている、 何人かの老師たちが彼の前に坐して、老師たちのことを話していたが、師父シソエースの名を口にすると、彼が言った。「師父シソエースに関することはやめよ。彼について語り得る境位には達していないからだ」。 368."27t" 268.28
2 あるとき、兄弟たちが師父パムボーのところにやって来て、一人が彼に尋ねた、いわく。「師父よ、わたしは二日続きで断食し、それから二切れのパンを食べます。はたしてわたしの魂を救えるでしょうか、それとも迷っているのでしょうか?」。さらにまた他の者が云った。「師父よ、わたしの手仕事で毎日、硬貨2枚の小銭をもうけ、一枚を自分の食物にあて、残りを施しにあてます。はたしてわたしは救われるでしょうか、それとも滅びるでしょうか?」。長い間彼らは問い続けたが、答を与えなかった。四日後には引き上げることになり、聖職者たちは彼らを励ました、いわく。「悩むなかれ、兄弟たちよ。神がそなたたちに報いてくださるだろう。あれは老師の習慣なのだ。彼は、神が彼を満ち足りさせない限り、やすやすとは話さないのだ」。 3 あるとき、四人のスケーティス人たちが、偉大なるパムボーのもとを訪れた、彼らは毛皮をまとい、めいめいが、自分の同志の徳を報告した。第一の者は、しばしば断食した。第二の者は無所有であった。第三の者は大いなる愛を持っていた。そして第四の者についても彼らは言う、 22年間、老師への聴従に従事した、と。彼らに師父パムボーが答えた。「そなたたちに言っておく、この〔第三の〕者の徳が、より大きい。というのは、そなたたちのめいめいが徳を所有したのは、自分の意志によってである。しかるにこの者は、自分の意志を捨て、他人の意志を行っている。このような人たちこそが、信仰告白者である。最後まで守ればであるが」。 369.20 5 師父パムボーが云った、 神ゆえに出離してよりこのかた、わしの話した言葉を悔やんだことはない」。 365.32 7 あるとき、師父パムボーは兄弟たちとともに、アイギュプトスの地方に旅することになった。そして、在俗信徒たちが坐っているのを見て、彼らに言う。「立って、祝福を受けるため、修道者たちに挨拶するがよい。彼らは絶えず神と話しており、彼らの口は聖なるものだからだ」。〔主題別17-14〕 369.41 369.50 10 師父パムボーが云った。「もしそなたが心を持っているなら、救われることだろう」。 11 ニトレイアの司祭が、兄弟たちはどのように過ごすべきかを尋ねた。彼らが云った。「大いなる苦行によってであり、隣人に対して良心を見張ることによってである」。〔主題別4-86〕 12 師父パムボーについて言い伝えられている、 モーウセースがアダムの栄光の像を受けたとき、彼の顔は輝きわたった。師父パムボーの顔も同様で、稲妻のように輝き、その王座に坐す王のようであった。同じ働きは師父シルゥアーノスにもおこり、師父シソエースにもおこったのである。 372.17 14 ペルメーの師父テオドーロスが師父パムボーに尋ねた。「どうかわたしに説話(rJh:ma)を云ってください」。すると大変苦心したうえで彼に云った。「テオドーロスよ、行って、すべての人にそなたの憐れみをかけよ。憐れみこそは、神の御前で気易さ(parjrJhsiva)を見出すからである」。 372."31t" 272.32 373."21t" 273.22 2 師父ピオールは歩きながら食事するを常とした。ある人が、「なぜそのように食事しているのか」と尋ねると、「わしは」と彼が謂った、「食事を必要なわざとは見なさず、付属的なものと見なしたいのだ」。また、この件について尋ねた別の者に対しては答えた。「食事においても、わしの魂が身体的な快楽を感じないようにするためである」。〔主題別4-42〕 3 あるとき、躓いた兄弟について、スケーティスで会議が持たれた。すると師父たちが話しをした。しかし師父ピオールは沈黙を守っていた。最後には立ち上がって出て行き、袋を取って、砂で満たし、自分の肩に背負った。さらに、少しの砂を小籠に入れて、前に提げた。「これはどういうことか?」と師父たちに尋ねられると、言う。「多くの砂を入れたこの袋は、わしの過失である、多いゆえに。わしはこれをわしの背に負った、これらを苦にしたり嘆いたりしないです済むようにじゃ。また、見よ、こちらはわしの前にいるわしの兄弟の小さな罪であり、わたしはこれらの罪を答めて無駄に過ごしている。しかし、このようなことをしてはならない、むしろわしの目の前に自分の罪を置き、それを顧みて、わしを赦してくださるよう、神にお願いしなければならない」。すると師父たちは立ち上がって云った。「これこそ真に救いの道である」。〔主題別9-13〕 376."5t" 276.6 376."13t" 276.14 376."27t" 276.28
2 兄弟が、師父ロートの〔弟子〕べトロスに云った、 わたしの修屋にいるときには、わたしの魂は平安のうちにあります。しかし、兄弟がわたしのもとを訪れて、外界の話をわたしに云うときには、わたしの魂は動揺してしまうのです」。師父ペトロスが言う、 師父ロートが言っておった。「そなたの小さな鍵が、わしの戸を開ける」と。兄弟が老師に言う。「その説話(rJh:ma)の意味は何ですか?」。老師が言う。「人あってそなたのもとを訪れると、そなたは彼に言う。『お元気ですか? どこから来られたのですか? 兄弟たちは元気ですか? 彼らはあなたを受け入れてくれますか、くれませんか?……』。こうして、そなたは兄弟の戸を開け、そなたの
聞きたくないことを聞くのだ」。彼に言う。「そのとおりです。それでは、人はどうすべきなんでしょうか、自分のところに兄弟が来たら?」。老師が言う。「悲嘆は全き教訓である。悲嘆のないところでは、自分を守ることはできない」。兄弟が言う。「修屋にいるときは、悲嘆はわたしとともにあります。しかし、誰かがわたしのところに来たり、わたしが修屋から出たりすると、それが見当たりません」。 3 師父ペトロスと師父エピマコスについて言い伝えられている、 彼らはライトゥにおいて同好の士であった。彼らが教会で食事をしたとき、彼らは師父たちの食卓に赴くよう強いられた。そこで、大いに苦痛に感じつつ、師父ペトロスだけが出かけた。すると、参会するや、師父エピマコスが彼に言う。「なぜ敢えて老師たちの食卓に赴いたのか?」。相手が答えた。「もしわたしが長老としてあなたがたと一緒にとどまったなら、わたしが真っ先に祝福するよう兄弟たちがわたしを促し、その結果、わたしはあなたがたより大きな者とされただろう。だが今は、師父たちの近くに出かけたおかげで、わたしは誰よりも小さき者になり、また想念においてより謙虚な者となった」。 4 師父ペトロスが云った、 主がわれわれを通して何事かを行うとき、高ぶってはならない、むしろ、われわれが主に招かれるのにふさわしい者とされたことを感謝せよ」。これこそが、あらゆる徳に対して役に立つ思量だと彼の言ったことである。 377."32t" 377.33 2 師父パプヌゥティオスについて言い伝えられている、 彼は滅多に葡萄酒を飲まなかった。しかしあるとき、道を歩いていて、盗賊の一団にみつかり、連中が酒を飲んでいるのをしった。首領は彼を見知っており、酒を飲まないことも知っていた。そこで、彼が非常に疲れているのを見てとり、杯に酒を満たし、自分の手に剣を〔執って〕、老師に言う。「飲まないと、おまえを殺す」。長老は、神の命令を果たすつもりだとわかりつつ、また彼に益をもたらすことを望んで、取って飲んだ。すると、首領は彼に対して悔い改め、いわく。「どうかわしを赦してください、師父よ。わしはあんたを苦しめました」。すると老師が言う。「わしは神を信じておる、この杯のために、今の世においても来たるべき永遠の世においても、そなたを憐れんでくださる、と」。380.1 首領が言う。「神を信じます、わしは、今後、何びとにも悪行しない、と」。このようにして老師は、主のために自分の意志を捨てることで、一団全員に得をもたらしたのであった。〔主題別17-15〕 380.6 4 スケーティスにある兄弟が師父パプヌゥティオスとともにいたが、彼は邪淫に戦いを挑まれていて、言った。「わたしは10人の女を娶っても、わたしの欲望を満たせないだろう」。老師が呼びかける、いわく。「それはいけない、わが子よ。ダイモーンどもの挑発なのだ」。しかし彼は納得せず、アイギュプトスに立ち去り、妻を娶った。しばらくして、老師がアイギュプトスに上ることがあり、彼が貝殻を入れた籠を背負っているのに出会った。しかし老師は彼に気付かなかった。が、本人が彼に言う。「わたしはあなたの弟子の何某です」。そこで老師は、その惨めなありさまを見て、嘆き、云った。「なぜあれほどの栄誉を捨てて、このような惨めな状態になったのか。ところで、10人の女を娶ったのか?」。すると嘆息して云った。「じつは、娶ったのはひとり、しかもどうやって彼女をパンで満腹させるか、苦労しているのです」。すると彼に老師が言う。「もう一度、われわれといっしょに来るがよい」。すると云った。「悔い改められるでしょうか、師父よ」。相手が云った。「できるとも」。そこで、すべてを捨てて、彼についていった。そしてスケーティスに入り、この試練によって資格ある修道者となった。〔主題別14-30?〕 380.33 380."50t" 280.51 381."7t" 381.8 2 同じ師父パウロとティモテオスは、スケーティスでは理髪師であったが、彼らは兄弟たちによって悩まされていた。そこでティモテオスが自分の兄弟パウロスに言う。「この技をどうしたらよいだろうか。彼らは、一日中われわれを静かにしておかない」。すると師父パウロスが答えて彼に云った。「われわれには夜の静寂で充分だ、われわれの精神が素面ならば」。〔主題別11-64〕 381."23t" 381.24 381.29 3 師父パウロスについて言い伝えられている、 彼は1マティンのレンズ豆と1壺の水で四句節を過ごすを常とした。また、彼は一つの籠を持っており、それを編んだりほどいたりして、過越の祭日まで閉じこもっていた。〔主題別4-41〕 381."36t" 381.37 385."30t" 385.31 2016.02.17. |