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Xenophon


ソクラテスの弁明






[底本]
TLG 0032 005
Apologia Socratis, ed. E.C. Marchant, Xenophontis opera omnia, vol. 2,
2nd edn. Oxford: Clarendon Press, 1921 (repr. 1971). *1-34.
5
(Cod: 2,032: Phil.)





[1]
 ソクラテスのことはもとより、彼が裁判に召喚されたとき、自分の弁明と人生の終焉とについて、彼がいかに思いめぐらせていたかということをも、思い返すにあたいするようにわたしには思われる。たしかに、このことについては、他にもすでに書き記した人たちがおり、その人たちは、みながみな彼の高言(megalegoria)に関説している。事実、ソクラテスによってそのように述べられたことは、誰にとっても明らかなところである。しかし、選ぶべきは生よりも死であると、彼は心中すでに考えていたということ――このことを彼らは明言してはいない。そのため、彼の高言はますますもって無謀に見えるのである。

[2]
 しかしながら、ヒッポニコスの子ヘルモゲネースは、彼の同志(hetairos)であったのみならず、彼について以下のようなことを報告しており、そのおかげで、彼の高言がその精神にふさわしいものであったことを明らかにしているのである。すなわち、彼〔ヘルモゲネス〕の言によれば、彼〔ソクラテス〕が、自分の裁判のこと以外なら、どんなことについてでも対話しているのを見て、言ったという。

[3]
 「けれども、おお、ソクラテス、いったい何と弁明したらよいか、考察すべきではありませんか?」
 すると彼は、先ず初めに、答えたという。
 「はたして、わたしが準備しながら生をまっとうしてきたことが、弁明になるとあなたには思われないのか?」
 そこで、彼が尋ねたという。
 「というと?」
 「わたしは何ら不正なことをすることなく暮らしてきたということだ。これこそは、弁明の最美な準備であるとわたしは信じている」

[4]
 そこで彼〔ヘルモゲネース〕が再び発言したという。
 「あなたは、アテナイの裁判が、言葉に惑わされて、何ら不正していない人たちを死刑に処することしばしば、逆に、不正した者たちを、あるいはその言葉にほだされて、あるいは愛想よく述べたてたために、これを無罪放免することしばしばなのをごらんにならないのですか?」
 「見るとも、神かけて」と彼は言ったという、「わたしは自分の弁明について、すでに二度も、考察してみようとしたのだが、精霊的なもの(daimonion)がわたしに反対するのだ」

[5]
 そこで彼が言ったという。
 「驚くべきことをおっしゃる」
 すかさず、今度は彼が返答したという。
 「本当に驚くべきことだとあなたは信じているのか、――もはやわたしは命終するのがより善いと神に思われたとしても? あなたはわからないのか、――これまでのところでは、わたしよりもより善く生涯を過ごしてきたといっても、人間たちの中の誰に対してもわたしが承伏しないということが? なぜなら、もっとも快適なことは、全生涯を、神法にも人法にもかなった生き方をしてきた事実を、自分で知っていること――このことだから。そういうわけで、この事実にわたしは強く自尊の念を持ち、また、わたしと交際している人たちも、わたしについて理解してくれているのを見出すのだ。

[6]
 ところが、今、これ以上なおも年齢を重ねたら、老年の役目を果たさねばならなくなることがわかっている、――視力は劣り、聴力は弱くなり、ますます学びにくくなり、学んだこともますます忘れっぽくなるという。自分は劣ったものとなったと感知して、自分自身を呵責するようになったら、どうして」と言ったという、「わたしがなおも快適に生きながらえることができようか?

[7]
 それを、おそらくは」と彼は言ったという、「神も、ご好意によって、時宜をえた年頃であるばかりか、もっとも易しい仕方で、人生を終えることを、わたしにかなえてくださるのであろう。なぜなら、今、わたしに有罪判決が下されたなら、わたしの遂げることのできる最期とは、明らかに、このことを心がけてきた人たちによってはもっとも容易と認定される最期、愛友たちにとってはもっとも面倒のない(apragmonestate)最期、そして哀惜も、命終した者たちに対する多大な哀惜の念を惹起する最期であろうから。なぜなら、居合わせる人たちの心中に、無様なりとの念も、まして嫌悪感さえも残さず、その一方で、健康な身体と、愛する能力をもった魂とを保持したまま、逝去するひとがいたなら、どうして、このひとが哀惜されないはずがあろうか?

[8]
 だから、神々が、あのときわたしに反対なさったのは正しかったのだ」と彼は言ったという、「言葉〔弁明〕の穿鑿(episkepsis)に対してね、――万策を講じてでも無罪放免の方策を探求すべしとわたしたちに思われたあのときに。なぜなら、もしもわたしがその目的を達成したなら、明らかに、もはや人生を終息させる代わりに、あるいは病気に苦しめられながら、あるいは老年――ありとあらゆる困難と、歓楽とはまったく無縁なものたちが流れこむ老年――に苦しめられながらの命終を招いたことであろうから。

[9]
 神かけて」と彼は言ったという、「おお、ヘルモゲネースよ、わたしがそんなものを欲しないのはもちろんであるが、神々からも人間たちからも、美しくもいただいてきたとわたしの信ずるかぎりのもの、および、わたしがわたし自身についていだいている思い(doxa)、これを表明して裁判官たちをうんざりさせるぐらいなら、むしろ命終を選ぶつもりだ。死よりもはるかに劣悪な人生を儲けるために強請して、不自由人のごとくになおも生きるよりは」

[10]
 彼〔ヘルモゲネース〕の言によれば、彼〔ソクラテス〕はかくのごとき結論に達して、訴訟相手たちが、国家が信ずる神々を信じず、別の新奇な精霊的なものたちを持ちこみ、若者たちを堕落させるとの容疑で彼を告発したとき、進み出て述べたという。

[11]
 「とにかく、わたしが、おお、諸君、メレトスに驚かされる第一の点は、いったい何を根拠に、わたしが国家の信ずる神々を信じないとの発言を彼がするのかということである。というのは、わたしが供犠するところなら、共同の祝祭において、また、公の祭壇の上で、他の人たちも居合わせて目撃しているし、もしよければ、メレトスそのひとも〔目撃しているのである〕。

[12]
 さらには、どうしてわたしが新奇な精霊的なものたちを持ちこむことになるのであろうか、――何をなすべきかを神の声がわたしに合図してくださるらしいと発言したからといって。というのも、鳥たちの鳴き声を用いる人たちや、人間たちの発話を用いる人たちは、いうまでもなく、声によって〔神意を〕証するのである。また、雷鳴は発声していないとか、最大の前兆ではないとかと異を唱えるひとがいるであろうか? また、ピュトの鼎の中の巫女は――彼女もまた神からの〔お告げ〕を声で報せるのではないか?

[13]
 いや、それどころか、少なくとも神が将来を予知することも、望む者に予示することも、これもまた、わたしが主張しているように――そのとおりに誰しもが言いもし、信じもしているのである。むしろ、この人たちは鳥たちとか、発話とか、符号や占卜者たちを予示者と名づけているのであるが、わたしはこれを精霊的なものと呼んでいるのであって、かく名づけることによって、神々の力を鳥たちに献上している人たちよりは、わたしの言っていることの方がより真実であり、より神法にふさわしいとわたしは思っている。とにかく、神に対してたてまつり虚言しているのではないという証拠として、次の点をもわたしは挙げられる。すなわち、友たちのじつに多数に、わたしは神の忠告を告げてきたが、わたしが言ったことで虚言になったことは、いまだかつてないのである」

[14}
 これを聞いて裁判官たちが騒ぎ立てた――ある者たちは言われている内容を信じられなくて、ある者たちは、神々からさえも、〔ソクラテスが〕自分たちよりもより大きなものをいただいたのかと妬んで――、そこで、ソクラテスは再び言ったという。  「まあまあ、とにかくほかのことも聞いていただきたい。そうすれば、あなたがたのうち望む人たちはなおのこと、わたしが精霊たち(daimonの複数)に讃えられてきたということを、ますますもって信じられなくなるだろうから。すなわち、カイレポンがかつてデルポイで、わたしについてお伺いを立てたとき、多くの人たちの居合わせるところで、アポロンは託宣なさったのである、――人間たちの中で、わたし〔ソクラテス〕以上に自由な者も、義しい者も、慎み深い者も、一人としていない、と」。

[15]
 これを聞いて、またもや裁判官たちが、当然のことながら、ますます激しく騒ぎたてたが、すかさず再びソクラテスが言った。
 「いやいや、おお、諸君、わたしについてよりは、ラケダイモン人たちのために立法したリュクウルゴスについて、神は信託の中でもっと大きなことを述べておられる。すなわち、彼〔リュクウルゴス〕が神殿に入っていったとき、〔神は次のように〕呼びかけられたと伝えられている。『汝を神と呼ぶべきか、それとも人間と呼ぶべきか、余は思案しているところだ』と。ところが、わたしの場合、神になぞらえることはなさらなかったが、人間たちの中でははるかに秀抜であると選別なさった。にもかかわらず、あなたがたは、わけもなく、この点でも神を信じようとせず、神の述べられたことをいちいち穿鑿しているのである。

[16]
 はたして、身体の諸々の欲望に隷従すること、わたしよりも少ない者を、あなたがたは誰かご存知であろうか? また、人間たちの中でより自由な者を〔あなたがたは誰かご存知であろうか〕――誰からも、贈り物も報酬も受け取ることのないわたしよりも? また、あなたがたは、誰をより義しい人と信じるのが道理であろうか――他人のものを何ひとつ余計に必要としないほど、それほどまでに手持ちのものと調和している人間以上に? また、知者なりと主張して、どうして道理にはずれるひとがあろうか――〔神託に〕言われたことを理解しはじめてよりこの方、能うかぎりの善を間断なく探究もし学究もしつづけてきたわたしを?

[17]
 しかも、わたしのしてきたことが無駄ではなかったということは、次のこともその証拠になるとあなたがたに思われるのではないか。つまり、徳を志す人たちのうち、多くの同市民たちが、また外国人たちの多くが、何にもましてわたしと交わることを選択したということが。また、次のことの理由は何だとわれわれは主張すればよいのか、――わたしは決して金銭で返礼することができないということを誰しもが知っていながら、それでもやはり、多くの人たちがわたしになにがしかの贈り物をすることを欲したということの〔理由〕。また、わたしは善行(euergesia)を報い返すよう、ただの一人によっても要求されたことはないが、わたしに対しては多くの人たちが恩義を感じていることに同意している点はどうか?

[18]
 また、籠城のさいに、他の人たちはおのが身を嘆いたが、わたしはといえば、国が最高に幸福であったときほどにも窮することは何もなかったことは、どうか? また、他の人たちは市場で珍味(eupatheia)を手に入れるために蕩尽するが、わたしは浪費することなく魂によって、そんなものよりももっと快適なものを工面するということは、どうか? とにかく、わたしが自分自身について述べたててきたことはどれも、虚言なりとしてわたしを糾弾できる者は一人もいない内容だとすれば、もはや神々によっても人間たちによっても、称讃されるのが義しくないことが、どうしてありえようか?

[19] それでも、やはり、あなたはわたしを、おお、メレトスよ、そんなことに従事しているがゆえに、若者たちを堕落させているのだと主張するのか? ところで、若者たちにいかなる堕落があるか、わたしたちは、もちろんのこと知っている。そこで、誰がわたしのせいでそうなったのか、もしも知っているなら言ってもらいたい、――あるいは敬神的な人物から神法に悖る人物に、あるいは慎み深い者から暴慢な人物に、あるいは堅気な者から奢侈に耽る者に、あるいは程々の飲み手から呑んだくれに、あるいは愛労者から怠け者に、あるいは他の邪悪な快楽に負かされた者に〔なったのかを〕」

[20]
 「いかにも、ゼウスにかけて」とメレトスが言った、「こういうやつらを知っているのだ――実の親たちによりは、あんたに聴従するよう、あんたが説得してしまった連中を」
 「同意しよう」とソクラテスが言ったという、「少なくとも教育に関しては。なぜなら、それがわたしの関心事であることは周知のことだから。だが、健康に関しては、人間たちは両親によりはむしろ医者たちに聴従する。また、少なくとも民会においては、アテナイ人たちは、もちろん、誰しもが、親類縁者たちによりは、むしろもっとも知慮深いことを発言する人たちに聴従する。むろん、将軍たちをもあなたがたは選ぶのだが、父親たちよりも兄弟たちよりも先に、まして、ゼウスにかけて、あなたがたはあなたがた自身よりも先に、戦争のことに関してもっとも知慮深いとあなたがたの考える人たちを〔選ぶ〕のではないか?」

[21]
 「そうするのが」とメレトスが言ったという、「おお、ソクラテス、寄与するところもあり、しきたりでもあるからね」
 「そうすると」とソクラテスが言ったという、「これもまた驚くべきことだとあなたに思われるのではないか、――他の諸々の行為においては、もっとも勝れた人(kratistos)たちが平等権(isomoria)に与るのみならず、抜擢されさえするのに、わたしの場合は、人間たちのために最大の善きことに関して、つまり、教育に関して、一部の人たちによっては最善者なりと選別されているということ――このことのゆえに、あなたによって死罪をもって訴追されるというのは?」

[22]
 述べられたのは、明らかに、彼および彼の共同弁護人たる友人たちによって、以上の内容よりももっと多かった。しかし、わたしは裁判の全体を述べることに熱中する気はなく、次のことを明らかにすることでわたしは満足である、――ソクラテスは、神々に対したてまつっても涜神的なところはなく、人間たちに対しても不正者とはみえないことを、何にもまして重視した。

[23]
 だが、死刑にならないことは、それほど固執すべきこととは思わず、自分にとってもはや命終する好機だとさえ信じた。彼がかくのごとき結論に達していたということが、ますます明白となるのは、裁判も有罪票決された後になってからである。というのは、先ず第一に、減刑提議(hypotimasthai)するよう求められても、自分から減刑提議することもせず、友たちにも許さず、減刑提議はおのれが不正であることに同意することであると発言さえしたのである。第二には、同志たちが彼を脱獄させたがったにもかかわらず、これに随うことをせず、むしろ、問題を穿鑿しようとさえしたように思われたのである、――アッティカ以外の地なら、死によって侵されることのないようなところを彼らはどこか知っているのか、と質問して。

[24]
 ところで、裁判が結審するや、すかさず彼は言ったという。
 「さて、おお、諸君、わたしに有罪の偽証をすべきだと、証人たちを教唆して偽誓させた人たち、および、彼らに聴従した人たちは、大変な涜神と不正を自覚するのが必然である。他方、わたしにとっては、有罪判決を下される前よりも、今の方が、意気消沈しているのがふさわしい理由がどこにあろうか、――わたしに対する公訴事由の中に、わたしがしてきたようなことは何ひとつ糾明されなかったわたしにとっては。なぜなら、わたしとしては、ゼウスやヘラや、これらのお仲間の神々の代わりに、ある種の新奇な精霊たちに供犠したことも誓願したことも、他の神々を信じたこともないと、すでに判明したのだから。

[25]
 さらに、忍耐と質素を習慣づけたから若者たちを堕落させたなどということが、どうしてありえようか? さらには、死罪が規定されている所行――神殿荒らし、押し込み強盗、人さらい、国家反逆罪――こういったことの中のいずれかを為したとは、わたしに向かって訴訟相手当人たちさえも主張してはいないのである。したがって、驚くべきことだとわたしには思われるのである、――いったい、いかにすれば、死罪にあたいする所行がわたしによってしでかされたと、あなたがたに明らかになるのか、と。

[26]
 とはいえ、しかし、不正に死刑になるということなど、それほど気にすべきことではない。なぜなら、それが恥ずべきことであるのは、わたしにとってではなくて、有罪判決を下した人たちにとってなのだから。そして、パラメデスもさらにわたしを勇気づけてくれる、――わたしと似た状況で命終したパラメデスが。というのは、彼は今もなお、彼を不正に殺害したオデュッセウスよりも、はるかに美しい讃歌をささげられているのだから。わたしにはわかっている、――来るべき時代によっても過ぎ去った時代によっても、わたしにも次のように証言してもらえるであろうことが。つまり、わたしはいまだかつて誰に対しても不正したことはなく、まして邪悪なことを為したこともなく、わたしと対話する人たちに、無料で、可能なかぎりの善を教示することで、善行をほどこしてきた、ということを」

[27]
 こう言って、述べ立てられた内容とそっくりそのままに、見た眼にも姿形も足取りも溌剌とした様子で彼は立ち去った。ところが、ついてくる者たちが涙しているのに気づくや、すかさず、
 「それは、どういうことなのか?」と彼が言ったという、「今ごろ涙するなんて。いったい、死は、その自然本性からして、わたしが生まれた当初から、すでにわたしに有罪票決を下していたということを、以前からあなたがたは知っているのではないか? なるほど、善きことが湧き起こっているときに、先に死ぬのなら、明らかに、わたしにとっても、わたしに好意を持ってくれている人たちにとっても、辛いことであろう。だが、困難事が予想されるときに、人生を終えるのなら、わたしが思うのには、わたしは善くしている〔しあわせである〕のだろうと思って、あなたがたはみな悦ぶべきことなのだ」

[28]
 このとき、そばにいたアポロドロスなる者――彼〔ソクラテス〕の強烈な渇仰者であるが、他にはお人好しなところもあった――が、すぐに言った。
 「けれども、わたしとしては、おお、ソクラテス、こんなことを我慢するのは困難きわまりないことです、――あなたが不正に処刑されるのを見るなんて」
 すると彼〔ソクラテス〕は、彼の頭に手をやって言ったと伝えられている。
 「それでは、あなたは、おお、もっとも親愛なアポロドロスよ、わたしが不正に死刑になるよりは、むしろ義しく〔死刑になる〕のを見るのが望みなのか?」
 と同時に、彼は微笑したという。

[29]
 さらにまた、アニュトスが通りがかったのを見て言ったと伝えられている。  「さてこそ、この男がかくも得意げなゆえんは、わたしを死刑にしたら、何か大きな美しいことを仕遂げることになると思ってだ。というのは、彼が国家によってもっとも偉大な人たちの一員とみなされているのを〔わたしが〕見て、自分の息子に鞣し革教育をすべきだとは、わたしが認めなかったためだ。この人は何と性悪な者であることか」と彼が言った、「わたしたちの中のどちらが、永遠の時間にとって寄与するところ大なるもの、より美しいものを達成してきたのかを知ることを拒むとは!――そういう者が現に勝利者でもあるのだ。

[30]
 とはいえ、しかし」と彼は言ったという、「ホメロスも、人生を終えようとしているような人たちに、将来を予知する能力を献上している。だからわたしも、何か予言したい。というのは、かつて、わずかな間だが、アニュトスの息子と交わり、その魂は弱くないとわたしに思われた。したがって、わたしの主張は、――父親が彼にあてがってきた奴隷的な暮らし(diatribe)に、彼がとどまっていることはないであろう。しかし、真剣な世話人を誰ひとり持たないために、ある種の恥ずべき欲望に打ち負かされて、性悪さを、まこと遠くまで極めることであろう」

[31]
 彼の言ったこのことは、虚言になることなく、その青年は酒にふけって、夜も昼も飲みやめず、最後には、自分の国にとっても友たちにとっても自分自身にとっても、何の価値もない者となってしまったのである。アニュトスこそは、息子に対する悪しき教育ゆえに、また、みずからの無知蒙昧ゆえに、亡くなった後でもなお悪評にさらされている。

[32]
 対して、ソクラテスの方は、法廷でみずからを誇張したために妬みを招き寄せ、ますますもって、裁判官たちが自分に対して有罪票決しやすいようにさせた。だから、わたしには、神の愛したもう運命に遭遇してしまったのだと思われる。なぜなら、人生のもっとも困難な部分は捨て去ったが、死中もっとも容易な死を得たのだから。

[33]
 そして、彼は魂の強さを証明した。というのは、なおも生きるよりは、死ぬことの方が自分にとって勝っていると判断するや、あたかも、その他の事柄に対しては――まして善き事柄に対しては――、彼は強情者であったためしがないが、死に対しても弱虫のような振る舞いに及ぶなどというようなことはさらさらなく、これを快活に受け入れもし、つとめを果たしもしたのである。

[34]
 わたしこそは、この人物の知恵と高貴さとに感じ入っているので、彼のことを思い返さないでいることもできず、思い返すたびに、称揚しないでいることもまたできない。もしも、徳を志す人たちの中に、ソクラテスよりももっと有益な人物と交わっているような人がいるなら、わたしはその人を、浄福視されるのがもっともふさわしい人だと信ずるのである。
                          1998.02.02.訳了。


訳註

高言
 原語はmegalegoria。これは「大きい(megas)」という形容詞と、agoraを語源とする「公言する(agoreuo)」という動詞との合成語からできた派生語である。
 この語の使われ方を見ると、戦闘を前にした戦士の「豪語」や「手柄話」(『キュロスの教育』第4巻 第4章3、第7巻 第1章 17参照)、自画自賛の「自慢話」(『アゲシラオス』第8章 2参照)、また、武力を背景にした「脅し文句」や「捨て台詞」(エウリピデス『ヘラクレスの子供たち』356行参照)といった意味合いが強く、どうやら、神よりも槍の穂先の方を崇拝するような不敬の輩(anosios)が、慢心に満ちて口にするような言葉を指すようである(アイスキュロス『テーバイに向かう七将』526行以下参照)。されば、クセノポンは言う――
 「神は、才覚が他に優れていると自惚れて大言壮語するごとき人間(hoi megalegoresantes)は貶しめ、われわれのごとく行事もまず神意に計ってから事を始める者には、彼等よりも高い栄誉を授けようとなさるのだ」(『アナバシス』第6巻 第3章 18、松平千秋訳)
 ソクラテスをこの傲りから救ったものは、死の覚悟であった、とクセノポンは考えていたようである。
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ヘルモゲネース
 アテナイきっての金満家ヒッポニコスの子、したがってカッリアスの異母兄弟。ただし、庶子であったせいか、遺産相続の権利がなかったらしく(『クラテュロス』391C)、本人はすこぶる貧窮したらしい(『ソクラテスの思い出』第2巻 第10章参照)。
 『パイドン』によれば、ソクラテスの臨終にも立ち合っている。
 なお、ヘルモゲネースについては、point.gif酒宴をも参照のこと。
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精霊的なもの(daimonion)
 古典ギリシア語においてはdaimonionという名詞はない。それが名詞として現れるのは、Septuagint〔七十人訳旧約聖書〕においてであり、しかもその場合もdaimonの指小辞としてであって、daimoniosという中性名詞としてではない。
 プラトンにおいても当編のこの箇所のほか、『弁明』31D1「神的で精霊的なあるものがわたしに現れる」、『テアイテトス』151A4「わたしに現れる精霊的なもの」、『エウテュデモス』272E3「精霊的ないつもの徴が現れた」、その他『エウテュプロン』3B5、『弁明』40A4、『テアゲス』128D2、『国家』496C4におけるように、daimonionはすべて形容詞的に、しかも通例「現れる(起こる)」という動詞を伴って用いられていて、「精霊(daimon)」という実体を意味してはいない(Burnetによる『エウテュプロン』3B5の註による)。
 daimonionとdaimon、およびそれぞれの複数形とを使い分け、あるいは(意図的に)混用して、告発者たちを煙に巻くぐらい、ソクラテスにとっては朝飯前であったろう。
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メレトス
 ソクラテスを訴えた3人の告発者の中の筆頭(他の二人は、民会演説者のリュコンと、後に登場する民主派の大物アニュトス)。『エウテュプロン』によれば、メレトスはピットス区出身の、まだ若くてあまり知られていない人物で、その容貌は毛髪は長く直毛で、髭は薄く、鉤鼻の男と言われている(2C)。悲劇作家ないしその息子と見られ、アリストパネスの『蛙』1302行にその名が見えるが、同一人物かどうか不明。
 また、奇しくも、ソクラテスが訴えられた前399年、同じく不敬罪でアンドキデスがアテナイ法廷に告発されているが、この告発者の中にメレトスの名が見え、注目される(アンドキデス第1弁論 94節)。しかし、同一人物とは考えられない。
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カイレポン
 ソクラテスの熱烈な崇拝者。情熱が高じて、デルポイに赴き、ソクラテス以上の知者がいるかと神託をうかがったことで有名。
 「彼は青年時代から私〔ソクラテス〕の友であると共にまた民党の諸君の友でもあった、そうして一時民党と亡命を共にしまた諸君と共に帰って来た」(プラトン『弁明』21A、久保勉訳)。
 痩せて陰気な相貌、蒼白な血色から、「蝙蝠」とか「夜の子」と呼ばれ、喜劇作家たちにからかわれている。(アリストパネス『雲』104、144-156、503-4、831、1465行、『蜂』1408行、『鳥』1296、1564行、エウポリス断片165、239、クラティノス断片202など)。
 ソクラテスの裁判の時、彼はすでにこの世になく、神託については弟のカイレクラテスが証言した(プラトン『弁明』同上箇所)。この兄弟のいさかいをソクラテスが和解させようとした話が、『ソクラテスの思い出』第2巻 第3章に伝えられている。
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籠城
 原語はpoliorkia(攻囲)。前405年、アイゴス・ポタモイで海軍のほとんどを失ったアテナイは、海上は、リュサンドロス率いるラケダイモンの海軍に、陸上は、パウサニアス率いるラケダイモン陸軍に、完全に封鎖されながらも、よくもちこたえたが、おびただしい餓死者を出すに及んで、前404年、ついに無条件降伏、ここに、27年間つづいたペロポンネソス戦争も幕を閉じた。籠城とはこの時のことをいう。
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パラメデス
 オデュッセウスは、狂気を装ってトロイア戦従軍を免れようとしたが、そのたくらみをパラメデスに見破られ、以後、パラメデスを不倶戴天の敵とし、ついに奸計をもってこれを亡き者にしたと伝えられる。ただし、パラメデス殺害理由、その方法、殺害者の人数については種々異説があるが、オデュッセウスが一枚かんでいる点では共通している。
 プラトン『弁明』においても、テラモンの子アイアスとともにパラメデスに言及し、暗に判決の不当性を示唆している(41B)。
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アポロドロス
 これもソクラテスの熱烈な崇拝者。ソクラテスのそばをいつも離れず(『ソクラテスの思い出』第3巻 第11章 17)、裁判の時も(おそらくは共同弁護人として)陪席し(プラトン『弁明』34A)、有罪の票決が下されると、プラトンやクリトンとともに、罰金30ムナの減刑提議をするよう勧め、その保証人になることを申し出ている(同上38B)。
 また、ソクラテス刑死の際にもその場に居合わせ(『パイドン』59A)、号泣をこらえきれず、ソクラテスから叱責されている(117D)。「弱虫(malakos)」と綽名される所以であろう。
 「いつも同じですね、あなたは、おおアポロドロス。いつもあなたは自分をも他人をも悪罵しているのだから。そして、ソクラテス以外は、あなた自身をはじめとして、例外なしに皆みじめであるとあなたは思っているらしい。したがっていったいどこからあの「弱虫」という綽名をあなたがもらったのかわたしにはわかりません。なぜなら、言葉ではいつもあなたはそういうふうであって、ソクラテスはのぞいて、自分にも他人にもあたりちらすんだから」と友人にからかわれている(プラトン『酒宴』173D、金松賢諒訳)。

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アニュトス
 皮革業で蓄財した富裕な市民アンテミオンの子。(ペロポンネソス戦争を背景に、皮革業はまさしく軍需産業にほかならなかった)。
 アニュトスが歴史に登場するのは、前409年、ピュロス確保に失敗した海軍指揮官としてである。前403年には、「三十人」僭主打倒に傑出した役割を演じ、それにつづく7年間、将軍の任にあった。「国家によってもっとも偉大な人たちの一員とみなされて」とは、そのことを指すと考えられる。
 『メノン』によれば、アニュトスはソクラテスに次のように警告している。
 「おお、ソクラテス、あなたは安易に人間を悪く言いすぎるように、わたしには思われる。だから、わたしはあなたに忠告しておきたい、――わたしの言うことを聞く気があるなら、気をつけるようにと。おそらくは、他国においても、人間に悪くする方が、よくするよりも容易なものだが、この国においては特にそうなんだから。もっとも、あなたは自分でもわかっていると思うけれども」(94E)。

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悪評
 ソクラテスを裁判に葬ったがための悪評ではないことに留意。つまり、ソクラテス裁判はアニュトスの政治生命に、したがってまた、(少なくとも)アテナイ民衆の心にも、何の影響もとどめていないということである。
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弱虫のような振る舞いに及ぶ
 原語はmalakizomai。弱虫はアポロドロスの綽名であった。ここは彼に対するあてこすりではないかと考えられる。
 軍隊好きのクセノポンは、この愛すべき男があまり好きでなかったらしく、『ソクラテスの思い出』の中でも、ただ一カ所(第3巻 第11章 17)、ついでのように触れているにすぎない。
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