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エッセイ



死者にとっての無念






 「犬死」論議は不愉快である。そこには、死というものを、何かのためになったか、ならなかったかという功利の観点からとらえようとする見方しか存在しない。かくして、死は名誉ある死から恥ずべき犬死に至るまで序列づけられ、死者はそれぞれ相応の悼まれ方をすることになる。無駄死ではあっても犬死ではなかった、いや、彼らの死こそ軍国主義日本の犠牲(いけにえ)死なのであって、そのおかげで平和主義日本が新生したのだから、まさしく貢献死と呼ぶべく、彼らこそ「靖国」の英霊たるにふさわしい……。こうやって、「犬死」論議はいたずらに死の名称をふやすだけで、結局のところ、軍国主義日本にしろ平和主義日本にしろ、「お国のため」という「靖国」の論理を一歩も超えるものではないのである。

 太平洋戦争は敵・味方ともにおびただしい戦死者を出した。連合国側にも、個々の局面においては数多くの犬死もあったろうに、これを犬死と呼ぶ者はない。日本国側にも、個々の局面においては犬死ではないような死もあったろうに、なべて犬死と呼ばれる。なるほど、戦争は勝つためにするのである。ためにならなかった死が犬死であってみれば、負け戦で死んだ者はすべて犬死だと称しようとも、それは正しい用語法の範疇に属する。

 しかるに、「犬死」論者たちの主張では、どうやら、戦に負けたから犬死と言っているのではないらしい。彼らは犬死の語義をすり替えたのだ。つまり、戦争には正しい戦争と正しくない戦争とがある、と彼らは考える。不正義な(侵略)戦争のために死ぬこと、これを犬死という、というのが彼らの主張なのである。

 このようなすり替えが可能になるには、「正義は勝ち、悪は滅びる」というオメデタイ楽観論が前提としてなくてはならない。日本は悪であった。したがって、日本は負けるべくして負けた。そのような戦争で死んだ者は犬死でしかない……。これが彼らの論法である。このような論法が罷り通るのは、敗戦国日本がまた不正義でもあったおかげにほかならない。だが、それはたまたまの結果にすぎない。

 連合国側は正義だったから勝ったわけでもなければ、日本国側は不正義だったから負けたわけでもない。戦争の勝敗と、戦争の正義・不正義とはまったく別の問題である。戦争は戦争の論理に従って終結するだけである。そして、戦争では、負けた側がゴメンナサイと謝ることになっている。それは、負けた側が不正義であったからではなく、そうしなければ戦争が終わらないからにすぎない。しかるに、「犬死」論者たちは、戦争の敗者がまた不正義でもあったという偶然の一致をよいことに、戦争の勝敗を、戦争の正義・不正義の問題にすり替えたのである。こうして、日本国の戦死者たちは、戦敗に加えて不正義の汚名まで着せられることになる。

 まことに、日本は戦争に負けてよかった。もしも日本があの戦争に勝っていたら、戦勝にわきたつ日本国民に向かって、不正義の戦争の戦死者はみな犬死だなどと、かくも高邁な思想を声高に叫ぶことは、彼らもなかなか勇気がいったであろうから。日本が戦争に負けたおかげで、犬死という言葉も気やすく口にすることができる。だが、そこには、勝者に対する敗者のおもねりが感じられてならぬ。

 戦争には敵対する双方に必ず大義名分がある。それが真っ赤な嘘っぱちだったとしても、嘘っぱちが現実を動かしたという事実は紛れもない。〃だましたアイツが悪いのか、だまされたアタシが馬鹿なのか〃……そうやって、恨みがましくあたりをきろきろうかがいながら、戦争仲間の死をあれこれ論評する。「犬死」論議が不愉快である最大の理由は、それが死者の死そのものを悼むという地点からはほど遠いからである。

 死者にとっての無念とは何か シベリア抑留を生きのびた詩人、石原吉郎はみずから問い、みずから答えている。死者にとっての無念とは、ただひとつ、生き残った者が、今も生きているという事実である。だまされた、殺されたと言うなら、戦争仲間のその無念を、どうして、生き残った者たちが晴らしてやろうとしないのか。奥崎謙三の言い方を借りれば、どうして、朝鮮から、中国から、南洋の島々から、敗残兵たちは首都=東京めざして攻めのぼらなかったのか。戦争責任者たちを生きのびさせたばかりか、国の指導的地位に就くことさえ許しつづけてきたのはなぜであったのか。

 教え子を二度と戦場に送るなと叫んだ者たちが、実はそれまで教え子を戦場に送りつづけてきたまさにその張本人であったこと。あやまちは二度と繰り返しませんと誓った者たちが、あやまちを犯したまさにその生き残りであったこと。あやまちを繰り返すか返さないかは、死者の関心の外である。死者は生き残った者たちがあやまちを二度と繰り返さないために死んだわけではないのだ。しかるに、生き残りたちは、自分たちが生きつづけるために、死者を過去のあやまちと慰霊碑の中に封じこめつづけてきた。そうやって、敗戦国日本は誕生したのだということを、私は肝に銘じておきたい。

 無念は慰めるべきものではない。無念は晴らすべきものだ。死者の無念を晴らしてやることができないのであれば、せめては、兵士たちは誰の手によって、どのような死を死んでいったのか、自分は誰に、どのような死を強いることによって、すなわち、自分はどのように「他者の死を凌いで」(石原吉郎)生き残ったのか、一人ひとりの死者の魂の行く末を語りのこし、各「個」の責任性を明らかにすべきである。それが死んでいった者たちに対するせめてもの供養というものであろう。しかるに、生き残った者たちは、都合の悪いことは今もなお語ろうとしない。そして彼らの戦争仲間の屍体は、今もなお異国の密林の奥に野ざらしとなったまま、朽ちはててしまうこともならず、死者の無念をかこっているのである。

 不正義の戦争を戦って死んだその死のぶざまを言挙げするなら、「死にそこなうことによって生きそこなった」(石原)敗残者たちの戦後の生のぶざまをこそ先に語るべきであろう。




 自分としては気の利いた分析をしたつもりだったが、自分などよりもずっと早く、自分よりもっと鋭利に本質を見抜いていた人の存在を知り、「知」の奥深さ恐ろしさを思い知らされた。すなわち、色川大吉『わだつみの友へ』の中の「今もきらめく星」に紹介されている丸山進である。

 丸山は二高山岳部から東大天文学科に進むが、卒業して間もなく(47年)肺結核のため25歳の若さで死ぬ。その丸山が、友人にあてた手紙の中で、次のような考えを披瀝している。

 二者の戦いには四つの場合がある。強・弱と、正・邪である。しかして、組み合わせは二つである。すなわち、正強−邪弱と、正弱−邪強である。しかるに勝敗を決するものは強弱であって、正邪ではない。ゆえに正弱は必ず負けるが、正義は実現すべき永遠の課題なるがゆえに、(負けた)正弱は復讐しないわけにはいかないのである。ところで今次の敗戦は、日本が邪にして弱であった結果であり(負けたから邪になったのではない!)、それゆえ復讐ということはあり得ないから、この敗戦は「永遠ノ平和ノ基トナリウル」というのである。

 時流に流されることなく、といって、時流に逆らうでもなく、戦時下を瓢々と生きていた青年の批判の鋭さに驚かされるが、にもかかわらず、次の二点だけは指摘しておかなくてはならない。1.真理=正義の勝利に対する確信と、2.国家というきわめて複雑な機構に対する疑いを知らぬ楽天主義である。この男の汚れなさが、「底なし沼のような人民ニヒリズムの怒気」に触れてもなお純粋でありえたか、あるいは、敵地の民衆に向けて構えられた銃の引き金に指をかけたまま、なおシューベルトの曲を口ずさみえたか、興味のあるところである。
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