太閤はんの人食い虎
はなたれアキンドはびちたれだ。いつもびちびち腹を下している。村の悪がきたちは、びちたれアキンドとはやしたてた。この児は十まで生きられんかもしれんと、お爺は藁草履をつくりながらつぶやいた。きっとお母が早くに死んだせいだと、お婆は着物をつくろいながら涙をふいた。囲炉裏の柴がぶちぶち怒りながら燃えていた。 次の日、アキンドは仕立て直しの着物に新しい藁草履をはいて、お婆につれられて村はずれのお宮にお参りをした。お宮の古いお堂の横には、ふたかかえもあるような大きな樹が、おそらく村人たちが住みつくよりも昔から、ぬっくと生えていた。そんなに古い樹だったから、お宮の境内いっぱいに根っ子がにょきにょき顔を出し、太い幹はもくもくコブだらけ、上の方はどうなっているのか見当もつかない。 お婆が長い長いお祈りをしてから言うことには、これはいぼわたしの樹と言うて、人間の悪い毒をみんな取ってくれるありがたい神様なのだと。そしてお婆は、ちょっくら畑仕事に出かけて行った。 アキンドはお婆に教えられたとおり、おでこにできたいぼと、いぼわたしの樹の幹とを、細い枝でつないで、
いぼ、いぼ、わたれ わたって、お山に、飛んでけ と、なんどもなんども呪文をとなえた。 アキンドの眼の前を、ありが行列をつくって上ってゆく。その先をふりあおぐと、村では見たことのない子が、大きな樹のコブにまたがってアキンドを見下ろしていた。髪の毛ぼうぼう、着物はぼろぼろ。ぼろが羽毛のようにぶらさがって、まるでフクロウのようにふくらんでいる。おまけにほおずき色の眼をして、顔は真っ黒。こいつがゴロスケに違いない。 「何をしよんなら」とアキンドが言うと、 「何をしよんなら」と、ゴロスケがこたえた。 「お前の眼は、なんで、そがいに、赤いんなら」とアキンドが思い切って尋ねたら、 「けっ!」ゴロスケはそう言い捨てて、樹の上の方へと姿を消した。 アキンドも面白くなって後からついていった。 幹はコブだらけで、ごろごろ岩を登るようなもの。青い葉っぱの茂った大枝を通り抜けると、ぽんと青空の下に出た。アキンドの村が谷底にかびのようにへばりつき、山々が青く幾重にも連なっていた。 「あの山の向こうには、何があるんなら」とアキンドが尋ねると、 「どこまで行っても、人がおる」と、目やにをいっぱいためたゴロスケが答えた。 二人の眼の下の山の斜面で、しがみつくように畑を耕しているお婆の姿が、ぽつんと鼻くそのように見えていた。 それから毎日、お婆はアキンドをお宮参りに連れてゆき、日がな一日畑仕事に精を出した。その間、アキンドはゴロスケと遊びほうけていたが、お婆には何も言わなかった。「言わんほうが、ええんぞ」とゴロスケが言ったからだ。 お婆の丹精したカボチャの実もふくらんで、秋祭りの日がきた。 飛白の着物にまっさらの下駄をはいて、年に一度の晴れ姿。お宮参りのおかげで、このごろアキンドも元気になったと、お婆もお爺も目を細めた。 その時、 「乞食が来たぞー」と、村人たちの声がした。 お婆のとめるのも聞かずに飛び出して見ると、鍋やら傘やら生活に要るものを、みんな身体中にぶらさげた、ぼろ切れの山のような生きものが歩いている。 村人たちは、「ひとさらいぞ、きょうといぞ、しッ、しッ」と子どもたちを家の中に追い込んでいる。 悪がきどもは、手に手に棒切れや石ころを持って、ぞろぞろ、ぞろぞろ、ついて歩いている。 悪がきの一人が小石を投げた。 昆布のようなごわごわの髪の間からぎょろりと振り向いた大男の眼は真っ赤だった。 子どもたちは悲鳴をあげて逃げまどった。 乞食の腰のあたりにしっかりつかまって、おどおどあたりを見まわしているのは、あのゴロスケだった。お父とおんなじかっこう、背中におぶわされた大鍋が哀しかった。 ぽかんと立っていたはなたれアキンドと目が合ってしまったとき、ゴロスケはじいっとアキンドを見つめていたが、顔が少しゆがんだと思ったら、いきなり涙が噴き上げのように泣きだした。 アキンドも、なぜだか、急に悲しくなって、わァーわァー、わァーわァー、二人で泣いた。 こうして、秋祭りの日、山の神はアキンドの村を通り過ぎて行ったのだった。物乞いをしながら。 |