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友だちとは?



☆HR合宿が終わって、気心の知れた仲間も多くできたと思う。しかし、「友」とはどういうものなのか、ここらあたりで一度考えてみてほしい.。

☆だれが友たるにふさわしいのか?

 「西の神と東の神とが、別れてから何年たとうとも、出会った時はきのう別れた者どうしのように語りあえる。それが友人というものだ」

 たしか、高校生の時に、学校の図書館で借りた本の中に、上のような言葉を見つけて、ひどく心を動かされた記憶がある。ぽくの理解したところでは、友人とは、あたかも西の神と東の神のように、お互いが完金に独立した存在であるということ、もっと言えぱ、お互いに何の利客も損得もない、関係すら持つ必要のないような閣係にあるということであった。

 君たちは、よく、”ほんとうの友がほしい”とか、”何でも話せるような親友がほしい”という。ほんとうの友とは、いつも自分のことを気にかけてくれ、親身になって相談にのってくれる存在だと考えている。ぽくもそう考えていた。しかし、自分が相手にとって友たるにふさわしいかどうかは、問おうとしないのである。自分のくだらぬ身の上話や、悩みや、不平不満を聞かされる相手の立場に立ってみよ。それがいかに身勝手な望みであるか、わかるのではないか。相手にとって友たるにふさわしくない者は、相手に対して友たることを求める賢格もまたないはずである。だから、ほんとうの友を求めるまえに、自分が友たるにふさわしくなるよう、努力しなくてはなるまい。

(1)以前、こんなことがあった。……生徒Kが、友人と喫茶店に行ったところ、その友人が煙草をすいだした。Kはすわなかった。ところが、この喫煙のことが学校にわかり、処分をうけることになった。友だちは煙草をすったのだから、処分をうけるのは当然にしても、自分はすっていないのだから、自分までが処分をうけるのは不当だとKは言い張った。このKをどう思うか、とみんなに聞いてみたことがあった。多くの者たちは、「Kの態度は当然だ」と主張した。

 処分をうけるというのは大変なことだ。親を呼び出され、謹慎させられ、学校長から訓告をうけ、最後に学籍簿に記録されて、20年間は保存される。そういう事態を前 にして、うろたえる見苦しさを、ぽくは先ず思う。そんなに見苦しくうろたえなくてはならないようなら、初めからするな、というのがぼくの考えである。

 そして、第二に、友を見捨てている卑劣さを思う。処分をうけるのがそんなに嫌なことなら、そんな事態をまねこうとしている友に、どうして一言の忠告もできなかったのか。自分の友がどうなろうと知ったことではないといった態度をとったという点だけでも、彼は処分されてしかるぺきである。また、そうでなけれぱ、友として面目が立たないとぽくなら考えるが、君たちはどうであろうか。

(2)”自分のまわりに悪友がいて困る”と言って悩んでいる者もいる。いったい悪友とは何か? 自分で”いけないことだ”と思っていることをするよう誘惑する仲問のことであるらしい。しかし、誘われれば断り切れない自分の弱さを棚に上げて、自分の仲間に「悪」のレッテルをはるというのは、その仲間を裏切っているのと同じことである。

 「あんな友だちとつきあってはいけません」と親から言われて、怒り狂ったことはないか。それは正しい反応である。しかし、怒り狂いながらも、心の底では、”もしかしたら、あいつはやはり自分にとって悪友ではないか”などとつぶやいたことはないか。そもそも、「悪」のレッテルをはらなけれぱならないような仲間など、友だちでも何でもない。そんな者と”友人づら”してつきあっているということの卑劣さをこそぼくは思う。

(3)男の面目とは何か? 弱者をあなどらない。強者にへつらわない。そして信義のためには命をも惜しまぬことである。君たちを見ていて、仲間に対する、あるいは、友に対する信義のうすさを想わないではいられない。

 例えぱ、ひとから漫画の本を借り、それを授業中読んでいて取り上げられた奴がいる。自分の責任で、他人のものを没収されたということ、そのうえ、漫画の本を持って来た者の名前まで明かしてしまう結果になったことに対して、君たちはどれだけの責任を感じることができるか。

 自分ひとりですむことなら、どのようにも責任はとれる。しかし、自分のせいで他人をまきこんだとなると、自分ひとりの責任ではすまなくなる。そういうことに対する、”とりかえしがつかない”という、灼けつくような後悔の念が君たちにはない。

 たかが漫画本、たかがトランブ、と言う者に対して言おう。一一そんなつまらないものに対してさえ責任のとれるような行動のできない者が、どうしてもっと大きなことに対して責任がとれようか、と。

 誰の世話にもならない。一一これが男気というものである。しかし、それは不可能であるが故に、昔の任侠の徒は、”一宿一飯の恩義”にさえどれほどの犠牲を覚悟したか、時には浪曲も聴いてみよ。

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