title.gifBarbaroi!
back.gifHR合宿
yazitu.gif                          860716


人生の味覚




◇今日で1学期も終わり、40日あまりの夏休みが始まろうとしている。毎日を精いっぱい生きてきた者は、なんとも言えぬ解放感をかみしめていることであろう。どうか、事故のないように、この夏休みを過ごしてもらいたい。

◇となりのクラスで、「ぼくの高校生活」と題して作文を書いてもらったところ、多くの者が次のように書いた。
---------------
------
 高校生になったら何かが大きく変わるにちがいないと、不安と期待に満たされて高校に入ってきたが、1学期が終わろうとする今、周囲を見まわしても、自分自身をふりかえってみても、中学生気分のまま、中学の延長のような気がしてならない。
------
---------------

 そうなのだ。君たちには、自分がしてみたいと思うことが山ほどある。また、自分がいっぱしの男として認められるには、まだまだ足らないところ、なおさなければならない欠点や弱点のあることが自分でもよくわかっている。そして、自分でもそれを改めたいと、心の中で熱心に思っている。
 にもかかわらず、それがなかなか実行できないのだ。この、「自分でもしようと心に思うことがなかなか実行できない」ということこそ、16年もの間、君たちの多くをむしばんできた君たちの病根にほかならない! 少なくとも、君たちを見ていてぼくはそう思う。

◇もちろん、人間には度しがたい怠け心というものがあって、誰もができるだけラクをしよう、シンドイことは手を抜こうとする。この怠け心に身をゆだねるか否かは、わずかに一歩の差にすぎない。しかし、この一歩の差は、また、無限に大きいとも言える。なぜなら、この怠け心に身をゆだねるとき、その人間はそれこそどうしようもなくだらしなく、うすぎたなく、卑劣なものとなるからである。

 もう一度言う。――水は常に低きに向かって流れる。そして、ひとたび低きに向かって流れはじめた水を堰(せ)き止めることは至難のわざである。

 人間についても同じことが言える。人間は前進するか後退するかの、いずれか二つに一つである。そもそも、生きてある人間に、現状のままということはあり得ない。現状を維持するためにも、人間は努力を払っていなくてはならないのだ。ちょうど、湖水に浮かんだままじっと動かないように見える水鳥が、水面の下では必死で脚を動かせているように。この、向上の努力を忘れたとき、人間はとめどなく後退・下降を続けることになるのである。

◇1学期の初めに、「自分を変えよう、自分が変わろうと思え」と言ったぼくの言葉をもう一度(いや、何度でも)思い返してもらいたい。「何かが大きく変わるにちがいない」などと、棚からボタモチが落ちてくることを期待していてはならない。今、君たちに必要なことは、何はともあれ自分で何かをしようと思うこと。そして第二に、それを実行することだ。それがたとえどれほど小さなことであろうと、とにかく、自分でやろうと思ったことを自分でやりとげた、という実績を積み上げてゆくことだ。これ以外に君たちの病根を絶つ道はない。夏休みは、そのための絶好の機会であろう。そこで、例えば、本を何冊か読む、ということでも実行してみてはどうであろうか。

◇恐ろしいことだが、君たちが70歳まで生きるとして、そして、今から1週間に1冊ずつ書物を読み続けるとして、君たちが死ぬまでに読むことのできる本の数は、わずかに2800冊あまりにすぎない。君たちはこの数をどう思うか? 多いと思うか? ちなみに、1年間に出版される本の数(種類)は、日本だけでも3万冊以上だというのに……。(もちろん、この中に漫画の類は含まれていないのだ!)

 もしも君たちが、誰のものでもない自分自身の人生を、誰のためでもない自分自身のために、生きようとするなら、そして先人たちよりも一歩でも前進したいと願うなら、君たちは先人たちよりも多くの事柄を知り、先人たちよりも深く人生に思いを致さねばならない。しかるに、先人たちの書き遺してくれた万巻の書物のうち、われわれが一生かけても知りうるのは、そのほんの一部にすぎない。人間の生きられる時間の短さと、その間に人間の為しうる事柄の少なさとを思うとき、ぼくはほとんど狂おしいばかりの感情に駆り立てられる。しかし、
  「人生を生きる以上、人生に深入りしない者は災いである」
            (有島武郎『小さき者へ』)

 何をしても無駄にみえるからといって、何もせずに坐して死を待つというのは、勇気のない人間のやることだ。西も東もわからず、どこを見わたしても何も見えない砂漠のまんなかに取り残された人間のやるべきことは、まず一歩を踏み出すことであるはずだ。
 〔むしろ、今の君たちは、多くの方向指示機に取り巻かれている。あまりに方向指示機が多すぎて、その中のどれに従ったらよいのかわからなくなっているのかもしれない。まるで、「方向指示機の砂漠」といったところか〕。

◇人生は短く、人間の為しうることはわずかである。とするなら、せめてはその深さにおいて、われわれは人生を味覚すべきであろう。
forward.gifFREEZE ROOM
back.gif野次馬小屋・目次