いぼわたしの樹
むかーし、いつきが原に、吉女という娘が住んでおった。 どうしたわけか、吉女は生まれつき器量が悪うてな、右の眼と左の眼が段違いのやぶにらみじゃったし、眼の上にげじげじ眉毛がしがみついておった。おまけに、口は顔の半分ぐらいもあって、口の中にがちゃがちゃに生えた歯が丸見えじゃった。 吉女の顔はそんなにもむちゃくちゃじゃったが、そのことを悪う言う村の者は一人もおらなんだ。というのは、吉女は気立てのやさしい娘でのう、野の花を見つけては、「おみゃー、まぁ、なんときれいなんじゃ」と感心して声をかけてやり、ウグイスが谷渡りの練習をしていたら、「うめぇ、うめぇ。もうちいとじゃが」と励ましてやるっちゅうぐあいじゃった。 じゃから、山の鳥も獣たちも、ちいとも恐れず、いつも吉女のまわりでたわむれておった。 吉女は朝から晩までぐちひとつこぼさず、真っ黒になってよう働いた。それに、朝な夕なに岩井の山神様のお社にお参りして、もうちいと器量よしになりますように、そして、嫁にゆけますようにと、お願いすることも忘れなんだ。 ところが、岩井の山神様はちいっとばかし気の早い神様でな、吉女の器量がよくならず、嫁にもゆかんうちに、吉女のおなかに赤ちゃんをさずけてしもうたんじゃな。 吉女 きっちょん はらぼて女 鬼の子 はらんで 恥かいた 村の子どもたちがひどいことを言うてからこうても、吉女は大喜び。大きくなったおなかを大事そうにさすりながら、大きな口をかっぽり開けて笑っておるばかりじゃった。 「おみゃーたちと同しめんこい子が生まるるっとよ」と言うてな。 吉女のおなかはぽんぽこに大きくなったけれども、子どもはいっこう生まれようとせん。さすがの吉女も、早く出てくれろと泣いて頼むしまつじゃった。それでも、おなかの赤ん坊は三日三晩もぐずったあげく、やっとのことで生まれ出たんじゃ。 それがまた大きな大きな赤ん坊でな、吉女はこれに大伝坊という名前をつけた。 大伝坊を背負うと、働き者の吉女も腰がしなうようじゃったが、吉女はいつも大伝坊を背に負って、野良仕事に出かけたものじゃ。 大伝坊は、あれよあれよと言う間に、お母の吉女よりも大きゅうなってしもうたけれども、どうしたことか、三歳になってもいっこうに歩こうとはせん。身体を二つに折るようにして大伝坊を背負った吉女を取り巻いて、村の子どもたちは、 だらず大伝坊 だらず大伝坊 とはやしたてたものじゃ。 すると吉女は、「そがいなことを言うちゃーいけん。人間はみんな、なにかひとつは善いことをするために生まれてくるっとよ」とたしなめるのじゃった。 子どもらは、「ふーん」ちゅうて、わかったようなわからんような気になったが、それからは、あまりひどいことは言わんようになったんじゃ。 吉女は、大伝坊があまりに重いので苦しそうに肩で息をしておったが、そんな吉女の背の上で、大伝坊はにこにこしながら、村の子どもたちを見おろしているばかりじゃった。大伝坊は言葉もしゃべらなんだのじゃな。 大伝坊は五歳になると、もう小山のように大きゅうなったが、やっぱり歩くこともしゃべることもできなんだ。お母の吉女はやっぱり大伝坊を背負って野良に出かけておったが、吉女が大伝坊を背負っているのか、大伝坊が吉女を抱えているのか、どちらかわからんありさまじゃった。 それから間もない真夏のことじゃ。その日も大伝坊を背負って野良に出かけた吉女は、とうとう長坂の途中で倒れて、そのまま息をひきとってしもうた。大伝坊におしつぶされてしもうたんじゃな。 後にひとり残された大伝坊は、ものも言わずに息たえてしもうたお母の吉女のそばで、生まれて初めて泣いたんじゃ。歩くこともしゃべることもできなんだ自分が、泣くことはできると知った大伝坊の眼からは、涙が噴水のように後から後からあふれ出てくるのじゃった。 そうして大伝坊は岩になった。 長坂の途中にある大伝坊岩というのがそれじゃ。 あの岩からは清水がこんこんと湧き出ておって、あの石清水は今まで涸れたことがない。きっと大伝坊は今も泣きつづけておるのじゃろう。 あの石清水は、山の鳥や獣たちが飲みに来るばかりか、まわりには色とりどりの花が、四季おりおりに咲き乱れて、それはみごとなもんじゃ。 あそこのお花畑をながめながら、峰を渡る風の音に耳をかたむけてみい。 「おみゃー、まぁ、なんときれいなんじゃ」 そう言う吉女の声が聞こえてくるはずじゃ。 |