単独者として立つ
みなさんはたいそう立派な耳をお持ちのようですが、その耳はよく聞くことのできる耳であるのだろうか。 「荒野に叫ぶ」という言葉があります。荒野というのは、水も草も木もない、あるのはただ石と砂と枯れ木ばかりという不毛の地です。その荒野で、どんなに意味のあることを言ったとしても、それは無駄と言わざるをえません。それと同じことで、このように何百人という人間が座席に並んでいて、その人間に向かって何事かを語りかけたとしましても、みなさんに聞く耳がなかったら、それは荒野に向かって話しかけているのと同じことです。聞く耳がないということは、言ってみれば、自分自身を枯れ木や石ころと同じような存在にしていることです。それは人間である自分を自分で卑しめ、貶めているのと同じことです。 ぼくたちの持っている耳は、ウサギの耳やロバの耳とは違います。人間の耳なのです。人間の耳を持っているということは、ただ聞こえるというだけではなく、聞き取り、聞き分ける力を持っているということです。同様に、ぼくたちはまた人間の目を持っています。人間の目を持っているということは、ただ見えるというだけではなく、ものごとを見取り、見分ける力を持っているということです。 例えば、みなさんはぼくの方を見ているわけですが なかには横を向いている人も居ますけれども ぼくを見て、何を見取り、何を見分けているだろうか。「ああ、あれが富田という教師か。中年のいやらしさがにじみ出ているなあ」とか……まあ、それもひとつの「見識」には違いありません。あまりたいした見識とは思いませんが。ぼくはネクタイを締めています。そのことに目を留めた人が、この中に何人いるだろうか。さらには、ネクタイを締めているということの意味について、何事か思いをめぐらした人が、はたして何人いるだろうか。ぼくはそれを知りたく思う。ぼくは伊達や酔狂でネクタイを締めているのではない。ネクタイを締めるたびに、ぼくには、重く暗い想念がいつもよみがえって来るのです。 本校に勤める前に、ぼくは定時制夜間高校の非常勤講師をしていたことがあります。新米教師であったぼくは、着なれない背広を着込み、ネクタイを締めて、初めての教壇に立ちました。それが教師の姿だと信じて疑わなかったからです。定時制夜間高校の生徒諸君はシラケきっておりました。と言いましても、みなさんのように授業中しゃべったり居眠ったりするわけではありません。机に向かって、目を伏せて、座っているだけ――ただじっとしているだけなのです。冗談を言っても笑ってもくれない。何か質問しても、下を向いて黙っているか、小さな声で「わかりません」と言うだけなのです。そういうことが何週間か続きました。 ぼくは途方にくれました。荒野に向かって叫ぶどころじゃない。ぼくの言葉が、まるで巨大な壁のようなものにぶつかって、そして跳ね返されてくる。そんな重苦しさなのです。いったいこれはどうしたことだろうか。ぼくはあせりました。そうやって何週間か過ぎ、初めて話しかけてくれた生徒がいました。その第一声が、「なんや、ネクタイなんかしやがって」という言葉でした。 ネクタイなんかしやがって――ぼくにはその言葉の意味がわかりませんでした。ネクタイをするのが悪いのかと、初めは腹が立ちました。いやしくも教師に向かって、それも、たかがネクタイごときつまらぬものを取り上げて、いちゃもんをつけるとは不届きなやつだとも思いました。その反面、彼がなぜそれほどまでにネクタイにこだわるのかということが、いつまでも心に引っかかって離れませんでした。 彼らは、家庭の事情で、昼間は働いております。その職場というのは、文字通り、汗と泥とそして油とにまみれた最底辺の現場です。中学校を卒業しただけで就職した彼らには、そういう職場しか道が開かれていなかったわけです。そういう所に働いている彼らにとって、ネクタイを締めている人間というのは何であったかと言えば、それは、彼らを監督し、彼らに命令を下し、そして彼らを意のままに操ることのできる者たちです。つまり、彼らにとってネクタイは、そういう者たちのシンボルとしてあったわけです。 彼らは、どうあがいても、ネクタイを締めて机に向かい、そして紙の上で人々を操るような人間には恐らくなれないでしょう。そして、彼らが三、四十歳になっても、まだ機械を相手に油にまみれて働いている時に、ネクタイをぶら下げた若僧が、彼らに顎で指図する――そういう時の来ることを、彼らは予見していたはずです。だから、彼らにとって、ネクタイを締めた人間というのは、それだけで実に憤ろしい、腹立たしい存在であったはずです。 そういう彼らにとって、学校はひとつの逃げ場でした。手も足も出せず、ただ機械の一部となって働かねばならない職場から解放され、少なくとも同じような境遇の者たちが、吹き寄せられるように寄り集まって来る学校は、彼らにとって唯一の安らぎの場であったと言えます。ところが、その学校においてさえ、まだ大学を出たばかりの新米教師が、彼らとそれほど齢の違わないような若僧が、ネクタイを締めて彼らの前に立ちはだかったのです。その時の彼らの心中を思いやると、今でもぼくは非常に恥ずかしい、居たたまれないような思いがします。 ぼくは、それ以来、その学校ではネクタイをしませんでした。ネクタイをしなくなったからといって、ぼくが変わったわけでもなんでもない。何も変わりません。変わらないけれども、彼らは初めて心を開いてくれました。ネクタイ族でない者としてぼくと接してくれたのです。そのおかげで、ぼくは彼らから実に多くのことを教えられましたが、今はそのことを話している時間がありません。 さて、本校に勤めることになった時、ぼくはネクタイをしようか、どうしようかと迷いました。ネクタイというものの重さを知ってしまったぼくにとって、それは決して小さな問題ではありえませんでした。言ってみれば、それは、自分の立場をどこに置くのかという問題と同じでした。そしてぼくはこう考えたのです。教師はネクタイ族だ。たといネクタイをしていなくても、ネクタイ族であることに変わりはない。それなら、自分はいかにもネクタイ族ではないような顔をするよりも、正体をはっきりさせておくべきだ。まあ、文学的に表現するなら、ネクタイは緋文字のようなものでしょう。それに対して、本校の生徒たちは果たしてどんな反応を示すだろうか。そんなことを考えながら、ぼくはネクタイを締めて教壇に立ちました。 それ以来、ずっとネクタイをし続けておりますが、いまだかつて一度も、「なんや、ネクタイなんかしやがって」と、吐き捨てるように言われたことがありません。 ということは、どういうことかと言えば、諸君はネクタイ族のいわば卵だということです。諸君の未来の姿が、ネクタイをして机に向かい、紙の上で仕事をするような、そういう人間、ないし、その親類の人間だということです。だからこそ、諸君は、ネクタイを締めている人間を見ても、別に何も感じないわけです。何も感じないほどまでに、ネクタイ族およびその後継者という、この小さな世界にどっぷりとひたりこんでいるわけです。 しかし、ぼくたちは人間の目を持ち、人間の耳を持っています。だから、ネクタイ族およびその後継者である者たちも、足の下に何を踏みつけているのかということを、見ようと思えば見ることができますし、踏みつけられているものの声を、聞こうと思えば聞くこともできるはずです。 よく言われることですが、足を踏みつけられた痛さは、踏みつけられた本人でなければわからないと言います。そして、ぼくたちは、ひとの足を踏みつけている側の存在だということも言えそうです。ひとの足を踏みつけておきながら、しかも、踏みつけたまま、「さぞかし痛いでしょう。かわいそうに」と相手に同情したとしたら、それは相手に対する最大の侮辱になるはずです。まず一番にしなければならないことは、ひとの足を踏みつけている、その自分の足をどけることのはずです。そのためには、自分がひとの足を踏みつけているということを知らなければなりません。そして、ぼくたちはまた人間の心も持っているのですから、少なくとも、ひとの足を踏みつけているという自分の行為に対する痛みというものを、感じ取ることができるはずです。 これから三年間、君たちはいろいろな問題を学んでゆくはずです。例えば、部落問題にしろ、在日朝鮮人問題にしろ、心身障害者問題にしろ、三年間いろいろと学んでゆくはずですが、その時、ぼくたちは多くの人たちを踏みつけているのだという、その痛みを感じ取ることのできる心だけは、なんとしても学び取っていただきたいと思うし、ぼくも君たちといっしょに学んでゆきたいと思います。 それでは、これで今日の話を終わります。 (1980年6月9日) |