何が見えないのか
いつもくだらん話ばかりするのですけれども、たまには真面目な話もできるというところを見せておかないと、馬鹿にされますので、今日は真面目な話をしようと思います。 先月でしたか、そこの東福寺駅の踏切で、中年の男性が飛び込み自殺をしたそうです。ちょうどクラブの帰りがけにその現場に通りかかり、本当かどうかは知りませんが、肉きれが飛び散っていたのを見て喜んでいた人も居たようです。 自殺の方法にはいろいろあります。首吊りというのは伝統的な自殺の方法ですけれども、面白いことには――と言ったら不謹慎ですが、自殺の仕方というものも、時代の流れと密接につながっているところがあります。例えば、昔ですと、自然と人間が共存していたというか、人間が自然のふところにいだかれていましたから、自殺の仕方も、自然の中に――滝つぼの中だとか火山の噴火口だとかに飛び込むことが多かったようです。ところが、産業の発達とともにその自然が破壊され、人口が都市に集中し始めると、人々は自分の狭いアパートの部屋に閉じこもり、その中でひとりさみしく睡眠薬を飲んだり、ガスが都市に普及してくると、ガス自殺というようなのが起こってくる。最近では、都市への人口の集中も限度に達し、住宅を上へ上へと高くさせた結果、その高層住宅の上からの飛び降り自殺が流行しているようです。 最近はあまりはやりませんが、一時、焼身自殺というのが流行したことがあります。自分で油をかぶって自分で火をつけるわけです。このショッキングな焼身自殺の流行の背景には、ベトナム戦争というものがあった。ベトナム戦争を抜きにして焼身自殺は語れないのであって、そういう意味で、時代の流れ・社会の背景というものを、自殺はいつも反映していると言えます。 新聞のかたすみに、五、六行ですけれども、記事が載りました。工員がシンナーをかぶって焼身自殺をした、という。今から十数年前のことです。その工員の名前はO君、18歳。生まれは丹後の山奥です。小さくして父親を失い、母ひとり子ひとり。そういうことで、中学を卒業するとすぐに就職して、京都に出てきました。 当時、日本は高度経済成長の時期で、働き手がいくらあっても足らないといった時代でした。特に、中学を卒業したばかりの就職者は、「金の卵」と呼ばれて、どこの会社でもほしがりました。なぜなら、彼らは安く雇えたからです。「金の卵」というのは、それだけ手に入りにくく貴重であるという意味と同時に、それだけ会社をもうけさせてくれる、金を生む卵という意味も含んでいたのです。そのため、中学を出たばかりの少年たちが集団で就職して大都市に流れ込んで行きました。O君も、そういう「金の卵」のひとりだったのです。しかし、就職する時はちやほやされた「金の卵」も、現実がどれほど厳しいものか、どれほど冷たく非情なものかを知りました。就職といっても「中卒」ですから、大きな会社には勤められません。O君が就職したのは、あの有名な大手電器会社の、その子会社の、さらにその下請けのような会社でした。その会社の寮に入っていたのですが、そこにはO君と同じような境遇の、それも北海道から九州から東北から集団就職して来た少年たちがいたのでした。 昼間は働く。一生懸命に旋盤を回して、夜になると定時制高校――あそこの伏見稲荷に伏見工業高校というのがありますが、そこの定時制高校に通う。そうやって三年間をがんばって生きてきました。そして四年生――定時制高校というのは四年生ですから、やっとのことで四年生になったわけです。その彼が、ある日のこと、会社の寮の倉庫にあったシンナー入りのドラムかんを持ち出し、寮から50メートルほど離れた広場に行き、何を思ったのか、そこで衣服を脱ぎ捨てて、パンツひとつになったのです。そして頭からシンナーをかぶり、自分で火をつけました。たちまち火だるまとなった彼は、そのまま寮の方に向かって走りだしました。人間の形をした炎が、50メートルを走ったのです。そして、寮の入口で、ワァーという、とても人間の声とは思えない、けだもののような悲鳴をあげて、ばったりと倒れました。 もちろん、すぐに救急車で病院に運ばれ、身体を見たところ、全身火傷です。けれども、みなさんも知ってのとおり、シンナーはとても揮発性の強い薬品です。それを頭からかぶったわけなんですが、裸になっていたため、すぐに蒸発してしまって、上半身の火傷は大したことはなかったのです。ところが、パンツをはいていました。そうすると、そのパンツのところはシンナーがたっぷりとしみこんでいます。だから、そこが一番よく焼けたわけです。そのため、どうなったかというと、尿が出ない。小便が出ないわけです。そうすると、尿というのは毒を持っている。尿毒というおそろしい毒を持っている。その毒が身体にまわった。で、O君は約二日間苦しみ抜きました。その間に、丹後の山奥から母親も、たったひとりの母親もかけつけてきて看病しました。だけどもその甲斐もなく、最期にひとこと、「お母ちゃん、ごめんナ」とだけ言って息絶えたそうです。 どうしてぼくがこのことをよく知っているかというと、一年間ほど、社会科の――以前は「倫理・社会」という教科があったのですけれども、その講師として、その伏見工業高校定時制に教えに行っていたことがあるのです。その時にO君を知りました。彼は背の高い、色白の、なかなかハンサムな青年でした。髪は当時の流行だった長髪にし、自分から話しかけるようなことはなく、いつも他人の話に耳を傾けて弱々しく笑っている。そして、何か意見を求められれば、これもやはり当時の流行だった「ショーモナッ」と言うのが口ぐせでした。 彼には仲のよい友だちが三人いました。彼らも同じ会社に集団就職し、同じ寮に入って、そして、同じ学校の同じクラスというふうな仲のいい友だちです。その友だちの話では――ぼくは一年間だけ、彼らが三年生の時に教えて、この大谷に転勤し、O君は四年生の時に焼身自殺を遂げたのですけども――その友だちの話を聞いたら、学校に出て来なくなったそうです。四年になってからね。 欠席日数がかさみ、これ以上欠席したら卒業できなくなる日が近いことを知った友だちが心配して、寮の裏に呼び出して、自殺する前の晩ですけれども、呼び出して、「学校に出てこい。せっかく三年間がんばって、あと一年やないか。みんなでいっしょに卒業しようと誓ったのと違うのか。学校に出てこなくて、どうするにゃ」と、三人で問いつめたそうです。だけれども、O君は、「もうええんや」とね、「もうほっといてくれ」と言って、全然とりあおうとしてくれない。で、友だちは、これはもう最後の手段しかない、思い切ってなぐったらなあかんと思ってなぐったわけです。そうすると、相手は――普通なら抵抗してきて、「何すんねッ!」ということになって、「なにくそ」というやる気も出てくるものですけれど、本人はなぐられて地面に倒れこみ、地面にうつ伏せたまま、「もうええんや。もうほっといてくれ」と言うだけだったそうです。………… そしてその次の晩、そういうことがあったわけなんです。それで、O君が自殺したのは自分たちのせいではないかとたまらなくなって、その三人がぼくのところに来て、いろいろ話を聞かせてくれたというわけです。 ぼくは、このO君の話は、今までほとんどひとにしたことがありません。というのは、ぼくにとって、これはあまりにも重い。……………だけれども、今日してみたいと思うようになったのは、君たちの毎日を見ていて…………………………………。 あの、定時制というのは、みなさんはほとんど知らないと思うのですけれど、非常にしんどいのですね。朝早くから会社に行って、と言っても、それはみんな現場ですね、机に向かっての仕事じゃない。工場で油まみれになり、土木工事現場でドロまみれになって働いている同世代の少年の姿が、君たちに見えているだろうか。仕事はいちおう四時半に終わるわけだけども、終わったからといって、すぐに帰してもらえるわけじゃない。現場の後片づけもあれば残業もある。そういう一日を終えて、みんなが家に帰りつくころ、彼らは現場からドロ靴、長靴をはいたまま、オート三輪車に乗って学校にかけつけて来る。学校は、みんなだったら「おはよう」で始まるのだけれども、定時制では「こんばんわ」で始まるのです。 ぼくは、たった一年間しか夜間高校に行きませんでしたが、それでも、闇というものがどれほど深いものだか、少しは思い知らされたような気がします。教室の電灯は暗いのですが、その電灯でさえ、まぶしく思えるほどに闇が深いのです。教室と教室とをつなぐ廊下の隅に、あるいはまた、階段の踊り場に、闇がまさしくうずくまっているのです。そんな闇の底に、彼らはまるで木の葉が風に吹き寄せられるように集まってくるのです。そして、九時すぎには授業が終わりますけれども、四時間の授業が終わって、ひとりひとりがまた闇の中へと散ってゆくわけです。ところが、それがしんどくなって、ふっつりと学校に来なくなる生徒がいくらでも居るのです。四年間というのはしんどいですね。なかなか続けられるものじゃないのです。だから途中で学校をやめる生徒も非常に多いのです。 みんなはね、世界というものは昼間ばかりだと思っているのではありませんか。朝日といっしょに起き、明るい太陽のもとで勉強し、日暮れとともに家に帰る。家に帰ったら、ちゃんとそこには一家だんらんの場がある。まるで昼間が世界の中心のように、自分を中心に世間が回っているように思っている。そうじゃないということをぼくは言いたい。 ここで、一編の作文を紹介したい。これは、自殺したO君のものではありません。が、彼と同級生で、三年生になって、とうとう学校に出てこなくなった生徒が居ます。彼は、だから、ぼくの授業にもほとんど出席していません。ところが、この生徒がぼくの手もとに一編のレポートを残して――「倫理・社会」の宿題として出されたレポートを書き残して、底しれぬ闇のかなたへと姿を消していった。返そうにも、どこに居るのかもわからない。このレポートというのが、ものすごくいい文章なのです。これを読みたくて、今日は話をしたのです。題は「私の人生観」。副題として、「何かひとつ足りない」となっています。それでは、いちど読んでみます。 私 の 人 生 観
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