title.gifBarbaroi!
back.gif闇の炎


それまでの野次馬



青い日に






 月に一度、女は血を流すという。これをメンスと呼ぶそうだ。女にメンスがあるのなら、男にもオンスというものがあるのではないかと、この間から悩んでいる。

 男はどのように血を流すのか?――生理日のことを blue-day と呼ぶそうだ。blue は憂鬱の色。したがって、blue-day とは憂鬱な日ということであろう。だとすれば、別に血を流すまでもなく、男にも blue-day があってもよいのではないか。

 今日のように雨のしとしと降る日。いつものように起床して、いつものように通勤・通学の電車に乗っている。どこか意識の遠くで、電車のゴトンゴトンという音が単調に聞こえてくる。そういう時、ふと、自分は操り人形のようなものではないか、いわばマリオネットのごときものではないかと思ったりする。あるいはまた、授業中などに、教師の声が意識の中で遠のいてゆくようなことはないか。そういう時に、自分はこんな所でいったい何をしているのかと、いたたまれないような、叫びだしたいような衝動に駆り立てられたりする。これこそ blue-day の兆候であるといってよい。

 木の葉の舞い散る季節となった。ギリシアの詩人、あの『イリアス』とか『オデュッセイア』という叙事詩の作者といわれるホメロスは歌っている。「年ごとに木の葉の散るごとく、人もまた散る」と。見ていると、今、木の葉がはらはらと、とめどもなく散り敷いている。そのように、人間もまた次々と死んでゆくという。人間のそういうはかなさを思う時、秋のさみしさはひとしお身にしみてくる。意味もない――と思われる――この「生」というものが、耐えがたい重荷に感じられてくる。こんなしんどい思いをしてまで、どうして生きてゆかねばならないのか。自分はとても生きられそうにもないという思いに沈み込んでいってしまう。

 オンスとはそういうものではないかと思う。女が生理的に blue-day に落ち込むものなら、男は精神的に blue-day に落ち込むものではないか。そして、メンスが女の宿命なら、オンスは男の宿命ではないか。――そんな想いにとらわれている今日この頃である。

 話は飛ぶ。

 昭和2年7月24日未明、芥川龍之介は睡眠薬を飲んで自殺した。彼が自分の子どもたちに宛てて書いた遺書がある。その遺書の冒頭に、芥川は次のように書いている。「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」と。また、「若し、この人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ」とも書いている。

 こういう遺書を読むと、ぼくなどはうっとりしてしまう。カッコイイではないか。汝ら父のごとく自殺せよ――確かにカッコイイのだけれども、あまりに格好がよすぎて、ちょっと待てよという気になる。生きるということは、確かに綺麗事ではない。糞もすれば小便もする。同じように、死ぬということも綺麗なはずがない。糞たれて、小便たれて、鼻から鼻汁やら鼻血までたれて、いわば糞と血にまみれて、ぶざまにくたばってゆくのが人間の死というものではないのか。そのぶざまさを視界の外において、「汝ら父のごとく自殺せよ」という芥川の格好のよさに、何かしら嘘を感じないではいられない。

 芥川龍之介についてよくは知らないが、彼は人生というものを観念でしか見ていなかったのではないか。芥川が「人生とは戦いである」と言った時、彼はいったい何と戦ったのか。また、その戦いはどれほど深刻なものであったのか。どうも疑問に思えてならない。自殺したからといって、その戦いがそれほど深刻であったということにはならない。もしかすると、芥川は、生きられそうにもないという自分の弱気と戦い、そして敗れたのではあるまいか、とそんなことを想像してみたりする。

 再び話は飛ぶ。

 昨日、テレビを見ていると、『白血病』というドキュメンタリーを放映していた。白血病というのは、血液の癌とも呼ばれ、病的な白血球が際限もなく増えてゆくという。それが体内にまで沁み出してきて、そのために人間の身体は抵抗力を失って病菌の侵入を防ぐことができず、やがて死に至るという。

 そのドキュメンタリーの中で、石井モモ子ちゃんという白血病の3歳の女の子が登場していた。現代の医学は、そのモモ子ちゃんの病気の進行を一応くいとめるところまで進歩したという。これを医学用語では寛解と呼ぶそうだが、寛解とは完全に治ったということではない。いつ再発するかわからない。3年後になるか、5年後になるか、長くても5年後までに再発する例が多いという。そして再発すると、現在の医学では治療の施しようがほとんどないという。そういう不安、しかも、抵抗力が弱いから、何でもないような病気でも命取りになりかねないという不安の中で生きている3歳の女の子をカメラは追っていた。

 このドキュメンタリーは、もうひとりの女の子を追跡していた。白血病にかかり、いったん寛解になった後、再び発病した9歳の女の子、マキ子ちゃんである。

 現代は抗生物質の研究が非常に発達していて、これが今まで不治の病といわれていた白血病に対する有力な武器になっているという。しかし、一度使った抗生物質は二度と使えない。効き目がなくなるという。そこで、白血病の再発したマキ子ちゃんには、次々と、新しい、より強力な抗生物質を注射して治療を試みてゆく。たちまちのうちに、マキ子ちゃんは身体中、注射の跡だらけとなってゆく。そればかりではない。白血病患者の最も恐れる検査が続く。血液の組織状態を調べるために、骨髄から液を採る――背中を丸めさせて、その背中に、背骨に、針を突き刺し、そこから液を採り出して検査する。大人でも耐えがたい残酷な検査だという。それを繰り返してゆく。こういう検査や治療の中で、マキ子ちゃんの身体は、腕はもちろんのこと、手の甲から大腿から足の先に至るまで、傷だらけとなってゆく。
 しかし病気の進行は止まらない。

 ある夏の宵、マキ子ちゃんの入院している病院のベランダで、比較的軽い病気で入院している子どもたちが、線香花火をつけて遊んでいた。その花火を、ベッドの上に半身を起こして、いつまでもいつまでもじっと見入っているマキ子ちゃん――その姿に、どんな慰めの言葉があったか。こんな小さな子どもが、なぜここまで苦しまねばならないのか。マキ子ちゃんの母親は、不眠不休で看病を続け、日に日にやつれてゆく。その母親が言葉少なに語っていた。この病気を治す薬が、明日にも発明されるかも知れない。あるいは、明後日には治療法が見つかるかも知れない、と。

 しかし、マキ子ちゃんの白血病は悪化するばかりである。手段に窮した医師たちは、いよいよ最後の手段として、最も新しい治療法を試みることにした。病的な白血球を造り出すマキ子ちゃんの骨髄液を、健康な人の骨髄液と取り替えてしまおうというのだ。アメリカで開発されたというこの治療法は、日本ではまだ研究が進んでいない。しかも、マキ子ちゃんの場合、成功率はきわめて低いという。さらに、この治療をするためには、白血病の症状を抑えた寛解の状態にもう一度もどさなくてはならない。マキ子ちゃんは、このわずかな可能性に賭けてみることになった。

 こうして最後の治療がはじまった。まず、寛解の状態にするため、最も強力な抗生物質が与えられた。それは、マキ子ちゃんの体力がもつかもたないか、強烈な副作用に耐えられるか耐えられないかという、一種の賭けであった。カメラは、完全無菌室の中であえぎ苦しみながら生死の境をさまようマキ子ちゃんを、まるで息をころすようにじっと見つめ続ける。

 薬の投与が一応終わり、白血球の数も減少した。後はマキ子ちゃんの体力の回復を待つことになった。そしてマキ子ちゃんの体力も徐々に回復し始めた。だが、ある日、突如として、白血球が爆発的に増加したことがわかった。ぼうぜんと立ちつくす医師。もはや手の施しようがないことを告げられ、放心したように病室の廊下を渡ってゆく母親。……そして、「もう少し検査をしたら、お家に帰れるのよ」と、涙をこらえて嘘をつく母親の顔を、じっと見つめるマキ子ちゃん。こうして、マキ子ちゃんは、その病院で、9歳3カ月の生涯を閉じた。

 この『白血病』というドキュメンタリーをいっしょに見ていたぼくの老父は、「なぜこんな病気があるのか」と声をつまらせていた。なぜ9歳の女の子がこんな苦しみを負わねばならないのか。しかも、なぜ苦しむだけ苦しんで死なねばならないのか。なんともやりきれない気持ちであった。

 しかし、その一方で、何か心の底の方からこみあげてくるような感動をおぼえた。それは、マキ子ちゃんという9歳3カ月で亡くなった女の子が、最期の最期まで戦い続けたということに対してである。ドキュメンタリーの最後のところで、ナレーターがこう言っていた。――わずか9歳3カ月で亡くなったマキ子ちゃんの存在の証明は、膨大な量のカルテだけであった、と。膨大な量のカルテを遺してマキ子ちゃんは逝ってしまった。そのカルテの中に、もうひとりのマキ子ちゃんを救う手がかりがあるかもしれない。あるいは、ないかもしれない。しかし、とにかく、マキ子ちゃんは戦った。カルテの量の膨大さは、マキ子ちゃんの苦闘のすさまじさを物語っている。他の人の幸福を妬むわけではなく、自分の不幸を呪うわけでもなく、自分の過酷な運命とただひたすらに戦い続けたという――その姿は崇高でさえあると思うのだ。

 芥川は35歳で格好よく自らの命を絶った。マキ子ちゃんは9歳3カ月で、全身傷だらけとなって亡くなった。芥川は数多くの名作を残した。マキ子ちゃんは手がかりになるかならないかわからないような膨大な量のカルテを残したにすぎない。「生」というものは、人それぞれにかけがえのないものだから、その軽重を問うことはおかしいと思うが、芥川の言うように「人生は戦いである」とすれば、戦いの重さは問うことができるのではないか。そして、戦いの重さという点で、芥川龍之介の方が重かったのか、それとも、マキ子ちゃんという名も知れない9歳の女の子の方が重かったのか、ふと疑問に思ってしまった。

 もう一度話は飛ぶが、一昨年、本校にも白血病の生徒がいた。みなと同じ高校2年生だった。2学期の初めには、もはや絶望的だということがわかった。そこで、彼の命を一日でも生き延びさせるため、全校こぞって献血しようということになり、献血運動をくりひろげた。しかし、残念ながら、その生徒は、確か10月の末だったと思うが、そこの日赤で亡くなった。これをきっかけとして、献血の意義をみなに認識してもらおうと、昨年から献血運動に取り組んでいる。今年も11月10日に実施することになっている。

 世の中には苦しい闘病生活を送っている人が多くいる。また、いつ自分がそういう戦いの主人公になるかも知れない。そして、初めにも言ったとおり、血を流すところは下の方ばかりとは限らないはずだ。今回の献血運動に協力してもらいたいと思う。
                         (1981年11月2日)
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